第3話―傷ついたバケモノたち―

 翌日、純菜の家に集まりまた練習をする。

 みんな、昨日よりも息があっており、バンドとしての成長を感じられた。

「すごいすごい! これだけ息ピッタリなら私たち、バンドとしてビッグになれるよ!」

「ビッグになるかはともかく、気持ちいいわね。音が合うっていうのは」

「うん。ボクも一人で弾いてる時より楽しかったし」

「そうでござるな。音楽はみんなでやった方が楽しいでござる」

 外は熱いが室内はエアコンにより冷たい空気が循環している。

 しかし私たちは汗だくだ。滝のような汗。それだけ本気で打ち込んでいるのだ。

「あ、そうだ! 私、すごく今更なこと思ったんだけど、いいかな?」

 みんなが私のほうに注目する。

「私たち、まだバンド名決めてないよね!?」

「あー、確かにまだ決めてないな。でもいいんじゃない? あたしたち、別に売り出そうってわけじゃないんだろう?」

「売り出さないんでござるか!?」

「何驚いた顔してんだよ。だって趣味で集まってやってるバンドだろう?」

「売り出さないの!?」

「マリナもか……鈴原はどう思ってたんだ?」

 凪の問いかけに真弓は首を捻り考える。

「う~ん……ボクはどっちでもいいかな。みんなでやって楽しかったらそれでいいと思う」

「だそうよ?」

「うむむ……それは困ったでござるね……高藤に頼んでレーベルを作ってもらってるところなんでござるが……」

「さすがというかなんというか……」

 凪は頭を抱えてうつむいた。極道の行動力についていけないらしい。

 かくいう私もレーベル作成については驚きしかなかったが。

「で、でもほら、デビューとかどうこうは関係なくさ、バンド名って必要だとボクは思うんだけど……一体感って言うのかな? そういうのが生まれると思う」

「あーしは賛成でござるよ! というわけで賛成3、反対1でござるな」

 にやにやという純菜に、凪は食ってかかる。

「あたしは別に反対って言ってないし! どちらかといえば反対派ってだけだから!」

「それって反対って言うんじゃ……」

 ぼそりとつぶやいた真弓を凪はキッと睨んだ。

 真弓はビクリ、と肩を震わせ縮こまってしまう。凪はなぜか勝ち誇った顔を浮かべているが。

「とにかく、バンドの名前決めちゃおう!」

「あーし、お菓子用意するでござる!」

 純菜は大量のスナック菓子と一緒に、なぜかスケッチブックも持ってきた。

「こういうときって紙に書いて発表するんじゃないでござるか? 大喜利みたいに」

「大喜利でバンド名決めていいのかよ……」

 こうしておやつを食べながらバンドの名前を決めることに。

 私たちはお菓子を口に放り込みながら唸り、スケッチブックとにらめっこだ。

 みんな手が進んでいない。私も言い出しっぺながらどんな名前にしようか思い浮かばない。

「じゃああーしから行くでござるよ!」

 と、手を上げたのは純菜だった。

 純菜は自信満々にスケッチブックを見せる。

「ロック・ドラゴン! なんてどうでござるか!」

「却下だな。男子小学生じゃあるまいし。幼稚だよ」

「ま、まぁまぁ。そういうのは理由を聞いてからにしようよ。なんでロック・ドラゴンなの?」

「それはあーしが10歳の時でござる……そう、あの日は確か雨が降ってたでござる」

 そう言って純菜は遠い目をして語り始めた。

凪が肘でこちらを小突いてくる。止めろ、とでも言いたげだ。

しかし昔を思い出すことに酔いしれている純菜を止めることなんてできない。

「あーしは父さまと一緒にラーメンを食べに行っていたでござる……そこの大将さんは大のロック好き、店内はバンドのポスターまみれだったでござる。父さまとラーメンを食べてると、そこに刺客がやってきたんでござる! まさに大ピンチ! けれど父さまは見事に刺客を返り討ちにしたんでござる! しかもラーメンのスープに血が入らないように高度なガンテクニックだったんでござるよ! あれはロックだったでござるなぁ」

