シナリオ38


 洋館の『執務室』は六畳間ほどの広さがあった。

 小柄な体躯のアグリやゴブリンレッドならば、特に気にならない広さ。

 だが、ものすごい閉塞感が漂っていた。


「お、おい、大丈夫か……?」


 もちろん、そこに囚われていた子供が小山のような大男だった、というオチはない。村の倉庫で助けた最年長の女の子よりも、小柄で華奢きゃしゃだった。

 お肌は白くて髪の毛は萌黄色。子供たちの「白菜のような……」という形容がとてもよくマッチしていた。

 当然と言えば当然か。なぜなら人族ではなく、雪のように白い肌と萌黄色の髪を有したエルフ族の女の子だったのだから。


(絶対、農民の子供じゃないよな……間違って誘拐されたのかな?)


 エルフ族は森にむ種族。狩猟採集を日々のかてとし、基本、農耕は行わない。

 シーラさんのようにごく少数のエルフ族だけが、生活スキル習得や森の生活では得難い現金収入を求めて人里へと働きに出るという。

 きっとこの子供も、そんな経済活動の中、誘拐されてしまったのだろう。


(子供の身空で出稼ぎか……一見、優雅に見えるエルフも大変だな……)


 そのような事情もあってか(?)、この出稼ぎエルフ族の女の子の落ち込みようは半端なものではなかった。

 部屋の片隅で微動だにしないにも関わらず、体からはにじみ出ていた。


 以前、プレイヤーギルドの『お悩み相談』窓口嬢、シーラさんが教えてくれた。

 エルフ族は感情表現に乏しい種族と言われているが、実は違う。表情の変化ではなく、魔力によるオーラを用いて喜怒哀楽きどあいらくを表現することが多いだけだそうだ。

 つまり、エルフ族を相手にしたいならば、「KY(空気読めよ)」ということだ。


 実は、これも日本のリアル世界ではだ。

 誰にも尋ねられていないにも関わらず、「私、血液型A型なんだよね~」と主張する人がいる。特に20代から30代の女性。

 日本の血液型占いでは、A型は几帳面、神経質、何事にも細かいと言われている。(*注意:血液型占いは日本とその影響を受けた韓国や台湾にしか存在しません)

 つまり、「私と付き合いたいのならもっと気を使いなさい」「私に対するガサツな態度は許さない」と暗に示しているのだ。

 もちろんA型の人種にそのような傾向はなく、科学的にも生理学的にも立証されていない。心理学的には、ただのバーナム効果と言われている。

(*バーナム効果=誰にでも当てはまるあいまいで一般的な性格を、さも自分、もしくは血液型や星座などの集団が、特定、特別であると捉えてしまう心理現象)

 実際、自称A型の家に遊びに行ったりすると、普通にゴミ屋敷だったりする。

 日本人はA型が圧倒的に多いので(40%)、バーナム効果もポジティブな方向へと捉えられ易いという訳だ。『占い』という商業的理由から。


 そんな面倒な人物は相手にしないのが一番。かと言って、職場の同僚とかだと無視も出来ないので、手間にならない程度にちやほやしてやるのが良い。

「うぁ~、さすがA型、几帳面~」「O型の私ではマネできない!」とか。

 それでウザければ、ハッキリ言ってやればよい。

「それってただのバーナム効果だからね。血液型占いを真に受けている時点であなたの人間関係は既にガサツだから」と。

 その相手との人間関係は崩壊すると思われるが。


(このエルフっ娘も同じかな……オーラ読みなさいよ、とか言い出さない?)


 山鳥タクミも空気を読むことにけたキャラだった。

 会場の空気、対戦相手の喜怒哀楽を読めなければ、格ゲーで世界の頂点に辿り着くことなど不可能に等しい。


「お腹が空いているんだね……おにぎりをお食べ」


 アイテムストレージから『農民』のユニークスキル『おにぎり』でポップした『タケノコおにぎり』を一つ取り出し、差し出した。


『その行為のどこにKYが含まれるというのです……』


 そんなピコピコからの辛辣なツッコミだけではなかった。


「………………………………………………………タイ、近寄るな……」


「えっ?」


 アグリの聞き違いかと思った。これまで散々セクハラしている同じエルフ族の女性NPC――シーラさんにだってそこまで拒絶されたことがないのに……。


「コッペの聞き違いじゃないゴブ。このエルフはと言ったゴブ」


「繰り返さなくていいから! ちゃんと聞こえてるし!」


 アグリの元キャラである山鳥タクミは、(一部特殊な性格の者を除き)女子供から嫌われている。

 近所の女子高生など、もっと露骨だ。

 ワザと聞こえるほどの声量で「ヘンタイ鬼畜エロゲーマーよ!」「あれが彼女にコスプレやエロゲ出演を強要している?」「その上、JKを手籠てごめにしているって噂の?」「キャー!」「私も狙われる!」と騒ぎ立てる……。


(もう、そのナレーションは必要ないからっ!)


 とはいえ、アグリに覚えなどない。

 この出稼ぎエルフ族の女の子とは初対面。アグリがこの村に潜入する以前から、洋館で働かされているという。

 そもそも、現在のアグリはゴスロリメイド衣装を身に着け、さらに特殊アイテムでカワイイ男の娘に変身している。ヘンタイ呼ばわりされる理由などない。


『成人男性がゴスロリ衣装を着ている時点で、もう十分過ぎるほどヘンタイでは?』


「コッペは真のヘンタイゴブ。モンスターより近寄り難いゴブ」


(女装がバレていないって意味っ!)


