第7話 自分にしか見えない色

「ニコ、ねえニコ? 具合でも悪くなったの?」


 アンドレアは心配そうにニコの顔色を伺った。するとジョエルがすかさずニコのフォローに入る。


「お嬢様、ニコ様は具合を悪くしたわけではないのです。ただ少し、柔らかい部分をつつかれただけなのですよ」


 どこか腑に落ちないその言葉に、アンドレアは一旦視線をニコから外すと、すぐ脇にある水辺に目をやった。緩やかな風は水面を撫で、水中の水草を軽やかに踊らせる。小魚は数匹の群れをなし、優雅に水の中の空を泳ぎ回る。


「あの詩はね……」


 ニコはポツポツと、小声で話始めた。


 アンドレアは尚も水辺に顔を向けたまま、風を頬で感じている。


「父さんが教えてくれたこと。僕の大事な思い出。僕は小さい頃からね、自分にしか見えない色があると思っていたんだ。あるとき、それを父さんに打ち明けると、父さんが教えてくれたんだ 『お前が見つけた色はお前のものだ。好きに名前をつけたらいい』 だってさ。だからね、それ以降はずっと僕の見つけた色には詩を付けてきたんだ。少し気恥ずかしいけれど、今もそれを続けてるし、もちろんこれからもね」


 アンドレアはニコに力強い視線を送る。ニコの心に侵入を試みるように。絡み付いた互いの視線には、言葉以上の二人だけの特別なものが混ざり会った。


 そこで、ジョエルがわざとらしくティーカップにスプーンを当て、音を立てた。まるで、それ以上の接近を良しとしないといった具合に。二人は同時にジョエルへと視線を移す。


「ニコ様、とても素晴らしい父上ですな。わたくしも一度、お目にかかりたいものです。それはそうと、次はニコ様の冒険譚をお聞きしたいものです。いかがでしょうか」


 少し無理矢理気味の舵の取り方ではあったが、若い二人は、そのジョエルの言動の意味を理解し、咄嗟に見繕った会話をいそいそと始めることになった。


「じゃ、じゃあ次は大地の大穴、サンケーブの話しでも」


「う、うれしいわ。私も丁度、冒険譚が聞きたいところだったの」


 それからしばらくの間、ニコは大袈裟な表現や、役者には到底向かない下手くそな演技を交え、幼少の頃の冒険を披露した。


 ニコの素朴ながらも真っ直ぐな言動、純真な様は、いつの間にやらアンドレアだけでなく、ジョエルをも次第に呑み込んでいった。もはやジョエルは童心に返り、自らに課せられた職務さえも忘れてしまっていた。


 それだけならばまだ良かったのだが、アンドレアから「今日のジョエルは少しおしゃべりね」と指摘されるまで、自分の若かりし頃の冒険譚を披露する有り様だった。


 するとジョエルは慌てて姿勢をただし、髭をピンと整えてからアンドレアに言葉を返した。


「これは失礼しました。お二方の邪魔をするつもりは御座いませんでしたが、このリングランドに生まれたものならば一度は訪れた事のある数々の名所。私もついつい少年の頃を思い出してしまいまして。いやあ、それにしましてもニコ様、大地の大穴サンケーブでの竜の鳴き声、あの話はまことなのですかな? 私も少年の頃数名の仲間を引き連れて、あの有名な竜の鳴き穴へ入りました。が、何もないまま悪戯に時間を過ごし、肩を落として帰ってきたのを覚えています。いやあ、実に懐かしい」


 ふーんと、その大きな目を細め、軽く相槌を打ったアンドレアも、まるで少年のように話すジョエルの顔をみて何故か嬉しそうな表情だった。


 目尻を下げて少年時代を懐古するジョエルに、ニコは後日談があることを伝えた。


「実はサンケーブでの話にはきちんと続きがあって、でもジョエルさんに全部話していいのかわからないけれど……」


「なんと! 続きがあるのですかな? 是非ともうかがいたいものです、宜しいですな?」


「は、はあ。でもいいのかなあ」


「おおお、なかなか焦らすのがお上手で」


 ジョエルは顎を引き瞳の奥を光らせた。それに応えるようにニコは話し出す。


「僕らはあの穴で、竜の寝息にも聞こえる、腹の底に響く声を聞き、驚いて引き返してしまいました。だけれど僕はそれだけじゃ納得いかなかったんです。いるとされるその姿を見るまでは」


 ジョエルはアンドレアを差し置いて、ニコの話を身をのりだしながら聞き入り、自分の感想を挟んだ。


「ニコ様は意外にも負けず嫌いな性格なのですな」


 ニコは自分の心を見透かされているような気になり、気恥ずかしさからか、少しうろたえながらもなんとか返事をし、話を続けた。


「ええ、まあ。そ、それで僕はその後、この街で一番古いセントラル図書館に足を運びサンケーブに関する古文献や資料を読み漁りました。すると約二百年前の書物、『マトの見聞録』という文献にサンケーブの詳細が書かれていたのですが……」


 そこまでをニコは戸惑いながらも話した。丁度その時だった。夕刻を告げる六時ベスパの鐘の音が辺りに響き渡ったのだ。


 ジョエルは、はっと我にかえると陰り始めた辺りを見回し、残念そうな顔でニコとアンドレアの二人に目配せをした。


「ちょっとズルいわよジョエル! 私がニコとお話をしていたのに!」


 自分の身分や立場を忘れ、幼い少女の様に振る舞い激しく抗議するアンドレアの姿を見て、ジョエルは感慨深げな顔を見せた。しかし、彼は無言で首を横に振ると、いきどおるアンドレアをなだめるように説得を試みる。


「ああ、申し訳ありませんお嬢様。私も大変に残念でなりません。しかしながら時間も時間でございます、今日はこれにて一旦お開きにいたしましょう」


「んもう! 次はニコといつ会えるかなんてわからないのよ? せめてあと一刻時間を頂戴!」


 アンドレアは両手を大袈裟に広げて見せ、ジョエルに俄然とした態度で今、この時の大切さを説いた。しかし、ジョエルは首を縦に振ろうとはせず、頑なにアンドレアの要望を退ける。


 お茶会の中心的な役割を担っていたニコだったが、いつの間にやら蚊帳の外に追いやられた格好となり、ただ目の前で繰り広げられる一進一退の攻防を見守る他なかった。


 やがてアンドレアの必死の懇願も願い叶わず、この日のお茶会はお開きとなってしまう。


 アンドレアは最後、ジョエルに懇願する。


「せめて束の間だけでも二人の時間を……」


 少なからず、二人の時間を奪ってしまったジョエルは、まるで埋め合わせをするように、一時退席することにした。


「かしこまりました、席を外しましょう。ニコ様、正門にてお待ちしております」


 そう言って、深々とお辞儀をした後、ジョエルはゆっくりとその場を去っていった。

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