「……で、その店の名前がロック・ドラゴンってオチ?」

「そうでござる!」

「却下だ!」

 すがるように純菜がこちらを見ているが、私は苦笑いしか返せない。

 残念ながら私も却下だ。

「じゃあ凪殿はどうでござるか!? そんなに強く却下っていうなら、よっぽどいい名前でござるよね!?」

「はぁ……仕方ないわね。あたしのセンスに酔いしれなさい!」

 ばん! とスケッチブックをみんなに見せる凪。その顔には満面のどや顔が。

「アナーキー・イン・ザ・JKでござるか?」

「なんかその名前のマンガ見たことあるような……」

「じゃ、じゃあこれだ! 21世紀の精神異常女子高生!」

「却下でござる。あーしたちこの見た目で精神までおかしかったらほんと変人でござるよ」

「じゃあJK・イン・ザ・ミラー!」

「これもパクリでござるね。それにそろそろJKから離れるでござるよ」

 洋楽をもじった凪の案もすべて却下された。

 あんなにどや顔を決めていた凪も、今は唇を尖らせ拗ねてしまっている。

「マリナ殿はどうでござるか? 言い出したからには、いいのを期待してるでござる」

「えっと……みんな深く考えすぎてるのかも。ここはひとつの単語とかにした方がシンプルでかっこいいと思う」

 というわけで私もスケッチブックをみんなに見せた。

「UDON。これほどまでにシンプルなものはないと思うの」

 凪と純菜は自分の目を疑うようにスケッチブックを凝視している。

 どうやら私のセンスに思考が追い付いていないようだ。

 二人はお互いに顔を見合わせて、呆れたように大きく息を吐いた。

「ないでござるね。シンプルの意味を履き違えてるでござる」

「うん。無いわ、うどん、無いわ。あたしよりセンスないだろ。いや、決してあたしのセンスがないってわけじゃないけど」

「嘘!? じゃ、じゃあこれは!? GYUDON!」

「マリナ殿はうどんから離れるでござるよ」

「ダメか……」

 私はがっくりと肩を落とした。結構自信があったのだけれど……

 残るは真弓だけだが、彼女は私たちにかまわず黙々とスケッチブックに何か書いていた。

 その瞳は真剣そのもの。声をかけるのもためらわれるくらいだ。

「真弓のは、出来上がるまで待ってようか」

 うん、と二人はうなずき真弓の完成をゆっくりと待った。

 10分後、真弓は、できた、と大声を上げる。その声は自信に満ちていた。

 しかしそれとは裏腹にもじもじとし、こちらに見せることをためらっている。

 だから私は真弓の肩にそっと手を置き、優しく言った。

「大丈夫。真弓が真剣に考えたんだもん。みんなバカにしたりしないよ。だから見せてほしいな」

 そう、真弓は少なくとも私たちよりセンスはいいはずだ。それに私たちの誰よりも真剣に考えていた。

 そんな彼女の考えをバカにするなんて、友達でも何でもない。

「じゃ、じゃあ……見せるね……」

 真弓は覚悟を決め、ゆっくりとスケッチブックを見せてきた。

 そこにはカラフルに彩られたバンドのロゴが描かれていた。

「The/Freak/MonsterZ……」

「う、うん……FreakとMonsterってボクたちにぴったりの単語だと思うんだ……周りと違う、普通じゃないから。・じゃなくて/で区切るのも周りから切り離されてるって感じで……SじゃなくてZを使うのも周りと違うかなって感じで……あ、でもみんなは嫌だよね……自分がノケモノのバケモノだって言ってるみたいで……」

