第648話:信じてくれる君のため
「まだ生まれない? だからさっさと『お迎え棒』を食らわせてやれって言ったじゃねえか、ヤッたのか? なに、拒否された? 男のくせに、四の五の言う女にヘコヘコ頭下げてんじゃねえ、ガツンと食らわせてやれ」
癪に障ったので、リファルの脳天にガツンと一発食らわせてやる。
そりゃ早く生まれてほしいが、相手の意志を無視して抱くなんて、できるわけないだろう。ましてフェルミはもう、いつ赤ちゃんが産まれてもおかしくないんだ。ヤッてる最中に産気づいたらと思うと、恐ろしくてとても手が出せない。
「だったら『なかなか産まれてこない』だなんてオレに愚痴るんじゃねえよ! 亭主らしくオタオタせずにドンと構えて待っていやがれ!」
リファルにどつかれ、俺は苦笑いを返す。
「それができないから、落ち着かないんだろう?」
「だからお前はヘタレだっていうんだよ」
「うるさいなあ、お前ももうすぐわかるよ」
「オレはヘタレのお前とは違うんだよ」
そんなやり取りをしている最中だった。家でフェルミと一緒に待機しているリノから、「遠耳の耳飾り」を通して声が届いたのは。
『だんなさま! フェルミ姉ちゃんが、お腹、痛いって!』
「お腹が痛い? それで、今、どんな様子なんだ?」
『なんかね、しばらくお腹痛いって言ったあと、しばらく落ち着いて、また痛いっていうの。お姉ちゃんは大丈夫って言うけど、マイセル姉ちゃんのときといっしょだし、マイセル姉ちゃんも、もうきっと赤ちゃんが産まれるって……!』
動揺しているからだろう。リノが送ってくる視界が大きく動きまくっていて、酔いそうだ。だが、約一カ月前のマイセルの出産に続いて、フェルミにもいよいよ出産のときが来たということなのだろう。
俺は「すまん、リファル! 子供が生まれそうなんだ!」と言って道具を放り出すと、「悪い、リファル! あとは頼む!」と駆け出した。
リファルは「まったく、お産の時に男ができることなんて一つもねえんだから、そう慌てることでもねえだろうに」と、俺の放り出した道具を片付けながら「貸し、追加な」と笑った。
「麦酒、樽一つ! それで勘弁しろ!」と返事をした俺は、再びゴーティアス婦人の力を借りるべく、門前広場に駆け出し貸し馬車屋に飛び込んだ。
「……ご主人、来たんスね……。てっきり、マイセル姉さんの時みたいに、間に合わないかと……」
お腹を抱えてうめきながら、やっぱり減らず口を叩くフェルミ。
陣痛の痛みに耐えながらうずくまるその姿は、いつもの軽口を叩くひょうひょうとした姿からは、想像もできない。
「だって、産むのが私、っスから、ね……」
俺は何も言えなかった。
こんな時まで強がってみせるフェルミに、俺は胸が痛くなった。何も言えずに、けれど愛しているということを伝えたくて、俺は彼女を抱きしめた。
背中に回した右腕で、彼女の頭を抱えるように。
「……ご主人……?」
「無理しなきゃならないお前に、無理するなとは言えないけど……でもどうか、二人とも無事で……!」
フェルミが一瞬、驚いたように背筋を伸ばした。
「……大丈夫、スよ。あなたの子だけは、絶対、どんなことがあっても……」
「お前だ」
フェルミの震える言葉を遮って、俺は彼女を抱く腕に力を込めた。
「お前が第一だ。赤ん坊も当然大事だけど、お前が第一なんだ」
フェルミの肩が震える。
「……そうやって、今度は誰を垂らし込んだんスか?」
絞り出すように、明るく、けれどか細い声で軽口を叩いてみせた彼女。
どうしてフェルミは、こんなときにまで変に強がるのだろう。
俺が目くばせをすると、部屋にいたリトリィがうなずき、手伝いに来てくれている女性たち数人とともに、そっと部屋を出て行く。
「……フェルミ、一緒に頑張ろうな? 俺とお前は、同僚で、戦友で、恋人で、いずれ添い遂げる夫婦なんだから」
フェルミは小さく首を横に振った。俺の背中におずおずと手を伸ばし、震える声で、答えた。
「ご主人……そういうこと、うかつに言うものじゃないですよ……?」
「迂闊ってなんだ。俺はお前のことを愛してる。それは間違いないんだ」
本当なら俺は、愛ってやつを多くの女性に振り分けられるような器用な人間じゃない。でも、いろいろと成り行きとはいえ、いまはこういう関係になってしまった。正直、俺を愛してくれている女性たちから見たら、俺という人間は不誠実なクズ野郎にしか見えないと思う。
