第23話  私はこのチームで全国制覇を目指すと決めたから

第二十二章  私はこのチームで全国制覇を目指すと決めたから







一回裏、鶴川高校の攻撃は一番の猫又ののあから始まる。


「よろしくお願いしますニャ」


沙希に教えられた通り、打席に立つ前にきちんと一礼するののあ。それを見て主審とキャッチャーは、(あ、なんか近くで見ると余計に本物の猫っぽくて可愛い)とほっこりしていた。


しかしキャッチャーはすぐに咳払いをして気を取り直すと、左打席に入ったののあをどう料理するか考え始める。


(守備ではかなり足が速かったわよね……。一応はセーフティーバントを警戒しとくか)


ののあに気づかれないよう内野陣にバントシフトのサインを出し、続いてピッチャーにもサインを送る。


ピッチャーが投球モーションに入ると同時に、ファーストとサードが前進してくる。しかしののあは構わず、三塁側へバントで転がした。


「よし!読み通り!」


サードが前進しながら捕球し、ファーストへ送球しようとする。普通なら楽々アウトのはずだったが――


「ニャニャニャニャニャ~!」


まるで突風のように爆走するののあは、すでに一塁までの半分以上の距離を走り抜けていた。


「ちょっ⁉嘘でしょ⁉」


信じられないスピードに驚愕し、慌てて送球する。しかし焦ったせいで送球が上に逸れ、ファーストがジャンプしてベースから足を離した瞬間に、ののあが一足早くベースを踏んで駆け抜けて行った。


記録はサードのエラー。しかし仮に送球が正確だったとしても、判定は微妙であっただろう。


「ノノーア、ナイスセーフティーデース!」

「ふふ~ん♪もっとののあを褒めるといいニャ。ののあは褒められて伸びるタイプにゃ」


一塁ベースコーチに入っていたビビにバッティンググローブとレガースを渡しながら、得意気に胸を張るののあ。


そしてガチガチに緊張しながらバッターボックスに入っていく親友の姿を、塁上から眺める。


「よ、よよ、よろしくおおおお願いしますでありますッッ!」


あっ。あれはダメな時のみほりんだニャ……とため息をつきながらリードを取る。しかし当然バッテリーもののあの盗塁を警戒して、執拗に牽制球を入れてきた。


「うぅ~、しつこいニャ~……」


いちいちリードしてからベースまで戻るのが面倒になったののあは、ついにリードを止めてしまう。


その代わりにベースを陸上競技で使うスターティングブロックに見立て、クラウチングスタートの構えを取った。


今から盗塁しますと宣言してるも同じであったが、右足がベースに付いているのでこれでは牽制しても意味がない。


「ビビっち、合図は任せるニャ」

「オーケー。任せるネー」


相手バッテリーは半ば呆れながらも、これだけ警戒してる中で盗塁を決められるものなら決めてみろと、ついにクイックで投球モーションに入った。


その瞬間――


「ゴー!」

「スチール!」


ビビのスタート合図と、ファーストがピッチャーに盗塁を知らせる声がほぼ同時に響き渡る。


しかしバッテリーは言われなくてもすでに分かっていた。故にキャッチャーは素早く立ち上がり、投手もバッターが立つ打席とは逆側に外した速いストレートを投げ込む。


本来はキャッチャーが捕球してから立ち上がって送球する動作を一つ省く事で、より確実に盗塁を阻止する為のピッチアウトと呼ばれる技術だ。


しかしそんなバッテリーの読みと策を嘲笑うかのように、ののあの快速は楽々と二塁を盗んでみせた。


決してキャッチャーの肩が弱い訳ではない。ののあの最高速度に達するまでの加速力が人間離れしすぎているのだ。


「ビビっち~、もう一丁頼むニャ~」

「オーケー!」


二塁上でもクラウチングスタートの構えを取るののあに、流石に守る浦和学園の選手達からも「え?マジで?」という空気が流れる。


盗塁は二塁よりも三塁の方が格段に難しくなる。単純に送球するキャッチャーとベースの距離が約十メートルも短くなる為だ。


現在の打者である海帆が右打席、つまり三塁側の打席に立っているので、キャッチャーが送球する際に三塁が死角になり易いという利点はあったが、それを差し引いてもリード無しで盗塁しようなど無謀以外の何物でもない。


(な、舐められたものね……!)


これにはキャッチャーだけでなくピッチャーも完全にトサカに来ていた。


絶対に刺すという殺気を合致させ、ピッチャーがクイックモーションに入る。


「ゴー!」

「ス、スチール!」


先程と同じようにビビとショートの声がほぼ同時に響く。さらに同じくピッチアウトで外してキャッチャーが捕球態勢を取りながら三塁への送球ルートを確保する。


てっきりバッターの海帆が守備妨害ギリギリの邪魔をしてくると思っていたが、頭から地面まで串で貫かれているのかというくらいピクリとも動かなかった。


キャッチャーにしてみれば嬉しい誤算だ。頭の中で思い描いていたイメージ通り、捕球から三塁の足元への送球も無駄なく運ぶ。


だが、それでも――


「セ、セーフ!」


ののあの足が一歩だけ早かった。


「嘘……でしょ……」


これにはキャッチャーも呆然とするしかない。完璧な盗塁阻止の準備を施して、その上で三塁を盗まれたのだから。


「ののあちゃん!ナイス盗塁です!」

「もっと!もっと褒めるといいニャ!」


ベンチからの声援にののあはドヤ顔で応える。だが、その内心は……


(ぉぉぉぉ……。やべぇニャ……ギリギリだったニャ……やっぱり三盗はリード無しじゃ危険だニャ……)


