第520話:計画通り

「ムラタ。連中、変わると思うか?」


 屋根裏の損傷具合を確かめ、石筆せきひつで印を入れながら、リファルがつぶやいた。


「信じるしかないだろう。罰を与えて変わるなら、そうしてたけどさ。人間、何かしらの拠り所あればそう簡単には腐らないと思うけど、連中にはそれがあるとは思えないからさ」

「拠り所、ねえ……」

「リファルには、大工の技能って拠り所があるだろ? 腕一本で食っていけるだけの自信がある技能が」


 腐ってたわんでいる板の、そのあまりのボロボロ具合に、よく屋根掃除をしたときに踏み抜かなかったものだと感心しながら、俺は石筆で大きくバツを書く。


「当たり前だろ、オレを誰だと思ってんだ」

「じゃあ聞くが、お前、財布を落として食い物を買う金もなくなったとしたら、たとえば物乞いをして食って行こうなんて思うか?」

「そんなことするか。ギルドで適当に何か日当の出る仕事を探すに決まってんだろ」

「それだよ」


 俺は脚立の位置を変えるために、一度降りる。脚立を支えてくれている少年たち――ファルツヴァイとトリィネにねぎらいの言葉をかけると、位置をずらしてまた上った。


「……なにかしらの技術を持っていて、それで食っていけるって自信を持っていれば、それが誇りになって、自分を正すことができる……。奴らがリノにしたことは絶対に許さないが、だからって罰して放っておくだけじゃ、何の解決にもならない」

「……変なヤツだな、お前」

「ここ最近、よく言われる」




「手伝いありがとう、助かった」


 夕日が差し込む屋根裏部屋で、石筆の白い印だらけになった天井を見上げながら礼を言うと、ファルツヴァイは咳き込みながらプイとそっぽを向き、トリィネははにかみながらも微笑んでくれた。


「ファルさん、ムラタさんが挨拶してくれてるんだよ?」

「トーリィが返事したんだからいいんだよ」

「もう、ファルさん……。す、すみませんムラタさん」


 気にしなくていい、と笑うと、トリィネはもう一度ファルツヴァイに挨拶をさせようとしたが、ファルツヴァイはその手をするりと抜けて部屋を出て行ってしまった。トリィネはため息をつくと、ペコペコと頭を下げて、追いかけて行った。


 そういえばあの二人、いつも一緒にいる気がする。ファルツヴァイの後ろをついて歩くトリィネ、といった感じか。わがままな兄に振り回される世話焼きな弟、といった様子だ。もし俺に兄弟がいたら、どんな感じだったのだろう。


 リファルの脚立を支えていたのはリヒテルとハフナンだった。リヒテルは相変わらず腕の添え木が取れないが、それでも手伝いに顔を出す心がけがいい。


「それにしても、この屋根、かなり広範囲でき替えなきゃダメだな。分かっちゃいたけどなあ……」

「俺たち二人だけじゃどうにもならない。リファル、ギルドに掛け合って、なんとか一気にできないか?」

「カネの出どころはどうすんだよ。作業員をかき集めること自体は簡単だけどな、集めたぶん、日当を払わなきゃならないんだぜ? ムラタ、お前が出すか?」


 そうなのだ。

 今回の補修の話は、資金が潤沢だった今までの現場と違って、ほぼこちらのボランティア精神が要求される孤児院。カネは、ない。


 雨漏りを直し、環境を整える――それだけしか頭に描いていなかったものだから、まさかこんなに大掛かりな工事が必要になるなんて、想定外だった。

 特に、今この瞬間も屋根の垂木を蝕み続ける、ツカアリの存在は厄介極まりない。噛まれると本当に痛いし、しかもそれが大量に、垂木の中で蠢いているのだ。


「ああもう、巨大ゾンビ兵に『焼き払え!』と命じたいところだな」

「……おいムラタ。唐突に物騒なことを言うんじゃねえよ」


 リファルに突っ込まれて、思わず口に出てしまっていたことに気づく。いや本当にもう関わりたくないんだ、あの虫には。


「気持ちは分かるけどな、『焼き払え!』はねぇだろ。……気持ちは分かるけどな?」


 リファルが苦笑いを浮かべて小突いてきたときだった。


「だんなさま、お迎えに上がりました」


 部屋の入口のほうから、よく知った涼やかな声が聞こえてきた。

 振り返ると、そこにいたのはやはりリトリィだった。紺のロングドレスにすっぽり身を包んでいる彼女だが、あえて尾飾りもつけずに出しているしっぽの金の体毛が、差し込む夕日にきらきらと輝いている。


