第493話:プラスマイナスの闇(1/3)

 孤児院に到着すると、俺たちはとりあえず、雨が降っても濡れないように屋根の下に木材を運び込んだ。

 俺たちが運んでいると、子供たちが自然に群がってきた。


「おっさん、次は何を作るんだ?」

「屋根の修理だよ」

「それだけ? なあ、それだけか?」

「お前たちが手伝ってくれるなら、余った材でまた何か作ってやる」

「ホントか⁉ おい、みんな手伝えよ! また何か作ってくれるってさ!」


 そうなると現金なもので、多くの子供たちが手伝いに来た。ただ、一度始まると、今度は「いかに少ない人数で運べるか」「一人でどれだけ運べるか」などの競争が自然発生的に始まって、意外に早く作業が終わった。子供というのは、なんにでも遊びを見出す天才のようだ。


 ファルツヴァイもハフナンもトリィネも、以前の現場で見たときよりも明るい表情で手伝ってくれたように思う。


 ……だからこそ、作業が終わった帰り道、気になってしまった。


 あの赤ん坊の死から、数日しか経っていないのだ。

 それなのに、どうして子供たちはあんなにも、明るい表情で作業することができたのだろう。


『なんだ、だったらあいつらがシケた顔してのろのろ働いてたらそれでよかったって言いたいのか?』


 リファルの言葉に「そういうじゃない」と反論しようとしたが、結局、答えられなかった。

 だが、どうにも納得できなかった。喪に服せ、とまで言う気はないつもりだったが、少なくとも人の命がひとつ失われた場所なのに、どうしてあんなにも切り替えることができてしまうのか。




「……ムラタさんのお国は、しあわせなところだったのですね」


 可愛らしい寝息を立てているマイセルの髪を撫でていたリトリィが、俺の背中に身を寄せるようにしてつぶやいた。


「幸せかどうかって言われたら……そりゃ、まあ……、あんなひどい環境に置かれる子供はほとんどいない時点で、幸せなんだろうけど……」

「あなた……。わたしが王都でどんなくらしをしていたか、お話、したことありましたよね?」


 ……聞いたことがある。

 リトリィは、王都と呼ばれる街で、その日食べるものもないような路上生活児童ストリート・チルドレンだったということを。

 徒党を組み、ゴミ箱をあさって食べ物を手に入れていたという。年長の少女の中には、自ら春を売って食べ物を手に入れる者もいたそうだ。


 そんな彼らにとって怖かったのは、たちの悪い大人――特に「浮浪児狩り」だったという。

 浮浪児狩りで捕らえられた子供のうち、使い物にならない者は城壁外に捨てられ、体が丈夫そうなものや顔かたちが整っているものは、「養子」という名の奴隷として売られるのだ、という噂があったらしい。


 特にリトリィのような獣人族ベスティリングの子供は、街の治安や美観を損なう存在として、下手をすればなぶり殺しにされる、という噂もあったそうだ。


「ほんとうにそんな場に出くわしたことはなかったのですけれど、そのときはそう信じていましたから。逃げるときはもう、必死でした」


 山の鍛冶屋――リトリィの育ての親にして俺の義父となったジルンディール親方が彼女を拾った夜も、彼女自身は酷い目に遭わされると思って、最初は生きた心地もなかったらしい。


「……笑わないでください。お父さまに初めて会ったときは、ほんとうにこわかったんですから。なにせ、あの体でしょう?」


 まあ、あの年にして筋骨隆々の見事な体格の親父殿だ。今よりさらに十年以上前に出会ったとすれば、もっといいガタイをしていただろう。夜道で道をふさがれたら、確かに怖かったに違いない。


「ころされる――本気でそう思ってあばれたのに、がっちりと抱え上げられてしまって。泣きながら、それでも必死であばれたんですけどね?」

「殺されるって……大げさだな」


 思わず笑ってしまったが、真顔のリトリィに、俺も笑いを引っ込める。


「あなたには、もしかしたら信じられないことなのかもしれませんが、わたしたちにとって、ひとの死は、けっして遠い話ではないんです。よくあること、なんです」

「いや、だからって――」

「前に話しましたよね? 姉と慕っていた人が身請けされたあと、病をうつされて出戻ってきて、膿と血にまみれて死んでいったって。孤児だったわたしたちにとって、知らない人――特に男のひとはみんな、体を売ってお金をもらう相手か、そうでなければ敵だったんです」


