第4話
どうやら彼女は誤解をしている。いや、実は誤解という言い方も正しくはないのかもしれない。誤解ではなく知らないという表現が正しいのだろうか。
彼女が誤解していることは二つ。
一つ、久しぶりに会った彼女は私と彼女が初対面だと誤解している。いや、すごく久しぶりに会うから私だとわからないのかもしれない。私も初めは彼女が分からなかった。
二つ、どうやら彼女は自分が怖がられているから人々は自分に近づかないのだと思っているらしい。
これも大いなる誤解だ。人と接しないからわからないのかどうかは知らないが少なくとも私が知る限りでは、モデルをやっていないことが不思議なくらいのスタイルと整った顔立ち、それでいて病弱で儚さを感じさせる雰囲気で、人々からは人気があるというか崇拝されているまである。
私は今、風見ハイツの共同スペースでここの寮母だという三澄さんに出してもらった紅茶を飲みながら頭を整理しているところだった。
彼女、
「今日は、本当にありがとう。」
私が考え事をやめて顔をあげると、向かいに座っていた三澄さんが、ふっと口を緩めて笑った。大人びた女性でぱっと見た感じ、歳は20~22歳くらい。背がすらりと高く、私と同じくらいはある。凛とした瞳は意志の強そうな光を持っている。
「あ、いえ。」
私が返すと、彼女はにこにこと笑って
「恋ちゃんにもいい友達ができたようで私は嬉しいよ。…そうだ、柊ちゃんのことももっと教えて?」
フレンドリーな三澄さんに言われるがままに自分で挙げられる自分というものの特徴について考える。
「私のこと…ですか。そうですね…。最近ここに引っ越してきたばかりですね。中二の半ばくらいに。なのでまだ勝手がわからなかったりします。あとは運動は割と好きですね、特にバスケとか。…で、部活はどこに入ろうか今迷ってます。中高一貫だから、中三になってからじゃ遅いってこともないし。趣味はランニングで、昼寝も好きです。」
「好きな食べ物とかも教えてよ。君が来た時に作るかもしれないし。」
「好きな食べ物…カレーが一番好きですね。あとは焼きそばとかうどんも。」
「うんうん。」
「っていうか私、またここにきてもいいんですか?」
私が問うと三澄さんは心底不思議そうに首を傾げそれからひどく優しい口調で話した。
「あのね、君なら知っているかもしれないけど恋ちゃんは人にあまり心を開かないんだよ。」
「確かに。」
思わず食い気味に肯定してしまった私を横目に見ながら、三澄さんは話を続ける。
「だから恋ちゃんがこの寮に友人を連れてくることなんてめったにないの。たとえ体調が悪くても助けを求めないんだよね、あの子は。そんな恋ちゃんが今日は体調が悪かったとはいえ明らかに君に対しては心を開いているようだった。それが素直にうれしいんだ。」
「…そう言っていただけてとても光栄ですね。」
「それにさ…。もうここに来た時点で、君もここの住人みたいなもんだから。だから毎日来ても良いよ。」
不意打ちだった。そういう「本心からの優しい言葉」をもらうのは久しぶりだったから。
「ありがとうございます。三澄さん。」
と告げると、三澄さんは
「マコトでいーよ、柊ちゃん。こちらこそありがとうだし。良ければ恋ちゃんの様子見てかない?」
と言う。私からしてもとてもうれしい提案だったから
「はいっ」
と返事をするとマコトさんは「いー返事」と笑って私の髪をくしゃりと撫でた。
先ほどは部屋の中には入らなかったけど今から彼女の部屋に入るのだと思うと緊張した。マコトさんはほかの寮生に呼ばれたとどこかに行ってしまい、私はここに残された。
少し動揺、割と興味、ほんのちょっとだけ罪悪感。
コンコン。
意を決してドアをノックし、声をかける。
「式波だけど、ゼリーとか持ってきたから中に入ってもいいかな?」
「…どうぞ。」
「おじゃましまーす。」
了承を経てゆっくりとドアを開けると、彼女はベッドで少し顔をしかめて天井を見ていた。きれいでシンプルな部屋でここが矢神の部屋なのだと思うとやはり少し緊張した。部屋の窓際の隅にベッド。それから勉強机やローターブルなどが置いてる。
あんまり見ていると失礼になるから、矢神の寝ているベッドに近づいてそのわきの小さなテーブルにゼリーや冷えピタなどを置いた。
「調子、どう?」
「おかげさまで。」
少しお話をしたりしたほうがいいのかとも思ったがあまりにも返事がそっけないのでとりあえず早く楽にしてあげるべきかなと思い、看病に移る。
「冷えピタ、張り替えるよ~。」
「…うん。」
暑そうなので額に貼ってあったぬるくなった冷えピタをはがし、新しいのをはる。矢神の表情は少し緩んで、私は少しほっとした。
「ゼリーも、食べる?」
「……ん。」
蓋をはがしたゼリーとスプーンを用意して矢神のほうを見ると、ゼリーを食べたいといった割には動こうとしないというか自力で起き上がるのすらキツそうだった。でも何かしら食べないと薬が飲めないので、
「体起こすよ~。」
と声をかけて、両脇に手を入れ少し引っ張ってヘッドボードにもたれさせる。それからスプーンをゼリーを渡そうかと思ったが、今の彼女にはそれすらもなんだか微妙な気がしてゼリーを掬い、彼女の口に運ぶ。
「あーん。」
「…自分で食べれる。」
そんなわけない、と思うが、こういうタイプはいくら言い聞かせようとも全く聞かない時もある。彼女には今が他人に頼った方がいい時であると、この際はっきりと自覚させるべきだろう。
「いーよ。じゃあ、はい。」
スプーンを彼女に差し出し、ゼリーの容器を持たせる。
彼女は少しおぼつかないながら、ゆっくりとゼリーをすくっては食べ、すくっては食べる。その姿を眺めながら、今までもこうだったのだろうかとふと思う。彼女が今まで一度も風邪を引かなかったなどということあるはずない。
その度に彼女はいつも、自分で全部なんとかしていたのだろうか。それとも彼女はただ甘えるのが下手なのか。それにしても、手伝わせるということを、頼るということをひどく嫌っているように見える。何がそんなに苦手なのかはわからないけど、そんなに怖がることないのに。
「…式波さん。」
「んー?」
「……手。」
「手?」
そう言われて手に目をやって気づいた。
「わわわ、ごめん!」
どうやら私は無意識に矢神のことを撫でていたようだ。
「…ん。」
「薬持ってきたから、飲みなよ。」
持ってきたものの中に入っていた薬の袋から薬を一つ出して渡す。
「飲む…でもこれじゃない。」
しかし、渡した薬はどうやら間違っていたようだ。
「どれか教えてくれたら探すよ?」
「良い。自分でやる」
短くそう言って薬を探す矢神はまるで懐かない猫のようだと思う。そばに寄ってくれたかな、と思ったらいつの間にか二倍遠いくらいのところに逃げている。
錠剤を口に含んで水を飲み、矢神は思いっきり顔を顰めた。
「薬嫌いなの?」
「…嫌い。」
「そうかそうか、じゃあ飲めて偉いねぇ。」
今度は意図的に頭を撫でたら、
「式波さん」
と少々戸惑ったように言われたので、パッと手を退けた。それに対して矢神は複雑な顔をして、でも仏頂面であることに変わりはない。
「…私眠くなってきたから寝る。」
矢神は布団に今度は自力で潜り込んでふいと窓側の方を向いた。これ以上食い下がるのもあまりよろしくないと思った私は、
「お大事にね。」
と言って、必要そうなものだけ置いて部屋を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます