第476話:「外」に住む彼女

「ムラタさん⁉ す、すみません! 今日も来てくれるなんて思ってなかったから、散らかってて……!」


 相変わらずフェルミの部屋は、散らかる以前に生活感すら感じられないほどに殺風景なものだ。

 けれど、そのテーブルには、端切れを利用した産着が何着かすでに縫ってあるのが見えた。うちのマイセルと同じで、やっぱり我が子の服は自分で作るものなのだろう。


「ごめんなさい、なにもご用意できてなくて。すぐお茶でも……あっ」


 簡素な暖炉コンロの方に向かおうとした彼女を抱きしめる。

 フェルミが女性だと知るまでは、ずっとチャラい男だと思っていた。

 だが、先日の戦いの中で彼女を知って・・・、そして子供を授かった。

 そう、彼女のお腹に宿っているのは、俺の子なのだ。そう思うだけでも、無性に愛おしさがこみ上げてくる。


 誰よりもリトリィのことを愛している自負はあるが、それでもフェルミと二人きりの今だけは、フェルミだけに向き合ってやりたい。


 そっと彼女のお腹に手を滑らせると、目立たないとはいっても、確かなふくらみを感じる。フェルミは獣人――猫属人カーツェリングだから、妊娠期間はマイセルよりも短いらしい。たぶん、胎児の成長がヒトよりも早いんだろう。

 だから、フェルミが妊娠したのはマイセルよりも後だが、おそらく出産はマイセルと同時期になるだろうと医者に言われている。まだお腹の膨らみがマイセルほどではないフェルミだが、これから追いつくように大きくなっていくのだろう。実に楽しみだ。


「今日はどうしてこちらに? お仕事は?」

「いや、仕事前に君の顔を見ておきたくて」


 真面目に言ったつもりだったが、冗談にとられてしまったみたいだ。


「そんなことを言ったからって、なにか出せるわけじゃないスよ? 私からなにか引き出せるとしたら、奥様のヤキモチくらいで――」


 ……ああ、そうやって卑下させるために来たわけじゃないんだ、フェルミ。


 しばらく唇を重ねたあと、やけに上機嫌になった彼女のすすめるまま、テーブルにつく。


「奥様が淹れるお茶ほどではないですけどね?」


 そう言いながら、けれど嬉しそうにポットを傾けるフェルミ。

 とりあえず当面の間、食べるには困らないくらいにはお金を渡したはずなのに、質素な暮らしぶりは相変わらずだ。このカップだって、フェルミのものだ。余分が一切ない生活。ミニマル、と言ってしまえばおしゃれに聞こえるが、要はそれだけ余裕のない生活をしている、ということだ。


「フェルミ、もう、君一人の体じゃないんだから、しっかり食べてほしいんだが」

「ちゃんと食べてますってば。相変わらず変に心配性ッスね?」


 笑って茶化すフェルミだけど、君が俺と二人きりのときにそういう言葉遣いをするときは、話を打ち切りたがっている――つまり痛いところを突かれているときだってことくらい、分かるようになったからな?