心臓バクバクであった。


ともあれこれでノーアウト三塁。しかも相手バッテリーには、ののあの単打が三塁打と同じ意味をもつと脅威と共に知らしめた。先頭打者としてはこれ以上ない仕事っぷりである。


(さ、さて……。ホームにまで盗塁するのは流石にののあでも無理だし、どうするかニャ……)


ベンチの沙希からは任せるのサイン。となれば後は海帆次第なのだが……


相変わらず打席で地蔵になっている海帆を見て、ののあはため息をついた。


「みほり~ん、みほり~ん」


名前を呼ぶが反応はない。その間にストライクを一つ取られてしまう。


仕方ないのでののあは大きく息を吸い込むと、


「み・ほ・り・ん!」


思わずサードと三塁審判どころか、三塁ベンチの鶴川ナインも耳を塞ぐほどの大声で叫んだ。


「は、はい!なんでありますか⁉」


これには流石に気づいた海帆が我に返り、慌てて辺りをキョロキョロ見回す。そこでやっと、ののあが三塁にいるのに気づいたようだ。


「の、ののあちゃん⁉いつの間に三塁まで進塁してたのでありますか⁉」


ののあはまたため息をつきつつも、時間がないので海帆と事前に決めておいたサインをこっそりと送る。


「えっ……?あっ、サインでありますね⁉」

「バラしてどうするんだニャ……」


右手で顔を覆い、天を仰ぐののあ。まぁサインの内容まではバレてはいないだろうから良しとするべきなのだろうか。


けれどこれで相手バッテリーも何か仕掛けてくると警戒を強めてしまったはずである。その証拠に二人から滅茶苦茶、視線を感じた。


とりあえずののあはリードは取らず、三塁ベースの上で棒立ちする。


それでも尚、警戒を解かないバッテリーではあったが、最終的にはクイックでの投球モーションに入り――


その瞬間、海帆がバントの構えを取った。


やはりか、とピッチャーも瞬時にストライクゾーンから外して投げる。ボールを受け取ったキャッチャーは突っ込んできているであろう、ののあに対して向き直り――


「え……?」


相変わらず三塁ベース上で欠伸をしているののあを見て、完全に肩透かしを喰らっていた。


(サインミス……?でも何かを仕掛けようとしていたのは確かなはずよね……)


そこまで考えて、キャッチャーに一つの閃きが生まれた。もしかして、何か策があるとこちらに思わせるのが策なのではないかと。


現在のカウントはスリーボール・ワンストライク。ののあの足を警戒しすぎた結果、ボールカウントが先行してしまっている。


さらにそこへ今のような陽動をかけてボールカウントを稼ぎ、四球を狙うのが目的なのではないだろうか。


海帆の緊張具合を見て、普通にやったら打てなさそうと判断したなら十分に有り得る作戦だった。


(なら、わざわざ思惑に乗ってあげる必要はないわね)


キャッチャーはサインでスクイズはないとピッチャーと内野陣に伝えると、続けてストライクゾーンへの変化球を要求する。


変化球を指定したのは万が一バントをしてきたとしても、簡単に転がさせない為である。


ピッチャーは意図を理解すると頷き、ストライクを確実に取りにいくコントロール重視のカーブを投げにいく。その最中にやはり海帆がまたしてもバントの構えを見せるが、構わず腕を振り抜いた。


ほぼど真ん中になってしまったが、初見のカーブの軌道に、バントとはいえ簡単には合わせられないだろう。


そう思っていたが、海帆のバント技術は想像を遥かどころか彼方まで超えていた。


まるでどこかで見た事があるような一連の無駄もない動作で曲がるボールに照準を合わせると、さも当然のように三塁側へプッシュ気味に転がしてみせた。


「バントはないんじゃなかったの⁉」


慌ててサードが定位置から前へダッシュしてボールを取りに行く、そしてホームへ突っ込んでいるであろうののあへと視線を向け――


「え……?」


いない。ならばどこに⁉


慌てて三塁を振り返ると、ベースの上で頭をポリポリ掻きながら欠伸をしているののあを見つけ、完全に肩透かしを喰らっていた。


「ファ、ファーストへ送球よ!」


キャッチャーの指示で我に返り、慌ててそちらを向く。


海帆の足は決して速くはなく、むしろ途中で転んでいたので今から投げても十分に間に合った。


(まさかの単独セーフティーバント……?)