 いずれにせよ、このままでは脱出できない。

 アグリが近づくだけでこの拒絶ならば、背負って逃げることも不可能だ。


 ココはリアル世界ではなく、ゲーム世界。精神力が弱っている時は、下手に元気づけるより回復アイテムを使うのが手っ取り早い。

 しかし、貧乏農夫であるアグリは、『マジックポーション』などの精神力回復手段を持たない。『おにぎり』以外はカミラさんの作った出来の悪い野菜か、討伐報酬としてシルヴィから譲り受けたお肉だけ。

 とっておきの『やくそう』もあるが、精神力は回復しない。


「エルフ族ってあまりお肉は食べないよね? しかも生だし……」


(どうするよ!)とアグリが頭を抱えていると、アイテムストレージのとあるアイテムに目が留まった。

 アグリがドンガラ村のコエダメクエストから帰って来て、「くさいから……」という理由でプレゼントされた『アロマオイル』である。(*シーラさんは臭いとまでは言っていない)

 シーラさんは「故郷の雑貨屋さんで買った」と簡単に説明していたが、エルフ語で記された小瓶のラベルを見る限り、希少性は高い。きっとお安くもないのだろう。


 『アロマオイル』の小瓶を取り出し、キャップを少しだけ緩める。

 それだけで十分すぎるほどの芳香が、部屋中に広がった。

 何とも表現できない、心地よいさわやかな新緑のかおりだった。きっとエルフ族の森――シーラさんが育った故郷の森の薫だろう。


「なんだか……旨そうな匂いゴブ……子供の頃にトウチャンに連れて行ってもらった高級レストランの匂いと似ているゴブ……」


 出稼ぎエルフ族の女の子(以下、エルフ娘)の反応は、ゴブリンレッド以上に顕著だった。


「この薫は……エルフの里の……戦争で焼けたのに……なぜ?」


 枯れ井戸のように空虚だったエルフ娘の顔に表情が戻った。そして、突然水源が生き返ったかのように、大粒の涙を流し始める。

 その透き通るような指先に小瓶を握らせると、アグリはエルフ娘から距離を取った。


「何をしているゴブ? コッペは逃げないゴブ?」


「肝心の人質がこの状況だと無理だろ……っていうか、さっきからレッドは何をしてんだ?」


 ゴブリンレッドはアグリをエルフ娘のところまで案内してくれた。社畜同盟の名に恥じない良い取引だった。

 しかし、ゴブリンレッドはマルサの仕事をやっているように見えない。大量の『ご優待券・使用済み』を一枚一枚手に取って見比べているだけ。


「仕事ゴブ……この部屋に忍び込んだ時、ラミア様に見つかったゴブ。ゴブがなまけていると勘違いして、仕事を押し付けてきたゴブ……」


 仕事の内容は単純明快。『ご優待券』を使用したモンスターを種族別、世代別に分けて帳簿に記録するというものだった。

 ただし、相当の期間この仕事をサボっていたのか、大型のタル一つでは収まり切れないほど大量にあった。

 ゴブリンレッドも指の形状から(ゴブリン族はかぎ爪)、この手の事務仕事を不得手にしてる。束になった『ご優待券・使用済み』を満足に握れず、数え損なった紙がポロポロと手からこぼれ落ちていた。


「そんなゴミ作業、適当に数えちまえ。役員へ仕事してますアピールか、ゴマすりのために数えさせているだけだろ。どうせこの組織は、ろくに税金だって納めてないんだし」


 とは言ったものの、山鳥タクミにも似たような雑務経験があった。

 イベント催行会社のアルバイトにありがちな、展示会やゲームイベントに訪れた来場者を年代別に数える、という仕事である。

 実利がほぼなく長時間拘束される仕事のため、イベントの手伝いに来た学生ボランティアや格安で雇ったアルバイトに押し付けて来ることが多い。

「君、今、暇してるよね?」というセリフと共に。


 この手の仕事に意味などない。社畜たちが苦労して得た統計も、活用されるどころか、ろくに検討されることなくデータベースに収められるだけ。

 実際、来場者の年代よりも、イベント当日のお天気の方が圧倒的に重要だ。

 スポンサーも、イベントでの宣伝効率より、マスコミやインフルエンサーに対するアピール性を重視する時代なのだ。

 だから、イベント催行会社も「こんなに人が集まってます!」とスポンサーの顔色をうかがうため、もしくは苦情が出そうな地域住民に対し「お年寄りからお子様まで……地元経済にも貢献してますよ~」アピールだったりする。


 かと言って、ゴブリンレッドの気持ちも分からなくもない。

 大抵、下っ端上がりの中間管理職もこの手の雑務を経験しているため、あまり早く終わり過ぎると、疑いの目を向けてくる。

「君、早すぎない?」「本当に数えた?」と。


 特にゴブリンレッドはマルサとしての役割もある。余計な疑いをもたれてクビになっては困りもの。無駄だと知っていても、ラミア様(上司)へのアピールを行わねばならない。

 そして何より、威張り散らすだけの上司から「使えない」などと言われるのは腹立つ。

 一寸の虫にも五分の魂。社畜にだってプライドがあるのだ。


「仕方ない……」


 アグリはゴブリンレッドの隣に腰を据え、タルから『ご優待券・使用済み』の束をつかみ取る。


「ゴブを手伝ってくれるゴブ?」


「これも同盟上の役割だ……こんなゴミ仕事、ちゃっちゃと終わらせるぞ!」


「助かるゴブ……ゴブは指先がぶきっちょで……」


「一枚一枚数えるな……こういう集計は……時間帯で客層が割れるから……」


『あなたたち二人は似た者同士ですよ……』


 そんなピコピコのツッコミ(呆れ声?)が聞こえて来た。


  ☼


 社畜たちの戦いは続く!

【シナリオ39へ】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る