夏のヒラエス

鞘村ちえ

夏のヒラエス

 夏もいよいよ終わりが近づいてきたころ、私は友達と海に行く約束をした。

 その友達は去年の一学期に、隣の県に引っ越してしまったクラスメイトの女の子だ。どんなことがあっても冷静で、いつも優しい彼女は、友達の少ない私にとって唯一の親友だった。


「夏が終わったら海に行かない?」

 電話越しに明るい彼女の声が聞こえる。誘ってくれたのはいつも彼女のほうだった。人見知りで、話すことが苦手な私は親友の彼女を誘うことでさえ片手で収まるほどしか記憶にない。

「今度の水曜日、空いてる?」

「空いてるよ」

 自分の感情を表に出すことが苦手な私は、彼女といると素直になれる気がしていた。彼女は自慢をしたり、友達の悪口をそそのかすようなことを絶対にしない優しい人だった。

「集合場所はいつもの駅でいい?」

「うん」

 物事を決めるというのは難しい。集合場所、待ち合わせの時間、何をして遊ぶか、どんな内容の話をするか。相手を喜ばせることができる反面、相手を傷付ける可能性も秘めているのだ。淡々と物事を決めることのできる彼女に私は少し憧れを抱いていた。

「じゃあ駅で会おうね」

「うん」

 通話が切れた途端、急に暑くなった気がした。彼女と会うのは一年ぶりだ。




 約束の日、彼女は予定の時間より十分も遅れてきた。真面目で几帳面な彼女が遅れてきたことに私は少し驚いていた。

「久しぶりだね、緊張してる?」

「ううん」

 私は去年の夏にも着ていた淡い青色のジーンズと白いTシャツ、彼女は花柄の薄いワンピースを着ていた。なんだか似合わない二人組だった。

「最近ね、私のクラスの男子がさ」

「うん」

 彼女は転校先の学校のことが気に入ったようだった。彼女の話はいつもご飯がおいしかった、だの、気になってるサッカー部の先輩が優しくしてくれた、だの優しい話が多くて、聞いていて楽しかった。

「でも一個上の先輩がさ」

 ただ彼女はそれなりに転校先の学校を楽しんでいる反面、ストレスもたまっているようだった。中学校の上下関係は、年齢が近いゆえに厳しい。

「でさー……それってなんかちょっと、うざくない?」

「……うーん」

 聞いていて、とても楽しいと思えるものではなかった。どうしてか分からないけど「一緒にいたくないかもしれない」と心のどこかで思っている自分がいる。

 今まで一緒に楽しく時間を過ごしていた彼女が急に変わってしまったように感じて、少し悲しい気持ちになった。中学生の一年は、大人の一年とは違う。あっという間に世界が回っていて、自分だけがぽつんと取り残されたようになることがあるのだ。

 私の唯一の親友であった彼女が私から離れていってしまうように感じて、少し気持ちが悪かった。彼女が楽しそうにしていることを受け入れられない自分が気持ち悪かった。大好きな友達に嫉妬するなんて、子どもみたいだ。

 別に誰でもストレスはたまるものなのだから気にしないで過ごせばいいものの、私は変わってしまった彼女のことを受け入れることが出来なかった。

 少し歩いて海に着くと、私と彼女は浜辺に座った。海にはあまり人はいなくて、少し嬉しかった。人が多いのは苦手だ。私たちは波の音に耳を傾けて、しばらく海に見入った。

「そっちはどう?」

「普通かな、特に変わりないって感じ」

「そっかー」

彼女はそれっきり話しかけようとはしてこなかった。サンダルのなかに入ってくる砂の感覚と、寄せては返す波の音、ほのかな磯の香りが私たちを静かに包み込む。

 しばらく経つと、彼女は立ち上がって「そろそろ帰ろっか」と言った。

「もう少しいよう」

 私が珍しくそう引き留めると、彼女は少し驚いた顔をして、もう一度私の横に座りなおした。彼女は周りに合わせるのが得意な優しい人だった。

「なにかあった?」

 でも彼女は気づいていない。彼女が変わったということも、私がそんな彼女に嫉妬の気持ちを抱いてしまったことにも。気付いたとしても言わないような人だということも分かっているけれど。

「分からないけど、なにかあったなら教えてね。私、なんでも聞くよ」

「うん。ありがとう」


 彼女とはそれっきり連絡をしなくなってしまった。自分のことだけを考えて、彼女がいなくなると思って、友達がいなくなると思って、彼女に素直な自分の気持ちを伝えなかったのは最低だったかもしれないと思い返す。

 私はあれからずっと考えていたけれど、正解を見いだすことができないまま次の夏を迎えようとしている。

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夏のヒラエス 鞘村ちえ @tappuri_milk

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