第七話の5
老女が何を言っているのか分からないはずだったが、レッドカイザーは不思議と何が起きているのかを察知できた。エーテル生命が現界し、地震が起きたのだ。それを彼らは悪霊の仕業だと考えている。
『それは正解であり、誤ってもいる。あれは霊ではなく、わたしをと列を同じくするものだ。故に私はここへ来て、それを滅しようと考えた』
少々大げさな言い回しをして場を盛り上げることにした。感嘆の声が上がる。
「なれば、イャノバ、その人形はそなたのもの。そなたもアキノバさまとともに戦い、勇ましきお姿を見届けるのじゃ」
「はい、大巫女さま」
『いや、これは私の戦いだ。君たちは巻き込まれないよう逃げるべきだ』
「ははーっ、ありがたきお言葉。しかし我らにとりここは"浜の里"、他でもないアキノバさまの威光に満ちた地をどうして捨てられましょう」
レッドカイザーとしてはこれは微妙なところだった。下位世界の生命など大して気にならないはずが、この僅かな時間で妙な親近感、あるいは情が生まれだしていた。
『しかし、これは私の役目なのだ。ここから離れたくないというの分かったが、このイャノバという子を連れていくわけのは』
そのとき、衆目の向こうにある森林から人影が現れた。それは木の枝を幹を蹴り、恐るべき速度で木組みされた巨大な焚き火のあるこの広場へと進入した。
「神獣が! 神獣が出たぞ!」
「神獣?」
「神獣とな」
「くわしく聞かせ」
短槍を持った男は、上がった息をなんとか整えようとしながら言った。
「森の西の方だ、見回っていたら、こおおんな、でっかい、化け物がでやがった! ありゃ神獣だ、違いねえ、邪な神の遣いに違いねえ!」
男の説明にざわめきがあった。そしてすぐにその目がレッドカイザー……を持つ少年イャノバへ向けられた。
大巫女と呼ばれた老女がイャノバへ言った。
「イャノバよ、試練の時じゃ」
「はい!」
「里長にはわしから伝えるよ」
「はい。英霊アキノバと必ずや神獣を打倒し、この里を守ってみせます!」
『おい』
数人のどよめきがあった。人の目が声の主を見て、彼らの見る方を仰いだ。遠く西にある山の影から、同じ程の大きさのものがぬっと歩み出てきていた。
イャノバは白い人形を縄で体にくくりつけ、男から短槍を受け取った。西の森の方へ駆け出そうとして、衆人から少し離れた場所に一人いた少女に寄った。
「ウタカ、行ってくる」
「イャノバ、英霊さまのご加護を……」そこまで言って、ウタカはイャノバの手の中にある人形に目を落とした。「あ、あらやだあたしったら」
イャノバはウタカの頭を抱くようにして自分の頬へ寄せた。ウタカが髪を擦り付けるように頭を振ると、イャノバは彼女を開放し今度こそ森へ駆け出した。
「アキノバ、あなたと戦えることをおれは誇りに思う」
イャノバは森から出てきた男と同じように木を蹴り、飛ぶようにして森林を抜けていった。地に足をつけることは殆どない。小柄だが恐るべき身体能力だ。
「この試練では、おれは神獣を倒さなくちゃいけないのか?」
『君は離れたところから見ているだけでいい』
「わかった、トドメは任せろ」
『話を聞いていたか?』
木々の切れ間から鈍重な神獣の歩く姿が見えた。こうやって物質的な感覚で"視認"できるようになると、そのエーテルの本質がより鮮明に見えた。知り合いであれば分かるだろうが、レッドカイザーには馴染みのないエーテル特性だ。
それにしてもイャノバの胆力は異常だった。ぐんぐんと怪獣へ寄っていく。この宇宙、とりわけこの星にはああいった怪物が頻繁に出るということなのだろうか。その答えはレッドカイザーの意識にある種の修正力じみてにじみ込んできた。この星にあのような怪物はいない。イャノバたちは信心深く、故に勇敢で、神獣と呼ばれるものが実際に現れてもそれを自分たちへの試練だと受け取ってしまったのだ。
(ならばなぜ、この少年だけが遣いに出されたのだ? 口減らしと言うには、あまりに能力が高すぎる。私が、いやこの器が彼の持ち物だからか?)
