イヌゥvsネコチャン

ももも

第1話 イヌゥ

 ワクチンを摂取せっしゅした。

 ノースリーブで行ったけれど、医者や看護師に「打ちやすい格好で助かりますー!」と誰かのツイートのように褒められることもなく、淡々に手続きをし、淡々に説明をされ打たれて終わった。

 まぁそんなものだろうと思っていた。

 明日は5G接続に行ってくるんですよ、と同僚どうりょうに言った時は「は?」という顔をされたし、車とモルモットのプイプイ融合ゆうごう生物を待ち受け画面に設定していたら、「何その不気味な生き物?」と友人から言われた。

 ネットでどれだけ盛り上がっていても、それは狭いコミュニティの中にしか過ぎず、リアルでは誰も知らないなんてよくあることだ。

 リアルとインターネット世界では大きくへだたりがある。

 薄々感じていたけれど、今回もまたそうだと実感しただけだ。


 だから、ワクチン接種会場の出入り口付近で

『あなたは5G接続していますか?』

 と書かれた看板を持っている褐色肌のルーズソックスを履いたネコ耳女子高生に出くわした時は、驚いてガン見してしまった。

 リアルにインターネット世界が広がっている。

 夢だけれど夢じゃなかった。

 そんなことを考えてじっと見ていたのがダメだったのだろう。


 ――目が合った。


 とたん、彼女は縮地で間合いを一瞬で詰め、ガシッと俺の両腕をつかんだ。

「お兄さん、5G接続してる~チョベリグ~!」

「し……していません!」

「え~しているじゃん。ほら、証拠証拠!」

 彼女は手をパッと離して、俺の腕を指さした。

 つられて見て、俺はギョッとした。


 ――腕に磁石がくっついていた。


「なっ……!?」

「お兄さんみたいな人間を探していたんだよ。チョ~ラッキ~! あっちへ行こう、新世界はちょうやばみだよ!」

「おおお、お断りします……!」

 きびすを返して猛然もうぜんとダッシュした。

 宗教の勧誘とかされるに違いない。もしかしてオタクに優しい非実在ギャルが存在していたのかと淡い期待を抱くのではなかった。

 そうして脇目もふらず走り続けていたが、ふと違和感に気づいた。

 他の人間が微動びどうだにしない。いや、違う。時間が止まっているかのように誰も動いていなかった。世界は一時停止していた。動いているのは俺だけだった。

「何だ、これ!?」

「周りの時間をちょっと遅くした、みたいな?」

 思わず足を止めてしまった俺の背後からケラケラ笑う声が聞こえた。

 振り向けばギャルがいた。

 彼女はネコのように瞳孔どうこうを細めて俺を見つめていた。

「あまり手荒な真似はしたくなかったんだけれど~しょうがないっかぁ!」

 瞬間、彼女の体がガングロに染まりどろっと溶けると、スライム触手と化した。どこかの二次元世界に紛れ込んだかのような急展開に、頭の中はパニック状態だった。

 捕まったら大変なことになる。

 けれど恐怖のあまり腰が抜け、へたり込んでしまった。

 動けないままでいる獲物えものに、スライム触手は歓喜かんきしているかのように体全体を震わせた。目の前にぬらりと現れた触手の先端がくぱぁと割れ、内部の細かい触手がうごめくのが見えた。

「いやあああ!」

 無数の触手が迫る。僕は目をつむって叫ぶしかなかった。


 そこへ――一陣いちじんの風が吹いた。


「ギエエエアアアアア!!!」

 続けて、おぞましい絶叫が響き渡る。

 目を開けば、細切れにされた触手たちがおびただしい粘液を放ちながら散っていた。

「なにをボサッとしている!? 逃げるぞ!!」

 超展開に呆然ぼうぜんと見ていたら、上から低音ボイスが聞こえ腕をつかまれ立たされる。

「こっちだ!」

 声の方へ向くと長袖パーカーにジーンズを履き、フードで顔を隠した男が手招てまねきしていた。僕は彼の後を訳も分からずついて行くしかなかった。



 近くの路地裏に駆け込めば、男は二の腕を組んで待っていた。

「危ないところだったな」

 僕は謎の男をじっと見た。服の上からでも鍛え上げられた筋肉だと分かる。フードの下は相変わらず隠れていた。

「一体何なんですか、あれ!?」

「あれはヌコだ」

「ヌコ……? ヌコってなんですか?」

「イエネコの真の姿だ。ネコという生き物は、地球外生命体であるヌコが擬態ぎたいし、その愛くるしい姿で人間をとりこにしている寄生体なんだ。今までは怠惰だいだでそこまで害がなかったのに、最近になってからお前のようにワクチン接種して不幸にも5Gに接続してしまった人間を積極的に狩っている」

「え……? 他にも連れさらわれた人がいるんですか?」

「ああ。しかしなんの目的でどこに連れて行かれたかは不明だ。今回は幸い逃げられたが、奴はどこまでもお前を追うだろう」

 どす黒いスライム触手を思い出し、ブルっと体が震えた。あれに捕まった後にどうなるかなんて考えたくもなかった。

「……僕、どうすればいいでしょうか?」

「俺のアジトにこい。かくまってやる」

「どうして見知らぬ僕にそこまで親切してくれるのですか?」

「ヌコは俺にとって天敵だからだ」

 男はフードをとりさる。現れた姿に驚愕した。

 ピンと頭部に生えた灰色の三角形の耳。長い鼻面。白目はほとんどない茶褐色の瞳。イヌの顔だった。

 よく見れば全身も毛に覆われている。コスプレかと思ったが、ハッハッハと荒い呼吸をして舌を出している様子はまさに本物のイヌ人間。ケモ度2だった。

「イヌ……!?」

「イヌじゃない。イヌゥだ」

「イヌゥ……ですか」

 飛行形態に特化したために瞬殺される、犬に寄生したパラサイトの名称みたいだなと思ったが黙っていた。

「ああ。地球外生命体であるヌコへの危機感をつのらせたイエイヌの集合的無意識によって生まれた抑止力よくしりょくが俺という存在なんだ。いわばヌコの監視役のようなものだ」

「でも、そんなにネコって危険なのでしょうか。ネコはそこにいるだけで癒してくれる、このストレスだらけの社会でのオアシスともいう存在です。寄生ではなく、人間とネコは共生していると思います」

「これを見てもか?」

 男はスマホを取り出し、とある動画を映し出す。

 そこには、ビルの屋上で毛繕いしている巨大3Dネコ映像が映し出されていた。

「新宿のネコチャン……!!」

「今や大人気のアレだ。しかし、あそこにいるのは本来イヌだったのだ」

「ええ!?」

「直前で決定がくつがえったのだ。不審に思った我々は調べて愕然がくぜんとしたよ。決定権のある人間は本来イヌ派だったのに、ネコ派に成り代わっていたのだ。その原因がこれだ」

 イヌゥはスマホ画面をスライドさせ、注射器の写真を示した。接種会場でみたものと同じだった。

「あのワクチンにはな、一部の人間を5Gに接続させるだけではなく、トキソプラズマ由来の遺伝子も含まれているのだ。我々はその成分をヌコチンと呼んでいる」

「ヌコチン」

「ヌコチンにはネコを好きにさせる作用がある。ネコに寄生するトキソプラズマにとっても、ネコの飼育数が増えれば増えるほど都合がいい。ヌコは、これを使って人間を洗脳してイヌ派を駆逐くちくしようとしているんだよ。そして世界をヌコ派で埋め尽くす気だ」

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