第二部

第1話①

がたごと、と電車が揺れる。


土曜日の夕方。都心から自宅最寄り駅まで向かう下り電車。ひとつ前の駅で乗客のほとんどが降りて行ったため、車内に残っている人間は俺と、あと2、3人程度。


都心から離れていくごとに窓の外に見えるビルの背が低くなり、見慣れた地元に戻って来たのだと感じる。沈みゆく夕日がビルの間隙を縫って、時折車内に差し込んだ。


他に誰も座っていない長椅子のひじ掛けに頭を預けて、電車の揺れに体を委ねながら、俺は親友のことを考えていた。


親友―芦原あしはらみずき。


よく一緒にイベントに行っていた親友だ。行くというか、俺が無理やり誘って連れ出してただけなんだけど。


いつもなら、今日のイベントにだってきっと連れ出していたと思う。


だけど今、俺はみずきと一緒にいない。

俺は今日、一人で、最近好きになったアイドル―Vine☆girlのイベントに行った。


みずきの都合がつかなかったわけじゃない。もちろん、喧嘩したわけでもない。


俺が、はじめからみずきを誘わないことを、選んだのだ。


一人でイベントに行ったのなんて一体いつ以来だろう?

いや、もしかしたら初めてだったかもしれない。


それがこんなに寂しいものだとは思わなかった。


もちろん、イベント自体は楽しかった。

自分が好きな人達に、応援している人達に、間近で会えて楽しくないわけがない。


だけど一人でイベントに行って気がついたことがある。


イベントというのはその前後の時間や空間も含めてイベントなのだと。


朝起きて、荷物を詰めて、駅に行って、電車に乗って、友達に会って、たわいもない話をしながら物販に並んで、飯を食って、会場の前で写真撮って、入場列に並んで、終わった後はあれやこれやとイベントの感想を話しながら家路につく―そういう一つ一つ、全てがイベントなのだ。


その時間を誰かと共有できるということは、俺にとってとても幸せなことだったのだ。


できるなら、またみずきと一緒にそんな時間を共有したかった。

だけど、それはもうできない。してはいけないのだ。


俺はこれ以上、みずきを振り回してはだめだ。



全ては俺の勘違いだったのだから。









遡ること数週間前。


俺は大学の中庭テラスを通りかかったときに、みずきと貴之を見かけた。


学部の違う2人をたまたま見かけたのが嬉しくて、俺は声をかけようとした。

しかし、それはできなかった。


人目もはばからず泣くみずきとその肩を抱く貴之を見てしまったからだ。


俺は咄嗟に近くの柱の裏に身を隠し、2人の様子を覗き見た。


言い争ったり、喧嘩をしたりといった様子はないが、俺のいる場所から2人がいるところまでは遠く、会話の内容は全く聞こえない。そうこうしているうちにみずきは逃げるようにテラスから去っていき、貴之も後を追って行ってしまった。