「……そうか。分かった。じゃあ、今夜うちに来い。晩飯を一緒に食べよう」

「え……?」

「一回分の食費も浮くし、フェルミもしっかり栄養を取れる。みんなで話もできる。いいことずくめだ」


 俺がニヤリと笑ってみせると、フェルミは途端にうろたえ始めた。


「え、あの……そ、そんなの悪いかなーって思うんスよね? ……ほ、ほら、やっぱり私みたいな立場の女が、ご家庭にお邪魔するっていうのは……」

「そこは気にするところじゃない。リトリィだって、第一夫人の誇りと意地にかけて、君の健康管理はきちんとしようとしてるんだからさ」

「い、いや、……その、……奥様の手を煩わせるのは……」

「家長の俺がいいと言ってるんだ。今夜、家に来い。異議は認めないからな」


 フェルミがため息をつく。だが、顔は笑っていた。


「……もう、普段はヒョロいくせに、変なところで強情なんスから……」

「分かっているなら結構だ。迎えに来るから、そのつもりでいろよ?」

「はいはい」


 フェルミは再びため息をつきながら、けれど俺の背中にしなだれかかってくる。


「……ずっと男を演じてきましたけど、こうやって、強情で強引な男にほだされちゃうと、自分はやっぱりオンナだったんだなあって思っちゃいますね」


 そう言いながら、首筋への口づけ。俺は振り返ると、彼女のあごをとらえ、応える。


「……嬉しいですけど、そうやって奥様に余計な負担をかけるようなことをすると、またマイセルに叱られますよ?」


 つう、と互いの口から伸びた銀糸を見ながらおどけてみせるフェルミに、俺はあえて笑ってみせた。


「いいんだよ。ていうかお前、リトリィは奥様扱いなのに、マイセルはマイセルなんだな」

「当然ですよ。リトリィ様は第一夫人なんですから。ヒノモト家で一番の方ですよ?」

「……おい、一番って」

「家計を預かる第一夫人が、家の頂点に決まってるじゃないスか」


 ニヤリと笑ってみせるフェルミに、俺は苦笑する。なるほど、そういうものかもしれない。


「それは冗談にしても、私だって恐れ多いんスよ? お優しいひとだから、余計に」


 リトリィを心から姉と慕っているマイセルと違って、フェルミはリトリィに苦手意識を持っているらしい。

 リトリィはおそらく、純粋にフェルミのことを家族の一員と見なし、世話を焼こうとしているだけなんだろう。だけどフェルミは立場が立場――妻ではなく、あくまでも「外の女」の立場を貫く気でいるらしいだけに、そういった心遣いをかえって心苦しく感じるようだ。


 だが俺の子を産んでくれる女性を、いつまでも「外の女」扱いなんてできるものか。早く慣れてもらわないと困る。フェルミも臨月を迎えるころには、家に来てもらって一緒に生活をしてもらうつもりなんだから。


「……だから、その話はナシですってば。大丈夫ですよ、貧救院あたりで、一人で産みますから」

「俺の子を産む君に、そんなことさせられるか! 必ず家に迎えるからな」

「だから、そんな強引に――」


 言いかけて、フェルミはまたため息をつき、そして、寂しそうに笑った。


「……どうして、私、もっと早く、あなたに逢えなかったのでしょうね……?」


 あなたの一番になれていたなら――その言葉の続きは言わせなかった。今は、この今だけは、お前が一番なんだ。




「で、遅刻なさった我らが監督サマは、朝っぱらからおめかけさんとしっぽりヤッてきたと」

「下品なことを言うな」

「でも事実だろ?」

「愛を確かめ合ってきただけだ」

「何が愛だ、金色さん一人で満足してろってんだこの種馬野郎」


 リファルと小突き合いながら、今日も図面を確認する。思えばこのクソ野郎リファルとの縁も、一年以上になるのか。


 初めてリファルに会ったのは、大工ギルドに俺が加盟するとき。俺の大工的技量を見定めたのがコイツだった。「てんで使い物にならないニセモノ野郎」が、その時の俺への評価だったっけ。

 そりゃそうだ。俺は「二級建築士」、紙とペンとパソコンで個人の家を設計するのが仕事であって、大工ではないからな。


 それを思えば、こうやって小突き合いながら共に仕事をして、帰りにはたまに飲み合う関係になったというのは、本当に不思議なものだ。縁というのは、どう転ぶか分からない。


「そんなことより聞いてくれよ、リファル。仕事とはあんまり関係ないんだけどさ」

「なんだよ」

「この前、うちの家族みんな連れて、飯食いに行ったんだよ、飯」

「それがどうした?」

「そしたら、なんか人がめちゃくちゃいっぱいいて座れなかったんだ」

「仕事と全然関係ねえじゃねえか、仕事の話しろよ!」

「そしたら、なんか噂で、小銅貨五枚分、割引中だったって。もうね、小銅貨五枚やるから、その席空けろと」

「だから仕事の話しろって、お前監督だろ!」


 とまあ、そんなくだらないことをやり合いながら一緒に仕事をするなんて、本当に出会ったころは思っていなかったんだ。むしろリトリィを犬扱いした、不倶戴天の敵だと思っていたくらいなんだから。

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