一話 え…………?

 カタカタと音だけが響く。

 無機質なそれはすでに聞き慣れたもので、今となっては美しい旋律のようにすら感じられた。


 パソコンで打つのはひとつの物語だ。

 魔王と勇者が相対し、それぞれの役目を果たす最中でふたりは惹かれあっていくもの。


 今は作品を書くことに何の羞恥心も出ないほどに鍛えられたものだが、昔の俺ならばキスシーンのひとつでも書こうものならば卒倒ものだったろう。今でも赤くなるけど。


 俺、阿久津新(あくつあらた)が小説を書き始めてから随分と経つ。

 最初は漫画や小説の中に登場する人物や世界観、その中で繰り広げられる素晴らしい展開に一喜一憂し、ただ夢中になっていただけだった。

 

 主人公が世界を救うために悪に立ち向かう、そんなヒーローの真っ直ぐな心情が少年の目には格好よく映った。はたまた学園の中で色々な問題にぶつかりながらも友情や恋愛模様に接していく。甘々なラブコメに顔を赤らめる、それもまたよし。

けれど、それはいつしか読む側だけでなく、書き伝える側へと変わっていく。

 

 小説――――俗にいうライトノベルを書き始めたのは中学二年になってすぐの頃だった。

 その当時から目指していたのは作家で、そのために夢中になって書き続けた。

Webサイトに載せる物語をひたすら書きまくりあるひとつの作品が完結した時には、気づけばそのサイトでそこそこの人気が出てきていた。

 実際に作家としてデビューできたのはつい最近。高校生になってからの事だったが、自分でもかなり早い時期にデビューできたと思っている。

事実同じ作家として働いている人の中ではかなり年上の人が多く、一回り上の人なんてのもざらだ。

 本が出版されたときは起き上がるほど喜んだし、うれしすぎて泣いた。

 今までも読んでくれた人からのうれしい言葉をネット上でかけられることはあったし、毎度のこと小説を書く上でものすごい励ましになったけれど、店頭にある自分の作品を手に取った瞬間の興奮はかなりのもので、人の目がなければ、飛び跳ねていただろう。

そこからは今まで、Web上にあげていた作品を書籍化したりしながら作家として執筆活動を続けている。


 「ふぅ、さすがに疲れたかな」

 

 長時間画面と睨めっこしていたせいで体中の筋肉が強張り、うーんと伸びをする。

 

 「でも、明日からはまた学校だし、今のうちに進めとかないときついよな…………」

 

 頭の中にカレンダーを思い浮かべると、今日が日曜日であると思い出す。

 

 「平日だと意外と時間ないしなー。頑張っても五時間くらいが限界だし、んー」

 

 授業のある日は、いくら帰りが早くても五時か六時くらいにはなってしまう。そこから風呂に入ったり、夕食を食べたりを入れると、自由に使える時間は限られる。

 できることなら今日の内に進められるところまで進めておきたいところではある、が。

 

 きつい。

 

 いくら好きなこととはいえど、それがどの状態でも楽しいということはない。きついものはきついのだ。もちろん物語の構成を考えたり、登場人物たちの掛け合いは書いてて面白いが、先に身体の限界が来る。

 

 だがそういう時に、俺がすることはただひとつだ。

 おもむろに部屋にある本棚に目を向けると、そこには何冊も並べられた小説の数々に、ある二冊の表紙がこちら側に向けられたものがあった。

 

 「はあ、いつ見てもかっこいいよなぁ。まじで俺が書いたとは思えない。天才か?もしかして俺って天才なのか?」

 

 周りに人のいない自分の部屋の中だからこそできる気持ち悪いほどの自画自賛。

うっとりとした表情で眺めるはどちらも自分が書いた作品の第一巻。

 

 『幼馴染の彼女といがみ合っていたらいつの間にかミスコンの決勝に上がっていたんだが!?』

 阿久津新もとい作者『鴨かも?』のデビュー作であるこの作品は、主人公とヒロインの織り成す甘々ラブコメで、主人公である相沢柊(あいざわしゅう)が学校生活を通して成長したり、青春を謳歌するものである。

 

 『魔王勇者の改変世界』

 こちらは作者の次回作。前作とは打って変わったファンタジーで、ロミオとジュリエットをかじった相反する二人がだんだんと惹かれあい互いの運命を変えていくものである。なお俺はバッドエンドや悲劇は好きではないのでハッピーエンドにする予定ではある。

 

 表紙にはそれぞれの作品の主人公とヒロインが描かれており、かっこいいとかわいいのポージングをしてこちらに視線を向けている。

 この二つを見ていると俺は疲れから解放されるのだ。

 自分にとっては手塩にかけた子供のようなもので、そのキャラクターたちが活躍している場面を作り出せるように、と思うと頑張れる。

 頬がつい緩んでしまう。

 いやまあこんな表情他の人に見られでもすればまじで人間引退する羽目になるほどに気持ち悪いだろうが、それでもこの作品たちは俺が作り出したんだと自信を持って言えるほどの出来栄えでその分愛着のあるものだった。


