第9話 父と子 前編
第九章 父と子 前編
雅が梓の勧誘を成功させていた頃、奈月達三人組はやっと穂澄の家の前まで辿り着いていた。
辿り着いたのだが……
「こ、ここ……ですよね……?」
「ひょ、表札には千葉って書いてあるし……多分そう……よね……?」
奈月と喜美は目の前にそびえ建つ立派な和風の門の前で、何度も地図とそれとを見比べていた。
まるで時代劇に出てきそうな威厳のある構えにただただ圧倒されていると、そんな二人を見かねた陽菜が、
「とりあえずチャイムはあるし押してみましょう」
言うが早いか、脇戸の近くにあったインターフォンのボタンを迷わず押した。
「あ、あんたのその度胸の良さがあたしには羨ましいわ……」
基本的に小心者の喜美が心の底から感心していると、少し経ってインターフォンから声が聞こえてきた。
「はい、どちら様ですか?」
「あ、あの!私、千葉穂澄さんと同じ鶴川高校に通う南と申します者なのですけど……!」
奈月の緊張はピークに達したままであったが、なんとか打ち合わせ通りに女子野球部なのは伏せて名乗ると、「あらあら~」という何やら嬉しそうな声が聞こえてきた。
「穂澄さんからお話は伺ってますわ。今そちらに参りますので少し待っていて下さいね」
言われるまま待つこと暫し。脇戸が開くと、中から着物姿の、糸のように目が細い綺麗な女性が出てきた。
「初めまして。千葉穂澄の母でございます」
「み、南奈月です!」
「さ、笹川喜美です!」
「秋月陽菜です」
丁寧に深々と頭を下げて挨拶され、奈月達も慌ててそれと同じように自己紹介をしていく。
「穂澄さんは今、道場にいらっしゃいます。ご案内しますのでどうぞ中へ」
招かれるまま脇戸を潜ると、開けた場所の少し先にすぐ道場らしき年季の入った木造の建物が見えた。その横に屋根付きの渡り廊下で繋がる、こちらはまだ新しめの二階建ての建物がある。どうやらそちらが自宅のようだ。
「わぁ……とても立派な道場です!」
「ふふっ、ありがとうございます。では私について来て下さいね」
最後に脇戸を潜って扉を閉めた穂澄の母親は、奈月の率直な感想に微笑むと、先頭に立って道場へと向かって歩き出す。
その足取りが一部の隙もない洗練されたものである事には、武道に関してド素人の奈月達では気づくはずもなかった。
「こちらへどうぞ」
渡り廊下側の扉から道場の中へ通され、上座に座るよう促される。
そこには穂澄の父親だろうか。胴着を纏い、鼻の下に立派な髭を生やした威厳のある男性が正座で座っていた。
奈月達は彼から少し距離を置いた場所に腰を下ろすと、他にも道場内で座っている門下生同様、正座で姿勢を正す。
「あなた。穂澄さんのお友達がお見えになりましたわよ」
「うむ」
しかし父親は目の前で行われている試合稽古からは目を離さず、短く返事をしてみせただけで奈月達のほうを見ようともしない。
それに対して母親はやれやれと言った表情をすると、
「ごめんなさいね。この人、稽古中はいつもこうなんです。今やってます試合稽古が終われば気づいてくれると思いますから」
「は、はぁ……」
とりあえず歓迎されていない訳ではないと分かり、奈月と喜美はホッと胸をなでおろす。
そこで道場の右端にいた胴着姿の穂澄と目が合い、彼女は顔の向きは正面に向けたままに、けれど母親によく似た優しい微笑みをこちらに向けてくれた。
「今お茶をお持ちしますから、ゆっくりしていって下さいね」
「あっ!お、お構いなく!」
最後に母親はもう一度微笑むと、渡り廊下に繋がる扉を静かに開け、その場から姿を消した。
残された奈月達は、とりあえず目の前で行われている試合稽古と呼ばれていたものを観戦する事にした。
その名の通り実際の剣道の試合のように防具を身につけ、向かい合った二人が竹刀を何度も突きつけ合いながら、お互いの間合いを計っている。
昨日の学校の道場とは違い熱気こそ感じられないが、代わりにひりつくような緊張感が奈月の肌にもビリビリ伝わってきた。