釈然としない物を感じながらも、先ほどの送球ミスがあったサードは、今度は正確にファーストへ送るべくゆっくりな球を投げる。


その瞬間、三塁ベース上にいたののあの目がキラーン!と光った。


サードがボールから手を離したのと同時にホーム目掛けてスタートを切る。一連のプレーに関わっていなかった故、それに気づけたショートが慌てて叫ぶ。


「ホーム!狙われてるわよ!」


その声で一同はののあがホームへ突っ込んできているのを認識し、慌ててキャッチャーがホームベース上に入る。


「次から次へと常識はずれな事を……!」


ファーストでまず海帆をアウトにし、そのまま全力でバックホームする。


タイミング的には五分五分。しかし、ののあはスライディングで滑り込みながら上手くキャッチャーのタッチをかいくぐると、左手の指先でホームベースにタッチしてみせた。


「セ、セーフ!」


主審が生還を宣言し、新生・鶴川女子野球部としては初めての得点がスコアボードに刻まれた。


三塁ベンチは大きく沸き立ち、戻ってきた功労者の二人をハイテンションで迎え入れる。


「よーしよしよし!よくやったぞ、ののあ!」

「あっ!あたしもわしゃわしゃする~!」

「や、やめるニャあずやん!きみきみ!ののあの髪が滅茶苦茶になるニャ!」

「海帆ちゃんもナイスバントでした!」

「流石はバント職人ですわね」

「で、でも自分はアウトになってしまったであります……」

「なに言ってるの。たった二人で一点取って来たんだから、アウト一つなんて上出来なくらいよ!」


沙希にもっと胸を張りなさいと背中を叩かれ、海帆は照れ臭そうに顔を緩める。


「さぁ、このままの流れで行くわよ!穂澄、頼んだわよ!」

「お任せ下さい」


ネクストバッターズサークルに控えていた穂澄が静かに、しかし全身から充実した闘気を漲らせながら立ち上がる。


鶴川の反撃は、まだまだ始まったばかりであった。






「と、とりあえずランナーは無くなったし、点差もまだまだ有るんだから切り替えていきましょう」


マウンド上に集まった浦和学園の内野陣はキャッチャーの言葉に頷き合う。


外野陣はまだ慌てる時間じゃないと言わんばかりに定位置から動こうとしない。というか、ライトの杏子は暇すぎて欠伸をしていた。


「またトリッキーなプレーで攪乱してくるかもしれないけど、慌てず対処していきましょう。私達は浦和学園よ。自力で負けるはずがないわ」

『おおッ!』


最後に気合を入れ直すのも忘れず、キャッチャーが話を締める。そして各自が守備位置に戻り、試合が再開された。


「よろしくお願いします」


ピシッと背筋を伸ばしたまま惚れ惚れするほど綺麗な一礼をする穂澄。それを見て主審とキャッチャーは、(あ、なんか近くで見ると凄い格好いいかも)と宝塚にハマる人の気持ちがちょっと分かる気がしていた。


(いやいや、なに考えてるのよ私は。ってかこの人、確か寺子安中のチームにいた人よね……)


キャッチャーは中学時代は補欠であったが、陽菜と同じく全国大会にはチームの一員として出場していた。それ故、穂澄にも見覚えがあった。


(あの陽菜でさえも簡単には打ち取れなかった人……。これは要注意ね)


今のピッチャーも決して凡庸ではないが、それでも陽菜と比べるのは酷でしかない。


だが、どんなに投打に差があろうと、勝機を生み出すのがキャッチャーの仕事であると自らを奮い立たせる。


まずは初球。アウトコースへボールになっても構わないと、ピッチャーも持ち球であるもう一つの変化球のサインを出す。


その要求通り、ストライクゾーンよりギリギリ外れた縦へ落ちるフォークが決まった。しかし審判の判定はストライク。


(今のがストライクになってくれたのはラッキーね)


ボールになっても構わないと思っていた配球だし、何より今ので穂澄の狙いも少し分かった。


今の投球に対して、穂澄が一瞬バットを振りに行こうとする動きを見せたのをキャッチャーは見逃さなかった。


変化球に反応したという事は、恐らく待っていたのは前の海帆の打席で見せたカーブ。しかし変化球の軌道が違ったから手を出さなかったといったところか。


(なら、お望み通り投げてあげましょうか)


今の穂澄の脳裏には見たばかりのフォークの軌道がしっかりと焼き付いているはずだ。仮にもう一度カーブを待たれていたとしても、縦に落ちるフォークの記憶と斜めに曲がってくるカーブの光景が混ざってしまえば、当然振るバットにも迷いが生じる。

そして中途半端に振ってきたバットに当たったところで、ヒット性の当たりが生まれる確率は極めて少ない。


そう考え、キャッチャーはわざと今と同じコースにミットを構える。より穂澄に迷いを生じさせるためだ。


そして投じられた二球目。今度は斜めに曲がりながらしっかりストライクゾーンに入ってきたその球に対し、穂澄はバットを振ってきた。


自分からは外へ逃げていく球の流れに逆らわず当てた打球は、一塁線上の右へと鋭く跳ね返り、ファールとなる。


「ふむ」


何かを確認したかように一つ頷き、バットを今まで通りに構え直す穂澄。その淡々とした様子に、キャッチャーは不気味さを感じていた。


(……簡単に追い込まれたのに随分と冷静ね)


ツーストライクになれば、どうしても打者の心理として三振が頭にちらつく。そのため、どうにかバットには当てようと短く持ち直したりする者もいる。


しかし穂澄は何も変わらず、表情にも仕草にも焦りが微塵も感じられない。まるで自分は三振などしないという自信が有るかのようであった。


「あぁ……。穂澄ちゃん、簡単に追い込まれてしまったであります……」


ベンチから見守る海帆は、心配そうに口の前で両手を合わせていた。普通はこれが当然の反応であったが、


「まぁ、あの子はここからが本番みたいなものだし大丈夫でしょ」


海帆の百分の一も心配してなさそうなくらい気楽に言う沙希の予想通り、そこからの穂澄はしぶとかった。


常にストライクゾーンギリギリを狙ってくる球をカットしてファールにし、明らかに外れたボール球はきちんと見逃す。


それを繰り返すうちにカウントもツーストライクのみだったところに、ワンボール。ツーボールと加わり、フルカウントへと近づいて行っていた。


「ののあ。先頭打者にとっての仕事ってなんだと思う?」

「ニャ?それはもちろん塁に出ることニャ」


ののあの答えに質問した沙希は頷く。


「正解。でも、それは正解のうちの一つだけよ。他にも先頭打者の仕事として、その日の相手バッテリーの情報を後続の打者に伝える事もあるわ。

今の穂澄みたく出来るだけ相手投手に球数を投げさせて、球速はどのくらいか。持ってる変化球は何があるか。どのくらい変化するのか。そして、どの変化球を決め球に使ってくるのかって具合に丸裸にしていくの」


