第405話:メイレンさんは知っている?

「……そんなことがあったのか。なんでオレたちを頼らなかったんだ」


 結婚して半年、便りがないのは良い便りとばかりに、俺たちについて、山の上では何の心配もしていなかったのだという。

 盗作疑惑がかけられ、仕事を干され、おまけにリトリィまで奪われるという散々なありさまに、フラフィーは最初こそ笑った――笑うしかなかったのだろう――ものの、あとはずっとしかめっ面をしていた。


「おまけに泥棒に入られただと? お前、『カラスを怒らせた』な?」

「『カラスを怒らせた』?」

「あ? ……ああ、ことわざだ。カラス、つまり運気の遣いを怒らせた、ってことだ。相当運が悪い野郎だって意味だよ」


 なんだ、カラスはこの世界でも嫌われ者なのか? かわいそうに。

 そんなことより運が悪い、か。まあ、運は相当に悪いだろう。そもそも、現代日本からこの世界に落っこちるという、最大級の悪運を引いているんだから。


 ――いや! そんなことはないぞ!

 俺はリトリィとマイセルに出会うという、最高の当たりくじを引いてるんだ。

 多少の不運はバランスとりというか、揺り戻しというか――とにかく俺は世界一の幸せ野郎なんだから、多少の不運は仕方がない! そうだ、仕方がない!


「……おめぇがそう言い張るんなら、別にそれでいいんだけどな?」


 多少ひきつった笑みを浮かべたフラフィー。

 モーナちゃんが落としてしまったスプーンを拾いながら、同じようにひきつった微笑みを浮かべるメイレンさん。


 だが、考えてみれば本当にそうなのだ。俺は年齢=彼女いない歴の更新という万年童貞だったのに、今じゃ世界最高の妻を二人も娶ることができたんだ。やり直しのきく不幸が何だというんだ。マイセルの財布がまだ見つからないのは残念だが、俺の方は何とでもなる。


「……それで、今日は、どうしてここへ? 何かあったのか?」

「さっき言っただろ? 買い出しのついでだ」


 そう言って、モーナちゃんの空になった皿に、「ああ、いい。オレがやるから」とシチューのおかわりを盛りつけてやる。


おとうちゃん・・・・・・、ありがとー!」


 うれしそうにフラフィーを見上げるモーナちゃんに、顔面が蕩けるフラフィー。

 ……うん、こわい。


「……そうか、『おとうちゃん』か」

「おう。メイレンは俺の嫁。嫁の子供は俺の子供。だからオレはモーナの父ちゃん。そういうわけだ」

「結婚したのか? だったら式に呼んでくれたらよかったのに」

「まだ手続きはしてねえよ。メイレンに着せるドレスを仕立ててやれるまではな」

「……え? だったら――」

「結婚なんて手続きをするかどうかだけだ。オレはもう三儀式を済ませた。子作りも進めている。だったらオレたちはもう、夫婦だ」


 結婚式なんて、周りにこの女はオレのもんだと宣伝するためだけのもんだ、いつしてもいいんだよ――そういってフラフィーは笑った。




「ホントはな? さっさと式を挙げようって言ったんだぜ? そしたらアイツ、なんて言ったと思う?」


 フラフィーが、庭で星空を見上げながら続けた。

 俺は、冷めてぬるくなってきた白湯をすする。


「もう式なんて挙げなくてもいいんだってさ。永遠の愛を誓ったって、それが冷めてしまうことだってあると。……オレ、アイツをさ、ダンナから分捕ったからよ……」

「旦那から分捕った!?」


 話によると、あの垂れ耳うさぎロップイヤー風のウサギ耳の女性――メイレンさんは、一度結婚したことがあるのだという。


 子供がいるのだから、結婚はしていたのだろうとは思っていた。けれど、ナリクァンさんがこの家で行っている炊き出しにはいつもメイレンさんとモーナちゃんの二人で来ているから、旦那さんは死別したか何かだと思っていたのだ。


 実際は違った。元旦那の男は生活力がない……というか、結婚してからは日雇いの仕事もろくにしなくなり、家庭を顧みることもなく、挙句の果てには他に女を作って、家に寄りつかなくなったのだという。


「なんだそりゃ。最低な男だな」

「おめぇもそう思うか? オレも同じことを思ったよ」


 そう。

 メイレンさんは旦那と死別したのではなく、結婚生活が破綻したため、関係を解消したのだ。


 ところが、ろくに仕事をしなくなったとはいっても時々はふらっと働きに出て、わずかばかりのお金を持って来る――それすらなくなってしまっては、生活が立ち行かなくなる。メイレンさん自身も日雇いの仕事をしていたものの、娘が生まれてからはそれもなかなかできなくなってしまっていたそうだ。


「そこに付け込むようによ、アイツの元ダンナが、たまに金を持ってアイツの家にふらっとやってきては、娘が起きていてもかまわずアイツを抱く――そんな暮らしを続けていたんだとさ」


