第706話:リベンジは理性的に

 母が子を慈しむ様子を刻んだレリーフが破壊され、鐘を鳴らすための鎖が切断され、最上階まで上るための階段が破壊されたことは、かなりの衝撃だった。少なくとも、この塔の工事の主体者は、この街を治める貴族であるフェクトール公である。それは誰もが知っていることのはずだ。


 つまり、この問題を引き起こした犯人グループ(間違いなく単独での犯行ではないはずだ)は、フェクトール公という「貴族」に真正面から喧嘩を売ったことになる。


「私は絶対にゆるさない。ゆるさない、ではなく、ゆるさない」


 わざわざ月耀騎士団の十騎長たちを引きつれて塔の前までやって来たフェクトールの奴、口元には微笑みを浮かべていたけれど、その口元がひくひくと震えていた。握りしめられた拳も、ぶるぶる震えている。


「私の愛する女性と我が子をかたどったこの作品を、傷つけるどころかここまで破壊するとはね……」


 その言葉に、十騎長たちが次々に叫んだ。


「フェクトール様! これは我々への重大な挑発行為です!」

「フェクトール様の深い御心を踏みにじる行為、我ら断じてゆるせませぬ!」


 フェクトールの奴、十騎長たちの言葉にうなずきながら、塔を囲んでいる野次馬たちに向かって、あらためてゆっくりと口を開いた。


「これは、ナールガルデン辺境伯が五男、フェクトアンスラフへの重大な挑発……ひいては、この街──オシュトブルグへの宣戦布告だと見ていい」


 言葉の調子は抑えられていたし、決して激するような姿も見せなかったが、その腹の底は煮えくり返っているのだろうと、容易に想像がついた。


「この塔の修復には、それぞれにできる精一杯を寄付をしてくれている。私はこの街を愛する! この街の象徴的な鐘塔をよみがえらせようと、力を尽くそうとしてくれている皆がいるこの街を! この鐘塔をよみがえらせるために、こんな小さな少女までもが、寄付をし、共に働いている! そのような民であふれるこの街を、私は愛している!」


 なんだか、野次馬たちから歓声が上がっている。いや、この金髪碧眼の色男が、自分たちの住む街を持ち上げてくれてるって言うのは嬉しいかもしれないけどさ。

 でもフェクトール。その「こんな小さな少女」って、間違いなく、俺の腕にしがみついているリノを見て言っただろ。いや、確かに彼女は俺の右腕として、この塔の修復にずいぶんと貢献してくれているけどな?


「だがしかし!」


 フェクトールは、拳を突き上げた。彼は優男に見えるが、やはり騎士団を率いる貴族なのだと、あらためて感じさせられる。


「皆が楽しみにしてくれている記念式典を前に、このような卑劣な行いでそれを妨害しようとする輩がいる──それも、この街に!」


 そして、彼はぐるりと周りを見回しながら熱弁を振るう。


「優れた技術を発揮して塔を、鐘を、修復してきた職人たちが! 膨大な資材を一つ一つ調達し、皆が滞りのないように力を合わせてくれた商人たちが! なによりも、わずかでも協力しようと寄付を捧げてくれた皆が! 一つになって紡いできた想いを踏みにじる輩がいる! おそらくまだこの街にいて、我らの嘆きを、悲しみを見て、ほくそ笑んでいるのだ! このようなことが、許されてよいのか!」


 許せるわけがない──そんな声が上がる。

 許してたまるか、犯人を見つけ出せ、捕まえろ──そんな声が上がり始める。

 このレリーフと同じ目に遭わせてやれ、と騒ぐ者たちもいる。


 ──まずい。

 この流れはまずい。

 これじゃ、もしかしたら証拠不十分の嫌疑をかけられただけで、容赦のないリンチに発展する恐れがあるのではなかろうか。

 犯人なら、ぶちのめせばいい。俺もそう思う。だけど、これじゃ統制のとれない暴徒になりかねない。


 すると、俺の顔を見て何かを察したのか、フェクトールは小さくうなずくと、野次馬たちの声が大きくなってきたところで、一度、手を挙げ、鎮まるように言った。


「その無念、私もよく分かる! 皆の想いを打ち砕かんとする輩の、卑怯千万な行為をゆるせぬのも! ──だが!」


 フェクトールは、再び拳を振り上げた。


「だからこそ、我々は、我々の手で、理性に則って裁かなければならない! 我々は、我らの幸せを願ったレリーフを打ち砕いた愚かな野蛮人と同列になってはならないのだ! 引きずり出してむやみに火刑に処すのではなく、我々は正当な怒りを示すのだ! 我らの怒りと悲しみを理性をもって理解させ、もって、その罪を裁くのだ!」