 リヒテルが、なぜか息をのむようにして突然背を伸ばした。夕日の中だからだろうか、顔が赤く見える。


「リノ、さん……」


 リヒテルの言葉の通り、リトリィの影から顔をのぞかせたのは、リノだった。いつものような快活さはない。そわそわとしていて、落ち着かない様子だ。


 ……まあ、あんなことがあったんだ。できれば来たくなかったんだろう。


「リトリィ、リノ。来てくれたんだな」


 俺が手を上げると、リノはわずかにためらったものの、こちらに走ってきた。


「迎えに来てくれて、ありがとう」


 飛びついてきた彼女の頭を撫でてやると、嬉しそうにしっぽを立てた。ああ、昨日と違っていつも通りのワンピース一枚のリノ、またパンツ丸見え……どころじゃない、やっぱり今日も、ぱんつはいてない。


 そういえば、リヒテルはこの前、リノをクソ野郎からかばってくれてたな。その礼を、まだ直接は言っていなかったか。


「――そういうわけで、改めて礼を言う。ありがとう」

「い、いえ! ぼ、僕はその、当然のことをしたまでです! リノさんはとても可愛らしいですし、困ってたみたいでしたし、可愛いし、だからその……」


 なぜか目のあたりを手で覆ってしどろもどろになるリヒテル。

 ……この角度なら別におしりが見えるわけでもなし、なにをそんなに恥ずかしがるのやら。――そう思ってよく見たら、思いっきり天井を向いているしっぽのせいで、ワンピースがすっかりたくし上げられていた。ああ、太ももから横尻まで丸見えだよ。

 うむ、十五歳にはちょっと刺激が強かったか。というか、この無防備すぎるリノの下半身事情。だめだ本当に何とかしないと。


 当のリノが全く意識していないのに、見てしまった方が恥じらっている。そんなうぶな少年を眺めるのは面白かったが、リトリィがわざわざ迎えに来てくれたのだ、何かあるのかもしれない。改めて礼を言うと、俺たちは孤児院をあとにした。




「……で、なんでオレは、当たり前のようにお前の家にいるんだ?」


 リファルが、じつに居心地悪そうに席に座っている。

 マイセルが盛り付けたシチューからは、いい匂いの湯気が立ち上っている。大きめに切られた具材も、視覚で食欲を刺激する。実に美味そうだ。


「どうせ一人暮らしなんだろ? 食ってけって。リトリィたちも、そのつもりで晩飯を用意したって言ってたじゃないか」

「い、いや、だから、こんな毎晩毎晩……」

「いいんだって、気にするな」

「気にしない方がおかしいって!」


 リファルがおろおろするのを見るのはなかなか面白い。なんだかんだ言っても、いい奴なんだろう。

 俺の分のシチューの皿を持ってきてくれたリトリィのしっぽを、さらりと撫でる。

 ああ、ふかふかもふもふ。至福。「ひゃん!」と可愛らしい悲鳴を上げるのがまたいい。もう、と困ったように微笑みながら頬を膨らませるのもまた魅力的だ。


「リトリィ、酒はあるか?」


 聞いてみると、膨らませていた頬はどこへやら、よくぞ聞いてくれましたとばかりに勢いよく胸を張ってみせた。ぶるん、と縦に揺れる胸がまた、すごい。リファルの目が見開かれ、一瞬にして視線がそこに張り付いたのが分かって、妙に笑える。


