第21話


 忍びの郷は山奥の森の更に奥深く、地上からも宇宙からも見えない隔絶された場所にある。その山に忍びの郷があると知る者たちが方位磁石や目印を頼りに森を彷徨ったとしても永久にたどり着くことはない。山に足を踏み入れたその瞬間より、各地の岩や木が、侵入者を欺く為に指向性磁力を発してコンパスを狂わせ必要に応じて音もなく位置を変えてしまう。


 一度や二度そうして侵入者を山の入り口まで戻してやれば、やがて侵入者は諦めて退散していく。時折それでも諦めきれずに森を彷徨い続ける愚か者も居るが、そう言った手合いは数カ月後には違う山で遭難死している所を発見されるのがオチだ。


 忍びの郷に足を踏み入れる手段はただ一つ。郷の中に居る者達の許可を得て正しい道を方位磁石に指し示してもらう事だけだ。


「だったら、どうやって中へ?」


 川に沿って進んだ先、巨大なダム湖を見渡しながら黒いフード付きの上着で顔を隠した螺厭の至極真っ当な質問に、紅は懐から二つ分のミクロエアーを取り出した。


「水遁、ミクロエアーの術よ。口の中に含むだけで、三日間は息継ぎしなくても生きていける量の酸素が入ってる。ちょっと危険だけど、これを使って地下水脈の中を泳いで行くわ」

「地下水脈、か。まさかとは思うけど、麓から流れに逆らって登っていくんじゃ…」

「ええ。そうよ」

「勘弁してくれよ。まだジムバッチゼロなんだ。しかも水タイプじゃ無いから滝登りなんて覚えてないぞ」

「ちょっと…私に着いてくるんじゃなかったの?」

「不可能な事は不可能と言っておくべきだ。その方がお互いに建設的だろう?」


 別にカナヅチって訳では無いんだけれども、と言い訳がましくぶつぶつ呟く螺厭。そもそも地下水脈の中を自力で泳げるはずが無いだろうと白い目で見る紅。会話が噛み合っていないと気づくのに、お互い一分ほどかかってしまった。


 瑠璃子さんが作ってくれた新型忍者ガジェット、水遁完全防御寝袋。本来ならミクロエアーとV3ホッパ…じゃなくてライブタイム竹トンボとの組み合わせて絶対に見つからない水中からの張り込み用のガジェットだが、今回はこれを使って地下水脈の中を進む。


 紅がそう説明すると、螺厭は渡された半透明の完全防御寝袋を興味深そうに突き、試しに羽織ってみせた。内側にはいくつかのモニターやスイッチが仕込まれていて、押してみれば光学迷彩機能が作動して螺厭の姿は一瞬で見えなくなる。


「なるほどね。超高性能な潜水服か。それにしてもまた光学迷彩?なんでも透明になれれば忍者っぽいとか思ってるのか?」

「なによ。なんか文句でも?」

「バリエーションに欠けるって話さぁ。そも光学迷彩って忍者じゃ無くて攻殻機動隊だろ」

「別に私はスカーレット・ヨハンソンじゃ無いわよ」

「はぁー?スカヨハは少佐じゃねーし。世界中が認めたって俺だけは絶対認めねーし」


 紅にしてみればどうでも良いことこの上無い。しかし螺厭は語り足りないのか、その後もぶつくさ文句を言い続けていた。


「別に白人だからとかじゃ無いんだよなー。あの引き締まって無い感じの身体が良くないんだよ。わかる?紅だってその忍者装束着た時、太ももとか結構太かったし…」


 そう言い放ち、無言のままにキレた紅に蹴り落とされ螺厭は完全防御寝袋に包まったままダム湖へ落下していった。


 何の感情も湧かない冷徹で冷たい眼差しで落下中であろう螺厭のいそうなところを見つめる紅。そして手元にクナイを取り出すと、完全防御寝袋にしがみついているであろう螺厭目掛けて投げつけた。


 そのまま空中の螺厭に突き刺さるかと思われたが、クナイは変形、分裂し四つのパーツに変わり螺厭を包む完全防御寝袋を取り囲むと半透明のバリアが張られた。襲いかかって来た小型ミサイルの爆発から螺厭を守った。守った、といってもモロに爆風に煽られた螺厭は完全防御寝袋共々さっき以上にきりもみ回転しながらダム湖に落下していったが、それはそれとして紅は静かにクナイと忍者ブレードを構えて周囲を睨み据える。


 一、十、もしかしたら百。視認できる数に気配とライブタイム竹トンボから送られてきたレーダーの反応を加えると、もう一々数えるのが嫌になってきた。幾ら螺厭の作戦通りの展開とは言え紅は大きくため息をついた。