 「いやー、かっこいい。いつ見ても魔王はかっこいいなぁ。いやいや俺のデビュー作である相沢柊もかっこいいぞー。ヒロインはどれもかわいいし、すごい」

 

 イラストはイラストレーターの方が俺の要望を全て叶える形でデザインしてくれて、自分が描いたものではないけれど、ものすごいしっくりくる。最初はちゃんと納得できるものができるか不安だったのだがそれがどこかへ吹っ飛んでしまうほどの完成度だった。まじでイラストレーターすごい。

 段々と語彙が消失していくのは毎度のことで、珍しいことでもない。そして困ることもない。

 

 何故かって?

 

 友達がいないからだ。

 

 友達がいなければ、そんな普段との違いについて問われることはないし、そもそも会話をすることがない。

 

 悲しい。

 正直、すごく悲しい。

 

 今の今までラノベを書くことにしか執着してこなかった俺は、あまり同級生とのかかわりをもっていなかった。

 当然友達などと言える同性の知り合いはいない。

 しかしふと気づいた。

 確かに友達はいない。

けれど、作家となった今の俺には読者がいる。

 最新刊の感想なら、ネットに顔を出せば見ることができるし担当さんとも今後の作品の展開について語ることもできる。何しろそれ自体がとても楽しい。

 今やネット社会では多くの人と画面上で知り合えるし、地球の間反対の人とだって会話ができる。言語を習得している必要はなく、人を引き込む特技も重要ではない。

 

 ―――――――けれど、それでいいのだろうか。

  

 作家としての俺が描く物語の主人公には友達がいる。仲間がいる。

 

 魔王アルベル・ラインツベルには、使命があって目指すべき頂がある。

 

 相沢柊には希望があり、彼の世界はきらりと宝石のように輝いている。

 

 恋人がいて、守るべきものがあって、なのにそれを描いている俺には何もない。

 からっぽだ。

 キャラにはすべてがあるのに、当の作者には何もない。


 それは果たしてただそのままに放置をしていい問題なのだろうか。


 確かに、主人公のようにすべてがそつなくこなせるようになりたいわけじゃない。

 俺はイラストレーターのようにうまく絵を描くことはできないし、運動もそこまで得意じゃない。むしろ下手寄りだ。

 

 料理万能型の主人公でもなければ、絶句するほどの味音痴で主人公を悶絶させることもない。スポーツがめっちゃできて、女子にキャーキャー言われる主人公でもなければ、それを支えるマネージャーヒロインでもない。

 簡単に言えば、んだ俺には。

 

 「青春……高校二年……恋人………」

 

 うわ言のように単語を並べる。

 恋人か。

 友達もいない俺には無理だろうな。

 というか絶対できない。

 でも、もし――――。


 ある一人の少女の顔が浮かんだ。

 はつらつに笑う彼女のことを思い浮かべると顔が熱を帯びるのがわかる。

 

 「恋人に、友達………ほしいなぁ」


 まるでサンタクロースに願いを乞うかのように呟いた。

 クリスマスなんてもう何年も大事に願い事をした記憶もないが。サンタクロースの存在だって、信じていたこともない。そもそも願ったことがそのままの形で叶うことはない。いつだって道を進むうちに曲がり角に遭遇して気づいたときには本来目指していたゴールよりも大きく外れてしまうもの。


 なのに。

 本来ならば風にさらわれてどこかへ消えてしまうその言葉が今日だけは違った。


 見つめていた二冊の本が輝きだしたのだ。

 

 アニメや漫画であるような金色の燐光。

 微かに風が吹き出てきて、俺が何よりも大切にしているその二冊が揺れ始める。

 密閉された部屋に風を引き起こすものはない。

 

 「え………なに、これ」

 

 突如、惰性するようにその二冊の小説が前に倒れ地面に落ちようとするとき、俺の体は意識よりも先に動いていた。

 咄嗟に輝きを放つ本の落下地点に滑り込み、その手を伸ばす。

 俺の原点であり、命にも等しい作品たち。

 絶対に傷つけたくない………!

 その思いが脳裏に浮かんだ瞬間、本は輝きを増して、視界をすべて覆った。


 「……………………っ!」


 うつぶせになって地面に全身を押し付けた俺が見たのは二つの陰。

 まさか…………!?という想像がよぎる。

 こういう展開に置いてあり得るのは物語の中のヒロインとの出逢い。

 ラノベの世界から現れた少女との恋愛が始まったり、してしまうのか!?

 やがて光が消え、姿が露わになる。

 それは天使の如く美しい少女―――――――ではなくふたつの巨影。


 「……………………え?」


 明らかに女性のそれではない肩幅に体躯。

 どこか見たことのあるシルエットは現実のものとして君臨していた。

 知ってるも何も、どちらも俺が書いた作品の主人公だったからだ!(男)

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