第135話 琵琶湖ダンジョン中層

 琵琶湖ダンジョン中層は、ざっくり言えば水中迷路だった。複雑に入り組んだ水中洞窟が数キロに渡って広がり、そこに生息するイービルフロッグを始めとする様々な水棲モンスターが行く手を阻む。


 下層へのルートが発見されたのはつい先月。恋澄や愛良、山本が成し遂げた快挙だ。彼女らが発見したルートを、攻略隊は慎重に進んでいた。


 俺たちが装着している水中装備には潜水時間持続の効果がある。これは水中でも呼吸ができるようになるというものではなく、あくまで潜水時間が伸びるという効果だ。これにより、だいたい30分は呼吸なしで潜水することができるようになる。


 ただ、いくらダンジョンといっても呼吸をしなければ人は生きることができない。琵琶湖ダンジョン中層には酸素が溜まっている呼吸スポットが何か所かあり、それを経由しながらの移動を強いられている。


「ようやく5分の1って所やな」


 何度目かの呼吸スポットにたどり着き、水面に顔を出した恋澄がふぅと息を吐く。水中での移動は精神的にかなりきつい。呼吸ができない違和感と、段々と息苦しくなっていく圧迫感。次の呼吸スポットへの焦燥感が胸を焦がし、どんどん精神が疲弊する。


 そこに追撃してくるのがイービルフロッグなどのモンスターだ。水中でのイービルフロッグの動きは凄まじく速く、攻撃を受けた冒険者の一人が大怪我を負って秋篠さんの回復魔法で治療を受けたりもした。


 しかも攻撃を受ければ肺にため込んだ酸素は我慢できずに口から吐き出される。予備の酸素ボンベで何とか助かったものの、攻略難易度の高さをその場に居た全員が思い知らされた。


「これで5分の1って、シャレになってないわよ……」


 新野はすっかり参った様子で溜息を漏らす。苦手な水棲モンスターがいつどこから襲ってくるかわからない恐怖もそうだが、何より彼女を苦しめているのが水中では攻撃手段が失われてしまう点だ。


 新野の魔法は火属性。当然、水の中では使えない。正確には使えるには使えるのだが、高温の炎が周囲の水を急速に蒸発させるため水蒸気爆発が起こる危険性が非常に高い。


 だから作戦指揮官である早乙女さんから直々に使用禁止命令が出ていた。事前に覚悟はしていたとはいえ、この状況は新野にとって精神的にかなりきついだろう。


「そろそろ出発するみたいやな。気合入れや、舞桜ちゃん」

「わかってるわよぅ」


 新野は再び大きな溜息を吐いてから肺いっぱいに息を吸って潜水する。俺もその後に続き、水中洞窟を隊列に沿って進む。


 そこから更に数時間。七つの呼吸スポットを経由したタイミングで早乙女さんから合図があった。


 ここが作戦開始ポイントか。


 事前の取り決め通り、本体から俺、新野、秋篠さん、恋澄、愛良の5人が離脱する。本隊はそのまま作戦計画に沿って下層へ向かうが、俺たちは本隊とは別地点から下層へ向かう。


 そのルートは恋澄や愛良が通ったことがあるとのことで、二人が俺たちを先導する隊列になった。


 それから更に進むと、急激に視界が悪くなった。


「(……前を行く三人が見えづらいな)」


 洞窟内の水の透明度はかなり高く数十メートル先まで見える程だが、ほとんど水の流れがないために水底の砂などが巻き上げられると視界が一気に悪くなる。


 先頭を行く愛良とそれに続く恋澄の姿はほとんど見えない。かろうじて見えている秋篠さんの背中も、濁った水の向こうに消えかかっていた。


 いちおう、俺もルートは頭に入れている。だから最悪はぐれても次の呼吸スポットに辿り着くのは可能だ。


 とはいえ、この状況はあまり良くないな。新野が俺の少し後ろを泳いでいる。新野とはぐれてしまうのが一番危ない。合流するべきだろう。


 そう思って振り返った先に、新野の姿がどこにもなかった。


「(新野? どこだ……?)」


 濁った水の向こうに人影はない。ほとんど離れず泳いでいたはずだから、止まればすぐに追いついてくるはずなのに。最後に新野を確認したのも、つい十数秒前で、そんな短時間で姿を見失うのは不自然だ。


 ……不味いな。恋澄や秋篠さんたちとはぐれるのは確定だが、戻って新野を探した方がよさそうだ。


 感覚を研ぎ澄ませ、新野の魔力を探す。


 ――こっちか?


 微かに新野の魔力を感じ、その方向へ泳いで向かう。ルートとは外れた方へ進むと、次第に水の濁りが減り始めた。やがて透明度の高い水に戻ると、水中洞窟内でもかなり広々とした空間に行き着く。


 そこで、新野は触手に囚われていた。


「(モンスターか!?)」


 形状の似た動物は思い浮かばない。それこそ蛇ほどの細さの触手が数百数千という単位で複雑に絡まりあい、一つの球体を形成している。それら触手が新野を捕まえて今まさに飲み込もうとしている所だった。


 新野は顔面を真っ青にして、必死に触手から逃れようと体を動かしている。だが、触手は彼女の胴や手足に巻き付き自由を奪い、さらには首へと伸びようとしていた。


「(――〈魔力開放〉っ!)」


 一刻の猶予もない。即座に〈魔力開放〉でステータスを強化し、近くの岩壁を蹴って新野の元へ向かう。腰に携えていたヒヒイロカネの剣に魔力を通わせ、振り抜こうとした、その時だった。


「〈フレイムシールド〉ッ!」


 新野の魔法が発動し、蒼炎の壁が触手と新野の間に顕現する。


 ――直後、急速に蒸発した水が水蒸気となって膨張。水蒸気爆発が発生した。


「ぐっ……!」


 暴力的な奔流が巻き起こり、新野の体が吹っ飛ばされてくる。それを何とか受け止めたものの、急激な水の流れに逆らえない。


「新野……っ!」


 俺はせめて彼女の体を離さないよう強く抱きしめて、激流に身を任せることしか出来なかった。

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