第十一話の5

 手近な神獣を滅多打ちにし、土砂へと還すイャノバの動きが鈍くなった。

『う、うた、か……』

 焼けた体が軋んで、今にも崩れ落ちそうな異音が響いた。神獣の一体が腕を振ると、不可視の攻撃が遠隔で巨人の体を叩いた。足は大地に繋がったままで、その威力に脚の関節が悲鳴を上げた錯覚すら覚える。

『そうだ、ウタカだ! 彼女の名を忘れるなイャノバ、顔を、声を!』

 レッドカイザーはなんとかして打開策を見つけようとした。自分にはまだ何かができるはずだという確信が、漠然とだが残っている。でなければ、なぜ自分の意識はまだここにあるのか。なぜまだ生かされているのか。イャノバが真にエーテルを掌握したのなら、この自意識は消滅しているはずなのだ。

 体を動かすのは無理だ、エーテルもイャノバが握っている。その身で育った炎のせいなのか、現界したエーテルはイャノバを主人だと思っている。エーテルはイャノバの体に降ろしているのだから無理もない。

(いや……)

 違う、もう一つある。レッドカイザーは当然のように、それは自分にはできないことだと思い込んでいた。しかし、この意識が下位世界で生まれたものであるなら、望みがある。この下位世界で何年も戦い続けたのだ、むしろどうしてできないことがあるものか。

 一つの希望を見出したレッドカイザーは、既に無数の門が開いているはずの宇宙に、さらに門が開くのを感じた。そこから神獣が追加で現界し、目の前にも三体の神獣が大地を削り像を得ようとしていた。

 現れたのはレッドカイザーの知る戦士、ハンバスの部下のエーテルを持ったものだった。

『ダーパルか!』

 ダーパルがレッドカイザーへ加勢するため、ヴルゥと同じ方法で門をあけて味方を送ったのだ。神獣が神獣と激突し、巨大な質量同士の殴り合いが轟音を星にこだまさせる。

『また……怪獣が……!』

『イャノバ、あれは味方だ! 私の仲間なのだ!』

 猛然と敵にぶつかっていく味方の神獣を見ながら、レッドカイザーの胸中に嫌な予感が生まれた。レッドカイザーはすぐに記憶を巡らせて、モノクの言ったことを思い出そうとした。

 そうだ、モノクは味方を下位世界に送ったと言っていた。まさにダーパルの今やってくれていることだ。そして……どういうわけか、最強の戦士だったものが最初にエーテル界へ帰還したと……。

 レッドカイザーの前に、新たな現界の予兆があった。エーテルが質量を得て形質が整えられていくその姿は、イャノバもよく知る現界体へ成っていく。その強大なエーテル特性も、レッドカイザーはかつて一瞬でそうだと看過した時以上の素早さで認知した。

 ハンバスだ、レッドカイザーを除けばエーテル界最強の戦士。

『……お前は』イャノバの意識が怒りに震える。

 レッドカイザーはイャノバを待たなかった。すぐに自分のやるべきことへ意識を集中させた。

『お前は、お前はァアアッ!』

 一瞬で距離を詰め、ハンバスの胸元めがけて繰り出されたイャノバの攻撃は、寸で動きを鈍くした。完全な静止をしているわけではなく、ゆっくりと、確実に動作している。

『ハンバス、エーテル界へ戻れ! 急げ!』

『れ、レッドカイザー様っ』

 ハンバスは事態を飲み込めないまま、レッドカイザーの命令を聞き土砂を残した。レッドカイザーは体の自由取り戻そうともがくイャノバへ意識を向ける。

 一か八かの賭けになってしまったが、レッドカイザーの目論見は成功した。人形に宿ったぶんのエーテルを使ったのだ。イャノバの炎は“器”のエーテルまでも従わせているが、その影響は本体にまでは届いてはいない。イャノバの影響下になければレッドカイザーはまだエーテルを行使できるということだ。

 この人形はイャノバの認知境界によって彼の半身だとみなされ、共に現界の質量となっている。同時に、物質界で長年意識を宿し戦ってきたレッドカイザーにしてみても、それは“肉体”に違いなかった。イャノバの認知境界が人形を自分の一部だと見たように、レッドカイザーの認知境界も人形を自らの一部としていた。

 本来であれば人形もイャノバの力の影響を濃く受けるものだが、この現界の直前に火に落ちて破損している。ウタカに繕ってもらった新品同様の人形を扱ってきたイャノバにしてみて、この人形への入れ込みはその時点でレッドカイザーのそれを下回ってしまった。レッドカイザーはそこまで計算していたわけではなかったが、結果的に人形に宿った力はレッドカイザーによる行使を優先した。

『なんで、おれの邪魔をした!』

 イャノバは怒号を飛ばした。

 人形に宿るエーテルはイャノバに宿るエーテルよりも遥かに少ない。動きを鈍くさせるのが関の山だが、レッドカイザーはこの糸口を必死に掴んで離さない。

『聞け、イャノバ! 自分を見失うな、戦う理由を忘れるな! 君は自分の力のために闘うのか、より巨大な力を欲して誇示するのが君の目指すものなのか!』

『離せバングルウスト! おれはゲヘナムを倒さなくてはいかんのだ!』

 レッドカイザーはいつしかの神獣との戦いを思い出していた。五感を失わせてくる神獣との戦いで、イャノバは暴走し、レッドカイザーはエーテルの操作で体の自由を奪って無理矢理にいうことを聞かせた。今は何もかもがあの時の比でなかった。

 イャノバの意識は乱れている、正気を保てていない。

 レッドカイザーの取れる行動は少なく、影響も微々たるものだった。ゆえに、どうせこれで終わるならばとレッドカイザーは自らに禁と課していたわざを使うことを決めた。

(イャノバ、あのときとは逆だ。お前にすべて、自由を与えてやる……!)

 レッドカイザーは意識を切り替えた。自分の門を通る力の行方を今あるこの器に降ろすのではなく、力の降りた先に器を用意するようにした。

 通常のエーテル生命が行う現界と同じように、物質界の質量を取り込んで己の像を成す方法だ。

『う!?』

 イャノバの意識が驚愕した。

 すでにあった巨人の体は、現界するときと同じように隙なく漆黒へ染まる。そこから、大地がえぐれて巨人を包み始めた。得た質量はたちまち暗く変貌し、現界しつつある力の化身の一部と変わる。黒い塊は際限なく膨れ上がり、神獣の優に三倍近い大きさへ育っていきながらなお終わる様子を見せない。

『す、すごい……すごい力だ!』

 闇の化身が飲み込む質量の半径は更に増していく。大地が悲鳴を上げて止まず、山が崩れる。神獣が触れれば質量を奪われ、エーテルは上位世界へ還っていく。

 イャノバはとめどなく溢れる力に喜悦を隠さず、あらゆる形質が自らの力の配下へ加わっていくさまを楽しんだ。

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