第2話
この学校には、生徒が近寄らない場所がある。それがここ、一部の先生だけが利用するタバコ室と呼ばれる部屋である。
体育の中野先生、国語の島田先生、数学の松岡先生、所謂生徒の間で[恐い先生]と括られる人たちがタバコを吸ったり授業のない時間に暇を潰す喫煙可能な部屋である。この部屋はしばしば問題を起こした生徒が呼び出され説教をくらう場所でもあった。
そんな場所で僕は今、正座をさせられていた。
「それでお前、これをどうしたって? うちの学校が携帯の持ち込みを禁止してるのはわかってるよな?」
タバコの煙を
「はい。それはもちろん。そのスマホは今朝電車で拾った忘れ物です。僕のではありませんが持ち主と19時に待ち合わせをして直接渡す約束をしているので返してもらわないと困ります」
その答えを聞くと島田は持っていた文庫本の
「バカかお前。もうちっとマシな嘘をつけ。そんな定型文みたいな言い訳を信じれるわけないだろ。本当のことを言うまで返さんぞ。俺の目を見て話せ」
とても50過ぎとは思えぬ眼力で僕を威圧する島田に、僕は真っ向から対峙する。
「僕は嘘を言っていません。部活もあるので早く返してください」
僕の態度に島田の表情は何かが切れる音が聞こえてきそうなものへと変化していく。その様子に僕は鉄拳制裁を覚悟した。それを逆手に騒ぎ立て、早くスマホを返してもらう算段であった。しかし僕の
僕は静かに目を閉じ歯を食いしばった。その数秒後。
——バキッ
何かが割れる音がした。
目を開けると勝ち誇った島田が正座している僕を見下ろしていた。
その両手にはそれぞれ半分に割れたスマホが握られ、足元には割れた液晶の破片が散らばっている。
視界に飛び込んできたあり得ない情報を脳が処理し理解した瞬間、今度は僕の中の何かが大きな音を立てブチっと切れてしまった。
僕はゆっくり立ち上がると島田に近づき、睨みつけたまま静かに怒りを吐いた。
「謝れ」
その言葉を聞いた島田の眉がぴくりと動く。
「なんだその口の
無意識に右手が教師の言葉を遮った。
「ふざけるなよこのクソガキ!」
殴られた島田は僕の胸ぐらを掴み力任せに引き寄せた。ぐらりと体勢を崩しながらも負けじと胸ぐらを掴み返し叫びながら頭突きをかます。
「うるせえクソジジイ!」
怒鳴り合い数秒後、決着はついた。
僕は意識を失う程に殴られ、その後怒鳴り声を聞き付けた他の教師によって保健室へと運ばれた。
――カシャッ。カシャッ。
耳障りなシャッター音により僕は目覚めた。
「うぅ……ん!?
あまりの痛みに驚き、声が漏れてしまう。口内は出血のせいなのか鉄臭く不快感が溢れる。殴られたときにおそらく目蓋が切れていたのだろう。痛みもあるが腫れているせいで視界がいつもより狭く感じる。
違和感だらけの身体に戸惑っているとよく知る声が耳に届いた。
「あんたやるねー。先生をぶん殴るなんてさぁ。でもその結果ボコボコにされて意識まで失うってどーなの? かっこわるーい」
ニヤニヤしながら声を掛けてきたのは僕の母親である。僕の腫れ上がった酷い顔を母は楽しそうにスマホで写真を撮っていた。
「母さんそりゃないでしょ。訴えてやるとか騒ぐならまだしもボコられた息子をからかうとか……いやマジでないわーこの母親」
ぼやく僕の声は母には届いてないのかもしれない。
「スマホ壊されたぐらいでキレちゃってさー。新しいの買ってもらえるんだから良かったじゃない。機種変しちゃいなよーへいへい」
その言葉に大切な約束を思い出した僕はベッドから跳ね起きた。
「痛って!? あのジジイふざけやがって……いやそんなことより! 今何時!?」
「そうねだいたいねー♪」
「チッ」
サザンを口ずさむ母親に舌打ちし、僕は保健室を出た。
「21時までには帰んなさいよー。補導されるわよー。母さん帰るからねー」
背中に届いた母の声には答えず自分のスマホのデイスプレイを確認した。
時刻は18時40分。待ち合わせにはもう間に合わないだろう。
それでも、僕は学校の最寄駅まで全力疾走して電車に飛び乗り19時35分頃自宅の最寄駅に到着した。
改札を抜け、辺りを探してみたが彼女の姿はどこにもなかった。
島田への怒りが沸き上がり始めたとき、声が聞こえた。
「恐ッ!? え、どしたの?」
声の方を振り向くと、彼女が僕の顔を見て引いていた。
[つづく]
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