第五話の6
男はゆっくりと歩き出し、椅子に座ったままのユイの周囲を回り出した。
「怪獣はこの狂乱の時代を正すためにこの星が生み出した神秘、すなわち神獣だ。人類がいたずらに環境を汚染し、破壊し、利益のためならばどこまでも強欲になれるその愚かしさを正すために、彼らは生まれる。怪獣がどのように生まれるか、見たことがあるか? 森を、町を、生き物を、一切の区別なく大地から抉り取って形を成すのだ。そしてその死骸は山となる。この星に満ちたカオスと腐敗のエントロピーを終息させ、不浄を取り除くことが怪獣の使命であり、それを補佐するのが怪獣教の使命なのだ」
「怪獣が人を滅ぼして街を壊したって、なんの意味もない」ユイは昔、ここがどこだったかを思い出していた。「ここには家があって公園があった。人並みの正義感によって町は回っていた。正されるべき悪なんてなかった。でもここは崩壊区域にされて、今はこの街がある。昔よりもずっと酷い街が」
「その通り」
男は鼻で笑うような音を出した。ユイを見る目が怪しい光を発して、冷たく見下ろす。
「何故だと思う? ここに新たに街を生み出したのは誰で、どんな理由があったか知っているかね」
それを知っている人間は、公にはいない。しかし、あらゆるインターネットサービスによって人と人の提供する細かい情報や考察がすり合わされ、今や公然の秘密として誰もが知るところだ。
海外の権力者が赤い巨人の発祥の地であるここ、旧崩壊区域を世界で最も安全な土地として拠点を移し、さらなる財を生み出す基盤として復興事業に取り組みこの街は出来上がった。
「赤い巨人だ。赤い巨人が、星の意思を蔑ろにしたのだ。ゆえに怪獣は滅ぼすべきものを滅ぼせず、ここに史上最も醜い街がうまれた。やがて死にゆく老いぼれが、持たざる者からさらに財を取り上げるための仕組みが」
「あなただって、どこかの御曹司でしょ」
「ああ。だが、父上はそこらでよだれを垂らしながら金品を攫うように巻き上げる成金どもとは違う。自らの生存や財のためではなく、この星の存続のために使命感を燃やされていらっしゃるのだ」
と言うことはこの男は怪獣教の最高権力者か、すくなくとも幹部格に当たる人物の子息だということになる。
そんな人物がわざわざ出張ってきてユイを陥れた理由は、すぐに彼の口から語れることになった。
「さて、貴女を誘拐した理由だが、他でもないその赤い巨人についてなんだ」
やはり、とユイは納得した。
「彼の力を見たことはあるだろう。明らかに人間離れしている。過去記録した中で最も早い時は、時速五十キロ近い速度で走っている。おそらくそれでも全力ではない」
ユイの周囲を回るのをやめて、男は近くの男に手を伸ばした。飲料の入ったボトルが渡されて、一口飲むと返す。
「最初は、やはり末端の人間だ。既存概念にとらわれた哀れな宗教家を修正してやるという気概は、まったく青いものだが、やり方がよくない。暴力に頼るのはナンセンスだが、こればかりは良作と言わねばならないな。件の青年が現れて成敗を下したのだ」
彼らはアキの名前は知らないようだとユイは知った。
「ある時ふらっと街に現れ、帰るときは一切痕跡を掴ませない。見事な手際だ、まるで特殊部隊のようにね。彼の庇護は国家ぐるみで行われていると、少しの調査で簡単に分かった。そしてそれがなぜなのかという点も、我々には容易に理解できた。彼こそ、あの赤い巨人の正体だとね」
ユイはきょとんとしてから、小さく噴き出してくっくっくと静かに笑った。我ながらいい演技だと思いながら、ユイは顔を上げた。
「人が巨人に? あなたフィクションの見過ぎよ、それも子供向けの」
ユイを囲む九人が鋭い目を向けてきたが、平然とした。やはり彼らにはユイを傷つける意図はない。不気味なほどに。
「彼が巨人そのものでなくても、何か深い関係を持っていることは確かだ。巨人召喚するための神官のようなものかもしれない」男はユイの嘲笑をまるで無視して続けた。「確実なのは、あの力が怪獣のものだということだ。少なくとも起源を同じくしている」