 二人も私も、ロゴをじっと見つめる。

 カラフルな色遣い、しかしどこかおどろおどろしいフォント、ポップとホラーが一体と化したようなイメージだ。

 それにバンド名もちゃんと私たちを表している。

「ううん、いいと思う……これ、絶対いいよ!」

 だから私は真弓に賛成する。

「へぇ。なかなかいいんじゃねぇの? バンド名もそうだし、ロゴのデザインもいけてる」

「かっこいいでござる! これ、ほんとにあーしたちが名乗っていいでござるか!?」

「真弓、ありがとう! すっごくいいバンド名! うん、これから私たちはThe/Freak/MonsterZだよ!」

 私は真弓の手を握り、そう言った。

 彼女は嬉しそうに瞳に涙をためて、頷いた。

 このバンド名を考えて発表するのにはとても勇気が必要だったと思う。

 けれど彼女はちゃんとそれを私たちに見せてくれた。

 私たちを信頼してくれたからこその結果だ。

 そうしてこの瞬間、The/Freak/MonsterZは誕生した。

 私たちの青春を彩る、最高のバンドが。


「それじゃあ練習始めよっか」

「あ、その前にお菓子とか片付けるでござる。みんなはここで待っててほしいでござる」

 お菓子を入れていた器を片付けるために部屋を出た純菜。そのすぐ後に高藤が部屋へやってきた。

「高藤さん? どうしたんですか? 純菜ちゃんならお菓子片付けるって」

「いえ、マリナ嬢。少しお話が……」

「え? 私?」

 はい、と高藤はうなずいた。いったい何の話だろうか。

 まさか娘に何変な事させてるんだ、とおしかりを受けるのだろうか。そしたら山に埋められたり海に沈められたり……

「あ、いえ、そういう不穏なお話ではないんでご安心を。お嬢のことで、少し」

 どうやら顔に出ていたようだ。高藤は苦笑いでそう言った。

 私は高藤に連れられ、廊下を歩いていく。

 長い廊下だ。すれ違う人がみんなこちらを見ては頭を下げてくる。

「すごいですね……なんだか映画かアニメみたい」

「自分らの間ではこれが普通なんですけど、やっぱり外から見たらおかしいですかね」

「いえいえ、おかしいなんて! ちゃんと挨拶できててえらいなぁって。お辞儀もぴっちりとしててキレイですし」

「あはは、そうですか」

 高藤はそう言って笑ったが、ある部屋の前で立ち止まった瞬間、その笑みも止んだ。

「この部屋ってもしかして……組長さんの部屋だったり?」

 部屋に入らずとも空気で分かる。この部屋だけ異様に空気が重いのだ。

 高藤は真剣な面持ちでうなずいた。

「えっと……一応確認だけど、私、これから指落とされたりとかそういうの、無いよね?」

「えぇ、外部の人にそれはありません。親父はいい人ですけど礼儀だったり上下関係ってのを重視するんで……いまだに緊張してしまうんですよ」

「そうなんですか……」

 高藤につられて私も表情を引き締めてしまう。この先に極道の組長がいる、それだけで心臓がバクバクと高鳴っていた。

「では、行きますよ……親父! キャンベラさんを連れてまいりました! 失礼いたします!」

 腹に響く低い大声で高藤は言うと、襖を開けた。

 襖の奥には、私の想像していた人物とは違っていた。

 柔和な表情をしたおじさんだ、とても極道の親分とは思えない。

 だが人は見かけによらない、という。気を抜いてはだめだ。

「失礼します!」

 私も高藤に倣い声を上げて部屋へ入った。

「おぉ、元気がいいお嬢さんだ。いらっしゃい」

 しかし組長が発したのはとても優しい、そう、例えるなら親戚のおじさんみたいな親しみやすい声音だった。

「マリナ・キャンベラさんだね。純菜ちゃんから話は聞いてるよ。ささ、どうぞどうぞ」

 そう促されて私は組長の前へ。それを見届けるように高藤は部屋から出ていこうとした。

 しかしそれを見た組長の表情が変わった。まるで鬼のように、すさまじい形相にだ。

「高藤ぃ! 客人には座布団くらい用意せんか!」

「は、はい! ただいま!」

 組長は鬼の形相から一変、元の柔和な表情で私を見た。

「すまんねぇ。気が利かない奴で」

「い、いえ、気にしていませんから……」

 私は高藤の用意してくれた座布団に座り、ふぅ、と一つ息を吐いた。

 心臓がバクバクとうるさいくらいに鳴り続けている。

 今目の前にいるのは間違いなく極道の親分、それはさっきの鬼を見て理解できた。

 ならばなぜそんな人が私に話があるのか、思わず身構えてしまう。

「さて、キャンベラさん。私は回りくどいのが嫌いでね、率直に言おう」

 この人の口からいったい何が飛び出すのか、固唾を呑んで待つ。

「キャンベラさん。純菜ちゃんと仲良くしてくれてありがとう。本当に、感謝している」

「……え?」

 頭を下げてそう言った組長に、私はどうしたらいいかわからなくなる。

 組長の言葉を何度も頭で繰り返して、ようやく理解できた。

「あ、いえいえいえ! こちらこそ純菜ちゃんには仲良くしてもらってて!」

「それは純菜ちゃんの顔を見ればわかるよ。本当に仲がいい友達なんだね」

「え、えぇ、まぁ……趣味が合いますし、一緒にバンドしてますし」

「それでなんだが、そんなキャンベラさんには純菜ちゃんのことを知っておいてほしいんだ。あの子はおどけたり強がったりしてしまう子だからね。たぶん友達の前でもそうしてしまうだろう。けれど、それが全て本心じゃないということを理解してほしいんだ。そう、純菜ちゃんとずっと仲良くしてほしいんだよ。親代わりとしてのお願いだ」

「あ、えっと……それはいいんですけど……親代わりって?」

 そう尋ねると組長は寂しそうに言う。

「私はあの子の親じゃない。あの子の父親の弟なんだ。あの子は抗争で両親を亡くしてしまって……私が親として育てているんだ」

「そうなんですか……」

 どう言葉をかけたらいいか見つからない。事故や病気以外で親が死んでしまうなんて、そんなこと想像したこともないからだ。

 純菜はそんな辛い思いをしていたのか。

「いえ、あの子はそれを全然気にしなくてね、私を父さまって慕ってくれてるんです。でね、私が気にしているのはあの子の見た目なんです」

「見た目……」

 というとケガの跡だという継ぎ接ぎだろう。この人も子供のことを普通じゃないと思い可哀そうと思っている一人なのか。

 私は我慢できずに敵意の目を向けてしまう。しかし組長はそんな私の目の奥を見透かし、首を横に振った。

「違いますよ。私はあの子の継ぎ接ぎを可哀そうと思っていません。あの子が楽しそうに生きているなら、それで問題ないんです。それに本当ならあの子は死んでいたかもしれない。傷だらけでも、生きている限り幸せなんです。私が言っている見た目は、あの子が継ぎ接ぎになる前の話です」

「というと爆発事故の前、ってことですよね?」

「えぇ。純菜ちゃんは昔すごく可愛かったんです。それも学校一可愛いくらい。あ、親バカとかではありませんよ。周りの誰もがそう言っていました。でもあの子は自分の見た目だけで近づいてきて、ヤクザの娘だと知ると逃げられてしまう、そんな簡単に壊れてしまう人間関係が嫌になっていたんです」

 私は純菜のことを思う。

 見た目と生まれ、そのどちらも選べないものだ。そんなもので人の繋がりは簡単に切れてしまう。

 彼女はたぶん孤独を感じたことだろう。

「だからあの子は自分に変な設定を付けたんです。喋り方とかおどけた感じとか。そんな自分でも友達になってくれる子を探していたんです。そんな子なら自分がヤクザの娘でも気にしない、と思ったのでしょう。それからあの子は学校で変な子とされて距離を置かれて、それで事故に遭い……」

 彼女はヤクザの娘でも可愛らしい女の子でもない本当の自分を、心を見てくれる人を探していたのだろう。

 そうして私たちと出会った彼女は、孤独を紛らわせることができた。

「だからお願いです。どうかあの子と、末永く仲良くしてやってください」

 それに組長は親として、いや、親以上に純菜のことを心配している。

 純菜の孤独を知ったうえで、彼女に接してくれる人を待っていたのだ。

 ならば私たちはそれに応えなければならない。

「わかりました。でも、組長さんに頼まれたから、とかそういうのじゃないですよ。私は純菜ちゃんが好きだから友達になった。私が仲良くしたいから仲良くする、それだけです。たぶんみんなも一緒ですよ。だから、心配しないでください」

 私の言葉を聞き、組長はほっと胸を撫で下ろした。

 その表情は前よりも穏やかそうに見える。

「そうかそうか……純菜ちゃんにはいい友達ができたな……よし。純菜ちゃんの友達の頼みならば、私たちは全力で叶えてやろう! レーベルも作ってやるし、CDデビューもさせてやるぞ! そうだなぁ……向井でも練習に付けるか? ナンバーガールの」