結局、二人の間で何があったのかは分からずじまいだ。


俺はしばらくの間、柱に背を預けて呆然と立ち尽くしていた。


驚いた。


みずきとは中学の頃からの付き合いになるが、泣いているところなんてほとんど見たことがない。唯一あるとすれば、「友達になろう」と声をかけたあの日くらいだ。


だけど、それは俺の前で涙を見せなかったというだけで。


本当はああやって誰かの前で泣いたり、俺の知らないところで苦しんだりしていたんじゃないだろうか。


気がついた瞬間、頭が冷えていくのを感じた。


俺はみずきのことを本当はなんにも知らない。

親友が胸の内に何かを抱えていても、すぐ近くにいながら何も知らないのだ。


そりゃ頼ってもらえるわけないよな。


そう思いかけて、頭を振る。

みずきに頼れる友人がいるのはいいことじゃないか。


悩みや不安を打ち明けられる誰かがみずきに寄り添ってくれるなら、それは別に俺じゃなくたっていい。分かっているはずだ。


だけどどうしてだろう。

みずきが貴之の前で泣いているのを見た時、俺は少し悔しかった。





『生きてる?』


その日の夜。たっぷり悩んだ末、俺はたった一言だけのメッセージをみずきに送った。


さりげなく、とにかく自然に、やんわり。


……それにしても、もっと上手いこと言えないのかよ。


もう送った後だというのに、俺は何度も自分の送ったメッセージを読み返してしまっていた。


向こうから何か言ってこない限り、見なかった振りをした方がいいとは分かっている。しかしどうしても気になってしまい、結局みずきに連絡してしまった。


送ったのはもう2時間くらい前だが、まだ既読表示はつかなった。


俺はいい加減諦めてスマホを置き、ベッドに仰向けに寝転がる。


目を閉じてもまぶたの奥に昼間の光景が浮かぶ。思い出すたびに胸の中にもやもやとした何かが渦巻くのを感じた。


どうしてみずきは俺に何も相談してくれないんだろう。

俺にだって頼ってほしい。


ついそう思ってしまう自分が嫌になる。


ふう、と胸の中のもやを吐き出すように息をつく。

ごろりと体を転がすと、ふと、壁際に置かれた本棚に押し込まれている白い袋が目に入る。


なんだ、あれ。


ベッドから起き上がり、本棚に近づく。手に取ってみると、袋の中にはDVDが入っていた。


10人組のアイドルグループ―パッケージには「Shine☆girl」と書いてある―のライブDVD。



それを見た瞬間、俺の中で記憶がぶわあっと蘇った。



高校生の時、俺は一度みずきの好みを探ろうとしたことがある。


きっかけは些細なことだった。


みずきとファミレスに行って、ドリンクバーでみずきの分の飲み物を取って来ようとした時に、ふと「みずきが何を好きなのか分からない」と感じた、ただそれだけ。


直接みずきに聞くのが一番早いとは思う。


だが、俺は常々、みずきの周囲には透明な壁があるように感じていた。隠し事なんて何もないように見えて、実は誰もその中には入れない、透明な壁が。


その壁の存在を寂しく思う人もいるかもしれない。


だけどそれはきっとみずきにとって何かを守るために必要なものなんだと思う。俺としてもそれを無理に壊したくはない。


それでも親友であるみずきのことを、できる限り知りたいとは思う。


自分ではいい方法が思いつかなかったので、周りの友人に「男友達の趣味とかってどうやって探る?」と聞いたところ、「そういうのは口で言わせるよりコレクションに語らせたほうが早い」とアドバイスされた。つまり「お宝交換」を持ちかけるのだと。


おそらく、俺の意図とは少し違うアドバイスのような気がしたが、俺としてもみずきの趣味はやはり気になる。いや、じゃなくて、もっと普通の趣味とかでいいんだけど。


他に案もなかったので、俺はさっそくみずきに「お宝交換」を持ちかけてみた。


みずきが俺の提案に乗ってくるかは不安だったが、意外にも快諾してくれた。


そしてその時にみずきが持ってきたもの―それこそがこのアイドルのDVDだった。


どうして今まで返さなかったんだろう。


そうだ。確か―みずきが貸してくれたこのDVDを見ようとして、夜中、家族が全員眠った後を狙って居間のテレビを借りたのだ。


だが、見てる途中で寝てしまい、気がついたら朝になっていた。


そこへ母親が居間に降りてきて―俺は母親に「アイドルのDVDを隠れて見てたこと」がバレるのが恥ずかしく、急いで自分の部屋の本棚に隠したのだった。


そしてそれ以来2年近く、その存在を忘れてしまっていた。


何やってるんだ、俺。


自分で自分のだらしなさに呆れる。「親友のことをできる限り知りたい」なんて一体どの口が言ってるんだろう。志半ばで折れすぎだ。


一刻も早くみずきに謝ってDVDを返すべきだが、俺はここでふと思い当たる。


あの時、みずきが貸してくれたDVD。


もしも、これがみずきの「好き」なのだとしたら。


俺はずっと、みずきの「好き」に気がつかなかったということになる。

すぐそこにあったというのに。


あまり自分のことを語らないみずきが、唯一俺に見せてくれた「好き」だというのに。


これを返す前にやることがある。


本棚の一番下の段に押し込まれていた小型のDVDプレーヤーを取り出す。

コンセントを差して、プレーヤーの電源を入れる。パッケージからディスクを出し、

プレーヤーにセットした。


きゅいーん、という機械音が部屋に響く。プレーヤーのモニターの灯りが薄暗い部屋の中でひときわ眩しい。


今からでも遅くはないだろうか―いや、それでも、少しでもみずきの心に近づけるなら。


俺は小さなリモコンの中心にある再生ボタンを押した。

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