第686話:一番怖いのは

「ムラタ、本当にいいんだな?」

「ああ。フラフィー、よろしく頼む」


 俺は、革製のランドセルのようなリュックサックを背負った。

 リュックサックの主な中身は、リトリィが固く焼き締めてくれた保存用のパンや干し肉、バター、チーズなどの食料。いくらかの着替え。ロープその他の小物類。


 腰にはリトリィが打ってくれたナイフとノコギリ、そして、道なき道を切り払うための、親方から借りた山刀。


 腰のポーチには何かに使うかもしれないと思って持って来た、カラビナなどの様々な小物。以前、瀧井さんが俺に持たせてくれて敵の撃退実績もある護身用の悪臭兵器も、またもらってきた。

 ケガや虫刺されなどは恐ろしい感染症につながるかもしれない、と思って準備した消毒用のアルコール。これは、同行するフラフィーとアイネ、そしてリトリィにも小分けして持たせている。


 そして肩から掛けた、九九式小銃。親方がホローポイント弾に改造してくれた弾薬は十発分。五発は無改造のままにしてある。使わずに終わるに越したことはないが、念のためだ。


「本当は胸甲きょうこうは鉄板のほうがいいんだがなあ」

「アイネ、俺がヒョロガリって知ってるだろ? 鉄板の鎧なんて、俺には重くて動けなくなるよ。これで十分だ」

「だからって樫材の削り出しの胸甲きょうこうなんてなあ……」

「だいじょうぶです、兄さま。わたしの夫はわたしがまもりますから」


 妻に危険から身を守ってもらう夫。

 あまりにも情けなくて立場が無い。

 でも、リトリィはついに折れてくれなかったんだ。


 さらに言うと、行くのをやめようかと思ったら、それはそれで『ここまで、なんのために来たんですか!』と怒られた。

 

 妊娠している女を危険かもしれない場所に連れて行くなんてどうかしている、という批判は、親方はもちろん、義兄あに二人からも出なかった。リトリィがどんな性格か、よく分かっているからだろう。


 マイセルもフェルミも、止めなかった。そのかわり二人には、前の晩に徹底的に搾り取られた。リトリィが参加しない、初めての夜だった。


 リトリィは、かわりにメイレンさんのベッドで一夜を過ごした。名目は、茄子オバゥギナ料理に関するレクチャーのため……だったが、うん、多分、マイセルやフェルミがリトリィの毒牙にかかったように、おそらくメイレンさんも……。

 翌朝の、妙にリトリィに慕わしげな態度のメイレンさんを見れば、どんな夜だったかなんて一目瞭然だった。


 うん、我が家で一番怖いのは、やっぱりリトリィだな。怒ったら怖いのは当然だけれど、気がついたら彼女に籠絡されてるひとの多いことといったら!


