第3話

 東京の街はここ一週間くらいずっと雨だ。傘をさして街を歩きながら、深南雲螺厭は憂鬱な気分で水溜りの上を跨いだ。


 雨が嫌いと言う訳じゃないが、一週間も同じ空模様が続けば飽きるし、気も滅入る。ただでさえ上手くいかない毎日にうんざりしていると言うのに、天気まで螺厭の心を見せ付ける様に雨続きでは、これから先の人生にまでケチがつけられている様で不愉快だった。


 ウーウーとサイレンが鳴り響き、パトカーが車道を低速で走る。このところ誰かを探しているらしい。こうして街を歩いて居ると何度かお巡りに職務質問を受ける。散歩くらい自由にさせて欲しいモンだ。


「そこの君、ちょっと良いかな?」


 ほら来た。今日だけで何度目かわからない職務質問。向こうも同じような作業に飽き飽きしているのが口調からも丸わかりだ。


「君、高校生?今学生証か何か持ってないかな?」


 手慣れた手つきでほらよっと学生証をお巡りに投げ渡す。その様子にお巡りが呆れた様な、慣れたような様子でキャッチした。


「深南雲螺厭(みなくもらいや)城南大学付属高校二年。対象の照会を願う…」

「日曜の昼間に散歩してて何が悪いってんです?」

「今時、一人で雨の街を散策する高校生は珍しくてね。こっちも最近の東京の治安の悪さを考えると、あんまりそう言う趣味はおススメ出来ないよ。早いとこ帰りなさい」

「平和そのものに見えるけど…」

「見えるだけだよ」


 照合が終わったのか学生証が帰ってくる。どうもと頭を少し下げ、また雨足が強まってきた街を歩く。


 晴れ間ならジョギングでもしている大人が一人か二人くらいは居るはずの公園を横切り、茂みを捜索する雨合羽姿のお巡りを横目で見る。成果の上がらない仕事にうんざりしているのか、こっちを見てまた職務質問を仕掛けようとする気配を察して軽く傘を揺らして視線をそらす。向こうも目当てじゃない事は分かっているのか、追いかけて来る様な事はしなかった。


 もうそろそろ今日の散歩も切り上げ時かもしれない。公園を出て、真向かいのコンビニに入って温かいコーヒーと肉まんを買い入り組んだ工場裏の人影のない道を進む。


 入り口の看板を読む限り紡績工場の様だ。工事は無人なのか、作業音も人の声も聞こえて来ない。誰かさんを探しているお巡り達もここはもう探した後なのか一人もいない。これは好都合だ。


 歩きなれた現地民の螺厭ですらも次第に距離感や方向感覚を失ってしまうほど、変化の無い裏路地を暫く歩く。するとやがて少し開けた交差点に辿り着く。そして螺厭は思わず立ち尽くした。


「ぁ…」


 降りしきる雨。遠くに聞こえるパトカーのサイレン。その中にあって、一人の女の子が倒れていた。


 和服の様な珍しい服、ショートボブの黒い髪、人形の様に整った顔、スラリと伸びた脚。一目見て思わず可愛いと思ってしまった。雨に濡れ、泥で顔を汚し、全身のあちこちに擦り傷をつけていても、螺厭が時間も忘れて見惚れるほどに。


「っ…誰…」

「君こそ、誰?」


 不意に意識を取り戻した少女が睨みつけて来る。その手に握られたクナイを見て思わず螺厭は「忍者?」と聞いていた。


「まさか、こんな時代に忍者が実在してるとは思わなかったなぁ」

「…早くここから離れて。忍者だって分かるくらい察しが良いなら、厄介な状態だって事もわかってよ…」


 強がる様にふらふらと立ち上がった少女。だけど力の入ってないその足取りと、グウと派手に鳴った腹の虫を聞けば、螺厭は思わず駆け寄ってコンビニの袋を少女の鼻先に突きつけていた。


「これ、食いなよ。腹空かしてるんだろ?」

「要らない。見ず知らずの他人を信用できる訳無いじゃない。私に構わず、早くどっか行きなさいよ」

「そうは言っても、俺もそんなにボロボロで腹を空かした女の子を見捨てちゃ帰れないって。寝覚めが悪いし、気分も良くないね。ここは、この肉まんを食って貰わないとこっちも引き下がれんっつの。ほれ」