そのため穂澄のように粘り強い打者を一、二番に置くチームも少なくない。そしてある程度の情報を暴いた上で、主砲が揃うクリーンナップを迎えさせるのだ。


「穂澄が追い込まれてからしぶといのは、中学時代に先頭打者としてそういう役割を担っていたからでしょうね」


とはいえ、それは決して簡単な事ではない。確かにボールを前に飛ばしてヒットを打つのに比べたら、バットのどこかに当ててファールにすればいいカットは難易度が下がる。


けれど先頭打者はまだ相手バッテリーの当日の情報がまっさらな状態からそれをやらなければならないのだ。どんな球速で何を多投してくるかも分からない上、追い込まれても冷静さを失わない為の精神力が要求されるのは言うまでもなく、どんな球であろうが対応するための選球眼とバットコントロールが必要となる。


そんな卓越した技術を穂澄が惜しげもなく披露していると――


「フォアボール!」


十五球目にして、ついに根負けしたピッチャーが四球を出した。悔しさと苛立ちを隠せず、マウンドの土を蹴り上げる。


「どうやらあのピッチャーの変化球はカーブとフォークの二種類みたいね。あとは審判が外角低めはちょっとストライクゾーンを広めに取ってくるのも分かった。皆も穂澄がくれた情報をしっかり頭に入れておきなさい」

『はい!』


そして沙希は打席に向かおうとしていた奈月を呼び寄せた。小走りで駆け寄ってきた彼女の肩に手を回すと相手チームに背を向け、小声で話し始める。


「今、相手のピッチャーは穂澄に多く投げさせられた上にフォアボールまで出してイライラしてるわ。となれば、キャッチャーとしても初球は落ち着かせるために何を投げさせようとするか……分かってるわね?」

「確実にストライクを取りに行く為のストレート……ですよね」

「百点満点、花丸よ。甘く入ってくる可能性が高いから初球を狙ってきなさい」

「はい!」


奈月の背中を叩いて打席に送り出す。ベンチからも奈月の打撃に期待する声援が飛ぶ。


「よろしくお願いします!」


元気一杯に一礼し、右打席でバットを構える奈月。それを見て主審とキャッチャーは、(小さいのにおっぱいは大きい……)と自分の胸と見比べてちょっとだけイラッとしていた。


(ってか、本当に小さいわね……。これで四番って事は、ホームランよりタイムリーヒットを期待されたアベレージヒッターでしょうね)


奈月のおっぱい以外は小柄な体格を見て、キャッチャーはそう判断した。


(ランナーは一塁……。けど一発がないなら、長打を喰らったとしてもうちの守備ならランナーはまず還ってこれない。それに……)


穂澄のせいでマウンド上で冷静さを失いかけているピッチャーの頭を冷まさせるには、まず確実にストライクを取らせてあげたかった


(初球から振ってきてヒットになったら事故みたいなもんよね)


全ての可能性を考慮した上で、キャッチャーはストレートのサインを出した。ミットもピッチャーが余裕を持てるように、ギリギリではなく少しストライクゾーンの内に構える。


不確定要素に関しては事故にあうようなものだと割り切ったが、それ以上に最も重要な事を勘違いをしているのには、この時は知る由もなかった。


もし試合前に奈月が打撃練習に加わっていたら、その可能性に気づけていたかもしれない。


しかしこの打席に入るまで、奈月の打撃を一度も目にしなかったキャッチャーにそれを求めるのは無茶というものであろう。


要求通りのストレートが来る。構えていた位置から少しずれたコースへミットを動かす。その瞬間――キャッチャーの目の前に突然バットが出現した。


(え……?)


