第641話:ケモナーの未来が明るい世界
「さ、今日は太陽で湯を沸かすとかいうじつに興味深い装置を作り、そしてこの世にまた新しい命を生み出した、じつに素晴らしい夫婦の健闘を称えて──」
瀧井さんの音頭に合わせて、俺はテーブルの皆と乾杯をし、そして一気に飲み干したのだった。
「ムラタさんや、おめでとう。大変だったろうが、いよいよお前さんも父親だな」
タキイさんが、あらためて俺をねぎらってくれた。だが、頑張ったのはマイセルであって俺じゃない。だから、めでたいのはマイセルであって、やっぱり俺じゃない。そう答えると、瀧井さんは苦笑した。
「本当に、そういうところは
そう言われて改めて頭を下げると、瀧井さんが笑いながら、あらためて話しかけてきた。
「ところでどうだった、初めての我が子を抱いてみて」
問われて、我が子の赤ら顔を思い浮かべる。どうも俺の顔を見て、瀧井さんも思うところがあったらしい。にやりと笑うと、
「こう言っちゃなんだが、猿みたいな顔じゃなかったか?」
……瀧井さんもそう思ったってことか? 俺も翻訳首輪を外し、そっと日本語で瀧井さんに答える。
「すみません。俺もそう思いました」
「やっぱりか」
瀧井さんはからからと笑った。
「生まれたばかりの赤ん坊なんて、そんなもんじゃ」
「ということは、瀧井さんもそう感じたってことですか?」
瀧井さんも、俺と同じく我が子の誕生に喜びつつ、その顔に驚いたひとりなのだろう、と思ったら違った。
「いや。わしはペリシャ一筋だからな」
意味が分からず、首をかしげながら聞き返してしまった。すると、瀧井さんこそ意外そうな顔をした。
「お前さんは知らんかったのか?」
「何がですか?」
「この世界での、子供の生まれ方だよ」
子供の生まれ方と言われても、俺の頭上にハテナマークが跳び回るだけだ。瀧井さんは、そんな俺に、周りを見回してから答えた。
「わしもあんたも、獣人と呼ばれる人々が闊歩するこの世界であっても、珍しいとされる獣面の獣人を嫁にしておる。特にお前さんのところは、
問われて、しばらく考え込む。
思い出せば、オシュトブルク市民兵第
「……確かに、獣人の男性というのは、あまり見ないですね」
「だろう?」
瀧井さんは、声をひそめた。
「実はな、大抵はヒトはヒト同士、獣人は獣人同士で所帯を持つのがよくある組み合わせなんだが、時々、わしらのようなもの好きが現れる」
もの好き。俺や瀧井さんが、もの好き。……いや! そんなことはないっ! リトリィは実際問題、最高に美しくて最高に可愛い嫁さんです!
「お前さんの嫁愛の強さは十分に知っておる。問題はそこではない」
瀧井さんが苦笑いしながら続けた。
「そこで質問だ。ヒトと獣人、もしくは、異なる種の獣人が子作りをしたら、どうなると思うかね? そうさな……
「日本の常識で、ですか……?」
日本の常識で考える……種を超えた交配が成立するかということだろうか。
「馬とロバでラバとか、ライオンと虎でライガーなど、近縁種での交配例はあるみたいですけど……基本的には、異なる種の交配は成立しないんじゃないでしょうか」
「そうだ。よく知っているようだな。犬と猫ですら成立しない」
瀧井さんは、マグを傾け微笑した。
「だが、不思議なことに、ここでは成立しうる。成立しうるが……」
「難しい、ということですね?」
「そうだ。だが、単純に成立しにくい、というだけではないのだ。それが、獣人の男が少ない、の意味なのだよ」
どういうことだろうか。男の子が生まれにくい、という意味なのだろうか。
「フナという魚を知っておるかね? あれはなぜか、雌ばかりがよくとれるのだ。おそらくフナは、雄よりも雌が生まれやすいように偏っておるのだろう。それが、種として生きる知恵なのかもしれないが」
「フナ、ですか……」
言われてなるほどと思い、そういう生き物もあるかもしれない、と考え、そして「フナ」という言葉から、俺が日本にいたころ──木村設計事務所に勤めていたころの一年目だけ一緒にいた同期の、アニメオタクの島津の話を唐突に思い出した。
『知ってるか、村田。住んでる地域にもよるが、フナってクローンが多いんだぜ?』
彼はいつも唐突に、どこから発掘してきたのか怪しい知識を披露するのが好きだった。
『クローンを養殖して放流しているのか、だって? 違う違う、連中はクローンで増えるんだ。それがヤツらの生存戦略なんだ』
『あるフナの卵は、ほかの種の魚の精子と受精しても、その刺激で細胞分裂を始めるんだ。つまり、「雄」は必要だが「同種の雄」は必ずしも必要じゃない』
