+グリーンローズ 8

 この時点から二十分ほど前、ザックがテーブル席に着いた時には客席は八割方が埋まった状態だった。それが今や店内は満席。のみならず、バーカウンターの近くに立ち見客まで出ている盛況ぶりだ。


 店が繁盛するのはかまわない。問題は、この二十分のあいだに来店した顔ぶれの中に、ザックも見知った顔があったことだ。


 ショーのために弱められた照明の下にあってなお、その男の存在感はほとんど衰えていなかった。成功者特有のオーラと言うのか、いつどんな場所でも輪郭がくっきりと浮かび上がるような感覚だ。見紛うはずもなく、そこに見えたのはドレイク・モローの姿であった。


 モローがローズに対し並々ならぬ興味を抱いているのは明らかだ。そうでもなければ彼のような人間が、低価格が売りのディスカウントストアに足しげく通うことはない。


 そのモローが今ここにいることに不思議はないとして、ザックが気にしたのはモロー氏のお付きの面々であった。


 この夜、モローは全部で五名もの付き人連中を引き連れていた。それら五名のうちの一人にはザックも見覚えがあった。以前に見かけたあの黒スーツ姿の運転手だ。


 あとの四人は見覚えがなかったが、この者たちはそれぞれ判で押したようにそろってビジネスマンふうのスーツとネクタイとを着用していた。


 一行は一つのテーブル席に寄り集まり、モロー氏とほか三名とが着席し、残る二名が立ったまま待機するという態勢をとっていた。週末の夜を浮かれて過ごす雰囲気ではない。せわしなく動かされる視線に、重心を前に寄せた浅い座り方。一行の周囲には濃密な緊張感が漂っている。


 おそらくモローたちは知っている。今夜、この場所で何かが起ころうとしている、と。


(これはいったい何だ……?)


 今この瞬間に存在する、この状況が意味するところとは?


 その答えはザックの内にはなかった。彼はただ、自身の胸中に芽生えた奇妙なざわめきに鼓動を早くするばかりであった。




 実際に事が起きたのはそのすぐあとのことだった。


 まず最初に四つの事態が立て続けに引き起こされた。小規模な火薬の爆発音と、瞬間的な閃光と、何かしらの機材が壊れる音。くわえてスポットライトの急激な暗転。


 それらの異変とほぼ同時に、店内に複数の悲鳴がこだました。勘のいい者は早くも気がついたのだろう。それらの事態の組み合わせがいったい何を意味するのか。


 続けざま、短時間中に同じ異変が二度三度と繰り返されるにいたって、ようやくその場の全員が理解した。直前まで平和そのものだったこのラウンジで、何者かが突如発砲しはじめたのだと。


 とたん店内を混乱と無秩序が支配した。五十名近い人間たちが各々に罵声をあげて逃げ惑う。それも、電灯の明かりもまばらな薄暗い屋内を。


 一目散に出口に駆け寄る者もあれば、手近な遮蔽物に身を隠し周囲をうかがう者もあった。こういう場合、運よく命拾いするのは大抵前者だ。


 ザックも普段なら現場からの脱出を第一に考えただろう。だが言わずもがな今回はそうもいかない。このとき彼が考えていたのはただ一つ。いったい何が起きたにせよ、一刻も早くローズの元に駆けつけるのだ。


 とはいえ発砲者の位置が分からない以上、動くに動けない。迂闊に負傷して倒れでもすれば警護任務どころではない。


 だがそうした危惧もこの人物には無縁であった。銃撃戦を想定して設計されたノーランからすれば、多少の被弾など恐れるに足らずだ。


 幸い目的地は目と鼻の先。ノーランはザックに向かって「ビー」と一言だけ合図を寄越すと、そのまま矢のような勢いでステージに突進していった。


 直後、彼の背に二発の銃弾が襲いかかった。弾は合金製の外部装甲に命中したらしく、ひらめく火花が薄闇を引き裂いた。射手の目が舞台を捉えているのは間違いない。


 前線はノーランに任せるのが懸命だ。ザックはひとまず席に残り、脅威の把握に努めた。銃を構えた人影などは見当たらなかったが、代わりに別の事実が判明した。ノーランと同じ行動に出た人間が複数人、現れていたのだ。


