卵が割れた ②
『卵かけご飯は白身だけかけて食った方が美味いよな?』
『つ、つまんない話してんな』
五時間目の授業中からずっと、放課後の今まで……この会話を何度頭の中で繰り返しただろう。
これは今日みたいな日に限らず、他人と話したときに決まってする、俺の癖みたいなものだった。
おかしなことは言わなかったか、不快なことは言ってなかったか、悪い印象は与えてなかったか、検めているのだ。
まあ、別にこれをしたところで、特に何かが改善されたりするわけではないのだが。
しかも、今日の会話はおかしさ、不快さ、印象、どの点をとっても全く良くなかった。
俺は思い出すたびに頭を抱えたくなった。
ただでさえ、俺が他人と会話することに慣れてないせいで、伊瀬をわずらわせたに違いないのに、暴言に近いことまで言ったのは最悪だ。
珍しく他人に話を振られたからって調子に乗ったと思われたかもしれない。
伊瀬が何故か笑ってくれたからよかったけど。
そう考えると、伊瀬は器が大きくて良い奴なんだと思う。
いや、でも俺みたいな陰キャにいきなり絡んきたり、そもそも伊瀬達が俺の席を占拠したせいで俺は昼休み中、居場所をなくしかけたのだ。
休み時間に陰キャの席を奪うことは決して許していいことじゃない。
やっぱり伊瀬や、クラスの奴らは俺にとって敵みたいなものだ。関わらない方がいい。
なんて、自分の弱さを棚に上げて、俺はまた被害者面をしている。
一番嫌な奴は自分だ。
学校からの帰り道。
当然、今日も一緒に帰る奴なんかいなくて、俺は一人、土手沿いの道を歩いていた。
もう別に慣れたはずの孤独が、今日は何故か苦しかった。
目の奥に涙が溜まって、胸がきゅっとなるのを感じる。
──だっせえ。一生こんなんなのかよ。
鼻をすすって、制服の袖でごしごしと目をこする。
もう何も考えないように、家まで走って帰ろう。
そう思った瞬間。
「芦原!」
振り返ると、伊瀬が立っていた。
◯
「芦原って家こっちなんだな、俺ん家と真逆だ」
伊瀬がはは、と笑う。
何故、伊瀬がここにいるのか聞こうとして遮られてしまった。
そして、伊瀬の家が真逆の方向にあるのなら、尚更、何故ここに伊瀬がいるのか分からなくなった。
「芦原?」
突然の出来事に、何と言っていいか分からず、ただ黙って俯いていると、伊瀬が顔を覗き込んでくる。
「いや、その……なんで、ここににいるんだろって……」
俺は伊瀬の顔から逃げるように視線を逸らし、やっと言った。恥ずかしい。本当は視線だけじゃなくて、体もこの場から逃げ出したいくらいだ。
一方、伊瀬はそんな俺の心情など知らず、うーん、と呑気に考え込んでいる。
「なんでって……芦原ともっと話そうと思って」
「……なんで」
「なんでが多いな、あとはもうなんとなくだよ」
行こうぜ、と伊瀬に背中をポンポン叩かれる。
いい加減、呆れられたのだろうか。だけど、本当に分からないのだから仕方ない。
何故、伊瀬は俺に構うのだろう。
半ば押し切られたような形で、渋々ながら伊瀬についていく。
そのまま黙って歩いていると、ところでさ、と伊瀬が話しかけてきた。
内容は、どうでもいいというか、よく分からないことばかりだった。
伊瀬はストローで何かを飲むときストローをつい噛んでしまうらしいとか、ガムって出すタイミング分からなくなっていつまでも噛んじゃうよな、とか。
こんな話を聞かされるくらいなら一人で帰った方がマシだったんじゃないかと思うくらい、どうでもよかった。
卵の話といい、よくこんなわけのわからない話のストックがあるな。
俺がしばらく適当に相槌をうっていると、伊瀬が突然、ぴたりとその場で止まる。
「い、伊瀬?」
俺は伊瀬に声をかける。
伊瀬は俺をちらりと見ると、あー、と言いながら頭を掻いた。
そして、今度は真剣な顔で俺に聞いてきた。
「芦原ってさ……いつも一人で帰ってるの?」
「……ま、まあ」
「そっか……」
後ろからチリンチリンと自転車のベルが鳴った。俺と伊瀬が慌てて道の端に寄ると、自転車が風を切って真横を通り過ぎていく。
伊瀬がちょっと座ろうぜ、と促してきたので、土手を少し降りたところに二人並んで座った。
「俺さ、今日……本当は芦原に話したいことがあって、追っかけてきたんだ」
切り出しづらくてどうでもいいことばっかり話しちゃったけどな、と伊瀬はまた笑う。
俺は首を振って、いいよ、と言った。
伊瀬が続ける。
「芦原、最初の学活の時のこと、覚えてるか?」
「……クラスが決まって、最初の?」
「あー、うん、それ」
俺は例のことを思い出す。
思い出すも何も、あの時のことはいつも頭の片隅にあるが。それでも、いつ思い出してもまだ苦い味のする記憶だ。
「……それが何?」
俺は伊瀬に話の先を促す。
伊瀬は眼下に流れる川の方を見ている。眉に皺が寄り、さっきまでとは違う、本当に深刻な顔をしていた。
「あのさ……」
伊瀬が口を開く。
風がさあっと吹いて、川面を撫でた。
俺は伊瀬の横顔をじっと見ていた。
人をこんなに至近距離で見つめたのはいつ以来だろう。俺はこの時、伊瀬から目が離せなかった。
それは、伊瀬がこれから言おうとしていることにほんの少し、ある予感があったからかもしれない。
そして、伊瀬は言った。
「芦原の自己紹介の時に茶々を入れちゃったの、俺なんだ」
伊瀬のその告白に、俺はやはり驚かなかった。
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