 グイッとコンビニ袋を押し付けられて、少女は怪訝そうな顔を見せる。だがやはり空腹には敵わないのか恐る恐る袋に手を入れ肉まんを取り出すと、クンクンと匂いを嗅いだ。


「毒は無いか」


 そう呟いて少女は肉まんを口にした。一口食べたら後はあっという間に食べきってしまう。倒れるくらい空腹だったのだ。当たり前だろう。


 しばらくの間、肉まんとコーヒーを無言で食べ続ける少女。螺厭はじっとその横顔を見つめていた。


「なぁに?」

「あ、いや、その、ね?えっと…名前は?俺は螺厭。深南雲螺厭。君の名前…っても、忍者だしな。ペラペラ初対面を相手に教えてくれる訳が…」

「紅よ。甲賀山紅。貴方に知られたって別にいいんだし。まあでも、ありがと。お陰で助かった。じゃ、私はもう行くわ。今起きた事は忘れて」

「忘れられそうに無い」

「そう?」


 さっさとどこかへ去ろうとする紅。これ以上堅気の男の子を巻き込む訳にはいかない。その一心で背を向けたと言うのに、螺厭はおっかなびっくりと言った様子で紅を追いかけてきた。手を取ろうとして僅かに伸ばすが、躊躇する様に手を下ろして頭をかく。


 しまった。女の子と手を繋ぐ時のシュミレーションなんて想像もした事なかった。なんて声を掛けたら良いんだろう?どんな風に言えば、手を取ってくれるんだろう。


「ちょ、ちょっと待って!?」


 何故か疑問形の螺厭の言葉に怪訝そうな顔をして振り向く紅。そして手を伸ばそうとして伸ばせない螺厭の手を見て、少し笑顔を見せた。


「こう言う時は、助けは必要じゃ無いかって聞く場面だよ。男の子」

「あっそうか。じゃあ、助けは必要?」

「大丈夫よ。ありがと。私はもう大丈夫だから、貴方はこれ以上巻き込まれない内に…」


 しかしそう言いながらも紅は僅かに顔色を変える。咄嗟に螺厭の手を取って、驚く彼の手を引いて走る。


「何?」

「敵!」


 空を見上げれば、雨に混じって手裏剣が二人目掛けて飛んでくる。しかもただ投げつけられただけとは思えないほどに正確な軌道で二人を追いかけて来た。


「あれ、手裏剣?その割には追っかけて来るけど!?」

「自在手裏剣の術よ!アイツら、やっぱり郷の装備を持って来てる…着いてきて!!私と一緒の所見られた以上は、君も狙われてる!!」

「こいつは予想外だ…!!」


 手裏剣がコンクリートの地面に突き刺さり、噂以上の斬れ味に螺厭が思わず舌を巻く。成る程、遊びや酔狂で今時忍者を名乗っている訳じゃなさそうだ。


 工場の入り口前まで逃げ、尚も追ってくる手裏剣達を見て紅が懐に忍ばせていた鍵を取り出す。


「忍者ガジェット、万能マスターキー」


 鍵穴に差し込むだけで、どんなに複雑に作られた鍵であっても複製し開けることが出来る忍者の必須アイテム。


 紅は万能マスターキーで工場のドアを開けると、螺厭共々無人の工場の中へと駆け込んだ。そしてドアを閉めて二人掛かりで抑えていると、手裏剣がドアに突き刺さり四つの切っ尖がドアから飛び出していた。


「はあっ、はあっ、はあっ…」

「ここに居たら危なくないか?」

「勿論危険ね。奥に行きましょう」


 そう言いながら紅はフン、と気合を入れながらドアを蹴る。その一撃でひしゃげた蝶番が悲鳴をあげ、鍵を開けようともドアが開かなくなってしまった。


 一つくらい変わらないかもしれないけど、一つくらい侵入経路が少ない方が嬉しい。そう呟きながら工場の奥へ奥へと進んで行く紅。


 意味は無いと思うけど万能マスターキーで事務所に入って鍵を締める。侵入者が入ったことを示す警報ランプが点いていて、恐らく一時間もしない内に警備会社か警察が来る。多分紅が居る事を掴んでいる警察の方が来るだろう。


「最っ悪…」

「俺のせい、だったりする?」

「ううん。君が居なかったら、お腹空いて倒れてた所を捕まってただけよ」

「そりゃ良かった。でも、これからどうする?外はあの手裏剣がまだ飛んでるし、もう間も無くお巡りも来る。絶体絶命とはこの事かな?」

「言われなくてもその通り絶体絶命。でも大丈夫。絶体に君を逃してみせるから」

「俺を?」

「巻き込んでしまったのは私。その責任は取らないと」


 そう言いながら紅は着ている服の裾の中に手を入れ、小さなスーパーボールの様な玉を取り出して螺厭の手を掴む。


 柔らかくて、暖かい。ふとそんな事を思ってしまった螺厭をよそに、紅はスーパーボールを螺厭に握らせる。不思議な感触のスーパーボールはオモチャじゃ無いのはすぐにわかった。


「忍者ガジェット、スーパー煙玉よ。投げつけて破裂すれば、例えばガスマスク着けてても一瞬で眠る特殊な睡眠ガスが詰まってる。一個しか残ってないから、いざって時に使って」

「君の分は?」

「必要無い…!」



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