+グリーンローズ 3
ともあれ、おかげで証拠写真はバッチリと用意することができた。あとは収集したデータを依頼人が利用しやすいよう、資料にまとめるのみである。この仕事はもはや片付いたも同然。ザックも晴れて自由の身だ。
となると、ここは相棒の援護に向かうのが最善の一手だろう。
「いいですかシェリーさん。事態が事態ですので私も今すぐそちらに向かいます。我々が調査を終えるまで、キッチンには入らないようにしてください」
――来てくださるんですね? ああよかった…………あの、すいません私、少し取り乱してしまって……今はとにかく恐ろしくて仕方がないんです。
「いやとんでもない、あなたはご自分で考えていらっしゃる以上に冷静に対処しておられますよ」
――もしそのお言葉が本当なら、きっとノーランさんのおかげですわ。彼が離れずそばにいてくださるから、それでいくらかは落ち着いていられるんです。なんというかすごく……頼りになる方、ですね、彼は。想像していたよりもずっとずっと物静かですが……。
「その点はまったく同感ですね。あれは頼りになる男です。週末の話し相手としてはいささか退屈かもしれませんが。とにかく私もなるべく早くお宅にうかがいますので、そのままノーランの近くを離れないでください、いいですね?」
――分かりました。到着をお待ちしています。
「それでは、またのちほど」
通話を終えるとザックはすぐに移動の支度にとりかかった。
通信端末を通して見たローズの表情には、その内心がはっきりと表れていた。彼女の焦燥は本物だ。本物の不安。本物の焦り。本物の緊張。ローズマリー・シェリー氏は今この時、協力者の存在を本心から必要としている。
ならば行かねばなるまい。依頼人の助けとなることこそ私立探偵の責務だ。
そういうわけで、この時ザックが感じていた高揚感は決してやましい思いに根ざしたものではないのだ。「もしやこの機に彼女と親しくなれるのでは」だとか、「この土曜は特別な夜になるかもしれないぞ」だとかという浅ましい考えは、彼の内には露ほどもなかった。まったくもって完全に。
まあ、明確な数字として「一〇〇パーセントか?」と問われると、そう無邪気に言い切れるわけでもないのだが。
四
答えから先に述べると異物の正体は爆弾ではなく頭だった。それも、れっきとした人間の頭部だ。ただし実物ではない。それは現代的かつ平均的なホモサピエンスの頭部を模した造形物、ようするにマネキンの頭だった。
より詳しく言うなら、ローズ宅の冷蔵庫に入れられていたのは主に帽子などの展示に用いる安価な大量生産品の一つだった。万が一を考えて、と携帯用の爆発物検査装置まで用意して来たザックとしては、少々拍子抜けした感もないではなかった。
とはいうものの、そのマネキンに異様さがなかったと言えば嘘になる。なにしろ標的に見つかる危険を冒してまで犯人が残したメッセージだ。さすがに市販品の置き物をそのまま置いていっただけとはいかない。
マネキンにはいくつかの加工がなされていた。
まず一つめはブロンドヘアーのかつら。二つめは両目部分への着色――色はライトグリーンだ。くわえて最後の三つめは、のどの部分を深く抉るように刻みつけられた切り込みだった。この切り込みにはご丁寧にも赤黒い粘液がこれみよがしに塗布されていた。粘液の詳しい成分は不明だが、本物の血液ではないらしかった。
かつらの色と両目部分の着色とはそれぞれ、ローズの髪色や瞳の色と一致している。これらの加工を施した人物の意図は明らかだ。「次はお前がこうなる番だぞ」と警告を与えているつもりなのだ。
見ると、マネキンが入っていた箱にメモが残されていた。
金曜の舞台には立つなと警告したはずだ。
今回だけは見逃すが二度目はない。今度こそ私の想いが伝わるように願う。
同封のプレゼントは私の熱意の結晶とも呼ぶべきものだ。
心を込めて仕立てた作品だ。君が気に入ってくれるとうれしいのだが。
