支配者

れい

残酷なほど優しい君の

第1話

「遅くなってごめん」

「ううん、お仕事お疲れさま」


 金曜日の仕事帰り、僕が彼女の部屋を訪れると見なれない柄がいた。


「あれ、増えてる?」


 この間まではいなかったそいつは、彼女の足にぴったりと体をくっつけ、警戒するような視線を投げてきた。威嚇のつもりか、短い毛が逆立っている。


「拾ったの」

「また?」


 呆れる僕に微笑し、彼女は足元のそれを大事そうに抱えた。


「可愛いでしょう?」


 彼女がふさふさの毛で覆われた背中をなで、指先で顎の下を掻くと、腕の中の生き物はこちらを気にしながらも小さく喉を鳴らし、気持ちよさそうに目を細める。

 彼女には懐いているようだ。


「好きだね」

「ええ、とっても」


 その動物にたいして興味のもてない僕は、彼女が可愛いと称するそいつをろくに見もせず、ネクタイを緩めながら奥へ向かった。






 リビングの床にはカラフルなボールが転がっていた。絨毯の上には棒の先に毛のついた玩具も放られている。

 それでも散らかって見えないのは、この家に物が少ないからだ。

 ここにはテレビもラジオもパソコンもない。

 壁ぎわの棚には本が数冊とスマートスピーカー、それに一番下の段にクッションがひとつ。

 その柔らかそうなベージュのクッションの上では茶色いのが寝息をたてている。

 収容物に対し、いささか大きすぎるその棚は左側が高く、右に向かって低く、階段状になっていて、あれがよく駆け上ったり駆け下りたりしているので、彼女はそれをあの毛むくじゃらの遊具として置いているのだろう。

 ほかにもタワーや爪とぎ、水皿など彼らの生活用品はしっかり取り揃えられている。


 まるでこの部屋の主は彼ら、とでもいうように。


 いつも僕がくつろいでいる革張りのソファーでさえ、白くて長い毛の生き物がど真ん中を占領している。

 僕が近づくと尖った耳がぴくりと動いた。そいつは気配を探っただけで立ち退くつもりはないらしく、目を瞑ったまま視線すらよこさない。


「…………」


 気を遣わないのはのはお互いさまだ。僕は無言で鞄をソファーの足元におき、肘かけに上着とネクタイをかけて彼女のいるダイニングの椅子に着いた。






「今日は鴨にしてみたの」


 間接照明で照らされたテーブルには、有名店のシェフが作ったような料理が並んでいた。

 パンにグリーンサラダ、大根と人参のマリネ。メインの大皿には鴨肉のコンフィとじゃがいもやニンニクの付けあわせが品よく盛りつけられている。

 時刻はゆうに九時を回っているが、彼女は僕が来るまで食事を待ってくれていた。


「おいしそう」

「ワインもいつもより特別よ」


 彼女は年号が書かれたラベルを僕の方に向け、グラスに赤ワインを注いだ。


「いい香りだ」


 今度は僕が彼女のグラスにワインを注ぐ。それから白いリボンのついた小箱をすっと彼女の前に出した。


「これ、半年の記念とちょっと早い誕生日祝い」

「ありがとう。開けていい?」


 嬉しそうな顔の彼女に頷く。


「もちろん」


 今日、僕らは付き合って半年を迎える。そして今月は彼女の誕生日もある。


「素敵」


 丁寧な手つきで箱を開封した彼女が笑みを深めるのを見て、僕はひっそりと胸をなでおろした。

 彼女の両親は海外で会社を経営していて、彼女はそこの一人娘。貿易関係の会社らしいが、金銭目当てだと思われそうで社名までは訊いていない。

 どれくらいの規模でどれくらいの売上か。

 そんなことを詮索するまでもなく、彼女の生活は豊かだった。

 衣食住、すべてが僕を上回っていて、そこには大きな隔たりがある。ちょっと頑張ったくらいでは縮めようもない差が。

 そんなわけでプレゼントはかなり頭をひねった。

 僕がどんなに奮発しても資金面で敵うはずはなく、せめて彼女が気に入るデザインを、と何軒も店を回った。


「どう?」


 彼女は元々つけていたネックレスを外し、僕があげたのを首から下げて訊ねた。

 小さな宝石が鎖骨の間できらりと輝く。彼女の表情が少し得意げに見えるのは、そうであってほしいという僕の願望の表れだろうか。


「うん、似合う。君がいつもしているのに比べたら見劣りするかもしれないけど……」


 弱気な発言はすぐに彼女に打ち消された。


「あなたがくれたことに意義があるのよ。あなたが私を想って選んでくれたことが、なにより嬉しい」


 あたたかな言葉に胸が熱くなる。新しいネックレスを愛おしそうに指先でたどりながら微笑む彼女は心まで美しかった。

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