第72話 告白

 神田良悟はいわゆる素直になれない男の子だった。幼い頃から一緒に過ごしてきた大塚夢のことが気になりつつも、ちょっかいをかけてついつい怒らせてしまう。そんな小学生時代を経て、中学生になり少しずつ異性として意識し始め、ついに高校生になった。


 普段の明るくて陽気な彼からは想像ができないくらい、恋愛に対しては奥手な神田だったが、修学旅行でついに大塚に告白することを決意する。


 彼の背中を押したのは、クラスメイトの土ノ日と新野のやり取りだった。実は付き合ってるんじゃないか疑惑のある二人のやり取りを間近で見て、「俺も夢とこうなりてぇな……」と純粋に思ってしまったのだ。


 それは神田にとって、自分の恋心を自覚した瞬間だった。ずっと募らせていた大塚への気持ちをサウナで隣のクラスの奴と我慢比べしながら自覚した神田は、善は急げと行動にでることにした。


 同じ班のメンバーたちにも協力してもらい、ようやく出来た大塚と二人きりになるタイミング。稲荷山の山頂に着くと、京都の街並みを一望できるベンチがあった。そこへ二人で並んで座る。これ以上ない、最高のシチュエーションだ。


「いい景色。みんなも来ればよかったのに」

「お、おう。そうだな……」


 緊張して上手く言葉が出てこない。不思議そうに首を傾げた大塚に「どうしたの?」と尋ねられて余計に言葉が詰まってしまう。


 それでも何とか、神田は覚悟を決めて言葉を紡ぐ。


「ゆ、夢っ! お、俺……む、昔からお前のことが」



 ――しゃらんっ。



 突如として鳴り響いた鈴の音。ハッとして神田が周囲を見渡すと、辺りはいつの間にか濃い霧に覆われていた。


「ね、ねえ。何か変じゃない……?」


 大塚は不安そうに周囲を見渡し、神田の腕を掴む。それに少しドキッとしつつも、神田もこの状況の異常さに戸惑っていた。


「ど、どうなってるんだこりゃあ……」


 辺りは濃い霧に包まれ、どこからともなく鈴の音が聞こえてくる。しばらくすると、神田たちが上ってきた階段とは別の方向の階段から、狐の面をつけた巫女が何人も姿を現した。


「何かの祭事かしら……?」

「なんか様子が変じゃねぇか……?」


 真っすぐ向かってくる巫女の手に持たれた刀を見て、神田の背筋に冷たいものが走る。


「ゆ、夢、よくわかんねぇけど逃げっぞ!」


 神田は大塚の手を引き、山頂まで上ってきた階段を駆け下りる。振り返ると、狐の面をつけた巫女たちは、神田たちを追って階段を下りてきていた。


「な、何なのあの人たちっ!」

「わっかんねぇけど刀持って近づいてくるだけでクソやべぇって!」


 とにかく距離を取るために全力で走る。だが、狐の面をつけた巫女たちを思うように引き離せない。狐の面の巫女はまるで獣のような俊敏さで追いかけてくる。


「く、くそっ! こっちだ!」


 神田は大塚の手を引っ張り、道中にあった社の裏に身を隠した。互いに身を寄せ合い、乱れた呼吸を必死に抑えて息を潜める。


 永遠のような長い時間だった。鳴り続ける鈴の音に気がおかしくなってしまいそうになりながら、ただただ狐の面の巫女が自分たちに気づかないよう祈り続けるしかない。


 どれだけの時間そうしていただろう。やがて鈴の音が聞こえなくなり、恐る恐る社の裏から顔を出した神田は、周囲に狐の面の巫女が居ないことを確認して息を吐いた。


「どこかに行ったみてぇだな……」

「良悟、あれ何だったの……!?」

「わかんねぇ……! とりあえずみんなの所へ戻るべ!」


 神田が差し出した手を大塚は掴んで立ち上がる。二人はそのまま自然な形で手を繋いで、四つ辻まで戻ろうとした。


 けれど、


「良悟、あの子……」


 二人の前に、少女が立ちふさがる。


 その少女は綺麗な青色の髪をしていた。透き通るような碧眼で、顔立ちは人形を思わせる程に精巧だ。真っ白なドレスに包まれた体は細く、手足は枝のようにほっそりとしている。