どちらが先に動くのか。奈月がごくりと喉を鳴らした、まさにその瞬間だった。
「メエェェェェンッッッッ‼」
気迫が込められた咆哮と共に、信じられないスピードで必殺の間合いに踏み込んだ片方の男が、相手の頭上目がけて竹刀を振り下ろす。
次の瞬間にはパシィィンッッ!という乾いた痛そうな音が道場内に響き渡り、審判が持っていた旗を揚げた。
「勝負あり!」
一瞬で決まってしまった勝負に、奈月は目をパチクリさせて驚くしかなかった。
けれど、その一瞬にどれほどの練習を重ねてきたのかを理解すると、礼をして試合を終えた二人に自然と拍手を送っていた。
「うむ。……ん?君達は……」
そこでやっと父親は奈月達に気づいたようで、正座をしたまま器用に体をこちらへと向けてきた。
「あっ……。わ、私達は穂澄さんと同じ鶴川高校に通う……」
「ああ、やはりそうか。娘から話は聞いている。初めてお目にかかる。私が穂澄の父だ」
見ているこちらが惚れ惚れとするほど、洗練された動作で座礼をしてみせる穂澄の父。奈月達も見よう見まねでそれに倣うと、なんだか時代劇の武士になったような気分であった。
「ちょうど次が穂澄の番だ。未熟者ゆえお見苦しいだろうが、どうか見てやってくれ」
父親はそれだけ言うと、再び体を正面に戻す。奈月達も言われた通り、防具を付けて道場の中央へと向かう穂澄へと意識を集中する事にした。
試合前の礼を終え、審判の「始め」の声と共に両者が動き出す。
先程の試合同様、まずはお互いに竹刀の先で間合いを計り合うと、動いたのは相手の方であった。
目にも止まらぬ打ち込みを穂澄は竹刀で受け流すと、そのまま鍔追り合いへと持ち込む。
竹刀を握る拳で、相手の拳を上から押さえつけるように力を込める。当然、相手もそれに負けないよう、逆に下から穂澄の拳を持ち上げようとする。
すると穂澄は突然、拳の力を抜いて上へと『逃がした』。結果、抑えつけられていた相手の手元が力を反発させていた場を失い、流れて一瞬浮いてしまう。
その一瞬の隙を見逃さず穂澄は体を引きながら、がら空きになった相手の銅へと竹刀を叩き込んだ。そして審判の旗があがる。
「胴あり!一本」
まさに電光石火の一撃。お手本のような引き銅であった。
「えっ?なに?なにが起こったの?」
あまりの動きの速さに、喜美の目は全く追いついていなかった。陽菜も同様である。
そんな中で唯一、ずば抜けた動体視力を持つ奈月だけが、なんとなくであったが一連の動きを追うのに成功していた。
「凄いです!グッとしてから両手をパッと上げて、そのまま相手のお腹にバシーンでした!」
「いや、あんたの説明は擬音だらけで分かりにくいんだけど……」
「とにかく千葉さんが凄かったって事ね」
「はい!そうです!」
三人のやり取りを穂澄の父は顔を正面に向けたまま聞きながら、奈月の目の良さに感心していた。
そして続く二本目も穂澄が一本を取り試合を決めると、そこで一旦休憩となった。
「あらあら。ちょうどよかったみたいですわね」
と、お茶を運ぶ穂澄の母が戻ってきた。奈月達にそれを配ると、「よければこちらもどうぞ」とおにぎりが乗ったお皿までくれる至れり尽くせりの配慮である。
ちょうどお昼ご飯をどうしようかと考えていた奈月達は、それをありがたく頂戴する事にした。
「秋月殿!南殿!笹川殿!よくお越し下さった!」
「あっ!千葉さん、お邪魔してます!」
絶妙な塩加減のおにぎりに舌鼓を打っていると、防具を脱ぎ、汗を拭き終えた穂澄が挨拶をしに来た。
「凄かったわよ。あたしなんて速すぎて何が何だか分からなかったわ」
「いや、私などまだまだで……」
「確かに今日は動きに無駄が多いな。友人の前で良いところを見せようとでも思ったか?未熟者が随分と自惚れたものだ」
「も……申し訳ありません……父上……」
友人達の前で浮かれていた穂澄だったが、父に口を挟まれると一瞬にして消沈してしまう。