「なんでそう言い切れるの」
「怪獣と赤い巨人、二つの神秘があり、そこに超常的な力を持った人間がいる。これを関連付けられないのは想像力の欠如だな」
謀らずも、それはユイの最も言われたくない言葉だった。人や物の真実を見通せるユイは、想像力に難があると自覚しながら、それを指摘されるのを嫌っていた。
「だが彼は、決定的な間違いを犯しているのだ。怪獣から授けられた力を、怪獣を殺すために使っている。全く嘆かわしい。彼は崇高な使命を与えられながら、その心には一片の良心もない。人と言う獣の悪意の化身だ」
「あなたに彼の何が分かるのよ。生まれ育った町を失って、家族も殺されて。あの力のために、人並みの人生を戦いに捧げなくちゃいけなくなったのに」
「彼が力持つものだと認めたな、やはり知っていたか」
「私がなんと言おうと聞かないふりをするでしょ」
「彼が何か失っていようと、それは彼だけの痛みではない。怪獣によって家を、家族を奪われた人間がどれだけいるか。それを自分だけが不幸だと思い、聖なる力で私欲を追求することのどこが邪悪でないと?」
「あなた……!」
今にも立ち上がっていってその顔面に平手打ちをしてやりたいところだったが、その目論見が成功することはない。ユイはきっ、と男を上目に睨み付ける。
「では君は本当に彼が善なる人間だと思うのか?」
ユイは、もちろんと言ったつもりだった。
だが、声が出なかった。思い出すのはアキの蛮行と、その瞳の奥に見えたもの。
アキが本当に人助けのために働いているのではないと、一目見て分かった。ユイと別れていた八年の間に、アキは変わった……いや、最初からその兆しはあった。初めてあの学校の屋上で会った時から。ユイは、だから声をかけた。少しでも彼の魂の救いになればいいと思って、ユイは自分の力を使い理解者となろうとした。
ともすれば、アキが道を踏み違えたのは自分のせいなのだろうか。生きていると便りの一つも寄越さず、突然姿を消した自分の……それは違うだろうが、少なくともユイは自分が彼に寄り添ってさえいれば、あの日彼が怪獣に立ち向かっていったのと同じ純粋さで今日までを戦ってこられたはずだと考えた。
円を成して並ぶ男の一人が、バイブレーションする端末を取り出し耳に当てた。
「ああ」
低くそう言って、ユイの正面に立つ男に寄ると何か耳打ちする。
「ほう……おや、彼も来たようです」
プロジェクターの映像に、青年が一人映った。早足で近づいてくる青年の顔を、ユイは見間違えない。
「アキ」自分にも聞こえないような声で、ユイはその名を呼んだ。
怒りと不安と憎しみと、切なさを必死にこらえた顔で、アキは怪獣教に呼び出されるままに現れた。
はたして、今再び理解者としてアキに迎合するのが良いことなのか。心が求めるままに生きて、それが最善の道なのか、ユイはもう一度考えなければいけなかった。
心に火が灯ったように、体までもが熱を帯びる。その実感に、アキはむしろ肝を冷やす気分だった。この感覚はある現象の発生を意味している。この八年間、およそ一週間おきに起きる巨大な災害だ。
『アキ、怪獣だ』
ショルダーバッグに収納しているレッドカイザーが目覚め、たらしい。その状態のままアキに語りかける。いつもならすぐにでも現界して怪獣を倒しに行くところだ。
だが今アキは怪獣どころではなかった。
ユイを攫った連中に指定された建物にアキはついた。建築中のようだが、人の気配はない。関係者以外立ち入り禁止とある防護壁に小さめのドアを見つけると、アキは蹴破って中に入る。埃っぽい空気を吸いながら十二階へ向かう。
ユイ、待っていろ、ユイ。
必ず助ける。
お前を攫ったやつらは、全員殺してやる。
命乞いなんて聞かない、女だろうと子供だろうと容赦はしない。
自分たちが何をしたのか、その命でもって知り償ってもらう!
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