 怒涛の勢いで嬉しそうに語る組長を止める。

「それは嬉しいんですけど……レーベルもCDも私たちがもっと実力をつけて、自分たちの力で勝ち取りたいんです。だから今の機材だけで十分です」

 それを聞くと組長は今度は泣き出してしまった。本当に表情がころころ変わる人だ。

「うぅ……さすが若いの……夢が大きくてうらやましいぞ……よし! おじさんが精一杯応援するからな!」

「あー、でもナンバーガールの向井さんの件は考えておいてほしいかも。会うのは無理でもサインだけでも……」

「おぅ! おじさんに任せておけ!」

「それじゃあ私は練習に戻るので……では、また」

 私は組長に挨拶して部屋を出た。

 部屋の外では高藤が心配そうに私を待っていた。

「大丈夫でしたか?」

「うん、いいお父さんだね。純菜ちゃんは幸せ者だよ」

 そう、彼女は良い父親を持った。

 極道とかそういうことを抜きにしても、ちゃんと娘を思いやる優しい父親。

 それは彼女の誇れることだろう。

「ごめんごめん、今戻った」

 元の部屋に戻ると三人が不安そうに私を見ていた。

「マリナさん……ボクたち心配してたんですよ?」

「あんた、指とか詰めてないでしょうね?」

「父さまに限ってカタギに手を出すなんてことはないでござるが……もし嫌な事されたり言われたりしてたら教えてほしいでござる! 父さまにガツンと言ってやるでござる!」

「大丈夫だよ、純菜ちゃん」

 私は純菜の元へ歩み寄り、抱きしめる。今までの孤独を紛らわせるくらい強くだ。

「わわわっ!? ど、どうしたんでござるか!? もしかして父さまに変な事」

「違うよ……純菜ちゃんのお父さんはとってもいい人だった……」

「じゃあ、どうして」

「私は純菜ちゃんのこと、好きだよ。ちゃんと純菜ちゃんの中身を見て、そう思ってるから」

「マリナ殿……」

 純菜は安心したように私に身を預けてきた。彼女の孤独を少しでもましにはできただろう。

「ちょっとあんたたち、いつまでそうしてるつもり!? 離れなって!」

「あぁ……マリナ殿の熱が逃げていくでござる……」

「バカなこと言ってないで練習するからな! ほら、マリナも!」

 凪にぶっきらぼうにベースを渡された。

 その顔に悲しみが浮かんでいるように見えたのは、気のせいなのだろうか。


 練習が終わった帰り道、私は凪と二人歩いていた。

 昨日と同じ夜の闇、その中で街灯にぼやぁと照らされた道を、肩を並べて歩く。

 だが凪の様子がおかしい。どこか不機嫌なような、そんな気がする。

 思えばバンド名を決めた後の練習も、私への態度がどこかそっけなかった気もする。

 まさか私が凪の考えたバンド名を採用しなかったせいだろうか。

「はぁ……あんた、勘違いしてそうだし、先に言うわ」

 そんな私の顔を見て凪はそう言った。

「勘違い?」

「あんたがあたしの考えたバンド名を採用しなかったから怒ってる、とか思ってるんだろう? あんた、すぐ顔に出るんだから」

「……そうかな?」

 自分の顔を思わず触ってしまったが、そんなことで分かるはずがない。

「そうなんだっての。で、本題だ。あたしが言いたいのはさ、あんたが誰にでもあんなことするのかってこと」

「……えっと、あんなことって?」

 凪が言うことに心当たりがない。

 いったい凪は何の話をしているのだろうか。

「ハグだよ、ハグ。昨日あたしにしたでしょう? それに今日は沢城にも。そういうのってさ、普通にできるわけ?」

「普通にって……まぁ、友達だし」

 そういえば聞いたことがある。日本はアメリカに比べて肌を合わせあうスキンシップが少ないのだと。

 だから私がしたハグが普通じゃない、と言いたいらしい。

「ふ~ん……じゃあ鈴原ともしたわけ?」

 私はそれに素直に頷いた。すると凪は不機嫌そうに唇を尖らせる。

「なんだよ……あたしだけじゃ、なかったのかよ……」

「凪ちゃん……何で怒ってるの?」

「別に。あたし、怒ってないし」

 いいや、明らかに怒っている。しかしそれを口に出すとまた不機嫌になるのは目に見えている。

 私は思考を巡らせて凪がどうして怒っているのかを探る。

 凪は私がみんなにハグをしたことを聞いてきた、そこに原因があるはずだ。

 そうして私は答えを出し、凪にハグをした。

「え!? ちょ、ちょっとマリナ!? いきなり何してんだよ!」

「このハグは凪ちゃんだけのものだから……凪ちゃんだけの特別」

 そうだ、凪はハグを特別なものと思っていた。ならば凪だけに特別なハグをしよう。

 二人よりも強く優しく抱きしめてあげよう。

「凪ちゃんは寂しかったんだよね……特別が欲しかったんだよね……」

 凪は今まで孤独だった。それがみんなと同じハグで埋まるはずがなかったんだ。

 彼女には足りないものが多すぎる。それをほんの一つでも私が満たしてあげなければ。

「いいよ。私、凪ちゃんがぎゅってしてほしいって言ってくれたら、いつだってするから。だって私、凪ちゃんのこと好きだもん」

「……また好きって……ほんとにあたしのこと、好きなのかよ……」

「好きだよ」

 私の言葉を聞いた凪は苦虫を噛み潰したように顔を歪め、私のことを突き飛ばしてきた。

 そこまで勢いは強くなかったが、突然のことで思わずよろめいてしまう。

「なぁ、マリナ。あんたが好きって言ってるあたしって言うのは、ロックが好きで片腕のあたしだろう? もしあたしに両腕があって、それで周りの人たちと同じような平凡な趣味を持っていたらどうだ? あたしを好きになったか?」

「それは……」

 私はとっさに言葉が出てこなかった。

違う、と本当は言いたい。けれど想像してみると、私は凪を好きになれなかった。

平凡な凪なんて、凪ではない。

「あはは、そうだよな。あたしはこの身体のおかげであんたと知り合えている。そうだよ、あたしから腕の欠損とロックを取れば、何も残らない。だってこれがあたしのアイデンティティだもの」

「……」

「ほら、何も言えない。人ってさ、そういうものなんだよ。好きになるのはその人じゃない、その人のアイデンティティ」

 そう、私が好きになったのは腕がなくて、ロックが好きな凪だ。

 でもそれは真弓や純菜にだって言えることだ。

「ねぇ、凪ちゃん……私はさ、凪ちゃんの言うように、凪ちゃんのアイデンティティが好きなだけなのかもしれない。けど、それの何が悪いの? 私が凪ちゃんを好きなのはほんとだよ? 嘘なんかじゃない」

 それを聞いた凪は、まるで壊れたオモチャみたいにけたけたと笑う。その笑みが青白い街灯に照らされ、ぞっとする。

 背筋が凍る、とはこういうことを指すのだろう。そう思えるくらい彼女の笑みは不気味だったのだ。

「あはは! ほんとにあたしが好き? ならさ、これでも好きでいられるかい?」

 凪はそう言うと突然、私の唇にキスをした。

 柔らかな感触が触れ、私はとっさに凪を突き飛ばしてしまう。

 そして気付くのだ、この行為が彼女を深く傷つけてしまったことに。

「あっ……ごめん、凪ちゃん……これは驚いたからで……」

「いいよ……言い訳しなくて……気持ち悪いもんな。あたしもそう思うよ」

「違う! 気持ち悪いなんて」

「慰めなんていらない! 偽りの言葉で慰めるなら、いっそのこと突き放してくれよ!」

 そう叫んだ凪の目には涙が溜まっていた。

「なんで……そんなこと言うの……?」

「だって……自分でもわからないんだよ……あたしはあんたも、あたし自身も嫌いなのに、それが好きになってきてるのが怖いんだよ!」

 凪の叫び声が夜の闇に悲しく響いた。

「あんたと音楽をやってると楽しいんだ……あんたたちがあたしを認めてくれるたびに、あたしもこれでいいかも、なんて思えてくる……でもそれがもし偽りだったら? 全部が偽りで、いつか魔法が溶けるみたいに消えてしまったら? あたしは耐えられない……だからもう、あたしに好きを教えないでほしい……」