 野次馬たちも、一斉に熱い拳を振り上げた。やはり、希望や期待、これまでの努力を傷つけられた怒りは大きいのだ!

 

「この件については、私が直接指揮を執る。なんとしてもこの実行犯は元より、背後に立つ者どもに、鉄槌を食らわせてやらねばならない。それが、ナールガルデン辺境伯に牙を剥いた愚か者への、正当な裁きである!」


 さらに熱気のこもった声が上がる。ああ、俺だって赦さない。この塔の修復には、職人たちの汗と想いが染みついているんだ。必ず見つけ出してやる──


「ムラタくん」


 俺も一緒に拳を振り上げたところで、フェクトールの奴、はっきりと俺を名指しした。


「君はこの塔の修復の責任者だ。君は皆の期待に応えられるよう、新年の儀に間に合うように全力を注いでくれたまえ」


 ……え?

 振り上げたこぶしの持って行きどころを失って、ちょっと挙動不審にキョロキョロしてしまった俺に、フェクトールは微笑みかけた。


「君に任せた事業だ。君なら最善の手を重ねて、必ずや街の皆の、そして私の期待に応えるだろう。信じているよ」


 ……ああもう!

 芝居がかったポーズをとりやがって! こいつ、本当に、「他人から見た自分」ってのを分かって演出してやがる! 腹が立つほど絵になる男だ、フェクトールは!


「……殿下の傷つけられた威信と誇りを取り戻すために、精一杯、努力いたします」

「この程度のことで私の威信など傷つかないよ。ムラタ君、私は怒っているんだよ。この塔がよみがえり、再び鐘を鳴らすときを待つ、この街の住人の願いや祈りを妨害する行為にね」


 自分の欲望のために、差別的な扱いを受けていたとはいえ、獣人の女性たちを屋敷の「離れ」に閉じ込めていたくせに。


「かしこまりました。殿下の『愛する』者たち、この街の全ての人の期待に応えるために」


 わざとそう言うと、彼は気づいたらしい。ばつの悪そうな顔をして一瞬目を背けたが、再び不敵な微笑みを浮かべてみせた。


「……そうだね。だが今の私は君たち夫婦の愛と絆から、真の愛に目覚めたのだ。君たちのおかげだ。私は本当に、君に期待しているのだよ」


 真の愛、ねえ。まあ、彼も、彼の愛人として生きる道を得たミネッタも、今、共に幸せなのだ。その幸せに泥をぶっかけるような行為をする奴は、俺だってゆるさないさ。


 フェクトール公が、「君は本当にいけ好かない男だが、今この時だけは、君と想いを共にすることを認めよう」と、右手を上げる。


 いや、面と向かって「いけ好かない男」呼ばわりされて、誰がうれしいんだよ! とは思ったが、貴族に礼の手のひらを向けられて、俺が答えないわけにもいかないだろう。

 しぶしぶ手のひらを向けると、フェクトールの奴、ハイタッチみたいに俺の手にぽんと自分の手を重ねてきやがったんだ。


 おかげで、まわりがざわめくざわめく。

 まあ、そうだろうな。


 この「右手の手のひらを見せあう礼」は、どんな場面でも使える便利な礼儀ではあるけど、この手のひらを触れさせ合うってのは、相当に親密でないと無礼な行いとして扱われてしまう。

 だから常識的に考えて、庶民の俺に対して貴族の人間が、自分から手を触れさせてくることなんてありえない。


 それをされた俺。

 ──そりゃ、ざわめくよな。


 フェクトールの奴、それを見越していたのだろう。ニヤリと、してやったりといった顔で笑いやがった。

 くそう、そんな顔でも絵になる奴だよ!



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