第675話:始まりの地へ(1/5)

「山に行く?」


 秋も深まってきたころ、全ての家の屋根の修理が終わったこともあって、俺は街の北にあるバーシット山に居を構える義父──ジルンディール親方のもとに行こうと提案した。


「結婚式以来、お義父とうさまにはお会いしてませんし、いいかもしれませんね! シシィを見ていただきたいですし。ね、フェルミも一緒に子供を見せに行きましょう!」


 そう言って喜ぶマイセル。


「……私が行っても、いいんスかね? 私、そのかたと会ったこともないうえに、式も挙げてないんスよ?」

「いいのいいの。お姉さまも、あなたをヒノモト一家の一人って認めてくださったんだから」


 フェルミが出産した翌日、大げんか……というか、リトリィの不満が大爆発したあとで、リトリィはフェルミの「日ノ本一家」入りを認めてくれた。


 もちろん、役所に届けるのは本当に面倒だった。例の「婚姻要件具備証明書」ってやつの、フェルミの分が必要になったからだ。


 といっても、フェルミはこの街に来るまで街から街へ転々としてきた人だから、まともな記録なんて産まれた村くらいにしか無いって話だったし、もちろんその村の所在地なんてはるか遠くだし、そんなところまでえっちらおっちら旅をして取りに行くって、お産を済ませたばかりのフェルミができるわけない。


 ……で、例によってナリクァン夫人に泣きついたら、これまたけんもほろろに追い返された。そりゃそうだ、夫人は大のリトリィびいき。その彼女が得られるはずだった愛情の取り分を減らす存在を、許すはずがない。

 さてどうしよう、と頭を悩ませていたら、リトリィが何故かこの街の役所から、フェルミの婚姻要件具備証明書を取得してきてしまった。


「だって、わたしの妹分になる子の身元ですもの。第一夫人たるわたしがゆるすのですから、問題はありませんとも」


 リトリィは涼しい顔をしてそう言った。

 おい役所! いいのかそれで! 俺のことは、瀧井さんが身元保証人になってくれるまで、問答無用で追い返し続けたってのに!


「だからですよ。だれかが保証をしてくれたらいいのです。わたしはだんなさまの第一夫人ですから。第一夫人が結婚をみとめるのですから、お役所のかたも文句はないはずです」


 ……そういうものなのだろうか。


「そういうものなんです。ムラタさんにはもう、街に生きるひととしての信用と実績がありますから。ムラタさんの信用と実績が、そのままお姉さまの信用と実績になるんです。お役所っていうところは、それらがあれば、ある程度の融通が利くんですよ」


 マイセルが、いたずらっぽく微笑んでみせる。いや、そこはさすがに融通利かせたらだめだろ、という言葉は、なんとか飲み込んだ。


「今のうちに赤ちゃんができたっていう報告だけでもしておくというのは、いいかもしれませんね。お姉さまの赤ちゃんも冬の明けごろには生まれますし、そうしたらしばらく動けませんから」

「……そう、ですね」


 リトリィが、少し、複雑そうな顔でうなずく。

 彼女は分かっているんだろう。俺が山に向かう、本当の理由──俺が忘れていた記憶の断片を拾いに行くこと。




 赤ん坊連れの旅行というのは、日本でもなかなか大変だ。まして山歩きに慣れていないメンバーによる旅行。ヒッグスとニューとリノのチビ三人は大はしゃぎだが、フェルミは妙に不安げだった。


 今回は人数が多いから、山の麓の村までは乗合牛車に乗って行く。チビたちは実に楽しそうに、ゆったりと流れてゆく景色を見ながらおしゃべりをしていた。


 山の麓の村にたどり着いたら、そこから先は歩くしかない。村には宿などという気の利いた施設など当然ないから、お金を払って農機具庫のような納屋なやに泊めさせてもらうことになった。


「馬小屋じゃないだけ、まだましっスね」


 フェルミが笑う。

 実は赤ん坊が二人もいることを知った納屋の持ち主のおじいさんが、せめて赤ん坊にと、布を何枚か、貸してくれたのだ。


 加えて、この納屋のそばに小川があるのもありがたかった。そこは村民共有の洗い場で、洗い場の下手しもてであれば、おむつを洗ってもいいとのことだった。


「それにしても、赤ん坊を連れて山登りだって? そりゃあ今はいい季節だけど、それにしたって大変だろうに」


 家のおかみさんにあきれられたけれど、逆に言えば今の季節を逃したら、しばらく登るのはつらい季節になる、ということなのだろう。

 以前、冬に山を登り下りしたことがあったけれど、確かに寒かったから、赤ん坊連れでは厳しそうだ。


「それにしても、リトリィちゃんがとうとう赤ちゃんをねえ……。あの鍛冶屋の親父ンところの、ちっこいコロコロとしてた子犬ちゃんがついに母親になるなんて。アタシも年を取るわけだよ」


 おかみさんはがっはっはと笑いながら、川魚の干物を差し入れてくれた。さすがジルンディール親方、顔が広い。


「それでアンタ。アンタは何を打てるんだい?」


 おかみさんから唐突にそう聞かれて、俺はとっさに反応ができず、しどろもどろになる。


「え、ええと……?」

「なんだい、鈍いねえ。それでもあの親方の弟子かい? リトリィちゃんを嫁にとったんだ、アンタも鍛冶師なんだろう?」


 ……ああ! そういうことか、と納得する。あの鍛冶師ファミリーから嫁取りをしたのだから、俺も鍛治師だと思われたんだ。


「いえ、建築士です」


 思いっきり爽やか笑顔で言ったら、「建築……? なんだ、大工かい。こじゃれた物言いすりゃいいってもんじゃないよまったく」と頭をはたかれた。なぜだ。


 で、屋根の修理を頼まれた。


「なに言ってんだい、大工なんだろ? 屋根くらい、お手の物でしょうが」


 いや、俺は頭脳労働者でして──そう言ったら、「面白い冗談だね。ホレ、じゃああとは頼んだよ」と補修用の瓦代わりの木の板を、笑顔で押し付けられた。解せぬ。


「ボクやるボクやる! ねえだんなさま! ボクボク! ボクやっていいでしょ!」

「そ、そうか、やってくれるか。じゃあ……」

「まさかリノちゃんに代わりをやらせる、なんて言いませんよね、ムラタさん?」

「すまんリノ、俺がやる!」


 せっかくリノがやる気を出してくれていたのに──などとマイセルに対して言えるはずもなく、俺は仕方なく屋根に上って、修理をすることになったのだった。

 いや、最近屋根修理の話ばっかりだったからそこそこ慣れたけれど、それでも屋根の上って、かなり怖いんだぞ!


「だんなさま! ボクもお手伝いする!」


 へっぴり腰で作業していると、リノがひょいひょいっと上ってきて、楽しそうに補修を終えてしまった。うん、餅は餅屋だな。



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