「凪ちゃん……」

 凪は今まで何も持っていなかった。それが今では友達も楽しい時間も持てた。

 彼女はそれを失ってしまうことが怖かったのだ。

 失うくらいなら自分から壊してしまえ、そうしておかしな行動に出たのだろう。

「凪ちゃん。私は凪ちゃんを突き放したりしない。ずっと、ぎゅっと抱きしめて離さないから。絶対に消えたりもしない。嫌いにもならない。だから凪ちゃんも、自分のこと好きになっていいんだよ?」

「そんなの嘘だ! 言葉でならどうとだって言える!」

 凪にはもう言葉は届かない。

「じゃあ行動で示してあげる」

 私は凪に近づき、その背に手をまわして、ぎゅっと抱きしめる。

 そしてその唇に、今度は私から口付けをした。

 突然のことにビクリ、と肩を震わせる凪。しかし受け入れるように、気持ちよさげに体をこちらに預けてきた。

 凪の柔らかな唇。唇の隙間から漏れる吐息が直に感じられる。

 夜風が吹くたびに彼女の髪からシャンプーだろうか、いい匂いが漂い私の鼻孔をくすぐった。

 口付けの時間と比例して、私の頬が熱くなってくる。思い切ったことをしてしまった。

 止め時がわからず、呼吸が苦しくなるまで凪とキスを続ける。

「んっ……これでどう? 凪ちゃんのこと、気持ち悪いって思ってたら私からこんなことできないはずだよ」

「そんなこと……アメリカじゃ普通なんでしょ?」

「私はアメリカに住んでたけど、日本に近い暮らしをしてたよ。キスもパパがほっぺにしてくれたくらい。……これが、ファーストキスなんだから」

 辺りが明るくなくてよかったと思う。もし明るかったら、たぶん赤く染まった顔を見られてしまうから。

「……あたしも、初めてなんだけど」

 どこか恥ずかしげに言う凪に、私は思わず笑ってしまった。

「あはは! じゃあ初めて同士だ! あはは!」

「なにがおかしいんだよ?」

「わかんない! けど、なんか笑えるなって」

「はぁ……やっぱりあたし、あんた嫌いだわ」

 だがそう言った凪にさっきまでの嫌悪の表情はない。

 どこかすっきりとした、穏やかな顔だった。


 翌朝、通学路。照る日差しは昨日よりも優しく、熱を冷ますような風が吹く。とても心地よい気温だ。

 過ごしやすい気温というだけで通学する足が軽くなったような気がする。

「あ、おはよう、真弓ちゃん」

「おはようございます、マリナさん」

「真弓ちゃんは昨日の音楽番組見た? 夏フェス特集! 日本のフェス、行ってみたいなぁ……」

「う~ん……フェスって暑いだけだよ? 炎天下で好きなバンドが演奏するのをじっと待ってるのってかなりしんどい……」

「でもいろんなバンド見れるよ?」

「好きなバンドが出すぎてるのも問題! どのバンドを切り捨てるか、苦渋の選択なんですから……」

 真弓は思い出すだけで泣きそうになっていた。どうやら相当な修羅場を潜ってきたらしい。

「いざ見てみると自分の好きな曲全然やってくれなくて……」

「わ、わかったわかった」

「でもそういうの含めてフェスの醍醐味だよ。過ぎてみたらいい思い出になる。なんでかまた行きたくなる。それがフェスかな」

「へぇ、じゃあ一緒に」

 と、言いかけた時だった。背後から大声が聞こえる。

「ちょっと待ったぁ、でござる!」

 振り向くと純菜が汗だくで駆け寄ってきているところだった。彼女は手に何か紙を持っている。

 彼女は私たちに追いつくと、それを見せてきた。

「はぁはぁ……これを、見るでござるよ……はぁはぁ……」

「何これ? 文化祭の案内? わざわざ走って見せに来るもの?」

 純菜は額の汗を拭い、一息吐いてから言う。

「昨日ポストに入ってたんでござるが……文化祭が、夏休みにやることになったんでござるよ」

「へぇ。去年は10月くらいだったよね? なんでかな?」

 真弓の問いかけによくぞ聞いてくれた、と純菜は答える。

「今年はこの近辺の3校が合同で大規模なお祭りみたいにするみたいでござる。だから人が集まりやすい夏休みの時期に行うみたいでござるよ」

「じゃあ今年の文化祭は特別ってことなんだ。よかったね、マリナさん。いいタイミングで転校してきて」

 と、そんな話をしていると、いつの間にか凪もやってきていた。

「へぇ、文化祭、夏にやるんだ」

 なんて普通に会話している凪だが、私は彼女のほうを見れない。

 昨日のことがあったからだ。

「……マリナ? あんた、何そわそわしてんだよ。気持ち悪い」

「い、いや、その……えっと……凪ちゃんは昨日のこと……」

 そう言った私に凪はずいっと顔を近づけてきた。少し怒った顔で。

 そして私にしか聞こえないくらいの小声で言った。

「いい? 昨日のことは内緒だから。あたしとあんたは何もしてない。そういうことだから、いいね?」

 有無を言わさぬその態度に私はうなずくしかなかった。

「ま、あんたはすぐ顔に出るからバレるかもしれないけど……キスしたって言うのだけは黙ってなさい。バレたら、殺すから」

 凪の気迫なら本当に殺されかねない。決してバレてはいけない、私はギュッと顔に力を入れる。

「どうしたんでござるか、マリナ殿? 変顔の練習でござるか?」

「沢城、こんなバカは放っておいて、話の続きだ。わざわざ文化祭が夏になったからって、それだけ伝えたかったわけじゃないでしょう?」

「あぁ、そうでござったな」

 凪はコホン、と咳払いして言う。

「ここを見るでござる! バンドの有志募集中! あーしたち、The/Freak/MonsterZの初舞台にするでござるよ! だから夏フェスなんて言ってる場合じゃないんでござる!」