迂闊にそういうことを言うな──フェルミがそう言いたくなるのも分かる。こと男女関係における俺の信用など、少なくともこの世界ではゼロだろう。そもそもリトリィに愛を捧げるつもりで生きていこうと思っていたら、マイセルとも結婚することになっている時点で、もう俺にそんな信用なんてあるわけがない。
そう思って「信じてもらえないのは分かってるけどな」と苦笑いすると、フェルミが首を振った。俺の背中に回された指に、力が入る。
「……ご主人さま……。どうして、どうして、そんなことをおっしゃるんですか?」
「いつも君に突っ込まれてる俺だ。君にとって俺はいまいち信用ならない人間だってことくらい、理解してるさ」
そう言って笑ってみせたら、びくりと、フェルミの背中が震えた。
「私……そんな風に思われていたんですか?」
「なんだ、急にそんなしおらしいことを」
おどけてみせると、フェルミは俺の背中に爪を立てながら、か細い震える声で、つぶやくように言った。
「私、ご主人さまの言うことなら、何でも信じちゃうんですよ……?」
それがあまりにも心細そうな言い方で、だから俺は驚いて、思わず身を離して彼女の顔を見たら、フェルミの奴、にたりと笑ってみせた。
「……なんて、私が言うと思ったんスか?」
「お……お前なあ……!」
俺は全身から力が抜ける思いで、床にへたり込む。なんなんだ、コイツは本当に。
そう思ったら、フェルミが微笑んでみせたのだ。
「だから、そんなに、心配しなくて大丈夫スよ」
それがあまりにも寂しげで、だから俺は胸が痛くなったんだ。
……ああ。そうだ。
フェルミは、こういう奴だった。
「……ご主人、さま……?」
「ごめん。頼りにならないかもしれないけどさ、俺は、お前のそばにいるから」
「……そうやって、できもしないようなことを簡単に口約束するものだから、信用されないんスよ?」
うっ……確かにそうだ。お産の間は、俺、中に入れさせてもらえないんだった。
へこむ俺にフェルミは微笑むと、そっと、俺の肩を抱いた。
「できもしないような夢物語を語って、そしてそれを、約束を、果たしてきてくれたのが、ご主人さまなんですよ? 一緒に戦ったあのときの、嘘みたいな本当を成し遂げたあなたを、どうして私が、信用しないなんて思うんですか?」
頬に軽く触れた唇の感触に、俺はまたしても驚かされる。
「ご主人さま、私は、ご主人さまを信じています。誰よりも、あなたのことを」
「い、いや、でも……」
「だから、ひとつだけ……わがままを、聞いてくださいませんか?」
「……で、なんでアンタがここにいるんだい」
大阪の繁華街にでもいそうなヒョウ柄っぽい服を着たオバチャンが、じろじろと俺を見る。
「あ、いや、その……俺はこのひとの……」
「男がいたらお産になりゃしないんだよ。役に立たない、邪魔になる、血を見たら気分を悪くする……お産に限ったら、男なんてまるで役に立たないんだから! ほら、とっとと出て行っておくれ」
「おふくろさん、私が頼んだんです」
フェルミが、お腹を押さえて顔をしかめながら言った。
ああ、また陣痛なんだ。だんだん間隔が短くなってきている気がする。
「馬鹿お言いでないよ、何かい? この
オバチャンはそう言い放つと、俺にも向き直って続けた。
「悪いことは言わないさ。白目をむいて歯を食いしばる、百年の恋もいっぺんで冷めるような姿を見られたい女がどこにいると思うんだい。とっとと……」
「すみません。確かにそうかもしれませんが、俺は
深々と頭を下げてみせる。
ゴーティアス婦人はあきれたようなため息をついてみせて、リトリィは一瞬毛を逆立てた。
そして、俺の手を握るフェルミの手に、力がこもるのを感じる。
……ごめん、リトリィ。君は以前、言ったんだったな。フェルミが産む子供は俺と彼女の子として認めるが、フェルミを妻としては認めない、と。
でも、この場で、俺を一途に信じてくれている彼女を、愛人扱いになんてしたくなかったんだ。
それでもし幻滅されたら俺、謝るから。君に許してもらえるよう、必死で努力するから。
……だから、今だけは許してほしいんだ。
「……お産を見たあと、もう子作りは勘弁だってなっちまう男も多いんだよ? アンタ、それでもいいのかい?」
ヒョウ柄オバチャンの問いに、フェルミはうなずいてみせる。
「私のご主人さまは、決してそんなことはないと分かってますから」
にっこりと微笑むその顔に、俺は何も言う気になれなかった。
信じてくれる彼女のために、最後まで付き合おうじゃないか。
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