信じらないほど高速のヘッドスピードで振り抜かれたそのバットは、比喩でもなんでもなく、本当に当然目の前に現れたように見えた。


「ふうぅぅぅ……みぃぃいッッ!!」


そしてバットは予想通り甘く入ってきていた球を真芯で捉え――そのままフルスイングで打ち返した。


金属バットが残した快音がグラウンドに響き渡った瞬間、誰もが目を瞠り、声を失った。


ピッチャーが投げた時よりも何倍にも速くなった打球は、一瞬で大空へと舞い上がり――


それはまさに弾丸となって、センター後方の第一グラウンドを囲う金網へと一直線に突き刺さった。


奈月が静かにバットを地面に置き、ゆっくりと走り出す。


その瞬間――やっとその場にいた奈月以外の者達が我に返り、何が起こったのかを把握していく。


ホームランに喜びの声を上げる鶴川ベンチだけでなく、浦和学園ベンチからも見た事がないスピードで飛んで行った打球への驚き、戸惑いを含んだ声が次々と上がる。


グラウンドにいる全員からの視線を感じたせいで、恥ずかしそうに顔を赤くしながらベースを回っていた奈月が最後にホームベースを踏む。


先にベースを回り切り、バッターボックスのすぐ脇で奈月のバットを拾い上げて待っていたランナーの穂澄とハイタッチを交わした。


そしてネクストバッターズサークルにいた梓とも。ベンチの前まで飛び出してきていた仲間達とも一人ずつハイタッチを交わしていき、


「奈月!」

「陽菜ちゃん!」


最後は陽菜と交わすと、そのまま手を握り合った。


「……いやぁ、凄ぇもんを見たさね」


あまりにも速すぎた打球速度にほとんど動けずにいたライトの定位置から、ボールが突き刺さった部分が凹んだままの金網を見上げる杏子は苦笑いを浮かべるしかない。


未だ騒然とする浦和学園ベンチの中にいた千紗も「へ、へん!マグレだろ!マグレ!」と引きつった顔で強がりを言うのが精一杯であった。


「よっしゃあッ!アタシも続くぜッ!」


奈月のツーランホームランでさらに点差は縮まり、俄然追い上げムードの鶴川のネクストバッターは梓。


「よろしくお願いしまっすッ!」


きちんと打席前の一礼を忘れない梓を見て主審とキャッチャーは、(あ、意外と礼儀正しいんだ)と見た目や言動とのギャップに軽く驚いていた。


ホームラン後、キャッチャーは審判から受け取った新しいボールをマウンドまで直接ピッチャーに手渡しに行って一言声をかけたが、タイムはかけなかった。


彼女の顔を見て、そうしなくていいと判断したからである。


「ストラーク!ワン!」


今までよりも球威を感じさせる球が、キャッチャーミットに収まる。


「ストライーク!ツー!」


落差のあるフォークに梓のバットが空を切る。


(やっぱり、いい意味で開き直れたみたいね)


一年生とはいえ、仮にも浦和学園の練習試合の先発を任されるほどの者である。この程度で崩れるほど、やわな鍛えられ方はしてきていない。


むしろ奈月の一発が彼女のを目が覚まさせてしまった。その瞳は最早、鶴川を創部したての弱小チームなどと侮ってはいなかった。


三球目。続けて投じたフォークは気合が入りすぎてすっぽ抜け、ワンバンしてのボール。だが、まだストライクが先行している。


カウントを悪くしないうちに勝負を決めようと、キャッチャーは次で梓を仕留めるためのサインを出した。


要求通りのカーブが、左打席の梓には自分に向かってくるような軌道を描いて曲がる。苦手なインコースへの球であったが、追い込まれている上にストライクゾーンにも入っていたので打ちに行くしかない。


(ちっ!どん詰まっちまった!)


フラフラと打ちあげてしまった打球はセカンドの頭上へ。しかし練習通り、全力で振り抜いたバットに当たった打球は思った以上に伸び、セカンドも必死に後退してボールを追いかける。


そして最後はジャンプしながら目一杯までグローブをはめた右腕を伸ばすが、僅かに届かず前進してきていたライトの杏子との間で落ちた。


「ナイスポテンヒットですわー、末森中の四十六センチ砲ー」


なんとかアウトにはならず一塁上でほっとしていると、雅がわざと聞こえるように茶化してきたので、「うるせぇ!」と怒鳴り返す梓。


「せっかく褒めて差し上げましたのに。ねぇ?」


優雅な立ち振る舞いで一礼してから話を振られ、主審とキャッチャーは、(いや、うちらに言われても……)とリアクションに困っていた。


相手ピッチャーは右投げであるが、百合香からスイッチヒッター禁止令を出されている雅は右打席に入りながら現在の状況を確認する。


ワンナウトでランナーは一塁。ここで一番最悪なパターンは内野ゴロを打たされてのダブルプレーだ。


当然、相手バッテリーもそれを狙ってくるので、徹底してストライクゾーンの低めにボールを集めてくる事が予想される。


(さて……どうしたものですかしらね)


バントで梓を得点圏の二塁に送るという案も一瞬考えたが、今のポテンヒットを見る限り、攻撃の『流れ』はまだ続いている。ならばその流れをむざむざ途切れさすのは愚策だ。

沙希もそう考えているからこそ、バントのサインは出さずに雅の判断に任せてくれているのだろう。


(ならば、その期待に応えてみせるしかありませんわね)


大体、自分の初打席がバントなど優雅ではない。ヒット以上で飾ってこその風見であるとバットを構える。


初球。予想通りインコース低めへのカーブ。だが打席で初めて見る変化球には手を出さず、その軌道をキャッチャーミットに収まるまでしっかりと確かめながら雅は見送った。


「ストライーク!ワン!」


結果としてストライクを一つ取られたが、おかげで頭にあったカーブとのイメージの誤差を修正できた。それに今の動作にはもう一つ重要な意味が含まれている。


「なるほど。見切りましたわ」


そのためにバットを振らず、わざとストライク一つを犠牲にしたのだとよりキャッチャーに意識させるために、雅はわざと聞こえるように呟く。


もちろんまだ完全に見切れてなどいないが、今の言葉と『嫌な見逃し方をしてきた』という二つが合わさる事により、続けて同じ球種と同じコースに投げさせにくくする為のブラフとしては十分なはずだ。


となれば、インコース低めとカーブという二つの選択肢は次に限っては消える。その上で雅は、次に来るであろう最も可能性が高い組み合わせを予想する。


(まずコースは一球目とは逆のアウトコース。さらにゲッツー狙いのままでしょうし、低めに来ると考えてまず間違いありませんわね)


後は球種をストレートかフォークのどちらに絞るかであるが、これは可能性としては五分と五分。しかしフォークを決め球としてくる可能性が高いと仮定すれば、一球でカーブの軌道を見切ったと豪語した雅に対しては、事前にそれを見せる真似はしたくないはずだ。


(ならば答えは出ましたわね)