「はい、だんなさま。マイセルちゃんが準備、してくれましたよ?」

「麦酒を小樽で仕入れておきました!」


 なぜか誇らしげなリトリィと、これまた仕事を果たしましたとばかりに満足気なマイセル。


「ありがとう、さすが頼れる嫁さんたちだ! ……どうだ、いいだろう?」

「てめぇ、オレを呼んだのは嫁自慢したかっただけかよ!」

「晩飯を一食分奢るんだ、それくらいは許せ」

「奢るって、てめぇが勝手に連れてきたんだろう!」

「リファルさま、ご迷惑でしたか……?」

「あ……い、いや、そんなことは……!」


 表情を曇らせたリトリィに、しどろもどろになるリファル。うむ、計画通り。


「じゃあ、今日はクソガキどもの案件が片付いたことを祝して!」


 俺はリトリィがいでくれた麦酒の入ったマグを掲げる。

 リファルも顔を引きつらせながら、マイセルがいだ麦酒を掲げた。


「バカヤロー、解決どころか、まだこれからの話だって」

「いいんだよ、ひとまず区切りはついたんだ、少なくとも俺にとっては」


 日本ではあまり酒なんて飲まなかった俺だけど、こうやって飲ませたい相手と飲む酒というのは、意外と悪いものじゃないと思うようになった。

 以前、瀧井さんとしこたま飲んでリトリィに拗ねられてしまったことがあったからセーブはするけれど、こうやって軽くたしなむ程度なら、結構楽しいと思えるようになった。


 こいつとの出会いは決して楽しいものじゃなかったし、その当時はこんな仲になるなって思いもしなかった。人生、何がどう転ぶか分からないものだ。




 帰るリファルを玄関まで見送ったあと、家に入ろうとしたら、リノが飛びついてきた。


「だんなさま、今夜もボク、だんなさまと一緒に寝ていいんだよね?」


 どこか不安げな表情のリノを抱き上げると、その頬にキスをする。


「もちろんだ。どうした、なにか不安でもあるのか?」

「ううん? ボク、だんなさまのお嫁さんになるんだもん。不安なんてないよ?」

「……そう、だな」


 リノがギュッと首に抱きついてくる。


「だんなさま、……あのね? 明日、ボクも、あの家に連れてってくれる?」

「あの家って……孤児院――『恩寵の家』か?」

「……うん」


 すこしかすれる声で、けれど、はっきりとうなずいた。


「今日はだんなさまの言いつけで、リトリィお姉ちゃんのお手伝いしたけど……。ちょっと怖いけど、ボク、やっぱりだんなさまのそばがいい」


 今日、リトリィが俺を迎えに来たのは、リトリィ自身の提案もあったそうだが、リノが俺に会いたかったからなのだそうだ。


「……そうか、リノの提案だったのか」

「うん。そしたらお姉ちゃんも、だんなさまの寄り道を防げて早く帰って来てもらえますねって、喜んでたけど」


 ……俺の寄り道を防ぐってなんだよ。


「だって、今日、ボクにイヤなことしたひとたちにお仕置きする日だったでしょ? そしたら、きっとあのおじちゃんとお酒飲んで来るはずだからって」


 ぐっ……まさにそれ、考えていた。


「でしょ? だったらあのおじちゃんも一緒にご飯食べてもらって、それで早く帰ってもらえば、早くだんなさまと一つになれますねって、すっごくうきうきしてしっぽぶんぶんしてた」


 ……その時の光景が、ものすごく鮮明に目に浮かぶ。


「それでマイセルお姉ちゃんがね、それなら先に帰ってお夕飯の準備を進めておきますねって、ヒッグス兄ちゃんとニューと一緒に、先に帰ったの」


 ……なるほど、だからリトリィとリノの二人で来たわけか。

 どうせ寄り道されてどこかで飲んでこられるくらいなら、ウチで食わせて飲ませた方が、自分たちの守備範囲でコントロールできて都合がいいと。


 ……つまり――

 家に戻ったあとの展開を頭に思い浮かべようとしたそのとき、ドアが開いた。


「ムラタさん、おちびちゃんたちはもう、寝かしつけました……。お姉さまも、もう身づくろいが終わってます。だから、その……!」


 マイセルが、月明かりに肌の透ける紗のネグリジェ姿で、恥じらいながらそこにいた。


 ――つまり、すべてはリトリィの計画通り、だったというわけか。

 思わず苦笑をもらしながら、ドアを閉めてマイセルの腰に腕を回しながら口づけをする。

 リノを寝かしつけ、そして愛しい妻たちとの残業に身を打ち込むために、俺は二人と共に寝室に上がった。

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