イャノバの疾走は複雑な地形の森の中で全く衰えず、レッドカイザーが止まれと言わなければ本当に神獣の足元まで行ってしまいそうな勢いだった。それでもすでにだいぶ近く、そのまま怪獣がイャノバの方へ倒れ伏せば下敷きになってしまうだろう。
レッドカイザーは、自分の意識の入った人形をイャノバの体から離すよう言った。縄をほどいて、イャノバは白い人形を手に取る。
『私はこれから自分の力を降ろす。近くにいれば君はまず助からん。いいか、戦闘が始まるより前に逃げろ』
「任せろ」
これほど信じられない言葉があるものなのかとレッドカイザーは驚いた。根が真っ直ぐな分嫌いになりきれないが、今はその勝ち気さが彼の生命を危ぶませている。
イャノバには言っても聞かないだろうとついに悟ったレッドカイザーは、このまま現界することにした。間近で現界し少し怖い思いをさせれば、さすがに走り去ってくれるだろう。
門の向こう、エーテル界にある自分の本体を意識した。この器に入るだけの力を降ろす、もちろん炎の力は使わない。自分の炎は全てのエーテル生命が知っていて、今下位世界に現界している戦士もその例外ではないはずだからだ。"器"の力はろくに使ったことのない代物だが、宇宙を穿ち自分の炎すらも抑え込める。それで十分なはずだった。
力の流入を感じた瞬間、奇妙な感覚があった。下位世界の器が思ったよりも大きく、より多くのエーテルの入る余地があるように思われた。
「な、なんだっ」
イャノバの上げた声で、レッドカイザーは何が起きているのか理解した。イャノバが現界に巻き込まれている。手に持った人形を離そうとしているが、一体化したようになってしまっている。
「バカなっ」
すぐさま力をエーテル界へ送り返し、現界を中止した。イャノバの体と人形はそれぞれもとの、物質的に独立した状態に戻っていた。そのことに安堵しつつt、レッドカイザーは今起きた現象を訝しまずにいられない。
(なんだ、今の現象は。例えば、林木を器にして現界したとき地面が巻き込まれないように、人形に現界してそれを持っていたイャノバも器の延長だとはみなされないはずだ。あるとすれば、根本的に人形とイャノバが同じ物質であるということになる)
「あっ、アキノバ! 今のは一体、凄まじい力を感じたぞ!」
(いや、そもそも考えてみれば物質界はその成り立ちからミクロの集合だ。根本の成り立ちを考慮したとき、全ては同一視されるべきだ……それでいてなお、私の力は人形を通して大気を侵食しなかったし、イャノバを通して大地を侵食しなかった。ふむ、待てよ……)
「あれが神格たるものの持つ力なのか? アキノバは本当に英霊となっていたのだなっ」
(私は本当に、たまたまの偶然でこの人形というマクロ存在に意識を降ろせたのか? 物質界の理に従うなら、原子や粒子の一粒に宿らねば筋が通らない。つまり、この人形を一つのカタマリとして認識している意思があり、それによって"個"たり得ていると考えたとき)
レッドカイザーはようやく考えをまとめた。
『認知境界か。この器の"個"としての存在は、君に保証されているわけだ。それでいて、私の持つ物質界の理、それに例外する知を得る修正力は、君の見る世界からもたらされているわけだ……つまりこの器は、独立した個であると同時に、君の一部というわけだ』
「何を言っているのかわからないが」
『イャノバ、私を地面に置いて離れていろ』
「え?」
イャノバは得心いかない様子ながらも、指示に従った。レッドカイザーの意識の入った人形を地面に置き、後ずさる。エーテルの戦士はなおもごく近距離を歩いているが、イャノバたちにはまるで気づいていなかった。
レッドカイザーは再び意識を集中させた。距離を離せば問題ないはずだ。上位世界のエーテルを人形に流入させる。
人形の形質が、上位世界のエーテルによって変化していく。巨大なエネルギーに体積はみるみる膨らんでいき、腕と脚は戦うのに適当な長さを得ていく。
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