遺書

海猫千倉

遺書

 僕が担当したのはある少女だった。少女は目の見えない文字書きだった。

 「せんせい、私の代わりに代筆してくれませんか」

 僕は彼女の物語を記した。何冊も何冊も記した。ある時はハラハラするアクション、またある時は謎に翻弄されるミステリ。少女は見てきたことのように楽しそうに語った。

 しかし病状は日に日に重くなる。少女の語り口も重くなっていく。

 「せんせい、私、治らないのね」

 彼女は泣かなかった。代わりに物語を紡いだ。彼女は夢を見ているようだった。僕はただ紙に物語を書き殴った。


 ある日、いつもの通り少女のベッドに赴くと、彼女は窓の方を見ていた。見える筈がないのに、少し空いた窓の冷たい風と、揺れるカーテンを眺めていた。

 「せんせい、また代筆をお願いします」

 少女は笑った。最近は全く笑っていなかった彼女の顔は、切なげに歪んでいた。

 「遺書を、お願いします」

 そう言った。少女はそう言った。僕には、彼女がそう言うとなんとなく分かっていた。

 「少女ちゃん、遺書は代筆出来ないんだよ」

 数多の物語を紡いだ少女は絶句した。博識な少女はそんな事も知らなかったらしい。

 「じゃあ、私は、死ぬことも出来ないのね」

 私の筆となったあなたに、何も遺せないのね。

 そう言う。僕はただ笑った。

 「少女ちゃん、僕はね、君の物語を一番に聴いて、それを書き記すだけで、それだけで幸せだったんだよ」

 少女は目を丸くした。丸くしたところで何も見えない。

 「……そう、じゃあ、良かった」


 少女は翌日亡くなった。後には彼女の物語と、少女の世界を求めた人達からの莫大なお金が遺った。それらはすぐに少女の家族に引き取られた。僕は、少女が語り、僕が記した本の群れを手に、世界を旅する事にした。


 目の見えない彼女の見ていた世界は、果たしてどこにあるだろうか。

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遺書 海猫千倉 @Chugura_Umineko

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