第495話:プラスマイナスの闇(3/3)

「どうかされましたか?」

「あ……いや、なんでもないっすよ。なんかコイツ、気分がよくなかったみたいで。今はもう、大丈夫っすから」


 リファルが、余計なことを言うなと言わんばかりに後ろ手で俺の腕をつねりながら、ダムハイト院長に笑ってみせた。


「そうですか……。お加減が優れないのでしたら、薬湯やくとうでも飲まれますかな? これでも、庭の菜園の薬草はちょっとしたものなのですよ」




 院長が入れた薬湯と呼ばれるもの、は簡単に言ってしまえばハーブティーだった。俺自身はハーブのことなんてよく分からないが、何となくミントっぽい香りがして確かに清涼感があり、気分の悪さを幾分かは緩和してくれそうに感じた。


 窓から見える中庭には、相変わらず無気力そうな顔をした子供たちが、何かをむしって籠の中に入れている。野菜か何かなのだろうか。

 土をほじくり返して紐のようなものを取り出しては籠の中に入れている子供もいるが、あれはミミズだろうか。


 ……ミミズも食べるのか?

 しばらく凝視しているとその子供は籠を持って立ち上がった。地面をつついている、鳩に似た色合いの、鶏のような鳥の方に向かう。そしてかごの中をぶちまけると、鶏たちはそこに群がって盛んについばみ始めた。

 どうやらミミズは、鶏の餌にするつもりだったらしい。妙にほっとする。


「あの子供たちは、十六の誕生日の前には、独立するんでしたよね?」

「おっしゃる通りです」

「今年は、何人くらい独立するんですか?」

「そうですね、去年誕生日を迎えて今年中に、というお話でしたら、四人が独立する予定です」

「四人ですか……。手塩にかけてきた子供が独立を果たすのは、嬉しくもあり、また寂しくもありそうですね」

「分かっていただけますか?」


 ダムハイト院長は、頬を緩めながら薬湯をすする。


「この院に入ってきた年齢はばらばらですが、共に育ってきた子供たちが、それぞれに独り立ちしてゆく。誠に喜ばしいことですが、おっしゃる通り、誠に寂しいものでもあります」

「なるほど。ところで独り立ちとは要するに、子供がどうなればいいのですか?」


 俺の言葉に、院長は一瞬、動きを止めた。それまで穏やかな様子だったのが、押し上げた丸眼鏡の奥の目を細めて、なにやら推し量るように俺を見る。テーブルの下で俺の靴のつま先を踏むリファルのことは、とりあえず無視しておく。


「どういう意味……ですかな?」

「いえ、わたしは大工ギルドの所属ですから。親方に弟子入りすることも、独立と認められるのですか?」

「……そうですね、それも独立の姿の一つでしょう」

「いや、実はですね?」


 俺は腕を広げ、最大限の営業スマイルをつくってみせる。


「リヒテル君の誠実な人柄を見て考えたのですがね? この院で彼のような子が多く育ってきているのでしたら、成人した暁には我々の大工ギルドに徒弟として来てもらえたら、働き手も増えてありがたいと思いまして」

「……あ、ああ、そういうことですか」


 ダムハイト院長が、ほっと息をつくようにして椅子にもたれかかった。心なしか、表情も緩んだように見える。


「どうでしょう、四人ともあのように誠実なのであれば、ぜひ我が大工ギルドで働いてもらいたいのですが」


 再びリファルが俺のつま先を踏む。

 なるほど、ギルドを、職人の地位を安売りするなと言いたいのだろう。だが、知らん顔をして続けた。


「ただ……そうですね、いきなり徒弟として働くのも、親方がわの受け入れ態勢の問題もありますし、まずは四人とも日雇いで、『幸せの塔』の事業に寄こしていただくことはできませんか?」

「四人とも……ですか? いやしかし……」

「もちろん、リヒテル君は怪我が完治してからというのが前提ですけどね。ファルツヴァイ君もハフナン君も現場を体験してくれましたし、大丈夫ですよ」


 ダムハイト院長が、渋面になった。


 リヒテルはともかく、この前来た三人――ファルツヴァイ、ハフナン、トリィネのうち、ファルツヴァイとハフナンの二人が十五歳だったか。ということはもう一人、十五歳の少年がいるのだろう。


 ただ、リヒテルと違ってファルツヴァイもハフナンも、どこか無気力な少年たちだ。あと一人が誰なのかは分からないが、院長の渋い顔は、この二人同様に、リヒテルと同じレベルの働きを期待されると困る、ということなのかもしれない。


 ――ま、そんなことはどうでもいいんだ。


「大丈夫です。最初は戸惑うこともあるかもしれませんが、いきなり難しいことをさせるつもりはありませんから」

「……それなら、いいのですが」

「検討していただけますか?」

「……無理のない範囲で、お願いできるのであれば」

「ええ、仕事はいくらでもありますから。仕事への慣れと本人のやる気次第で、いろいろな仕事に挑戦していただくこともできますよ」


 ダムハイト院長はしばらくためらったのち、「では、よろしくお願いします」と右手を上げて手のひらを向けた。OKの合図だ。


「ええ、こちらこそよろしくお願いします。――ああ、つきましては、書面にてその約束を交わしたいのですが、よろしいですか?」

「書面……ですか?」


 院長の目が険しくなる。


「いえ、そう硬くならずに。院長先生が院の子供をこちらの現場に送り出す、その覚書をちょうだいしたいだけでして。子供の名前と人数の確認、そして我々の現場で働いてもらうことへの許しをいただきたいのですよ。白紙に一筆、書いていただくだけです」