あれの一体何が悪かったのか分からない素人軍団の奈月と喜美がそのやり取りにおろおろしてると、
「まぁまぁ。今はそのお友達の前ですよ、あなた」
「む……。これは失礼をした」
母親がフォローに入り、なんとか空気が元に戻りかけると、不意に陽菜が立ち上がった。
「あの、すみません。お手洗いをお借りしたいのですが」
「ああ、では私がご案内しますわね」
ちょっと行ってくるわね、と奈月に一言残すと、陽菜は穂澄の母に連れられ自宅の方へと向かった。
「ところで君達は剣道に興味があるのかね?」
「父上。この者達は女子野」
「わーわー!そ、そうです!学校の道場で稽古をしてる千葉さんを見て格好いいなと思いまして!ね!ね⁉奈月⁉」
「え⁉あっ……は、はい!そうですよね⁉喜美ちゃん⁉」
穂澄が自分達の正体をバラそうとしたのを慌てて誤魔化すと、彼女は不思議そうな顔をしてみせた。
「では少し竹刀を振ってみないかね」
父の方も特に気にした様子もなく立ち上がると、壁に備え付けてあった竹刀を取り、奈月と喜美それぞれに一本ずつ手渡す。
そして自身も竹刀を手に取り道場の真ん中に立つと、「ここへ好きなように打ち込んでみるといい」と竹刀を持った右腕をそのまま横へ広げてみせた。
奈月と喜美は顔を見合わせると、とりあえずやってみましょうと合意し、一緒に立ち上がる。
「どちらからでもよいぞ」
「じゃ、じゃああたしから……」
まず喜美が一歩前へ進み出ると、目の前で水平に構えられた竹刀に向けて、スイカ割りのように大きく振りかぶった自身の竹刀を叩きつけた。
バシーン!と竹刀がぶつかり合う音が道場に響き渡る。同時に竹刀を握る喜美の両腕にも痺れるほどの衝撃が伝わってきた。
「うむ。いい打ち込みだ」
それを穂澄の父は平然と片手で受け止めていた。しかも構えていた高さから竹刀が全く動いていない事に、喜美は目を丸くしていた。
「はっはっはっ。驚いたか?父上の手首の強靭さは並ではないからな」
その様子を眺めていた穂澄が、まるで自分の事のように誇らしげに言ってくる。
「そのまま私が止めるまで連続で!」
「は、はい!」
喜美は言われるままに何度も竹刀を振り上げては打ち下ろす。何回…何十回と繰り返し、いい加減、腕が重くなり始めてきた時だった。
「次!最後!」
やっと許されたゴールに最後の一撃を放つと、喜美はへとへとになりながら、その場にへたり込んだ。
「き……きっつぅ……・これはいい運動になるわ……」
「では次、来なさい」
「は、はい!」
肩で息をしながら、穂澄に差し出されたタオルで額に浮かぶ汗を拭う喜美と奈月は入れ替わると、見よう見まねで竹刀を正眼に構える。
そして喜美よりもコンパクトに。しかしスピードを乗せた竹刀を一閃させると、短く鋭い音が道場に響き渡った。
「ほぉ……」
その音を聞いた穂澄が感嘆の声を漏らす。
そのまま喜美の時と同じく奈月も打ち込みを繰り返すが、途中からノッてきたのか「ふみっ♪ふみっ♪ふみっ♪」と謎のリズムを口で刻みながら、いつの間にか喜美以上の回数をこなしていく。
「よし!最後!」
「ふみぃっ!」
最後に今日一番の快音を響かせると、穂澄の父は満足そうに「うむ」と頷いてみせた。
手応えを感じていたのは奈月も同じようで、幼馴染のほうを振り返って額の汗を腕で拭うと、
「喜美ちゃん!剣道って凄く楽しいです!」
すっかりここへ来た本来の目的を完全に忘れている、達成感に満ち足りた笑顔で言っていた。
「君は筋が良いな。何かスポーツをやっているのかね?」
「あっ、はい。女子野球を……」
そこまで口を滑らせて、奈月は「あ……」と青ざめた。
「じょ、女子野球を……」
何故か繰り返すと、再び喜美へと向けて首をギギギ…とぎこちなくまわして助けを求める。しかしそこには「……あちゃ~……」と右手で顔を覆う幼馴染の姿があった。
「野球……だと……?」
地獄の底を這うような低い声が聞こえ、奈月はビクンと身を震わせる。