 リトリィが、無表情のままに続ける。


「何もなしに食べ物をくれるひとは、一番危ない相手――それがわたしたちの考えでした。頼れるのは、自分たちと同じ暮らしをする子供だけだったんです」


 リトリィの、感情の無い表情が胸に痛い。

 そうだ、リトリィは多分、俺が想像できる範疇にない幼少期を送っているんだ。

 そんな彼女を笑うことが、どうして俺にできるのだろう。


「……ごめん。辛いことを思い出させてしまったみたいで――」

「いいえ? あなたには、隠し事はしないっていう誓いを立てていますから。いつかは、お話することになったはずです」


 起伏の無い言葉に、俺は思わず彼女に向き直って抱きしめた。

 窓から差し込む月明かりの中で、彼女の金色の体毛の一本一本が、銀色に光り輝く。過酷な幼少期を送ってきたはずの彼女は、けれどたとえる言葉が見つからないほどに美しい。


 生きる痛みと、自分を拾ってくれた鍛冶屋夫婦の愛を知るからこそ、彼女は驕りを見せることなく万事控えめで、それでいて譲らぬところは決して譲らぬ心の強さをもつに至ったのだろう。

 そして、そんな彼女に出逢うという奇蹟を得たのが、俺。


 ――そんなふうにひたってしまった俺に、リトリィは淡々と続けた。

 恐ろしい言葉を。


「だから、なんとなく分かるんです。孤児院の子たちはたぶん、赤ちゃんの死に慣れているのだと思いますよ?」


 そんな馬鹿な――

 言いかけた俺を、そっと押すようにして身を離したリトリィ。彼女はわずかに微笑んでみせた。どこかあきらめを感じさせる、力の無い笑み。


「わたしがちいさいころにお世話になっていたお姉さんのなかには、孤児院からにげてきたかたもいました。そのかたがいた孤児院では、冬、特に食べ物が少ないころは、三日にひとりは赤ちゃんが亡くなっていたそうです」

「み、三日に……ひとり?」

「大げさに言っていただけかもしれませんけれど、ね?」


 信じられない。そんなに頻繁に孤児院で子供が死んでいたら、それは大問題になるんじゃないのか?

 思わずそう言ってしまった俺から、リトリィは目を背けた。


「……捨て子ですよ? 産んだ親からも見捨てられた子供たちです。まして王都は、ここよりもずっと大きくて、ひともずっと多いところ。きっと、捨て子の数も……。だれも、なにも言わなかったのではないでしょうか」


 その瞬間に、俺はリトリィを抱きしめずにはいられなかった。

 好きだ、愛している。君のことを、誰よりも――それを伝えたくて。

 どんな理由があったか知らないが、彼女自身が、実の親の愛を知らぬ孤児だったのだ。自分の愚かさ加減を思い知るとともに、どうしようもなく胸が痛む。


「……そんなにご自身をせめないでください。わたしはだいじょうぶです。あなたに愛してもらえている――それだけで、わたしはしあわせですから」


 そう言って、リトリィは唇を求めてきた。俺もそれに応えて、しばらく、互いにむさぼり合う。


 けれど、俺はどうにもそれに没頭できなかった。

 気づいてしまったからには、聞かずにいられなかったのだ。


「……『恩寵の家』の院長は、春になると捨て子がぐんと増える、と言っていた。聞いた時は子供を捨てる親がそんなにもいるってことに驚いたし、悲しくも思った。それだけだったんだけどな……」


 そう。

 リトリィの言葉を聞いて、恐ろしいことに気がついたんだ。


「前にあの家に行ったとき、確かに赤ん坊の泣き声が聞こえていた。多いときには二、三日に一人捨てられることもあるって言っていたし、そういうことなんだろう」


 リトリィが、神妙な顔をしてうなずく。


「つまり……もし、それが続いているのなら、当然――」


 ――赤ん坊や、育ってゆく幼児たちでいっぱいになるはずなんだ、それこそ保育園だか幼稚園だかのような有様に。

 リファルが椅子を作っていた時だって、きっと、もっと小さい子供たちがギャラリーに加わってもおかしくなかったはずなんだ。


 ――それほどでもなかった、ということは。


 リトリィは答えなかった。

 ただ、静かに首を振って、俺の顔を胸に埋める。

 同時に俺のものをつかんで強引に奮い立たせ、そして熱い胎内に飲み込んだ。


 リトリィが悲しい目のままに俺を押し倒すと、俺の上で大胆に腰を振り、身をくねらせる。

 これ以上考えなくていい――そう言わんばかりに。


 ――それは、俺の予想が限りなく正解に近い、ということなのだろう。


 子供たちは、確かに拾われている。

 だが、それと同じくらい……

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