ネコ・まこ・ロンド

清瀬 六朗

第1話 舞子とでぷっとした子

 舞子まこは窓際に立っていた。左手をおなかの前に出し、親指で人差し指から小指までの指先をそっと撫でる。いつもの癖だ。

 階段教室の黒板の前では、若い男の先生が、スーパーサイエンスハイスクールの制度と、それに指定されてこの学校が挙げた成果の説明をしている。細くて、ひょうきんそうだ。ことばを切ったあとの言い始めと切る直前とで声が一オクターブくらいはね上がるのがいちいち気になる。

 階段教室は、一列五席の机が横に三つ並んでいて、それが十列以上ある。ということは、詰めて座れば百五十人は入れるということだ。

 座っている人のいる机はそのうち半分より少ない。だいたいが親子連れで、子一人に親二人というところもあった。お母さんたちは髪をきれいに整え、この暑いのにスーツを着て、せいいっぱいおめかししている。子どもよりもずっとおめかししている。

 こんな話ならば、別にきく義理もない。それで教室に何人いるか数えてみようと顔を上げた。

 横で何かがちらちらした。

 何かが揺れている。冷房の風で揺れる紙切れのようではない。もっと、何か「確か」な揺れみたいだ。

 何だろう?

 それでそちらに目を向けると、すぐ横の席に座っていた女の子が舞子のほうを見て小さく左手を振っているのだった。

 親しげに、思いっきりの笑顔で。

 一人で、親はいっしょではない。でぷっとした体型で、階段教室の椅子席を一人で三つぐらい占拠しているように見える。実際はそれほどでもないけど、それでも一つの椅子から体が左右にはみ出ている。紺のセーラー襟のついた夏制服を緊張感なく着ている。緊張感なさの正体は、前ファスナーを下ろして襟のところがだらっと広がっているからだけど。

 まあ、しようがない。

 夏だから。

 知った子ではない。

 でも、その子が目をとても細めて笑いかけている相手は、場所的に舞子しか考えられない。それで、その子に目を移すと、その子は左手を振るのをやめて、その左手で自分の隣の机をこんこんと軽く叩いた。

 ここに座れということらしい。

 舞子がわからないふりをする。そのでぷっとした子は、もっととても目を細くして舞子を見てもっと笑う。

 れ馴れしいやつ。

 どこかで会ったかな?

 ずっと昔に会っただけの親戚とか何か?

 思い当たらない。

 思い当たらないけど、馴れ馴れしいぶんにはこっちにお返しの権利が与えられる、と思って、その子の隣に座ってみることにした。

 場所は後ろの左端だ。

 教室の人数カウントをちょっとだけ再開してみると、前後のまん中あたり、階段教室が段になる手前に親子連れが集まっていて、前と後ろのほうは空いている。舞子が座ったところのまわりもだれも座っていなかった。

 だとしたら、教室にいるのは五十人以下、たぶん四十人くらいだろう。そのなかで中学生は半分ぐらいだから、いま前でしゃべっている、声がオクターブはね上がる先生は、二十人ぐらいの受験生を相手にスーパーサイエンスハイスクールの説明をしていることになる。

 そのうち何割がきいているだろう? 「効率悪くない?」と思う。

 舞子に手を振った女の子は、配られた資料を机の上にきっちりと配置している。熱心に聴いているらしい。目が黒くて、うるうるして光っている。呼んだからせっかく座ってやったのに、横に舞子がいるのはぜんぜん意識してないようだ。

 ちょっとムッとしたので、舞子はその子の頬の横に自分の頬を寄せて言った。

 「ね。これ、つまらなくない?」

 返事は早かった。

 「最初っから聴いてない」

 言って、またそのうるうるした黒い目をとても細くして、舞子を見て笑う。

 なんで聴いてないのに、そんなに「熱心に聴いている」みたいなんだ?

 「じゃ、出ない?」

 「そうしよっか」

 で、また笑う。机に出してきれいに並べていた資料をさささっと揃えて、鞄にしまった。資料の角のところをきちんと揃えている。手際がいい。鞄はカンバス地の肩掛け鞄だけど、紐の長いトートバッグに見える。

 髪は後ろの下のほうで左右に分けて結んでいる。

 童顔で、かわいい。

 かわいいんだけどなぁ……。

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