第十一話の8

 それは、定命の存在では考えの及ばないほど遥か旧い宇宙の出来事だった。

 一度現界まで膨らみきった宇宙は終わりを迎えようとして、再び超高圧縮のゼロ次元の姿へ還ろうとしていた。

 宇宙がそのような熱量の渦へ変貌してなお生きながらえる一つの種族があった。彼らは自らの作り上げた船に乗り込み幾数千億年と旅を続け、ついに宇宙の終わりの時を見るまでに至った。

 彼らはそれまで、幾度となく自然の力を屈服させてきた。宇宙の終わりという超自然を前にしても、彼らが思うのは“勝利”か“敗北”かのみで、言うまでもなく彼らは勝利のための行動を起こした。

 宇宙の力そのものを手に入れること。今無限に圧縮されつつ宇宙の中心を通じ、並列して存在する無限の並行宇宙と連絡できると考えた彼らは、その力を一つにまとめ自らの手中に収めようとした。

 神の力である。行き着く限りの境地へ至った彼らの、最後の“試練”と言えた。

 無限エネルギーの管理端末には原子単位で調整された培養有機生命が使われ、意志ある“器”のもとに制御は可能だと信じられた。崇め、奉るための“神”を彼らは作り上げてみせた。

 ことは順当に進み、無限に存在する並列宇宙の力は、一つの宇宙の一つの生命へと集約されつつあった。

 だが、問題が起きる。

 下位世界と上位世界の均衡が崩れてしまったのだ。それは意思なき意思とでも呼ぶべきものか、炎は自ずと空間を穿ち、下位世界が限りあるものとなってしまったように上位世界を閉ざした。

 溢れ出し、のたうつ神の力を何人も止めること能わず、船は二つに折れ、爆ぜる宇宙の波に乗って果ての深淵まで漂うこととなった……。


 下位世界は、乾地へ水が染み込むようにイャノバの流す炎を受け入れた。

 レッドカイザーはイャノバから何かを聞かされることはなかったが、これが正解であったのだと心から理解できていた。まさに全宇宙に匹敵する炎の力の正体、それは下位世界の、かつて無限に存在した並行宇宙だったのだ。エーテル界からはその存在を俯瞰して知ることができた。

 宇宙の均衡、真なる安寧が訪れようとしている。無限の広がりを持つエーテル宇宙と、無限に存在する物質宇宙。もはや怒りの炎に全てが洗われることもない。

 炎の継承はここで終わる。

 幾数千億と繰り返された憎しみの連鎖が、今……。

「おや父上、お帰りだったのですね」

 レッドカイザーの意識が強張った。

 玉座に入ってきたその気配を間違えるはずもない。文字通り自らの血肉を分けた半身、下位世界へエーテル生命を送り神獣と化させていた現エーテル宇宙の王、ヴルゥだ。

 バカな! ハンバスたちはどうした? 一体も通さないために宮殿の外で戦っているのでは!

 ヴルゥの後から、その配下が玉座の間へ進入してくる。数は少ないが、それが何を意味するのか分からないレッドカイザーではなかった。ハンバスは負けたのだ、おそらくはヴルゥに。

 ヴルゥの持つエーテルはレッドカイザーのもの。炎の力と“器”の力。その力は、現世においてかつてないほど強くなっている。新たな宇宙を生み出すため、潜在力が引き出されつつあるのだ。レッドカイザー、いやイャノバは今その力を下位世界の宇宙創造に費やしている。

 身動きが取れない。

 ここで宇宙を生み出すことを中断したらどうなるだろう。それでこの場にいる敵を蹴散らし再度この作業に取り掛かることは許されるのだろうか。レッドカイザーはそんな賭けに出ようとは思えなかった。イャノバもまた、自分の成すことに集中して……いながらも、自分を囲むエーテル生命へ殺気のようなものを放っている。

「父上を立たせてやれ」

「ま、待てヴルゥ!」

 レッドカイザーの発した意味を無視して、兵士たちが寄ってくる。万事休すか、イャノバの意思は持つか? これは再挑戦ができることなのか? 違う、希望的観測など無意味だ。もっとも確実なことは、ここでこのまま仕事をやり通すことなのだ……! レッドカイザーの意識が己に檄を発したその時だった。

 宮殿に新たな気配が現れた。たった一体のエーテル生命が、レッドカイザーを守るように立った。その形質もまた、レッドカイザーにとって違いようのない気配を放っていた。

「ダーパル!」

 レッドカイザーの右腕であり、かつて宇宙平定戦争を起こすよう促した真の平定者。戦いとなればレッドカイザーの背後で大人しくする他なかったダーパルが、今自らを盾として敵に立ち向かっていた。

 ダーパルの中にもレッドカイザーのエーテルがある。エーテルへ還る大きな傷を受けた時に、レッドカイザーが炎を分け与え生き永らえさせたのだ。その力もまた、今大きく猛り立っている。

「レッドカイザーさま、遅れてしまい申し訳ございません……ヴルゥさま、偉大なる先王に歯向かうとは」

「お前は現王に逆らっているようだが」

「私はこの方が王となる以前から仕えているのです」

 不快を露わにするヴルゥとその配下たちに、無数の光線が走った。配下は直撃した威力にエーテルへ還っていくが、ヴルゥは炎で光線そのものを灼いて無力化しながら、現れた生命に多少の驚きの念を見せた。