 文化祭の舞台でバンドをやる、それは私が憧れたマンガやアニメみたいな青春だ。

 私は思わず顔がにやけてしまうのを隠せずにいた。

「ボクたちが……文化祭の舞台に? それって、すごいことだよね! ボク、やってみたいな!」

 昨日のことがきっかけだろうか、真弓にしてはずいぶん積極的な発言だ。

「ふ~ん……ま、悪くないんじゃないか? ただ練習するんじゃなくて目標があって練習したほうが成長するっていうし。それにあたしが文化祭の舞台でバンドをやるって両親が知ったら……泡吹いて死んじゃうかもね」

 くしし、と笑う凪。理由はともかく、彼女も珍しくやる気のようだ。

「有志のオーディションまであと2週間でござる! それまでに仕上げるでござるよ!」

「おー! あ、そうだ、純菜ちゃん。3校あるって言ってたけど、うちとどこが一緒にやるの?」

「F北高校とS高校。S高校は男子校でござるね」

「S高……」

 真弓はそう聞いた瞬間、顔色を曇らせた。

 しかしそれも一瞬、次にはみなと頑張ろうと意思を込めた表情をしていた。

「……真弓ちゃん」

 けれども私はその一瞬の曇りが気になって仕方なかった。

 どういうことか尋ねようとした時だった、私たちに声がかかる。

「そこの風紀を守れない4人! 止まりなさい!」

 それは校門で風紀の取り締まりをしていた塔山のものだった。

 彼女はびしっと私たちに指をさし、挑発的に睨みつけてくる。

「あたしたちのどこが風紀を乱してるって言うんだ、風紀委員長さん?」

「そうでござるよ。ことあるごとにあーしを目の敵にするのはやめてほしいでござる」

 どうやら二人も塔山に目を付けられていたようだ。

 不満そうな瞳で彼女を睨んでいる。

「じゃあ私が指摘してあげるわよ! まずはそこの金髪! 外国人だからって金髪は許さないわ、風紀を乱しています! 前髪も切ってきなさい! それにあなた、前にウォークマン持ってきてたでしょ? カバン見せてみなさい。あと背負ってる楽器も勉強に必要ないでしょう?」

「ちっ……うるさいなぁ」

「風紀委員の持ち物チェックを拒否した場合、強制的に指導室に連行できるって知らない?」

「はいはい、わかりましたよ」

 いつ塔山の持ち物チェックをされるかわからない、だからウォークマンはペンケースの中だ。さすがにそこまで見ないだろう。

 私の予想は当たっており、塔山はカバンの中をまさぐっただけで、不機嫌そうに私にカバンを返してきた。

「次はあんたよ、鈴原。あんたも楽器なんか持ってきて。それに男なのに女子の制服、何回言わせるの」

「真弓ちゃんのこと何も知らないで! そんなこと言わないでよ!」

「そうでござるよ!」

「沢城。そういうあなたも風紀違反よ。あなたには特別に夏でも冬服の着用が認められている。なのにどうして夏服を着ているの? 気味の悪い継ぎ接ぎが見えると我が校の品位が疑われるのよ」

 そして塔山は忌まわしそうに凪を見た。

「最後にあなたよ。あなたも隠れてウォークマンを持ってきて……それにその腕! どうやっても隠せないそれも、我が校の品位を落としているの! はぁ……どうしてこの学校にはバケモノみたいな人たちがいるのか……理解に苦しむわ」

