第108話 煮るなり焼くなり

「やあ。昨日ぶりかな、土ノ日くん」


 玄関先のチャイムが鳴って扉を開くと、そこにはライダースーツに身を包んだ久次さんが立っていた。


「どうして久次さんがここに……?」


「唯人から君を迎えに行くよう頼まれたんだよ。昨日の件で冒険者協会は大騒ぎだからね。バイクを運転できる職員の手配すら難しい状態だったんだ。それで僕にお鉢が回ってきたというわけさ」


「なるほど……」


 事情は理解できたが、まさかSランク冒険者が迎えに来てくれるとは思わなかった。文京区の一部がダンジョン化した一件は、やはりそれ程の大事だったということだろう。


「おにぃ、どこか行くの?」


 ちょうど二階から降りてきた小春が、制服を着て玄関に立っている俺を見て声をかけてくる。小春の位置からは久次さんの姿は見えていなかったようだ。


「土ノ日くんの妹さんかな? 久しぶり、奥多摩で会った以来だね。少し君のお兄さんを借りていくよ」


「えっ……! も、もしかして久次比呂さんっ!?」


 小春は久次さんの顔を見るとひっくり返りそうな勢いで驚いていた。そして脱兎のごとく階段を駆け上がると、すぐに一冊の本と油性ペンを持って駆け下りてくる。


「あ、あのっ! この前は助けて頂いてありがとうございましたっ! わ、わたしもプロの冒険者を目指していてっ! そのっ、久次さんのことをとても尊敬してて、この本も何回も読み直すくらい読み込んでますっ! あの、サインくださいっ!」


 そう言って油性ペンと一緒に小春が久次さんへ差し出した本は、『Sランク冒険者に学ぶダンジョン攻略法』というタイトルで、その著者の欄には久次比呂と書かれていた。


「久次さん、本書いてたんですか?」


「ちょっと前にお金に困ってね。恐山ダンジョン攻略のための資金が足りなくて唯人に相談したら書かされたんだよ。結局ほとんど収入にはならなかったんだけど、まさか読んでくれている子が居るなんて」


『サインしてあげたら、比呂くん?』


 どこからともなく、リイルさんの声が聞こえる。ダンジョンの外では気配しか感じることが出来ないけれど、リイルさんは変わらず久次さんの傍を漂っているようだ。


「そうだね。じゃあこんな感じで……と」


 久次さんは本扉にペンを這わせた。さすがメディアへの露出も多いSランク冒険者。サインは書き慣れているようだ。


「あ、ありがとうございます! 家宝にしますっ!」

「そう言って貰えると嬉しいよ。それじゃ、お兄さんを借りていくね」


「はいっ! 兄でよければ煮るなり焼くなり好きにしてください!」

「おい」


 久次さんのサインが入った本を宝物のように抱きしめて小春はその場で嬉しそうに飛び跳ねている。聞いているかわからないが留守番を頼んで、俺は久次さんと共に家の前に停めてあったバイクにまたがった。


「面白い妹さんだね」


「普段はぶっきら棒なんですけどね。まさか久次さんのファンだったなんて知りませんでしたよ」


「僕もまさか自分にファンが居るなんて思ってなかったよ。それも可愛い女の子の……って、ごめんごめん。浮気とかそういうのじゃないから怒らないでよ、リイル。そこに立たれると前が見えなくて事故っちゃうだろ!」


 なんてやり取りがありつつも、俺を後ろに乗せて久次さんが運転するバイクは動き出す。


 幹線道路はニュースの通り渋滞していてほとんど車が動いていない。その合間を縫うようにバイクはすいすいと進んでいく。


「あの、俺が協会本部に呼ばれた理由って久次さんは聞いてますか?」


「さあ、どうだろうね。これと言って聞いてはいないけど、思い当たる節は幾つかあるんじゃないかい?」


「それは、まあ……」


 ダンジョン化のことや、恐山ダンジョンのこと。そして、秋篠さんの中に居るニーナのこと。呼び出しの理由を挙げていけば幾つも思い浮かぶ。


 その中で一番説明が厄介なのは、やはりニーナの件だな……。大事な妹の中に異世界人の人格が同居しているなんて知ったら、心中穏やかではないだろう。俺が秋篠唯人の立場だったら嫌悪感は覚えざるを得ない。


 これを追求されたとしてどう答えるべきか。そもそも、俺たちもまだ事情をニーナから説明されていないのだ。彼女の目的や、どうして秋篠さんの中に存在しているのかなど。まるで見当もつかない状況では説明のしようがない。


 秋篠唯人の異世界人への印象が悪くなれば、それこそ全面戦争は避けられなくなる。そうでなくても、昨日の件で状況は一気に悪化したからな……。


 何とかしなくちゃいけない。その焦燥感が心臓を締め付ける。


 やがて俺たちを乗せたバイクは霞が関にある冒険者協会本部ビルに到着した。


 久次さんと共に中へ入って秋篠唯人が待つ執務室へ向かう。するとちょうどエレベーターの前で新野と出くわした。


「おはよう、土ノ日。あんたも呼び出されたのね」

「ああ。そっちにも迎えが来たのか?」


「ええ。早乙女さんって女の人がバイクで迎えに来てくれたわ。もうどこかへ行っちゃったけど、そっちは久次さんが迎えに行ったの? Sランク冒険者に送迎させるなんてたいそうなご身分だこと」


「俺が頼んだわけじゃねぇよ」


「ちなみに早乙女雅さおとめ・みやびも僕と同じSランク冒険者だよ」

「えっ!?」


 どうやら自分もSランク冒険者に送迎させていたらしい新野は目を丸くして驚く。人のこと言えねぇじゃねーか。


「それより急ごう。唯人は午後から記者会見を控えているみたいでね。それまでに君たちと話をしておきたいそうなんだ」


「記者会見って、さすが冒険者協会の会長様ね」

「大変そうだな、色々と……」


 久次さんと新野と共にエレベーターに乗り込んで、やがて秋篠唯人の執務室へとたどり着く。


 そして入室した俺と新野に向かって秋篠唯人は開口一番にこう言ったのだった。



「君たちをAランク冒険者へ昇格させることにした」


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