第54話 おにぃと一緒なら

「……どうやら、神殿の中には入ってこないみたいだな」


 神殿に入って通路をしばらく進んだところで後ろを振り返り、俺は小さく息を吐いた。地底湖から現れたイービルフロッグたちは神殿の手前までは俺と小春を追ってきたものの、神殿の内部までは追って来なかった。


 とはいえ、入り口前にたむろしている状態で、水中に引き返す様子はない。神殿の前はカエルだらけ。実質的に俺と小春はこの神殿に閉じ込められたことになる。


「平気か、小春?」


 俺は通路に座り込んで壁にもたれかかる小春に問いかける。淡い光を放つ神殿の建材は、さっきまで見えなかった小春の顔色を映し出していた。声だけではわからなかった疲労の色。不安と恐怖が小春の体力を奪いつつある。


「……ちょっと、休みたい」

「そうだな。ひとまずここは安全そうだ。ゆっくり休もう」


 俺がそう言うと、小春は膝を抱えて背中を丸めた。無防備な姿勢だが、今は心身の消耗を避けるべき時だ。とやかく言うのはやめておこう。


 俺も少し休もうと壁にもたれかかろうとして、壁面に細かな凹凸があることに気が付いた。初めは模様かと思ったそれは、よくよく見れば文字だ。それも、刻まれている文字には見覚えがある。


 ――リース文字!?


 前世の世界の文字。それがどうしてこんなところに……!? まさかとは思っていたが、この神殿もそうなのか……!?


 刻まれている文字を細かく読み取ろうと目を凝らす。


 けれど、読み取ることができなかった。


 文章が滅茶苦茶だ。文字は確かにリース文字なのだが、リース語の文としての形を成していない。日本語で例えるなら平仮名の五十音がとにかく乱雑に並んでいる状態だった。所々単語として読み取れそうなところもあるにはあるが、それが意味のあるものとは考えづらい。


 いったい何なんだ、この神殿は。


 ……通路はまだこの先も奥へと続いている。この先に、この神殿を知るための手掛かりがあるのだろうか。ともすれば、前世の世界へ行くための何かが……。


「……おにぃ。私たちどうなるの……?」


 ポツリと、小春は呟くように尋ねた。


 俺は小春の傍に膝をついて、優しく髪をなでてやる。


「大丈夫だ。きっとすぐに助けが来てくれるさ」


 ……そう言って励ますことしかできない。


 現実問題として、助けが来るにはかなりの時間を要するだろう。まず前提として新野と安珠が無事である保証がない。魔王がそう簡単にくたばるとは思えないが、俺たちともどもダンジョンの崩落に巻き込まれた可能性はゼロではないのだ。


 最悪の場合、俺たちの遭難をまだ外の人間が気づいていない可能性がある。早くて今夜か明日に発覚したとして、そこから救助隊が編成されて奥多摩まで来るのに半日はかかるだろう。そしてダンジョンの未探索領域が発見されもうひと騒ぎといったところだろうか。


 3日~1週間。運が悪ければそれ以上を覚悟しなければならない。


 ……小春には黙っておいた方がいいだろうな。


 とにかく、今できることをするべきだろう。イービルフロッグは神殿内に入って来ないようだが、この通路がいつまでも安全だとは限らない。奥に進んで、できれば小部屋のような所に拠点を構えるのが理想だ。幸い水には困らないし、食料は最悪イービルフロッグを毒抜きして焼けば何とかなるだろう。安全な拠点さえ確保できれば、1週間以上生存できる環境は十分に整っている。


 まずは神殿内の探索からだな。壁のリース文字も気になるし、一通り見て回りたいところだ。


 ただ、何が待ち構えているかわからないから小春はここに居たほうがいいだろう。


「小春、俺は奥の様子を見てくる。小春はここで待っていてくれ。もしかしたら救助が来るかも――」

「嫌っ!」


 俺の言葉を遮るように叫ぶと、小春は俺に飛びつくように抱き着いてきた。


「小春……?」

「おにぃ、一人にしないでっ! 置いてかないでっ!」


 ……っ!


 震えている。当たり前だ。何を考えてるんだ、俺は!


 不安じゃないはずがない。怖くないはずがない。一人で居て、平気なはずがない。


 小春はついこの間までダンジョンに入ったことのない普通の女の子だったんだ。俺みたいに前世の記憶があって、過酷な……地獄みたいな戦場を生き抜いてきたわけじゃない。平和な世界に生まれて、争いごととは無縁で過ごしてきた、普通の女の子なんだ。


 こんな状況で耐えられる強さを持っているはずがない。前世の記憶があるせいで、感覚がおかしくなってる。小春の反応が正常で、こんな状況下で落ち着いていられる俺のほうがおかしいんだ。


「……そうだな。ごめん、小春。俺が間違ってた」


 少しでも安心させるために、小春を優しく抱きしめる。家で過ごしている普段の俺たちなら絶対にしない抱擁は、不思議と心を落ち着かせてくれた。嗚咽を漏らしていた小春も、次第に落ち着いてくる。


「……小春、聞いてくれ」


 俺は小春を抱きしめながら、最悪の可能性を伝えた。


 これからは一週間以上救助が来ないことを前提に動く。そのためには、俺と小春の間に共通の認識を作る必要があった。最悪の可能性を伝えることで不安を感じさせることにはなるが、さっきみたいになるよりはずっとマシだろう。


 包み隠さずに伝えることで、フォローもしやすい。


「救助が来るまでの間、生き抜ける環境を作る。安心しろ、小春。俺が絶対にお前を死なせない。だから、ついて来られるか?」


「……うん。おにぃと一緒なら、大丈夫……!」


 声は震えている。けれど、力強い返事だ。


 俺は小春と共に神殿の奥へと進むことにした。


 その先に何があったとしても、小春は必ず守ってみせる。



〈作者コメント〉

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