恐る恐る声の主――穂澄の父親のほうを覗き見ると、ちょうど表情を怒へと変えていく瞬間であった。
「穂澄。どういう事だ。野球は中学までという約束であったな?」
「ち、違うのです父上!確かに南殿らは女子野球部の者ですが、私はすでに入部の誘いはお断りさせていただいております!」
「やはりお前を拐かしに来ておったのか」
「ですからそれは誤解だと……」
「お前は黙っておれ!」
「――――ッ!」
一喝され、穂澄が口だけではなく体までも動けなくなる。
ギロリと娘を睨みつける目はそのまま奈月達にも向けられ、その迫力に二人は抱き合ってガクガクと震えた。これは生きて帰れないかもしれないと本気で覚悟するほど、父親の目は殺気で溢れかえっていた。
そこで休憩を終えた門下生達が帰ってきたが、父親は「今日はこれで終いだ」と閉め出してしまう。バシン!と道場の扉と窓も全て閉めると、改めて奈月達の前で仁王立ちしてきた。
「穂澄はこの道場の跡取りだ。千葉の剣を修めるためには、これ以上野球などに現を抜かしている時間などない。それは理解頂けるな?」
「は、はい……」
「ならば二度と娘には近づかないで頂きたい。穂澄!」
振り向かず背後にいる娘の名を呼び、父親は話を続ける。
「これはお前の甘さが招いたお前の責だ。この場でこの者達と縁を切り、お帰り頂け」
「そ、そんな……。それはあまりにも無体な……」
「口答えをするな!」
再び一喝され、穂澄が身を竦ませる。拳を強く握り締め、体を小刻みに震わせながら目を閉じると、やがて今にも泣きそうな困った顔で奈月達の前に立つ。
「……すまぬ、南殿。笹川殿。父の申す通り、私にはこの道場を継がねばならぬ使命がある……。たった二日間ではあったが、貴殿らと知り合えて私は幸せであった……それだけは覚えておいてほしい……」
「千葉さん……」
すまぬ……と頭を下げる穂澄に、奈月も喜美も何も言えなかった。否。何を言えばいいのか分からなかった。
――しかし、彼女だけはそうではなかった。
「本当にそれでいいの?千葉穂澄」
声は――陽菜であった。いつの間にか道場に戻ってきていた彼女は、手に使い古されたスポーツバッグを持っていた。
「私が野球の試合で対戦したあなたは、どれだけ点差が開いた逆境であっても最後まで諦めない選手だったわ。その時のあなたはどこへ行ったの」
「秋月殿……これは野球の試合ではござらん。それに父上との約束は違えられぬと昨日も申したはずだ……」
「だから大好きな野球も諦めるの?」
「……確かに今でも野球は好きだが、未練はもうござらん」
「嘘よ」
陽菜は穂澄の言葉をはっきり否定すると、持っていたスポーツバッグを開けていく。そして穂澄に中が見えるように向ける。
「そ、そのバッグは……!」
「だったら、どうしてお父さんに捨てるように言われていた『これ』を部屋に隠していたのかしら」
そこで初めて穂澄は、陽菜が手にしていたのが中学時代に自分が使っていたものだと気づいた。
当然、中に何が入っているのかも知っている。そのバッグの中から見える物――野球のグローブから穂澄は目を逸らした。
「お母さんにお願いして、あなたの部屋に入らせてもらったわ。そうしたら予想通りこれが見つかった」
陽菜がお手洗いへ案内されている途中、渡り廊下を先に歩きながら穂澄の母親は小さく鼻歌を口ずさんでいた。
そういうタイプには見えなかった陽菜が後ろで不思議そうな顔をしていると、それに気づいたのか母親は足を止めて振り返り、
「あら、ごめんなさいね私ったら。穂澄さんが家にお友達を招くなんて久しぶりですから、つい嬉しくなってしまいまして」
「そうなんですか?」
穂澄は固そうな性格をしているが、社交性は有りそうだし友達が少なそうなイメージも陽菜にはない。
首を傾げていると、その理由を母親は説明してきた。
「物心ついた頃から剣道ばかりさせていましたから。夫はこの道場の跡取りとして穂澄さんを育て、あの子もその期待に応えようと友達と遊ぶ時間を削って稽古に励んでいましたの」