「バケモノ……だって?」

 私は我慢できなかった。前々から塔山の態度にはうんざりしていた。

 しかし面と向かって私を、いや、友達をバカにされると黙っていられない。

 私は塔山の胸倉を掴み上げた。しかし彼女は人を嘲るような笑みのまま、動じない。

「殴りたいなら殴りなさい。そしたらあなたは退学にしてあげるから。バケモノを一匹追放できるいい機会よ」

「マリナさん……落ち着いて。こんな奴、殴っちゃダメ」

「そうでござる。こんなクズ殴って退学なんて、おかしい話でござる」

「そうだね、マリナ。あんたは何も間違ってない。けど、ここでこいつを殴って何になる? そこはちゃんと考えて」

 みんなに止められて、私は塔山を離した。

 彼女は勝ち誇った顔を浮かべ、にやにやとしている。それがまた癇に障るが、手は出せない。

「行こう、マリナさん。授業に遅れちゃうよ」

「わかった……」

 私たちはこんな風に生まれたいと願ったわけじゃない。私たちだって普通に生きたい。

 なのに周りは皆、それを認めない。バケモノだから。

 ならば、バケモノたちはどうすればいいのだ。この世界にバケモノの居場所なんてないのではないか。

「ねぇ、みんな……バンドであいつを、ううん、この世界の人間みんな、見返してやろうよ。それで、私たちの居場所を作り上げるの」

「もともとあたしはそのつもりだし。言われなくてもわかってるって。多分こいつらもね」

 凪が二人を見ると、二人とも深く頷いた。

「まずは文化祭からね。あたしたちがただのバケモノじゃないって、見せつけてやろうよ」

 私たちはバンドをやる意味を心に深く刻みつけた。

 居場所がないならば居場所を作る。ロックでそれを成し遂げるのだ。

 ロックならば、それができると信じて。


 昼休み、私は真弓とお昼を食べようと彼女の教室へ向かった。

「え? 一緒にお昼? なら純菜さんも呼びますね」

「あ、いや、真弓ちゃんと二人で食べたいなって」

 彼女は不思議そうな顔を浮かべたが、頷き、ついてきてくれた。

 二人で屋上に行ったが、あまりの暑さに、うっ、と顔をしかめてしまう。

 朝の過ごしやすい涼しげな気候はどこへやら、昼になればじりじりと太陽が地面を焦がし、鬱陶しいほどの熱気を吐き出していた。

「えっと……食堂に行きません? 食堂ならエアコンかかってますし」

「ううん! 屋上がいい! とにかく二人きりになりたいの!」

「? そこまで言うなら……」

 と、屋上で食べることに。

 私が彼女と二人きりになりたかったのには理由があった。

 今朝、彼女がふいに顔を曇らせた理由、それを聞いておきたかったからだ。

 私はお弁当を食べながら真弓に聞く。

「ねぇ、真弓ちゃん。朝、S高校の名前を聞いたとき何を思ったの? 誰か知り合いがいるとか?」

 真弓は箸を止め、困ったように私の顔を見た。

「……黙っててもしょうがないですよね。いいですよ、話します」

「あ、その……無理に話してほしいってわけじゃなくて……」

「違います。ボクだって本当に嫌な事は話しませんし。これはマリナさんには聞いてほしいんです。ボクの子供の頃の話を」

 そうして彼女はぽつぽつと話し始めた。

「ボクには幼稚園の頃からずっと好きだった男の子がいたんです。大島君っていう子で、とってもかっこよくて優しくて、スポーツもうまかった。少年団のサッカーチームに入ってて、キャプテンもやってたんですよ。ボクととても仲が良くて、気付いたら好きになってました。多分その時からボクは自分が女の子じゃないかって思い始めたんです」

「へぇ、素敵な話だね」

「小学校5年生くらいの時、ボクは大島君にロックを聴かせてもらった。すごくかっこよくて、すぐにロックにはまったんです。掃除の時間にホウキとバケツでバンドごっこしたりして、将来は一緒にバンドしようって言いあってたんだ」

 彼女がロックを好きになったのは好きな人の影響だったのか。

「でもね、中学に上がってからは彼はボクのことを避け始めた。周りがボクのことをオカマ、とか変態、とかからかってたから……でもボクは信じてた、大島君ならボクを受け入れてくれるって。だから思い切って告白した、好きですって……でも」

 彼女の目にはうっすらと涙が滲んでいた。

 私は彼女の手を握り、大丈夫、と声をかけてあげる。

「もういいよ。辛いなら話さなくても……」

 しかし彼女は私の手を強く握り返して、重たそうに口を開いた。

「ううん……話す。話さないと前に進めないから……大島君はみんなみたいにボクを変態って罵ってきて、気持ち悪いから二度と近寄るなって……そのまま大島君とは話せなくって……」

「それで大島君は今S高校に通ってるってこと?」

 こくり、と彼女はうなずく。

「噂じゃ軽音楽部に入ってるって……だからステージに出てくるかも……ボク、また大島君と会うの、怖いよ」

「そっか……ねぇ、真弓ちゃんは今でも大島君のこと、好き?」

 彼女は考えて、首を横に振った。

「ううん……あんなにひどいこと言われたから、好きじゃないよ……ボクの好きだった大島君はもう、記憶の中にしかいないもの……」

「そうだよね……」

 もう一度会うのが怖いと言っているのだ、好きなわけがない。

 だがこのままでは真弓がステージに立てないと言い出しかねない。

 それでは彼女も成長できない。何とか前に進めてあげたい。

「大島君はさ、今の真弓ちゃんのこと知ってるの?」

「多分知らないよ……ボクが女子高に通うってことも中学では誰にも言ってないし」

「そっか……なら」

 私は思いついた。真弓をバカにした彼を見返す方法を。

「とびっきり可愛くなって、告白しちゃおうよ!」

「え!? こ、告白!? 好きじゃないのに!?」

「そう。嘘の告白。今の真弓ちゃん、どこからどう見ても女の子にしか見えないし、もしかしたら成功するかもしれない。そしたら自分は昔お前が罵った男だってばらしてやるの。それでこっちも大島君をバカにしてあげるっていうのはどう?」

 彼女は少し考えてから、ぷっと噴き出した。

「フフッ。おかしいこと考えるね。でも、面白そう……」

「でしょ? じゃあ今日の放課後はみんなでショッピングよ! 真弓ちゃんをとびっきり可愛い女の子にしてあげるんだから!」

 ギュッと真弓の手を握る。私は真弓の味方だから、そう教えるみたいに。

 すると彼女も優しく私の手を握り返してきた。

 その手はとても暖かくて、心地が良かった。


 放課後、みんなを引き連れてショッピングモールへと買い物へ行ったのだが……

「嘘……みんなおしゃれレベル低すぎ……」

「あーしは服なんて山ほど高藤が買ってくるでござるからね……チョイスも高藤でござるよ」

「あたし、常にバンドTだし」

「えぇ……」

 真弓の服を見繕いに来たのに、頼みの凪たちがてんで力にならない。

「い、いや、ボクは一人でも大丈夫だから。二人には可愛いかどうか審査してほしいな」

「審査だけなら任せるでござる!」

「じゃ、選べたら声かけてよ。あたし、そこら辺ぷらぷら見てるから」

 凪と純菜はそう言って離れていく。

「マリナさんも見てきていいよ」

「え? でもアドバイスとかあったほうがよくない?」

「これはボクの問題だから、ボクの力でちゃんと考えたい。だからマリナさんはそれをしっかりと審査して」

 真弓の瞳の奥に小さな炎がめらめらと燃えているのがわかる。彼女は本気なのだ。

「わかった。じゃあ決まったら呼んでね」

 そういうわけで私も好きなものを見に行くことに。

「う~ん……今年は何着ようかな? せっかくの日本での初めての夏だし、ちょっと大胆なのでもいいかな?」

 いろいろ考えながら服を見ていると、凪の姿を見つけた。

 彼女はマネキンの前で何やらもじもじとしている。

「凪ちゃん? 何見てるの?」

「うわっ! なんだ、マリナか……驚かせないでほしいな」

「ごめんごめん。うわぁ、この服、可愛い!」

 彼女が見ていたマネキンには夏らしい爽やかな水色のパーカーシャツに可愛らしいデザインの薄手のジャケット、それに透明感のある真っ白なスカートが着せてあった。

 それをじっと見ていたということはつまり……

「凪ちゃん、この服欲しいの?」

「ち、違う! そんなんじゃない!」

 珍しく顔を赤くして必死に否定するあたり図星のようだ。

 思わずこみあげてくるにやにやとした笑みが抑えられない。

「へぇ……そっかぁ……あ、店員さん! これ試着してみたいんですけど、どこにありますか?」

「ちょっとマリナ!? 何言ってるの!? あたし、そんなんじゃないって」

「まぁチャレンジだよ、何事もね。それに服は一期一会なんだよ。気に入った服が別の日に行ったら無くなってる、なんてこともあるからね。気になったらすぐ着てすぐ買う! それが私の流儀なの」

