第一話の3
「ど、どこだ!」
『うん? ああ、そうか。確かに、非生物が意思を持つのはおかしかったな。落ちつかなければ。私はここだ、君の腕の中だ』
相手の言葉の意味を咀嚼してみて、それがどういうことなのか理解すると同時に、アキは自分の脇に抱えたレッドカイザーのおもちゃを見た。両手に抱えて、おもちゃの目線と自分の目を合わせてみる。いつもひんやりとしている超合金のおもちゃは、赤い塗装に見合うよう淡く熱を発しているように感じた。鋭い黄色の相貌はただの塗装ではなく、意識という名の深淵からアキの目を覗き込んでいるようだった。
「うそだ……レッドカイザーが……」
『君、』
レッドカイザーが何か言いかけた瞬間、アキの狂喜の声がそれを遮った。
「うをおお!! すごいぞ、レッドカイザーが喋った! あの、映画みたいだ! 毎日話しかけたせい? でも、これってつまり俺、ボクは間違ってなかったって言うこと? 君はボクと一緒に正義の味方になってくれるってことなんだよね! ボクはアレックスじゃないけど、ボクの所に来てくれたって言うのはそういうことなんだよね!」
『聞いてくれ』
アキは口を閉じるが、目は爛々として喜びを隠しきれていないし、にんまりとした表情もまた然りだった。レッドカイザーはそんなアキに対して、淡々と言葉を繋いだ。
アキはレッドカイザーの言う通り、家の外へ持ち出した。おもちゃのレッドカイザーはそうそう家から持ち出すことはなく、何となく不安に思うと同時に、四年生にもなって大きなおもちゃを持ち歩いているのを近所の人に見られるのがこそばゆく、家に面した道路を自転車でゆっくり通るおじさんに、アキは反射的に背を向けていた。空を見上げると雲に覆われており、昼間のように青空は見えなくなっていた。陽が落ちつつあるから、見えたとしても黄みがかっていただろう。
町は静かだった。ただ、アキの知っている静閑さとは違った。風がやんでいて、アキは不吉な予感が肌を刺すように感じた。南にある、町を見下ろす山の方を、自然と見ていた。東西へ延々と連なる峰から、プレッシャーが、空気の塊となって迫っているように感じる。
何が起ころうとしているのか、レッドカイザーに聞こうとしたその時、サイレンが鳴り響いた。アキの聞いたことのないサイレンで、不安感を煽るそれは、こだまを押しつぶすように町を制圧する。呼吸が早くなるの感じる。アスファルトに立つ自分の足に小さな振動を感じて、何かが這い寄ってくるように、それが徐々に大きくなっていくのを実感する。
山の影からぬっと、巨大な影が現れた。
二つの腕と二つの足があり、頭は肩に食い込むように低く置いてある。一見して生物的なようだが、無機物のような印象も受ける。黄色い体に黒い斑点がみられるが、手足の先端では大きく、硬く固まって岩塊をまとっているように見える。毛は一切生えておらず、口はなく、鼻もなく、目のような丸く赤いものが二つ、なめらかな頭部についている。
アキは呼吸が早くなり、足がすくむような思いがしたが、手に持ったレッドカイザーの温もりを思い出して、その黄色い双眸と向かい合う。
「ボクは、どうしたら」
『ここではまずい、見晴らしの良い所へ』
背負っていたカバンを下ろして、家の中に放り込む。自転車の籠にレッドカイザーを入れようとして少し考えてから、また戻ってカバンの中身をひっくり返し、そこにおもちゃを押し込んだ。
アキは車の通らない車道を北へ漕いだ。走っていると、そこここの家から人が出て来ては山に現れた怪獣を見て悲鳴を上げ、あるいは夢だと思っているのか何も動ぜずにいたり、のんきに世間話を始めたりしている。
怪獣は町へ下りてくるのだろうか? 人間に害をなすのだろうか? 国はあれに対して何か対策を取ってくれるのだろうか。
混乱は少しずつ大きくなっていっていく。アキはそんな中を、未知への可能性と、こんな状況で目的をもって何かをしている最中であることに高揚感を覚え始めていた。がらがら声のおじいさんが怪獣に向かって何かを怒鳴っている横を、アキは走り抜ける。
突き当りに町を横切る線路があり、そこから西へハンドルを切る。線路沿いの道路を走って、電車とすれ違い、高架下を四車線の大きな道路が通るところまで来ると、信号を渡った先に大きな古びた病院があった。足を骨折していたあいだ、アキはここに通っていた。骨折した理由は、高所からヒーロー着地をやってしまったせいだ。
アキはレッドカイザーの入ったリュックを前にかけて病院に入る。外の混乱は院内にもみられたが、看護師や医者の先生は患者に余計な心配事を与えまいとしているのが感じられた。アキは目立たないよう、院内を歩く人の後ろにそれとなくつきながら、待合室で無音で流れているテレビに目をやった。怪獣が現れただののニュースはやっていないようだった。それも、時間の問題なのは明らかだ。
階段とエレベーターのある廊下まで来るとアキは素早く動き始め、階段を駆け上がる。誰ともすれ違わないまま最上階まで走り、屋上の扉を開ける。シーツが3枚だけ干されているそこには十人ほどが、フェンスの向こう側を見ていた。山から怪獣が下りてきて、町に足を踏み入れているようだった。目が見えないのかは分からないが、動きはゆっくりとしている。しかし、状況は確実に進んでいる。
身体は火がついたように熱く、息は上がっている。いよいよこれが夢ではないことを、アキは確信していた。
アキは梯子を伝って塔屋に上り、リュックからレッドカイザーを取り出した。
「ここで、どう?」
『いいだろう』
レッドカイザーがそう言ったのが、何かの合図のように、赤いボディが黒く染まり始めた。それに驚くより先に、黒色への変化はおもちゃからアキにも伝播し始め、両腕がまるで光を反射しない黒闇たるシルエットへと変じていくころにようやくアキは小さく悲鳴を上げた。レッドカイザーを手放そうにも離れない。そして、次の変化は……アキの内面に起こったようだった。圧倒的で漲るような力がレッドカイザーから送られてきたのを感じ、万能感に似た高揚を暫時アキは覚えた。
『ば、バカな、なぜ』
レッドカイザーの慌てた声がしたと思うと、アキの身に起こっていたすべての変化が終了していた。白昼夢じみた事態に、アキは興奮とも恐怖ともつかないかすれた声でレッドカイザーに聞いた。
「何をしようとしたの!」
『現界だ……つまり、ヤツと戦うために、力を下ろそうとしたのだ。しかしまさか、こんなことが。通常起きえないことだが、可能性があるとすれば、それは』
「ボクがパートナーだから?」アキは前のめりになってそう言う。
『なぜそうなる』
「だって、レッドカイザーは人機一体で戦うんだよ。一人で戦って絶対に勝てないような相手でも、二人が揃えばどんな相手にも勝てる」
『勝てないとは、言ってくれる。私をそのレッドカイザーと一緒にはしない方がいいぞ。さ、床に置いてくれ。そう時間はかからないはずだ』
言われた通りにすると、レッドカイザーは再び黒く染まっていった。黒い塊は爆発的に体積を増やしていき、気付けばアキは空を見上げていた。曇った空に、光を一切返さない真っ黒な巨人が出現していた。両足は病院よりも広く開いて、アキは真下から見ながらも、レッドカイザーのシルエットがおもちゃのものから動きやすい姿へと変化しているのが分かった。
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