 そしてリノには、申し訳ないが少女には過酷な任務を任せた。「どうしてリトリィ姉さまがよくてボクはダメなの? ボクも行くもん!」と言って聞かなかったからだ。

 つまり、「遠耳の耳飾り」を利用して俺と感覚を共有し、万が一のときには俺という人間の最期を見届けてもらうこと。何かあったとき、無駄な捜索をしなくても済むように。


 当然、そんな裏の意図は伝えていない。伝えたのは、俺に何かあったときに、すぐに救援に駆けつけることができるようにという、表向きの理由だけだ。


 もちろん、俺だって死ぬ気は毛の先ほどもない。俺が帰らなきゃリトリィも帰らないんだ、何があっても命最優先で帰るつもりだが、それでも、万が一ってことがあるからな。


「……ムラタさん、昨夜の約束、必ず守ってくださいね?」

「もちろんだよ。マイセルのもとに、絶対にリトリィと一緒に帰って来るさ」

「ご主人。私たちの自由時間のために、なるべく長く……と言いたいスけど、早めに帰って来てもいいんスからね」

「ああ。愛するフェルミのために、なるべく早く帰って来るよ」

「だんなさま! ボク、ちゃんと見てるから! 帰ってきたら、ごほうび!」

「わかってるよ、リノ。ひと晩、抱っこで一緒に寝るんだよな?」

「……おっちゃん、気をつけて行って来いよ。おっちゃんにはいっぱい、教えてもらいたいことがあるんだしさ」

「ヒッグスが一人前になるまで、俺はちゃんとめんどうみるって約束したからな。当然だ」

「おっさん、おれ、メイレンさんにもお料理、教えてもらって、……その、美味しいの、作って待ってるから」

「ニューはいい子だな。将来はいいお嫁さんになるんだろう、楽しみだよ」


 ひとりひとり、しっかりと抱きしめ、必ず還るという決意を新たにする。

 そして──


「あー……」

「だぁう……」


 マイセルの腕の中にいる、栗色を基調としてところどころ黒っぽいメッシュの入った髪、栗色の瞳の、ぷっくりとしたほっぺの娘、シシィ。

 フェルミの腕の中にいる、青い髪に三角の耳、最近は自分で自分のしっぽを視線で追いかけ、小さな手でつかまえようとするようになった娘、ヒスイ。

 二人の頬に、そっとキスをする。


「産まれてすぐに父親無しの生活なんてさせるものか。父ちゃんは必ず還ってくるからな」

「怪我もしないでくださいよ?」

「還ってくるのは当然スね。なんかおいしいお土産があったら……あっても、いらないっスから、まっすぐ寄り道せず帰って来るんスよ」


 あいかわらずのフェルミの軽口。ただ、彼女はそれを口にした途端、涙をボロボロとこぼし始めて、結局みんながぐだぐだな出発になってしまった。




 屋敷の裏、例のヤマシェクラの木の向こうは、この鍛治師ファミリーのテリトリー外だ。


「この辺り一帯は、コレといった凶暴な獣は見かけねえ。強いて言うならイノシシやらクマやらだが、親父の話だと、下手したら粘獣がいるかもしれねえって話だったな。それから深い森だと『妖精のかどわかし』も現実味を帯びてくる。気をつけるにこしたことはねえ」

「妖精のかどわかし?」


 初めて聞く言葉だ。なんだろう?


「ムラタの国では聞かねえのか? キノコの輪は『妖精の踊り場』っつって、妖精が踊った跡なんだ。そいつを見つけたら、できるだけ早くその場を離れた方がいい。妖精の国に引きずり込まれて、二度と帰ってこれねえぞ。それが、『妖精のかどわかし』だ」


 フラフィーの言葉に、俺は思わず手を打ってしまった。聞いたことがある。キノコの輪は「フェアリー・サークル」とか言って、妖精が踊った跡とされるっていう話。


「森の妖精は鉄を嫌うから、オレたち鍛冶屋が出会うことはまず無いって言われてるけどな。だけど、その分嫌われてるから、酷いいたずらをされるとも言うぜ」


 フラフィーの言葉に、アイネが続ける。

 日本の神隠し伝説とにているな。だけど、キノコの輪は菌糸の広がり方によるものだから、ただの自然現象だ。それと行方不明者──おそらく野生の獣や事故──と、この不思議な現象を結びつけて、そういう迷信ができているのだろう。


「……なんだ、ムラタ。信じてないようだな?」

「いや、そんなことは……」


 フラフィーが、酷く真面目な顔をする。


「ムラタの国ではどうか知らねえがな。実際のところ、森に入って帰ってこねえって話は時々聞くんだ。服の切れ端ひとつ見つからねえ、そんな話が」


 言われて、ふと思いつく。

 つい最近まで暗躍していた、奴隷商人たち。リトリィをさらったあのクソどもにさらわれた、なんてことはなかっただろうか。

 あるいは、野盗。


 いずれにしても、結局のところ、「一番怖いのは人間」という話になるのかもしれない。



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