玄関たるもの

光河克実

 

 新興住宅地を歩いていると、その一角の奇妙な光景が目にとまりK氏は足を止めた。

まだ建物の立っていない区域の、だだっ広い空き地に玄関だけがポツンと突っ立っていた。

 それはごくありふれた木製のドアでドアノブを回して開けるタイプだった。ドアと周りの木枠だけがあり、その枠が取り付けられているべき建物がなかった。

(、“リアルどこでもドア”だな。SNSにアップしておこう。)

そう思ってK氏は写真を撮ろうとスマホを取り出し、敷地に足を踏み入れた。玄関を開けて向こう側の風景を見せた方がこの奇妙な可笑しさが伝わるだろうと考え、K氏は扉を開けた。

「えっ?」

K氏はドキリとした。ドアの奥に廊下が真っすぐ伸び、その両側に部屋があったのだ。奥には台所もあるようだった。慌ててドアを閉める。

(まさか、そんな。・・・)

深呼吸して、もう一度ドアを開けた。そこにはやはり住宅の空間があった。呆然としながら再び閉めて、辺りを見渡した。建物が存在していないことを確かめる。玄関以外何もない空き地が広がっていた。今度は玄関の裏をまわってみた。不思議に思いつつも今度は裏側からドアを開けてみた。ごく普通に外の景色が広がっただけだった。狐につままれた思いで玄関を抜け、くるりと後ろを向くと玄関の奥には先ほどと同じ廊下と部屋が広がっていた。

「そんな馬鹿なことが?・・・」


 恐る恐るK氏は玄関から家屋に入った。靴を脱ぎ一段高くなっている廊下を歩いた。すぐ左側に洗面所、浴室、トイレがあり、右側に和室があった。確かに自分は建物の中にいるとK氏は確信した。奥の台所へ行くと冷蔵庫があった。冷蔵庫には何か入っていてしかるべきだ。開けてみると案の定、中には牛乳や食材が並んでいた。

その時、ふいに後ろから女性の声がした。

「あなた、どなたです?」

K氏は驚き、振り向いた。目の前にいるのはいかにもこの台所にいそうなエプロン姿の中年女性だった。

「すみません!勝手に上がり込んでしまって。」

「玄関から入ったんですか?」

「ええ。あまりにも不思議だったので、つい・・・すみません。直ぐに帰ります。」

慌てて外に出ようと女性の横をすり抜けて玄関に向かうと後ろから

「なんのおかまいもしませんで。」

と女性が声をかけた。(おかまい?)別にK氏は訪問客でもないのだが、その一言でK氏は自分があたかもこの家の客であったように思えてきた。(このまま疑問を残したままでは帰れない。)そう思い、踵を返して女性に尋ねた。

「あの、この現象は一体何なのです?」

「現象?」

「玄関しかないのに、何で中に居住空間があるんですか?」

「変ですか?」

「変です。おかしいです。外から見て建物はなかったのに。・・・でも今はここにいる。そして今度は出ようとしている。」

「外から扉を開ければ中に入れる。中から扉を開ければ外にも出られる。それが“玄関”ですもの。」

そう言って女はククッと笑った。

「でもこの玄関は空き地にポツンと一つ立っているだけなんですよ。こんなことありえません。」

「“玄関”は人が出入りするところ。それ以上でもそれ以下でもありません。この“玄関”はその存在理由と役割を立派に果たしていますわ。」

「概念の話ですか?」

「ええ。案外、あなたの中の“玄関”という概念があなたに中と外の景色を見せているだけかもしれませんよ。」

「まさか。そんな。ではこの光景は“玄関たるもの”という私の思い込みによると言うんですか?」

K氏は声を荒げた。


 その時、ドアがバタンと倒れた。近所の子どもが数人、いたずらで倒してしまったのだ。こうなると中から扉は開けない。開けない以上、それは”玄関“とはいえない。K氏が中から出られなくなってしまったのは当然の帰結であった。

               

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玄関たるもの 光河克実 @ohk0165

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