「あ……ああ、そういうことですか。ならば――」


 さすが人を導く宗教家。さらさらと流れる字は繊細で美しい。十分に書きなれていることを感じさせた。


「……ありがとうございます。それではわたくし、ムラタも一筆を入れさせていただきますね」


 美しい字の下に、俺の小汚い折れ釘のような字が並ぶ。いやあ、なんとも恥ずかしい。美しいのは、書き慣れた文字で書くファミリーネームだけだ。


 ダムハイト院長は草皮紙を覗き込み、目を見開きしばたたかせ、そして困惑したようにこちらを見た。


「……これは失礼しました。かばねを持っていらっしゃる方とは存じ上げず――」

「いえ、お気になさらず。それにこれはかばねではなく、ただのうじですから」


 ますます恐縮されてしまった。

 まあ、無理もないだろう。この世界の庶民は基本的に、名字を持たないからだ。


 名字に該当するのは、世襲の職や先祖の名誉に由来するかばねと、土地に由来するうじの二種類。特に後者を名乗るのは王侯貴族、あるいはその土地を開拓した有力者とその子孫なのだとか。

 ……うん、まあ、恐縮されるだろう。予想通りだが。


「……由緒正しき御名みななのだとお見受けいたしますが、申し訳ありません。初めて拝見する文字でございまして……」

「ああ、お気になさらず。田舎――わたしの故郷の文字です」

「これはこれは、浅学で誠に申し訳ありません。……その、なんと読むのでしょうか?」

「これの読み方は『ヒノモト』です」

「ヒノ、モト……ですか?」

「ええ」


 さらに困惑の度合いを深めた院長に、俺は笑ってみせた。


「『モト』と読みます。ヒノモト・ムラタ。以後、お見知りおきを」


 院長の喉が、上下に動く。つばを飲み下したのが分かった。




「……ムラタ、おい、いつまでおしゃべりを続けるんだ?」


 リファルが、イラついたような小声でそっと耳打ちしてきた。たかが三十分程度の談笑で、こらえ性の無い奴だ。

 だが、そろそろだろう。


「――では、明日から現場に来てもらう四人のことは、お任せください。その子たちの独り立ちのお役に立てるよう、こちらも協力いたしますから」

「ぜひとも、よろしくお願い致します」

「ええ。ところで――」


 俺は、改めて部屋を見回してから、聞いた。


「先日から気になっていたのですが、赤ん坊たちの世話は、本当に大変ですね?」

「そうですね……。今日も協力の約束をいただき、ありがとうございます」

「いえいえ、子供は未来の街を担う存在ですから。そう言えば院長先生は、以前、捨て子は春になると増える、とおっしゃっていましたね? 痛ましい話ですが、多いときには、二、三日で一人捨てられることもあるとか」

「ええ、本当に」


 目を伏せる院長に、俺も合わせるようにして声を落としながら続けた。


「最近はどうですか。もうすっかり暖かくなりましたが……」

「そうですね……。今年はもう、しばらく捨て子を預かっておりません」

「今年の春は、何人くらいになりましたか?」


 無神経だとは思ったがあえて聞いてみると、院長はしばらく天井を見上げるようにして、そして答えてくれた。


「そうですね……十人と少々――でしょうか」

「十人と少々――それは大変ですね、なんとか私の現場でも、寄付を募りたいところです」

「そうですか? それは助かります」


 苦悶の中に笑みを浮かべた院長に、俺はさらに続ける。


「ところで、冬の間にはどれくらいの捨て子を預かられたのですか?」

「今年は『幸せの塔』の修理事業で働く口があったからでしょうか、例年より少なくて。やはり十人ほどを預かりました」

「なるほど……私たちの事業が捨て子を減らしたのだとしたら、私たちとしてもお役に立てて大変嬉しいことです」

「いえいえ。これぞまさに神のお導きでしょう」


 そう言って、祈りをささげる院長。

 その祈りが終わったのを見計らって、俺はさらに聞いた。


「ところで、冬に入る前には、赤ん坊はどれくらいいたんですか? 今年の捨て子はまだ少なかったということは、昨年の冬から春は、さぞ大変だったでしょうに」

「そうですね、本当に大変でした。十四、五人ほどは……」

「それは大変でしたね、人手は増やさないのですか?」

「今は、コイシュナさんが頑張ってくれていますので」

「そう、ですか……」


 俺は、一度薬湯を口にする。

 ややぬるくなったそれを飲み下し、苦いものを吐き出すように、俺は口を開いた。


「ところで、この家にやってきた三十五人以上の赤ん坊のうち、二十人ほどは、どうなったのですか?」

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