第二話の3
他意のない明るい声だった。
「アキ」
「だと思った、アキって顔してるし」
ユイはそう言って笑うが、まったく言われたことのない名前への感想にアキはどう返すべきか分からない。ユイの学年は恐らく一つ上か一つ下かだろうが、どうも計りきれない。目を合わせていた時の大人っぽさは鳴りを潜めていたが、同級生にはない落ち着きがあった。
アキは別に、女子が苦手であるわけではなかった。男子と同じように接していればいいだけで、確かに“女子の扱い”というものには心得がなかったが、それで困ったことなどなかった。だというのにアキは既に、ユイの存在感に圧倒されつつあった。
「何をしてたの?」
「それは……ボーっとしてただけだよ。その、ユイは、何をしてたんだ」
「4重飛びの練習」
言われて、アキはユイが縄跳びを持っていることに気付いた。すぐ横に座っているせいもあってかは知らないが、アキの目はユイの顔にしかいっていなかったらしい。アキはバツを悪くしたが、ユイは何も気にしていない。
「ここってやること少ないよねー、校庭は使えないし、学校から出るときは大人も一緒じゃなきゃいけないし」
「俺はずっと勉強ばっかしてたからあんまり分かんないな。あ、校舎の裏のフェンスの穴、塞がれたの? あそこ通れば外出られるよ」
「見つかったら大変じゃん」
それはそうだとアキは思う。ユイは座りながら縄跳びの真ん中あたりを踏みつけて、取っ手の部分を持ち上げる素振りをした。
「早く帰りたいよね。おにぎりはもう飽きたし、シャワーは待ち時間長いのにじっくり浴びられないし、教室で寝ると体痛くなるし」
「怪獣の土がなくなれば帰れるかも」
アキは自分で言って、しまったと思った。怪獣の話題を出したのは失敗だ。ユイとの短い会話で忘れかけていた感情をまた思い出させられるのを恐れた。
「土がなくなっても、次は家の点検だよ。町の瓦礫をどかしながら本当に大丈夫かどうか一軒一軒調べて、みんな帰れるようになるにはあと十日はかかるって父さんは言ってた」
会話はアキの想像していたのとは違う方向へ進んだ。ユイは怪獣のことを、何か仕方のないものだと考えているのかもしれない。アキがそう思ったところにユイはつづけた。
「あの怪獣、赤い巨人が倒さなかったらもっと大変だったかもしれないよね」
「え?」
「怪獣は何も目的がないみたいだったでしょ。ただ歩いてきて、そのままなら無害のままだったって言ってる人は多いけどさ。そんなの分からないよ。いきなり大暴れしたっておかしくなかったと思う。台風とかはさ、風速何メートルとか、どれくらい被害が出るか分かるじゃん。でも怪獣は何も分からない。放っておいていいのか、そうしてたら、本当にどこかに歩いて行ってくれるのか、ずっとおとなしいままでいてくれるのかさ」
ユイは屋上を囲うフェンス越しに灰色の町を見た。人のいない、死んだ町。しかし、息を吹き返す余地は十分に残されている。
「町は壊れちゃったけど、私は赤い巨人の人は正しいことをしたと思ってるよ。もう一度怪獣が出ても、また守ってくれるって信じてる」
そう言ってアキの方を向いて、ユイは微笑んだ。
アキは動悸が激しくなっていた。
なんだ? ユイは、どこまで知っているんだ? アキは一つの可能性として、レッドカイザーのような“協力者”がユイの下にも現れたのではないかと考えた。ただ、それにしてはユイの話は抽象的な気がしたし、レッドカイザーの正体がアキだと知るのが依然困難なのに変わりない。
ユイの感情は凪いでいて、ずっと穏やかに見える。それこそ、怪獣への怒りすら感じないほどだ。
アキは混乱していたが、一つ確かなのは、ユイに対する気持ちはとても温かいもので、この一週間ずっと求めていた理解者や仲間と言える人間をようやく見つけ出せた気になれた。
「もしさ」ユイは言った。「あの赤い巨人に会えたら、お礼とか言った方がいいと思う?」
膝にこめかみを当てながらユイは聞いてくる。アキはどう返すかしばらく考えてから言った。
「どういたしまして、って返しくれるんじゃないかな」
「詳しいんだね」
どぎまぎするアキにユイは笑って、立ち上がった。
「冗談だよ」
何が? とアキは聞けなかった。どこからどこまで冗談なのだろうという問いは、日向に出たユイが縄跳びを持ったまま伸びをする姿に見入ってしまって、どこかへ消えてしまった。座り込んだアキが見るその姿は何かの絵画か美術品のように完成された構図で、白い肌が青い空に透き通っているように錯覚さえした。
「戻るね。また話そ、アキくん」
ユイはそう言って去っていき、縄跳びの練習をしている女子たちの中へと混じっていった。
アキの孤独な世界に、ユイの命の光は夏の風のように吹き込んできた。
何を焦っていたのだろう。どうして、ようやく守った人たちに恩を売るようなことをしようとしたのだろう。アキの心で淀んでいたものが解きほぐされていく。ユイ、彼女を助けられてよかった。彼女が笑顔でいられる世界を守ることができて良かった。
レッドカイザーへの誤解なんて、時間が解決してくれるだろう。アキは、自分はとにかく、一人でも救えるように戦えばいいのだと胸に刻んだ。少なくともユイは理解してくれていて、アキにとってそれはとても大きな救いだった。
陽気が心地よく、風が優しく体を撫でる。子供たちの騒ぐ声はアキの安らぎへと変わっていって、心地よさの中でアキは目を閉じ、世界の安穏に身を委ねた。
巨大な揺れに、アキは跳ねるように目を覚ました。空はまだ青く、時間はそう経っていないようだが、学校の屋上で遊んでいる顔ぶれは眠りに落ちる前と変わっている。
皆、この揺れに心当たりがあるようだった。不安を隠せない顔を見合わせている。トラウマを揺さぶられて泣き出す子供がいる。
アキは階段を駆け下りた。
「おい、今の」
「一週間前のやつだ」
「変な地震だったねえ」
「大丈夫かこれ」
「おーい! 警察か、消防かにさあ!」
ざわめく大人たちの間を駆け抜けるアキの胸には、あの日、レッドカイザーをカバンに入れて自転車をこいだのと同じ情熱が炎のように燃えていた。使命感という名の炎に、アキは突き動かされる。
守って見せる、前よりも上手く!
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