 だからオレが、元ダンナをぶん殴ってアイツを分捕ったんだよ――そう言ってフラフィーは笑った。


「だからアイツは、オレに負担をかけたくない、そばにいられるだけでいいからって言って、式を挙げたがらないんだ。――もっとも」


 オレはいずれおめぇらに負けねぇドレスを仕立ててもらって、無理にでも式を挙げるつもりだけどな――日焼けで真っ黒な顔に、歯だけをギラギラさせて笑う。


「アイツはイイ女だよ。リトリィが抜けて気づいたんだが、オレたちは鉄を扱うことにかけては一級の職人だと思ってるんだが、食っていくチカラは無かったらしい」


 なるほど、すっごくよくわかるぞ? 裁縫、炊事、洗濯、掃除。いわゆる家事のさしすせそを連中がやっていた姿など、ついぞ見なかった。ついでに畑仕事もな。


「それがな? アイツがやってきたら、美味い飯が食えて、家じゅうピカピカになって、パリッとした服が着れて、ふかふかのベッドで寝られるようになったんだ」

「リトリィがいたころの生活水準に戻ったってわけか」

「リトリィみたいに鍛冶をやらないぶん、さらに徹底してらぁ。チカラは無いからチカラ仕事はオレがやるしかないが……」


 そこまで話してから、フラフィーは俺のほうに振り返った。

 ふいに真面目な顔になり、そしてまた、ニカッと笑ってみせる。


「……一番のチカラ仕事の水汲みは、おめぇが残してくれた井戸の汲み上げポンプとかいうやつと濾過装置のおかげで、なんとかなってる。おめぇ、ホントにすげぇ仕事をやってくれたぜ」

「……いや、あれは――」


 あの頃の暮らしを思い出す。

 リトリィのことを想いながら、けれど日本に帰りたいとも思い、彼女とすれ違い、悶え苦しんだ、あの日々。


 リトリィに好意を寄せながら、けれどそれを言えなくて。

 抱きたいと、そのぬくもりを感じたいと何度も思い、けれど日本に帰ることを考えれば彼女と結ばれることなんてできないと思い込んで。

 俺のことを慕ってくれる彼女の想いを理解はしていても、それを振り払わなければならないと思い込んでいた。


 だからこそ、リトリィのために何かをしてから山を下りるつもりで試行錯誤した、あの濾過装置とポンプ。あれは、俺のせいで壊れた笑顔を見せるようになってしまった彼女に対する、贖罪のつもりで作ったのだ。


 ――そうだ。メイレンさんの元旦那を最低だ、などと罵る資格なんてない。

 俺自身が最低な男だった。

 彼女の想いに気づいていて、俺自身も彼女に惹かれていてなお、彼女を置いて山を下りようとしていた。


 ……リトリィに本当に辛い思いをさせてしまった、あの頃。

 今思い出しても、胸がえぐられるような痛みを覚える。俺の身勝手な考えで、長いこと彼女を苦しめてしまったから。


「――あれは俺にとっても専門外だったから、なかなかうまくできなくて……」

「なに言ってやがる! おめぇは大したヤツだよ!」


 そう言って、フラフィーは俺の肩をバシバシとぶっ叩いた。


「アレのおかげで、アイツは沢まで水を汲みに行かなくてもいい。おまけにおめぇが残してくれた図面のおかげで水を家まで引き込むこともできたから、そもそも水汲みに畑の井戸まで行く必要もなくなった。そのくせ、あの仕事の件では銅貨一枚受け取ろうとしなかった。おめぇはホントに、大したヤツだぜ!」


 ……違う。

 俺は、そんな、すごい人間なんかじゃなかったんだ。

 俺がリトリィにやってしまったことの、罪滅ぼしのつもりだったんだ。

 今日だって、泥棒に入られたことを、八つ当たり気味に―― 


「――なに泣いてんだ、泣くんじゃねえよ。全部、おめぇの仕事のおかげだ。おかげでアイツは、一人であの山の家を回せてるんだ。――ムラタ、ありがとよ」


 そう言って、また肩をぶっ叩く。

 だから痛いって!

 くそう、この世界の職人は、相手を褒めたり礼を言ったりするときに、いちいち背中や肩をぶっ叩くってルールでもあるのかよ!

 涙がこぼれて仕方がない、これは痛いからだ、肩をぶん殴られて痛いからだ!




「じゃあ、今夜の寝床、借りるぞ?」

「なに言ってるんだ。もうモーナちゃんも奥さんも寝てるだろ?」

「違いない」


 俺の家はもともと公民館を想定していたから、余分なベッドルームなど無い。けれどリビングダイニングに割り当ててある部屋にはカウチソファーがあるから、メイレンさんもモーナちゃんも、そこで寝ているはずだ。

 というか、そもそも二人が寝たことを確認したフラフィーに誘われて、外に出てきたのだから。


 家に戻る時、フラフィーがふと、思いついたように言った。


メイレンアイツな? さっきも話した気がするが、もともと貧しい出身でな、スラムに近いところで暮らしていたんだ」

「……ああ、貧しいのは知ってる。炊き出しに来ていたからな」

「いや、……そういう意味じゃ、ねえんだけどな?」


 フラフィーが珍しく、歯切れの悪い話し方をする。


「スラムってなぁ、いろいろワケありなヤツらが住むところでな。アイツのいう『日雇い』の仕事ってのも、その……」


 フラフィーは、少しだけ言いにくそうにためらってみせた。だが、決心したように続けた。


「もしかしたらアイツ、今回の泥棒のことで、なにか知ってることがあるかもしれねえぞ?」

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