「ああもう、やるしか無いって、分かってるのよ。今更文句なんて言わないんだから…」


 大きく深呼吸し、聞こえて来る銃声を合図に紅は忍び装束のパワーアシスト機能を全開にして走り出す。銃弾よりも早く、風よりも静かに、そして嵐のように苛烈な攻撃で紅は傭兵達の意識を次々と刈り取っていく。


 雷遁・超電磁クナイは最大出力で電圧を上げれば、例え忍者用の対電子装備すらも突破して相手を気絶させられる。通常の忍者ガジェットでは到底倒しきれない筈の傭兵達が事前の情報に無い紅の装備に僅かに後ずさる中で、紅は大きく飛び上がり懐から手裏剣を出して投げた。


「風遁・無尽風車!」


 自在手裏剣の術で五つの手裏剣を操り、手裏剣に搭載された新機能、無尽風車を起動する。回転しながらホバリングしていた手裏剣達がその刃を斬り裂くモノから風を煽る形へと変化させ、手裏剣から大柄な男性でさえも態勢を崩すほどの突風が吹き荒れた。


「次!」


 空中で静止し、二本のクナイを接触させてスパークを発生させる。


「火遁・猛火大進撃!」


 火花は手裏剣を通じて風に混じっていた可燃性のガスに触れ、風に煽られて態勢を崩していた傭兵連中は次々と爆風と火炎に巻き込まれて倒れていく。その巨大な火柱と爆音を、螺厭はダムの無人制御室で見ていた。


「あんな派手な忍者居るのかよ…」


 紅に蹴り落とされ、ついでに敵の攻撃を受けてダム湖に沈んだ様に見せかける。最初は敵の気配を察したら螺厭を逃すフリをする。しかし逃しきれなかった時は派手な爆発に巻き込んで敵の目を逸らす。そのつもりの作戦で、散々から説明したにも関わらず事前に決めた合図もせずにいきなり蹴り落とすなんて、相変わらず暴力的だ。


 ぶつくさ声には出さないように文句を言いながら紅に渡された予備の隠蓑マントを羽織り、スイッチを入れる。いざ敵と遭遇した時のためのお守りは幾つかの煙玉とクナイのみ。隠蓑マントと万能マスターキー、そしてこれらの護身用ガジェット。これ以上のガジェットは素人には扱いきれないから渡しても意味がない、と言われてしまった。


 まぁ確かに、さっきの大爆発とかをいきなりコントロールしろと言われても困るなと納得しつつ螺厭はポケットに入れていた羅針盤を開く。北を刺さずにクルクルと回る方位磁石。それは隠蓑マントに包まりながらダムの無人制御室を出ると、落ち着かなく動き続けていた磁石がピタリと動きを止める。


『これが、外から忍びの郷に入る鍵よ。隠れ郷を包む森は、自然の森に偽装した機械の木々や岩が混じってる。普通の方位磁石だと、この偽物の森が出す指向性磁力で狂っちゃうけど、この羅針盤の磁石には正しい道を教えてくれるの』


 紅の言葉を思い出しつつ、羅針盤が示す道を歩いていく。遠くに聞こえる紅の戦う音は止む気配が無く、たった一人で戦い続けていることが螺厭にも分かった。


『だけど一人で郷に忍び込んでも、戦局は変えられないぞ。俺は自慢じゃ無いがシュワちゃんでもセガールでもチャック・ノリスでも無いんだ。真っ正面から大人の傭兵相手にドンパチやれる武器も筋肉も無い』

『別にアンタの筋肉になんて興味は無いわよ。郷に忍び込むわけじゃなくて、森の中にある送電装置の所に行って、郷の外部電源をリセットして欲しいの。そうすれば、十秒くらいの間郷のあらゆる電源が落ちて、閉じ込められてる大人の忍者達も反撃出来るはず』

『なるほど。中の大人達に合図とかは出来そう?』

『必要ないわ。アンタなんかの嘘に騙されて踊らされた何処ぞの小娘忍者と違って、みんなプロだもの。奇襲された前とは違う。必ず、一瞬のチャンスも無駄にはしないはず』


 羅針盤に従って森を抜けた先にはそそり立つ崖が。羅針盤の針に従って岩肌を調べていくと、やがてちょうど羅針盤を嵌め込むだけの大きさの穴があった。紅の言う通りだと、ここに羅針盤を嵌め込み強く押し込めば電源は強制リセットされる。そうすれば任務完了だ。


 その時ふと螺厭は山の麓の方を睨む。さっきまでしていた爆発音が止んでやけに静かだ。紅一人で時間を稼ぐと言って居たが、裏切り者の忍者も参戦しているとなれば限界もあるだろう。


 そして何よりこの場所も知られている可能性は十分にある。なら今螺厭が一人でも出来る作戦とは––––––



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