「ほう、ハンバス。還り損ないがまだ向かってくるか」

 宮殿に入ってきたハンバスは形質の半分近くを失い、なお動けているのは奇跡に他ならない有様だった。しかし臆面も怯まず、ハンバスは圧倒的な力を持つヴルゥへ挑む。そこにあるのは敗北必死の悲愴さではなく、戦いに生き、戦いに散ることを己が定めと決めたものの最期の命の輝きだった。

「ダーパル、やるぞ」

「うむ!」

「……面白い」

 平定戦争を生き残った二体の勇猛な生命に掛かられ、ヴルゥはむしろ好機到来とばかりに応戦した。レッドカイザー傘下最大戦力と言って差し支えないこの二体を倒せば、ヴルゥ派につく箔は計り知れない。

 レッドカイザーは三体の生命の戦いと、イャノバの宇宙創生を黙って見守るほかなかった。

 ハンバスが光線を放ち、ヴルゥの動作に制限をつけながら、ダーパルが積極的に攻めた。ダーパルのエーテル特性は、微小に形質化させたエーテルを無数に生み出し操るものだ。直接戦闘には向かないが、撹乱やエーテル特性の阻害などが行える。ヴルゥの炎はハンバスにもダーパルにも当たらない。さらに今のダーパルは炎による攻撃も行うことができる。

 傍目にはヴルゥに勝ち筋など存在しなかった。

「まずは一つ!」

 ヴルゥの炎が虚を灼いたと思われた瞬間、ダーパルのエーテルで知覚困難になっていたハンバスがそこにいた。

「むっ、ぐ、オオオオオッ!」

 今度こそエーテルへ還りゆくハンバスは、最後の力を振り絞り一筋の光線を放った。自らを構成するエーテルすらも込めた渾身の一撃は、しかしヴルゥに届くことはない。難なく炎に消されてしまったのを見届けながら、ハンバスはむしろどこか満足気に消滅した。

「ダーパルも感じるだろう、この力の昂りを」

 ヴルゥはダーパルへ炎と意味を投げた。始まりの炎はエーテルで防ぐことはできない。完全に不可能というわけではなかったが、そのようなエーテル特性に頼らない、形質的密度による防御は全く意味を成さなかった。ダーパルのエーテル特性はゆえに、炎の狙う先を撹乱させることはできたが、一度放たれたものから身を守るすべはなかった。

 ヴルゥの攻撃にダーパルが一部を失った。

「ダーパル、お前には世話になった。私に力の使い方を教えてくれた礼だ、今ならまだ許してやれるぞ」

 レッドカイザーは気が気でなかった。

 ダーパルがやられてしまう!

 今なら二体の間に飛び込んで、ダーパルを救うことができる。イャノバにそう頼めばいいのだ、宇宙を生むのを一旦やめて我が友を助けてくれと。だがレッドカイザーは、それをすることができない。やってはならないと頭で理解していた。心が引き裂かれそうになりながら、永く連れ立った友が今エーテルへ還ろうとするのを見届ける他ない。

 イャノバはここへ来るのにウタカに会いたいと言わなかった。エーテル界でどうなるか分からず、今生の別れになるかも知れないというのに。彼は見事に選んでみせた、何を守るか、何を捨てられるか。

 次はレッドカイザーが選ぶ番なのだ。掛け替えのない友を取るか、全宇宙の安寧を取るか。

 行くわけにはいかないのだ、この責務を果たさなければならない。レッドカイザーは自分に何度もそう言い聞かせた。

「レッドカイザーさま」

 ダーパルはヴルゥの問いに応えず、レッドカイザーの名を呼んだ。

「私は宇宙平定の折にはあなたに灼かれてもいいと思っていました。私の決意したことはそれほどに重く、エーテル界の生きとし生けるものを全て討ち滅ぼすお願いをしたのですから。しかしあなたは、私の命を救ってくださった。私のあなたへの感謝を、何かで替えることなどできましょうか」

 ヴルゥは静かにいたが、やがて構えを取り、ダーパルへ狙いを定めた。

「私はあなたに二度救われた。そうして永らえたこの命を、あなたのために使い果たすこと、これほど誇らしいことは他にはありえません。ですが身勝手ながら、最後に一つ、もう一つだけお願いを聞き入れていただきたいのです」

 ダーパルは撹乱用の微細形質を生み出し、時間を稼ごうとした。ヴルゥが無遠慮に炎を放つ。

「この宇宙を、どうかお救い下さい」

 炎はダーパルへ直撃し、その形質をエーテルへ還した。レッドカイザーを守るように、その正面で炎を受けたのだ。いかに知覚を困難にしようと、動かないレッドカイザーの居場所を特定するのは容易だった。ヴルゥの攻撃はレッドカイザーを狙っていたのだ。

 ダーパルの中にあった炎が、レッドカイザーの形質へ流れ込んでくる。そうしてまた、一つの宇宙が誕生した。

 レッドカイザーの形質は痩せ、もはや残る力がわずかであることは疑いようがなかった。ヴルゥは自らの父である王に寄り、冷ややかに見下ろした。

「王たるものが、臣よりもそのようなものに気を配られるのですか。この尊き力を、些末なことにつぎ込んで……!」

 ヴルゥが炎の力を込めても、イャノバは動かなかった。レッドカイザーの覚悟を感じ取り、自分の成すことを何より優先した。そのためなら命すら惜しくないという気概が、一瞬ヴルゥを怯ませた。

「貴様……父上ではないな! 下位世界の塵如きが!」

 炎が爆ぜて、レッドカイザーの形質を襲う。

 今度こそ、何ものかが守護に割り込むことはなかった。レッドカイザーは成すすべなく、その形質を両断された。

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