狙い球はアウトコース低めへのストレートに決まった。後は、その球をどこへどう打つか。


雅はわざと一度外した打席にゆっくりと入り直しながら、相手野手に狙いを悟られないようサードからファーストまで一通り視線を移動させつつ、内野の守備位置を確認していく。


アウトコースへの球をレフト方向へ引っ張るだけのパワーと技術は自分にはまだない。そうなると消去法で打球のコースはライト方向に限定された。


そのライト方向の内野の守備は、ファーストが牽制に備えてベース上。セカンドはゲッツー狙いのために二塁ベースへ入りやすいようにそちら寄りになっている。


(狙うとすれば……あそこしかありませんわね)


ファーストとセカンドの間に生まれた、針を通すように細い僅かな隙間。そこにしっかりと照準を定め、雅は二球目を待ち構える。


そして投じられた二球目は、読み通りのアウトコースへのストレート。


(ドンピシャですわ!)


雅は迷いなくしっかり踏み込み、ボールをギリギリまで引き付けてからコンパクトなスイングで流し打つ。



カキーン!



快音を放ち、強い打球が狙い通りのコースへと低く飛んでいく。必死に反応してみせたセカンドが飛びつくがグローブにかすらせるのが精一杯で、ボールはワンバウンドするとライトへと抜けていった。


しかし当たりが良すぎた為にライトを守っていた杏子の下へ届くのも早くなり、彼女は全速力で前進しながら捕球するとそのまま自慢の強肩を活かしてファーストへ送球する。


「ちょ、ちょっと!冗談ではありませんわよ!」


雅も全力で一塁ベースを駆け抜けなんとか間一髪でセーフになるが、あわやライトゴロという珍しいプレーになりかけ肝を冷やしていた。


「ま、まったく……。せっかくの初ヒットだというのにこれっぽっちも優雅じゃありませんでしたわ……」

「そんな事はあるまい。お見事なバッティングであったぞ、風見殿」


全力疾走で荒くなっている息を隠しながらファールゾーンへのオーバーランから一塁ベースに戻ってきた雅が、「それはどうも」と納得していない顔で一塁ベースコーチに入っていた穂澄にバッティンググローブとレガースを渡す。


これでワンアウトのままランナーは一、二塁。次に迎える打者は七番の陽菜である。






(陽菜……)


打席に向かってくるかつてのチームメイトを、キャッチャーは複雑な心境で見つめていた。


捕手としては二番手だった為に試合では一度もバッテリーを組んだ事はなかったが、練習では何度も陽菜の球を受けた。だから決して知らぬ仲ではなかった。


その陽菜が今は敵としてこんなにも近くにいる。表の攻撃で打者として対峙した時よりも、ずっと近くに。


(……切り替えなくちゃ。今の陽菜は敵なんだから)


かぶりを振り、キャッチャーマスクを付け直す。そして腰を落とそうとした、その時だった。


「久しぶりね、貴子」


一礼を終えた陽菜に名前を呼ばれ、キャッチャー――佐野 貴子はドキッとした。思わず座るのも忘れてしまうほどに。


「皆で書いて送ってくれた寄せ書き、本当に嬉しかったわ。ありがとう」

「陽菜……」

「でも、それとこれとは別よ。私からヒットを打った分のお礼はきっちり返すから」


懐かしい――中学時代の記憶と何一つ変わっていない微笑みを陽菜は浮かべると、前を向いてバットを構える。


目頭が熱くなり、涙を拭いたくなるのを必死に堪え、貴子もキャッチャーミットを構える。


そうだ。いつだって陽菜はこういう子だった。


誰よりも野球に対してストイックで。真面目で。時折、融通が利かなくて。


だからこそ憧れた。野球選手としても、人としても。


その陽菜が真剣勝負を望んでくれているのだ。応えない訳にはいかなかった。


キャッチャーは中学時代の陽菜のバッティングを思い出しながら配球を組み立て、サインを出していく。


だが、今の陽菜の打撃は貴子の記憶とは違っていた。あの頃よりも成長したスイングで貴子の配球の上を行くと、センター前に弾き返し、宣言通り見事お礼を返してくれたのだった。


それでもタイムリーヒットにならなかった不満を一切隠さず顔に出しながら一塁ベース上に立つ陽菜を見て、貴子は誰にも気づかれないように――静かに笑った。






「さぁ、満塁よ!ビシッと決めてヒーローになってきなさい!喜美!」

「は、はい!」


沙希の激励と共に送り出された喜美は、打席への道中で何度も何度も大きく深呼吸を繰り返す。


下位打線の八番だからと少し安心していたら、まさかの満塁の大チャンスで打順が巡り、軽く……否。かなりテンパっていた。


(な、なんでよりによってあたしのところで満塁なのよぉ……!野球の神様ってドSなの⁉こっちは別にドMどころかMですらないっての!)


とりあえず見た事もない野球の神様に悪態をつきながら右打席に入る。そこで一礼を忘れているのに気づき、慌ててやり直した。


そして最後にもう一度大きく深呼吸してから構える。しかし、バックホーム態勢のために内野陣が前進守備を敷いているのに気づき、より近くなった相手チームの選手達の姿に落ち着かせようとした心臓の鼓動はすぐに戻ってしまった。


自軍のベンチからは海帆やののあが多分声援を送ってくれていたが、何を言ってるのかさっぱり頭に入ってこない。


それでも喜美はなんとか今の状況を把握しようと、打席の中で必死に頭を働かせていた。


(と、とりあえずゲッツーだけは絶対に避けなくちゃ……。最悪でも犠牲フライで……)


そうこう考えてるうちに低めにストレートが決まり、ストライクを一つ取られてしまう。


(で、でもあたしが外野までフライを飛ばせるような高めのボールは来ないよね……。奈月や梓みたく低めの球を外野まで飛ばすのは無理だし……)


どうしようどうしようと迷い続けていると、失投と思われる高めに浮いたカーブがまさかのタイミングでやってきた。


喜美は驚きながらも心の中で、キタ━━━(゚∀゚)━━━!と顔文字付きで歓喜絶叫すると、迷わずその球を打ちに行く。



カキーン!