なるほど、この手の込んだゴミは前回の反省を活かした結果らしい。確かにこれなら迫力は十分。見ていて胸が悪くなるのは間違いない。
あくまでも第三者的な立場のザックがそう感じたくらいだ。当事者たるローズがこの一件で受けたショックは決して小さくはないだろう。
実際、彼女はザックが現場に到着してからというもの片時もノーランのそばを離れようとしなかった。また、彼女はどうにかキッチンに近づくことはできるようだが、くだんのマネキンの頭部や、それが収められていた紙箱を直視するのは難しいようだった。やはり気分が優れないのだろう。最前からしきりに口元を手で押さえている。
これからどうするにしても場所は変えたほうがいい。ザックは彼女を促すと、リビングに向かって進んでいった。
座っているうちに少しは気分もよくなったか、ローズの顔に赤みが戻ってきた。これで温かいコーヒーでもあればなお良いのだが生憎とキッチンは前述のとおりだ。ともあれ、ここは目の前の課題に集中するとしよう。
ザックは濃いブルーのカーテンから外の様子を覗き見た。そのまま窓辺に立った格好で訊ねる。
「いま我々がすべきことは『これからどうするのか』を話し合うことです。噛み砕いて言うなら、この降って湧いた難事にどう対処していくのか、といったところですね」
もっとも確実な方法は警察に相談することだ。とくに今回のケースでは相手側が住居への不法侵入に及んだ可能性が高いため、正式に事件として扱われる期待が十分にある。ロサンゼルス市警の組織力を踏まえれば、一介の私立探偵とどちらに協力をあおぐべきかは明らかだ。
ザックは正直にそのことを伝えた。ビジネスの点で言えば、この提案はもちろん彼には痛手である。警察が捜査をおこなうのならザックの出る幕はない。
惜しい気持ちがないと言えば嘘になる。だが今回ばかりは状況が状況だ。依頼人の身の安全は優先度において他の何よりも勝る。
ゆえにザックとしては身を切る思いでそう提案したつもりだったのだが、対するローズの反応は思わぬものであった。
「そんな……そんな、見捨てるようなことをおっしゃらないでください」
ローズが肩から羽織ったカーディガンの、その裾を握る指に力がこもって白くなる。察するにこの動揺はまったく本心からのものだ。
「見捨てるだなんてとんでもない。ただ、そうするほうがより安全で効果的だということです。犯人の側からしても、警察が動くとなると手を出しづらくなるに違いありませんからね」
「それはたしかにそうかもしれませんが……でもごめんなさい。私、警察に頼るというのはちょっとその……抵抗が……」
「抵抗、というと、何か事情でも?」
「はい。じつは――」
(嫌なフレーズが出てきたな)というザックの悪寒をよそに、ローズが語った事情は決して後ろ暗い事柄に基づいたものではなかった。
つまるところ、ローズもまたショービズの世界に生きる人間だということだ。
彼女の勤めるバーラウンジは自宅からそう遠くない場所にある。そのためか気鋭の歌姫を応援するファンの何人かとは、近場の出先で偶然に出くわすことも度々あった。ローズは地元では顔の知れた有名人なのだ。
そんな彼女にもし悪い噂が立てば、ともすると周囲の人間に思わぬ悪影響を及ぼしかねない。たとえば勤め先から客足が遠のいたり、また居住するアパートの防犯性に悪評がついたりと、いろいろと不都合な事態を招きかねないのだ。そうなれば友人知人に迷惑がかかるのみならず、ローズ本人の評判にも傷がつくことになる。
愛しい故郷を離れて早五年。苦労に苦労を重ねてやっと手にした歌手のキャリアを卑劣な嫌がらせに屈して手放すことはできない。そのためにも、ここはどうにか警察沙汰にならないよう内密に事件を収束させたい――というのが、このとき彼女が語った内容だった。
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