 迫る人影は全部で四人。彼らの人相はともかく、この四人がそろってビジネスマンふうのスーツ姿であるのは確かだった。彼らの正体は明らかだろう。すなわちモロー氏の付き人連中である。


 モローがどういう意図で彼らを差し向けたのかは定かでない。確実なのは、その四人が一斉にノーランに襲いかかったということだ。


 多勢に無勢だが良い点もある。仮にこの騒ぎの現況がモローであるならば、乱闘状態では誤射を恐れて発砲を控えるに違いない。


 ゆえにザックは遅ればせながら壇上に飛び乗った。


 そのころには、ノーランは早くも相手方の一人を打ちのめしていた。素早い右フックを顎に一発。強烈な先制パンチだ。


 むろん残った三名は反撃に出る。ザックはその隙を突いた。彼は敵の一人に掴みかかると、勢いそのままに床面に叩きつけた。ステージの床は全面が木製だ。さほどの負傷は与えられないが、ともあれこれだけ派手に投げ倒せば当分は立ち上がれまい。これで二人は片付いた。


 二対二であれば恐れるに足らず。次いでザックは近くの敵に猛然と殴りかかった。


 のだが、どうもこれは少々迂闊だったらしい。敵の顔面に拳をめり込ませた瞬間、ザックは自らに左腕に鋭い痛みを覚えた。反動で手首を傷めたのだ。


 負傷の原因は簡単で、要するに相手が生身の人間でなかったからだ。あらためて観察するとよく分かる。乱闘のさなかにあるにしては、この男の顔はあまりに無感動が過ぎるのだ。冷静ともまた違う虚無感ただよう無表情。生気を失ったかのような面構え。


(こいつ、アンドロイドか!)


 素手で肉弾戦を挑むには分が悪い相手だ。


 ただ、直前にザックが投げ飛ばした男は正真正銘の人間らしく、この時もまだ床の上で伸びたままだった。この点は先にノーランが殴り倒した一人も同様である。モローの差し向けた四人が全員アンドロイドということはないようだ。


 そうでもなければやっていられない。敵は合金製の骨格をそなえた人造人間。殴っても蹴ってもびくともしない強敵だ。反対に、ザックのほうは当たりどころが悪ければたった一発で命を落としかねないのだ。


 ただでさえ状況が思わしくないところに、その時さらに悪い事態が訪れた。


 二対二の殴り合いが続く舞台上に女性の叫びがこだまする。ザックは反射的に声のした方へ目をやった。


 そこで彼はようやく状況を理解した。彼の本来の目的、警護対象であるローズマリー嬢が、今まさに一人の男によって連れ去られようとしていたのだ。


 より詳しくは、ローズが連れ込まれつつあるのは、ステージ裏の楽屋に続く通路だった。そして彼女の腕を引くのは言わずもがなドレイク・モローその人だ。


 足止めを食らっている場合ではない。ザックは急ぎ決断を下した。


「ノーランっ!」


 接近戦が続くさなか、両者の視線が中空でぶつかる。


「こいつら、任せられるか?」


 ザックの短い問いかけにノーランは親指を立てて返した。こっちのことは心配するな、と態度で訴えるような調子だった。


 その隙を狙おうというのか、敵の一人が猛然とノーランに突進した。だがこの奇襲は功を奏さず、ノーランは向かってきた相手を真正面から受け止めると、そこから華麗なフライング・メイヤー――首投げの一種――を決めてみせた。


 次いでノーランは尻もちをついた敵の背後に立ち、自身が被っていた金属製の面を手に取るや、それを敵の首元めがけて一息に振り下ろした。


 壇上で青い火花が飛び散る。頸椎に激しい損傷を負ったアンドロイドはほどなく完全に沈黙した。損傷を悪化させないようスリープモードに入ったのだ。


(そうやって使うために持ってきたのか)


 鉄仮面は見るも無残にひしゃげている。仮にこの威力の攻撃をノーラン自身の拳で繰り出していたならば、今ごろ彼の手は使い物にならなくなっていただろう。もしかすると彼はこの状況を見越していたのかもしれない。


 どうあれ片手の使えないザックがここにいても仕方がない。いよいよ取っ組み合いをはじめたノーランと敵とに背を向けると、ザックはステージ裏を目指して一目散に駆け出した。

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