 なんて言っている間に店員さんが服を持ってきてくれた。

 私は凪を引きずって試着室へ。

「で、なんであんたも入ってくるわけ? 狭いんだけど」

「外で待ってたら凪ちゃんが着てもないのに、気に入らなかった、って言って出てくる未来が見えて」

「……悔しいけど当たってるや。わかったよ。ちゃんと着るから出て行って。暑苦しいったらありゃしない」

 私は出ていこうとしてふと思った。

「あれ? 凪ちゃんって一人でも着替えられるの? 手伝い、いらない?」

「はぁ……あたしだって一人で着替えられるから。まぁちょっと時間かかるけど」

「じゃあ私が手伝う!」

「出て行って!」

 凪に蹴り飛ばされ、無理やり試着室から追い出されてしまった。

 蹴られたお尻がひりひりする。何も本気で蹴らなくったっていいのに。

「はぁ……まだかなまだかなぁ?」

 試着室の前で待たされて早5分。

 いつまでたっても凪は出てこない。片腕だからと言ってそこまで時間はかかるだろうか。

「まさか……出てくるのが恥ずかしくて時間稼ぎしてる!?」

 さらに2分待っても出てこない。これは確実に中で時間稼ぎをしている。

「ならば突撃あるのみ! 凪ちゃん! いつまで着替えてるの! ……ってうわぁ……可愛い! 凪ちゃん可愛いよ!」

 入ってみるとそこには可愛らしい服を身にまといもじもじとしている凪がいた。

 いつもの攻撃的な空気はどこへやら。借りてきた猫みたいにじっとしている。

「か、可愛いわけ……ないだろ……腕、ないし……」

 彼女は左腕で、腕のない右肩を抱いた。

「腕がないからって何?」

「こんな可愛い服着てても、腕がないだけでみんな気持ち悪がる……だからおしゃれなんて、どうでもいいんだよ」

 彼女は今までずっとそう言われ続けていたのだろう。気持ち悪い、と。

 でも私はそうは思わない。彼女のない右腕しか見ているわけではないから。

 彼女の全部を見て、可愛らしいと思っているから。

「どうでもよくないよ! 凪ちゃんすっごく可愛いんだから! 腕がないからって関係ない!」

 私はスマホを取り出してカメラアプリを立ち上げた。

「可愛いよ凪ちゃん! 夏らしくてすっごい爽やかな感じ! 写真撮っていい!? いいよね! 撮るよ!」

「ば、バカ! 撮るなよ……しかも連写機能でかよ……」

 恥ずかしがる凪なんて珍しい。あらゆる角度で撮っていると、またお尻を蹴られて追い出されてしまった。

「いたた……また本気で蹴ったし……でもこれが怪我の功名ってやつかな?」

 お尻は痛いけれど、凪の写真は十分に撮れた。

 撮った写真を見返して気付く。最後の一枚だけ、凪がとても嬉しそうな顔をしていたことに。

「あとでみんなにラインで送ろうかな……いや、やめとこ」

 そんな事をすれば凪に殺されかねない。それに、こんなに恥ずかしがる凪を見れたのは私だけという優越感も無くしたくない。

「あとで消されたら嫌だし、クラウドにあげとこっと」

 私の予想通り、試着室から出てきた凪は怒り気味にスマホを奪い取り、写真をすべて消してしまった。

 しかしクラウドに写真が残っていることを彼女はこの先も知ることはない。


「それじゃあ真弓殿の審査を開始するでござるよ! 司会はあーしが務めさせてもらうでござる! 審査員の凪殿、どこがポイントだと思うでござるか?」

「あたしはやっぱり鈴原のロックな部分をどれだけ見せれるかがポイントだと思う。ロックが好きな男ってのはやっぱりロックな部分に惹かれるからね」

「そうなの? てかなにこのバラエティ番組みたいなノリ……」

 真弓が服を選び終わり、今試着室で着替えている。

 それが終わるまで待っている間に、純菜が変なことを始めた、という流れだ。

「マリナ殿はどこがポイントだと思うでござるか?」

「私? う~ん……真弓ちゃんらしい可愛いのがいいかな。真弓ちゃんってロックだけどポップじゃない? だからその融合っていうのがポイントだと思うな」

「なるほどでござる……それでは真弓殿! 着替え終わったでござるか!?」

「き、着替え終わったけど……そんなにハードル上げないでほしいかも……」

 試着室から困惑したような真弓の声が聞こえる。

「それでは真弓殿……カーテンオープンでござる!」

 カーテンを開けた真弓が来ていたのは、私たち二人の予想とは違うシンプルな装いだった。

 清楚な真っ白なワンピース、それに似合う茶色のポーチ、首元に輝く淡い水色のネックレス。

 透明感のある清純な装いだ。

「なんか意外かも。あたし、もっとフリフリなやつ着てくるかと思った」

「私も。真弓ちゃんってそっちのイメージだったけど……こっちも可愛いよ!」

「真弓殿。ズバリこのコーデのポイントはどこでござるか?」

「えっと……昔好きだった人が、清楚な人が好きだって言ってたからそれで……」

 なるほど。確かにこれは清楚好きが見ればイチコロかもしれない。

 どこからどう見ても清楚な女の子にしか見えないもの。

「満点! 私からは何も言うことないよ。服は決まったし、あとは練習あるのみ!」

「えへへ……嬉しいな……うん、これでボク、頑張るから!」

 これで真弓も前を向けた。

 まずは文化祭のステージに立つべくオーディションを突破せねばなるまい。

 そのためには練習だ。

 結束を深めた私たちはその後ひたすら練習に打ち込んだ。

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