第二章(3)

 

 

 

 ルシーナさんは下穿きと呼び、確かにその通りの形状だけど、そのまま外を出歩いているボクとしては下着のつもりでいるわけではない。

 ともかく、マレアちゃんが新しく仕立ててくれるそれは明後日あさっての朝に受けとる約束になった。

 ボクは元の黒革の端切れを腰回りに着けて、マレアちゃんとルシーナさんに別れを告げた。

 夕暮れの双塔の街を歩く。

 この辺りは街の南地区で、革細工をはじめとして木工、織物、仕立て屋などの工房が集まる。ルシーナさんたちの住居兼工房と似たような煉瓦造りの三、四階建てが並んでいる。

 この地区をくまなく歩いたことはないから正確にはわからないけど、全部で百軒はあるだろうか。その中には職人たちと彼らの家族を相手に日用品を売る店や、酒場、食堂、徒弟たちが暮らす下宿屋もあるけど、やはり工房が大部分を占める。

 工房では普通、親方の下で数人から十数人の徒弟が働く。ルシーナさんを訪ねたときも、一階の工房で五、六人の男女が革細工に励む姿を見た。

 この地区以外でも、街の東地区と北地区には同じように工房が集まり、西の商業地区では各商店が使用人や見習いを抱え、街全体の住民の数はかなりのもの。双塔の街は、この地方でも大きな街の一つである。

 日が沈めば職人たちは仕事を終えるけど、いまはつちや織り機の音がまだ聞こえている。彼らが酒場へ繰り出すには早く、しかしこれから工房を訪ねようという客は絶えた頃合い。

 通りを行く者は少なく、三角耳と尻尾が添えられた影は誰にも妨げられることなくボクの進む先に伸びている。

 路面は煉瓦敷きで、荷車や荷馬車によるわだちくぼみができている。それだけ物流が盛んなのだ。昼間の賑わいが想像できる。

 ボクは夕陽を背に、街の東地区を目指す。

 そちらには鍛冶屋や特産品の硝子ガラス細工、それに焼成しょうせい煉瓦の製造など大がかりに火気を扱う工房が集まる。近くの緑淵の河から引き込んだ水路が流れ、原材料と完成品の搬入出に利用されているほか、いざというときは消火用の水源に使われるという。

 水路はちょっとした川ほどの幅で、二十人乗り程度の川船が行き交うことができる。街の東側を流れる緑淵の河から分流して北地区へ引き込まれ、東地区を経由して街の外へ抜けて、再び河に合流する。

 水門は鉄の落とし格子で日没とともに閉められる。この街に入る川船は水門や橋の下をくぐるため、帆柱を倒せる仕組みにしている。

 昼間であれば東地区も、荷船の船員や硝子細工の買い付けに来た交易商人、鍛冶屋目当ての冒険者など、街の外からの出入りが多いけど、夕刻にはヒトの姿が稀になるのは南地区と同様だ。

 左手──北を見やれば、街の名の由来でもある二つの鐘楼を備えた双塔大聖堂が小高い丘の上にそびえている。

 ボクがいまいる場所からは北というだけで、実際には街の中心にそれはある。

 そして鐘楼の一つは実際には三十年あまり前の落雷で半壊したままである。資金面はともかく政治的な問題で、鐘楼は再建の見込みが立たないらしい。

 大聖堂に祭られている唯一神はニンゲンだけが信仰するもので、ボクら獣人はもっと古くからの神々を崇めている。

 ましてやニンゲン同士の政治はボクらの生活にも影響を及ぼさないでもないけど、決定への参加は許されていないし、ボクらも関わるつもりはない。

 そもそも冒険者であるボクは、この街では一時的に訪れただけの、よそ者だ。

 だから鐘楼がどうなろうと何の利害もないのだけど、野次馬的には興味津々である。この街に来ると、どうしても眼についてしまうからだ。

 さて、そのうち再建するのかね?

 街の南地区と東地区は城壁で区切られている。

 鉄の門扉は通常は開け放してあるけど、工房が稼働する日の出から日没までは衛兵が配置され、どちらかの地区で(主に東地区を想定しているのだけど)火事が起きれば、ただちに門を閉める手筈になっている。夜に火事が起きたときは住民が組織する消防団が対応するそうだ。

 門の部分は道幅が狭まり、荷車や荷馬車はその手前でなければ、すれ違うことができない。門の通過は譲り合わなければならず、昼間はこの場所が混雑するのだけど、いまは通行人もおらず、はがねかぶと鎖帷子くさりかたびらを身に着けた若い衛兵がふたり、暇そうにしているだけだ。

 お互い無駄話をしない分別はあるようだけど、仕事上がりに何をしようかで頭がいっぱいなのか、意味もなく身体を揺すったり槍を左右の手で持ち替えたりと、ふたりとも落ち着きがない。

 でも、もう少し近づいてみて、衛兵たちが落ち着かない理由がわかった。

 いい匂いがするのである。門の向こう側からだ。もうじき仕事上がりで、おなかも空いてきた頃合いで、この匂いはたまらないだろう。

 どうやら鶏の骨と香味野菜で出汁だしをとっているようだ。それも材料を大量に投入して時間をかけて煮込んでいるであろう濃厚な匂いで、家庭料理の域ではない。本職の料理人の仕事である。

 門をくぐり、匂いの源を見つけた。

 東地区に入ってすぐの城壁際にある煉瓦造りの三階建てである。のたうつ蛇のような東方文字の看板を掲げ、この地方の文字で【大帝領たいていりょう】風の料理店である旨が書き添えてある。

 周囲にも同じような建物が並ぶけど、そちらは鍛冶屋や硝子細工の工房で、熱気を伴う作業のために戸や窓を開け放して風通しを得ている。建物の奥には太い煙突が屋根より高く伸びているのも見える。

 料理店の建物も、もとは何かの工房であったものが転用されたのだろう。鍛冶や硝子細工の工房に劣らず煙突から煙をたなびかせ、よほどの火力で調理しているようだ。

 果たして、よそ者のそれも獣人風情が立ち寄っていい店だろうか。

 ここは南と東の二つの職人街が接する位置である。このようなところにある食堂は職人稼業の地元民向けの店と考えるべきだ。

 でも、料理人が大帝領の出身なら彼もまた、よそ者である。

 しかもあちらの国では【絶対神ぜったいしん】と【大帝たいてい】の前では全ての者が等しく奴僕ぬぼくとされ、ニンゲンも獣人も社会制度の上では区別されない。才覚次第で出世の道が開かれ、宰相や大元帥の地位まで上り詰めた獣人たちがいたことも伝えられている。

 だからといって、個々のニンゲンが心の内で獣人にどのような感情を抱くかまでは縛れないのだけど。

 うん、入ろう。うじうじと考え込まないのがボクの取り柄だ。

 いまならまだ、ほかの客も少ないはずである。歓迎されない様子なら揉めごとになる前に穏便に立ち去ることもできるだろう。

 何より、この美味しそうな匂いを前に隠忍自重いんにんじちょうできるほど、ボクはお行儀のいいニャンコではないのである。

 

 

 

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