「すごく綺麗……。外国の人かしら……?」

「ここは危険だぜ、あんた!」


「~~~~~~~~~~~~~~~~」


 少女の返答を、神田も大塚も聞き取ることができなかった。


「何言ってるかサッパリわかんねぇ……」

「私も。英語じゃないみたい……」


 二人はボディーランゲージでの意思疎通を試みたが上手く伝わっている様子はなかった。


「ど、どうしよう! 急がないとあいつら戻ってくるかも……!」

「こうなりゃ引っ張ってでも連れていくしかねぇっしょ!」


神田は痺れを切らして少女の手を掴もうとした。


直後、


「~~~~~~~~~~~ッ!! 〈~~~~〉っ!」


「がはっ!?」


 神田が何の前触れもなく吹っ飛ばされた。


 地面を何度もバウンドし、木に当たってようやく止まる。全身を激痛が走り、肺の中の空気が強制的に吐き出さされる。


「ごほっ、げほっ……。な、なん……」


 衝撃を感じた腹部に手を当てると濡れている。出血したわけではなく、無色無臭の透明な液体だった。


「良悟っ!」


 木の根元に倒れ伏す良悟に、大塚は慌てて駆け寄ろうとする。その目の前に、水の壁が現れた。


「なにこれっ――」


 水はあっという間に大塚を飲み込み、そのまま彼女を閉じ込める牢獄と化した。酸素を奪われた大塚は手足をばたつかせ必死に水を掻きわけようとするが、水は球体になって宙に浮き、彼女の体をすっぽりと覆ってしまう。


「ゆ……め……っ!」


 水球の中で苦しむ大塚を見て、神田は激痛に耐えながら立ち上がる。それを見ていた少女は、愉快そうに笑いながら神田に右手を向けた。


「〈~~~~〉」


 彼女の右手に生まれたのはサッカーボールほどの小さな水の玉。それが神田へ向かって一直線に飛来する。避けることもできず腹部に水の玉を食らった神田は、ボーリングのピンのように軽々と吹っ飛ばされた。


「くひひっ」


 その様を見て少女は肩を揺らして笑った。水球の中で藻掻いていた大塚も、やがて動きが鈍くなっていく。その様を興味深そうに眺めていた少女は、


「はな……せ」


 聞こえてきた声に眉を顰めた。


「夢を……放し……やがれっ!」


 全身を泥まみれにしながら立ち上がる神田。激痛に意識が朦朧とし、視界も霞んでしまっている。そんな状況で彼を突き動かすのは、想いを寄せる大塚夢を助けたい一心だった。


「~~~~~~~~~、~~~~~~~~~。〈~~~~~~~〉」


 少女は溜息を吐くと、右手を神田に向ける。彼女の右手の先に作り出されるのは、水の槍だ。


 放たれた水の槍が神田の眼前に迫る。


「……すまねぇ、夢」


 その鋭利な先端は、神田に死を覚悟させるには十分な代物だった。

 だが、水槍が神田を貫くことはなかった。




「――〈ファイヤランス〉っ!」




 横合いから飛来した炎の槍が、水の槍を撃ち落とす。一瞬にして水槍が蒸発し、蒸気が辺り一面に吹き抜けた。


「〈炎槍爆撃〉っ!」


 続けざまに飛来する炎の槍に、少女は舌打ちをして言葉を紡ぐ。大塚を覆っていた水が彼女を解き放ち、形を変えて少女を守る壁となった。炎の槍は壁に阻まれ少女には届かなかったものの、少女は大きく後退を余儀なくされる。


 その隙を神田は見逃さなかった。激痛に耐えて必死に走り、倒れそうになりながら大塚の元へたどり着く。


「夢……っ!」


 大塚は地面に倒れぐったりとしていた。それでも神田の呼びかけに瞼を開き反応する。


「りょう……ご……」

「しっかりしろ、夢……っ!」


 神田が手を握ると、大塚は弱弱しく手を握り返してきた。かなり憔悴している。意識も朦朧としているようだった。


「神田君っ、委員長っ!」


 神田の元へ駆け寄って来たのはクラスメイトの新野舞桜だった。彼女は神田と大塚を守るように少女と相対する。


「神田君、今すぐ委員長を連れて逃げなさいっ! ここはあたしが引き受けるわ!」

「に、新野さん……?」

「ぼさっとせずに急いで! 委員長を守れるのはあんただけなのよっ!」

「――っ!」


 新野の叱責に神田はハッとして大塚を抱きかかえる。


「すまねぇ!」


 神田はそれだけ言い残し、大塚を抱えて四つ辻へ続く階段へ走った。二人の姿が見えなくなるまで見送った新野は、青髪の少女に視線を向ける。少女もまた神田たちの姿を見送って愉しそうに微笑んでいた。



『あらあら、逃げられてしまいましたわ。せっかくいい玩具が見つかったかと思いましたのに』



『……あんた、良い性格してるわね』


 新野の発した言葉に少女は目を見開く。


『あら……。あなた、わたくしの言葉がわかりますのね。ということは、あなたも転生者なのかしら?』


『転生者……? そういうあんたは、――エルフよね?』


 新野の指摘に少女は微笑んで真っ青な髪を掻き上げる。髪に隠れていた彼女の耳は長く尖っていた。




『ご明察ですわ。わたくしの名はアクリト・ルーシフェルト。――リース国教会の聖女ですの』



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