「でも……中学の頃は女子野球もやっていましたよね?」
「ええ。お友達に全国大会へ行きたいから是非とも力を貸してほしいと言われたそうでしてね。当時のあの子は千葉の剣を受け継ぐ使命に強く囚われすぎていて、早い話がスランプに陥ってましたの。
それで気分転換になればと、私から夫に剣道との両立を条件に頼み、やらせてみる事にしたのですわ」
陽菜が「なるほど……あの子が野球をしていたのにはそんな理由が……」と納得していると、母親は話を続ける。
「穂澄さんにとって野球は思いのほか楽しかったようでしてね。日に日に家での口数も戻ってきて、剣道にも良い影響を与えていました。ですが千葉の剣を受け継ぐ以上はあくまで気分転換。
高校からは本格的に剣の道に励んでもらわなければそれも叶いません。野球が中学までという約束もそのためでしたわ」
そして何かを言いかけて、母親はかぶりを振った。
「……いえ、これ以上は私が何を言っても栓無きことですわね。ごめんなさい、立ち話の上に無駄話まで聞かせてしまって」
再び歩き出した母親の後姿を見つめながら、陽菜の中には疑問が生まれていた。
なぜ彼女は自分にこんな話をしたのだろうか。もしかすると自分達が女子野球と関わりの有る者だと気づかれているのかもしれない。
だから釘をさしてきた。そう考えれば一応の納得はいく。
けれど――何かが引っかかる。そのモヤモヤの理由であった、穂澄の事を語る母親の顔が、自分の母の『それ』と重なった瞬間、陽菜は確信へと辿り着いた。
「あの……一つお願いがあるんですけど……」
「はい。なんでしょう?」
今度は顔だけをこちらに振り向かせてきた母親に陽菜は言う。
「穂澄さんの部屋を見せてもらえないでしょうか?」
「……理由をお伺いしても?」
「確かめたいんです。彼女が本当にもう野球に未練がないのかを」
「確かめて――どうするおつもりかしら?」
母親が細い目をスゥ……と開く。心臓を刀で貫かれたと錯覚するほど鋭い視線に、陽菜はゾクリと背筋が凍りつくのを感じた。
それでも陽菜は覚悟を決めると、さらに前へと踏み込んでいく。
「未練が有るのなら連れ戻します。私は……いえ、私達はそのために今日ここへ来たんです」
「あらあら……私は千葉の妻ですよ?言うならば穂澄さんに野球をさせようとするあなた達とは敵。そう言われて、はいそうですかと言うとでも思いましたか?」
「……いえ、お母さんは私達の敵ではありません。味方でもありませんが、穂澄さんの味方ではあるはずです」
「……どうしてそう思ったか理由をお伺いしても?」
陽菜は頷くと、一度目を閉じて思い出す。うざいくらい自分を愛してくれている、母親の顔を。
「穂澄さんの話をしている時のお母さんは、私の母と同じでした。子供の事が大好きで、愛してくれている人の顔です。そんな人が、子供の気持ちを無視して、無理やり自分達の都合を押し付けようとするとは思えません」
そして真っすぐ穂澄の母親の目を見据え言い切った。母親も目を逸らさず、陽菜を見つめ返してくる。
静寂が辺りを支配し、道場からは竹刀がぶつかり合う音が聞こえてきていた。
「ふふっ、合格♪」
――と、母親は目をまた細め、自分の顔の前で両手をパンッと合わせてみせた。
「良いお母様をお持ちなのね」
「はい。自慢の母です」
迷わず言い切った陽菜に、母親は「あらあら~」となぜかそちらが照れていた。
「一度野球を捨てた私に、もう一度野球をやる事を許してくれた母でもあります」
「……なるほど。そんなあなたに穂澄さんと私は出会った。ならば、これは天命なのでしょうね」
母親は静かに頷くと、優しい微笑みを浮かべて言葉を続けた。
「穂澄さんのお部屋にご案内しますわ。どうぞついてきて下さい」
【続く】
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