高く上がった打球の飛距離は十分。定位置よりも少し前で守っていたセンターが慌てて後退して、捕球とバックホームに備える。


それを見た三塁ランナーの梓もタッチアップ――相手の野手が飛球を捕るまでベース上にいれば走者は進塁できるルール――をするべく準備に入った。


「まだです……三……」


ベースコーチに入っていた奈月が、いつでも走り出せるようにホームへ体を前に向けている梓の代わりに、打球の行方を追いながらスタートへのカウントダウンを始める。


「二……一……ゴーです!梓ちゃん!」


センターのグローブに打球が収まるのと同時に奈月がゴーサインを出す。間髪入れず、梓も絶好のスタートを切る。


中継を挟まず矢のような送球がワンバウンドでキャッチャーへ返ってくるが、いかせん捕った場所が深すぎた。ボールがキャッチャーに届くよりも早く、梓はホームベースへと足から滑り込んだ。


主審がセーフを宣言し、得点が認められる。これ以上ないほどホッとした表情で念のために一塁へ走っていた喜美が戻ってくると、生還した梓とハイタッチを交わした。


「ナイス最低限!」

「あはは……。ゲッツーにならなくて良かったわぁ……」

「喜美ちゃん!ナイス犠牲フライです!」

「ナイス最低限であります!」

「ナイス最低限だニャ」

「ナイス最低限ネー!」

「ナイス最低限だったわよ、喜美!」

「なんで奈月以外は最低限って言い方なのよ!一応は仕事してきたのにテンション下がるわ!」


なんの成果も得られずアウトになるよりかはマシという意味である最低限の連呼で出迎えたベンチに向かって喜美がツッコミを入れると、ドッと笑いに包まれる。


点差は二点まで縮まり、チームの雰囲気も明るさを取り戻しつつあった。


「さてさて。これで少しは向こうのピッチャーが崩れてくれれば儲けもんなんだけど……」


奈月にホームランを打たれた後から気合を入れ直し、連打を浴びながらも堪えていたところへ、犠牲フライとはいえついに失点したのだ。並の投手なら、どうしても糸が切れてしまうものであろう。


しかし浦和学園は失点すると守備についている者達だけでなく、ベンチからも投手へ向けて声をかけて励ます。投手もまた、その声に応えるべく、マウンド上で心をまたリセットする。


同じ一年生同士でも、鶴川が出来なかった事を当たり前にしてみせる。これこそが常に強豪と呼ばれ続ける所以の一つなのであろうと沙希は感服していた。


だが、沙希の思惑通りにはならなかったものの、まだこちらのチャンスが続いているのには違いない。


ランナーは二人残り、打席にはホームランが期待できるビビ。もし一発がでれば逆転である。



ブンッ!



「ストライーク!ワン!」


一発が出れば……



ブンッ!



「ストライーク!ツー!」


一発が……



ブンッ!



「ストライーク!バッターアウトッ!」


……出なかった。


あの百合香にさえも「ごめんね沙希ちゃん……。あの子だけはどうすればバットに当たるようになるか本当にもう分からない……」と泣き言を言わせたビビのホームランガチャ打法は伊達ではなかった。


「いやー、いい勝負だったネー」


そして何故か一仕事を成し遂げたかのような満足気な顔で戻ってきたビビに沙希は苦笑すると、手をパン!と叩いて自らも切り替えにいく。


「良い攻撃だったわよ!けど、この後の守備が肝心なのは分かってるわね?きっちり三人で終わらせて流れを渡すんじゃないわよ!」

『はいッ!』






その後の試合は、一回の点取り合戦が嘘のように投手戦の様相を見せていく。


陽菜は二塁にランナーを背負っても徐々にトラウマを克服していき、二回以降は守備にも助けられ無失点。九回全てを投げ切る頃には、ほぼ普段通りのピッチングが出来るまでになっていた。


打線は二巡目からしっかり対応してきた相手バッテリーの前になんとか同点にまで追いつくものの、五回から登板してきた千紗には、ヒットは出るが得点までは許さない粘り強いピッチングをされ無得点に終わる。


結果、初陣となった第一試合は六対六の引き分けとなった。



お昼ご飯を挟んでの続く第二試合。


予定通り喜美がマウンドに立つが、九回までに十四失点。数字だけみれば大炎上であったが、それでも随所で光る物を見せ可能性を示した。


打線もなんとか喜美を援護しようと奮起するが、五点差まで追い上げたところで力尽き、ゲームセット。


二戦して一敗一分。新生・鶴川女子野球部の初勝利はお預けとなった。






『ありがとうございました!』


試合後の整列を終え、互いに相手ベンチにも挨拶へ向かう。予想以上の健闘を見せた鶴川ナインを、浦和学園の二軍監督である福田は暖かい拍手で迎えた。


「ナイスゲームでしたよ、と負かされた相手から言われるのは嫌味に聞こえてしまいますかな?ですが私は本当にそう思っています。

創部してまだ日が浅いとは思えない、見事な試合でした」

「あ、ありがとうございます!」


キャプテンである奈月が頭を下げると、他の者達もそれに続く。


「鶴川高校さんは今日が初めての対外試合だったそうですが、どうでしたかな?」

「は、はい!勝てなかったのは悔しいですけど、とっても楽しかったです!」


奈月の言葉と全員の気持ちが同じであると福田は彼女らの表情を見て察し、うんうんと頷いた。


「なるほど……負けても楽しかったですか。うん、実に素晴らしい。

野球に限らず、楽しむという心構えは何事にも必ず良い結果に繋がります。勝敗に拘り始めるとどうしても忘れがちになってしまいますが、どうかその気持ちをいつまでも忘れず、成長していって下さい。