奴は、深夜残業のカップラーメンをすすりながら熱く語っていた。
『前に言ったことあったよな? 違う種の交配は、受精だけならすると。受精はしても、その後の細胞分裂につながらないだけだ、と』
『だけど、フナの繁殖方法なら、相手がどんな種だって関係なく繁殖が可能なんだ』
『つまりだ! ケモ耳美少女と人間との交配は成立しうるんだよ! しかも自分が惚れたケモ耳美少女そっくりの子供が生まれるんだぞ! ウハウハだろ! そう思わないか! 思わない奴は人間じゃない! 村田、俺は大学に入り直すぞ! iPS細胞の可能性を信じて、フナのようにクローン繁殖するケモ耳美少女を創造する! ケモナーの未来は明るい、いや俺がケモナーの明るい未来を切り開く!』
いくら子供を作っても嫁さんの顔ばかりが産まれてくる未来のどこが明るいんだ、と、そのときは冷めた目で話を聞いていた記憶がある。
──しかし、俺はケモノ女性を偏愛する島津の奴に、ずいぶんと汚染されていたんだな。というか、すっかり染まっていながら自覚していなかっただけなんだろう。犬の顔のリトリィに惚れた時点で、自覚すべきだった。
いや、外れっぱなしで良かったのだ。あのような素晴らしい女性を、偏見なしに受け入れることができたのだから。
「まあ、そんなわけだ。獣人は女性のほうがやたらと多い。そして、相手が異種族だった場合、生まれる子供はほとんどが母親そっくりなのだ。多少、色が混じりはするが、母親そっくりの女の子を産む傾向にある」
「……それは、男の子を産むには、同種の男性が必要だという意味ですか?」
「その方が望ましい、ということだろうな。ああ、これはヒトの女性と獣人男性との間でも言えることだ。母親と同じ種族の男性が相手でないと、男の子が生まれることはほとんどない」
島津の奴が言っていた、フナの生存戦略。異種の種を受け入れ、しかし自分のクローンを産むやりかた。おそらくこの世界の生殖方法も、似たような特徴があるのだろう。獣人の女性が多い、というのは、きっとそういうことなのだ。
同時に、なぜこの世界で人間が多く優越状態なのかも理解できた。人間はおそらくほとんどが見た目で同種と判断でき、そして男女双方の子供も生まれやすい。それに対して獣人族は、発情期はあっても元々妊娠できる期間に限りがあるうえに、多様ではあるが多様ゆえに男児に恵まれにくい。
それは同時に、獣人への差別意識にもつながってきたのだろう。異種族と愛し合っても、子に恵まれにくい。まして男児が生まれる可能性が極めて低いとなれば、男性からすればあえて異種族の女性を選ぶ理由がないのだ。その忌避感が、やがて差別的な感情に繋がっていったのではないだろうか。
知的レベルも文化レベルも同程度、けれどどれだけ子供を作っても、母親にそっくりで夫にまったく似ていない子供ばかり産むことになる異種族婚。そういった世界なら、異種族婚が疎まれるのは、どんな社会でも、ある意味必然なのかもしれない。まして大規模な群れと社会を作る人間なら、なおさら。
瀧井さんは、じっと俺の顔を見た。
「だから、わしの最初の子も、ペリシャそっくりだった。毛並みの柄は少々違っておったが、ペリシャそっくりの猫に近い顔でな」
瀧井さんの目が、懐かしそうに細くなる。
「わしも娘の方が多かった。娘が三人、息子が一人。娘はみんな、柄が多少違うくらいで、
瀧井さんが一瞬口ごもる。二十歳を超えると、獣人の女性は極めて妊娠しにくくなるという。リトリィがすでに二十歳を超えているということに、気づいたのだろう。
「ま、お前さんは、ワシよりもいっそう奮励努力を要する、というだけだな。
そう言って、彼は穏やかに笑うと俺の肩をぽんと叩いた。
「さいわい、お前さんにはマイセルがおる。お前さんの血筋は、あの子が必ず残すのだ。リトリィさんとは、ゆるゆると愛を重ねていけばいい。まずは男児だろうが女児だろうが関係なく、リトリィさんにお前さんの子を抱かせてやること。あの気立てのいい娘さんを幸せにしてやれるのは、お前さんだけなのだからな」
「……いえ、俺は彼女たちと、一緒に幸せになると……」
幸せにする、ではなく、共に幸せになる。それが俺の──俺たちの、結婚の誓い。
だが瀧井さんは、笑ってかぶりを振った。
「何を言っているんだね。リトリィさんの幸せは、お前さんの子を抱くことではないかな? 子供を望む妻を幸せにする、それはお前さんだけにできる、大事な大事な使命だと思わんかね?」
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