そうすればきっと、誰よりも君達を理解して下さっている立花さんが山の頂上までの道を示してくれるでしょう。

私は二軍の監督ですから全国大会には行けませんが、私が育てた選手達と君達があの大舞台で戦える日が来るのを楽しみにしていますよ」

「はい!ありがとうございます!」

『ありがとうございます!』


もう一度お礼を述べ、奈月達は自軍のベンチに戻って行く。


ちょうど浦和学園の選手達も沙希への挨拶を終えたところのようで、途中ですれ違った。その直後――


「陽菜ッ!」


名前を呼ばれ、陽菜が立ち止まって振り返る。そこには同じように立ち止まって、彼女をじっと見つめる千紗がいた。


「なぁ……うちに戻って来いよ!もう投げられるようになったんだろ?だったらまた一緒にあたし達と野球をしよう?な⁉」

「千紗……」

「転校したら一年間は公式戦に出れないけど、それでも今なら二年生からは県大会の試合に出られる!だから……だからうちに戻ってこいよ!陽菜!」

「…………」

「ほう……?アタシらの前で堂々と引き抜きとは良い度胸してるじゃねぇか」

「お止しなさい。あなたの出る幕ではなくってよ」


指をポキポキ鳴らす梓を雅が制する。陽菜と千紗だけでなく、鶴川ナインも浦和学園ナインも足を止め、二人のやりとりを固唾を飲んで見つめていた。


「……ごめんなさい。千紗」


静まり返ったグラウンドの上で、陽菜はまず謝罪の言葉を述べると、千紗の目を真っすぐ見据えて続ける。


「あなたの気持ちは嬉しいし、浦和学園の皆にも返しきれない恩があるのは分かっているわ。でも、それでも私はこの鶴川というチームで……この人達と一緒に全国制覇を目指すって決めたから。

だからごめんなさい。私は、浦和学園には戻らない」

「そ、そんな……。なんでだよ!そんなにそこのおっぱいの大きい奴がいいのかよ!」

「ふみぃ⁉」


思わぬ流れ弾に奈月がビクンと体を震わせる。すると杏子が千紗の後ろに立ち、その頭に手加減無しでげんこつを振り下ろした。


「いい加減にするさね。私達には出来なかった事を鶴川の人達がしてくれたんだ。礼こそ言っても失礼な事は言うもんじゃないよ」


すまなかったね、と無理やり千紗にたんこぶの出来た頭を下げさせながら自分も謝ると、奈月は「お、お気になさらず!」と顔と両手をブンブン左右に振ってみせる。


「な、なんだよ!杏子は陽菜と一緒に野球がしたくないのかよ⁉」

「したいに決まってるだろ。けど、陽菜は私達じゃなく鶴川を選んだんだ。ならこれ以上、その決意に口を挟むのは野暮ってもんさね」

「杏子……」

「それに私達も中学の時とは違って、外部から入ってきた子らを加えて新しいチームとしてすでに動き始めてる。今さら陽菜に戻って来られても困るさね」

「あたしは困らないからな!杏子と違ってそんな薄情じゃないからな!」

「お前にも陽菜の代わりじゃないエースになれって言ってるんだよ」


もう一度げんこつをすると、千紗の頭のたんこぶが二段重ねのアイスクリームのようになった。


「ありがとう……杏子」

「礼なんていらないさね。私は本当の事を言ったまでさ」


そして杏子は陽菜の後ろにいる鶴川の仲間達に顔を向け、


「次に会うのは全国大会さね。そん時はまた負かしてやるから覚悟しときな」

「つ、次は負けません!」


奈月の言葉に、陽菜を含めた鶴川ナインも全員頷く。それを見て杏子は心の底から楽しそうに笑ってみせた。


「楽しみにしてるよ。じゃあな、鶴川」

「お前ら!陽菜の足を引っ張ったら許さないからな~!」


杏子はじたばたと暴れる千紗の首根っこを掴んでズルズルと引きずりながら、自分達の戻るべき場所へと向かう。


その後姿を見届け、陽菜も浦和学園に背を向ける。そこには今の仲間達が、自分の戻るべき場所として待っていてくれた。


陽菜は仲間達の顔を順に一人一人見てから言う。


「さぁ、私達も帰りましょう」

「はい!陽菜ちゃん!」


そして、ベンチで待つ沙希の下へ共に歩き出した。


後に秋月陽菜はこう語っている。


思えばあの日、自分は本当の意味で鶴川女子野球部の一員になれたのだと思う――と。


全国大会の予選である県大会まで残り二ヶ月。鶴川女子野球部は、また一つ確かな成長の兆しを見せていた。



【第一部 完】

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ふるすいんぐ! -鶴川女子野球部のキセキ- 玄月三日 @gengetsu-mika

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