第324話:思い出の家、そのはじまり
目が覚めたのは夜半過ぎ、青い月がだいぶ傾いていた。二人の女性に絡みつかれるように眠っていた。
……日本ではこんなこと、考えられなかったのに。
二人を起こさないように、そっと腕を外す。
窓辺に立つと、街が月の光のなか、静かに横たわっていた。
何もかもが日本とは違うこの世界で、俺はとうとう、妻を得た。
――得てしまった。
列席してくれた人々の前で、愛する女性と、
もう、引き返せない。
いや、引き返さない。
俺は、俺を愛してくれる女性に二人も巡り会い、その二人ともが、共に生きる道を選んでくれたのだ。そんな二人に俺ができることなんて、一つしかない。
「――
呼ばれて振り返る。
翻訳されずとも分かるようになった、いくつかの言葉。
振り返らずとも分かる、鈴の鳴るような涼やかな声の持ち主。
――リトリィ。
「眠れませんか?」
「……いや、ただ目が覚めただけだよ」
彼女の言葉に、俺は小さく笑った。
「君こそ、どうしたんだ?」
「あなたが、おそばにいなかったから」
「起こしてしまったのか。悪かったな……」
「いいえ?」
そっと、彼女が傍らに立つ。
「何を見てらしたんですか?」
「……何も。強いて言うなら、この街、かな」
一緒に並んで、窓の外を見上げる。
全ての月が中天の空に並ぶ藍月の夜からまだあまり経っていないから、位置はバラバラながら、月はまだ三つとも夜空に浮かんでいる。
あと十日ほどで、また、判定の日が来る。
彼女を泣かせたくない。
でも、子供は授かりもの。こればっかりは、祈るよりほかはない。
願わくは、どうか――
「だいじょうぶです。もう、あなたをこまらせたりしませんから」
何も言っていないのに、彼女は静かに俺に寄り添った。
俺を見上げ、目をつぶってみせる。
――俺の心配を見抜いたうえで、それか。
そっと、その薄い唇をふさぐ。
マイセルとリトリィ、ふたりを抱いてみて気づいたことがある。
リトリィの熱いくらいのぬくもり、それは、きっと、彼女が
俺はリトリィしか知らなかったから、体温というのは、単純に体の中の方が高い、もしくは女性の胎内というのは男より体温が高いものなんだろうと思い込んでいた。
しかし、マイセルを知って、明らかにリトリィの体温が高いことに気づいたのだ。
マイセルは、温かい。自分と同じぬくもりを感じる。
リトリィは、熱い。熱めの風呂に、自分のものをひたしたような、そんな感じ。
――ひょっとして、人間と
益体もないことを考えながら、彼女を窓辺に押し付け、後ろから抱きすくめ――そして、彼女の求めるままに体を重ねる。
彼女の豊かな毛並みに、髪に、自身を
俺と彼女に挟まれて、窮屈そうに跳ねるしっぽがまた、愛らしい。腹がくすぐったいが、それもまた、彼女との楽しみの一つだ。
切なげに首を振りながら、熱い吐息を振りまく彼女の、そのつかみきれない胸に、乱暴に指を喰い込ませる。
顎をとらえて横を向かせ、目を蕩かせ鳴くように喘ぐ彼女の唇に、自分の唇を重ねる。
貪欲に愛を求める彼女は、たちまち俺の口内を、自分の舌で占領する。
自ら腰を動かしながら、彼女は右手を胸に埋もれる俺の手に重ね、左手を俺の腰に回す。
山にいたころから、ずっと俺を望んでくれていた彼女。
そのころの渇望の分まで満たそうというのか、彼女は俺を求め続ける。
どこまでも、貪欲に。
「いらして……ください……っ」
彼女は注ぎ込まれるその瞬間が、分かるらしい。
彼女に求められるままに己を解放すると、彼女は感極まったように、ひときわ甲高く、叫ぶようにして身を震わせた。
「また、マイセルちゃんに内緒で、お情けをいただいてしまいましたね」
俺に背中から包まれるようにして横になっている彼女は、その腹をさする俺の手に、自分の手を重ねていた。
「……望んで、くださってるんですよね?」
「もちろん」
言うまでもないことだ。俺たちの子を望んでいるのは、彼女を除けば俺が世界一という自負くらいある。
それなのに信用されていないみたいで悲しいが、以前、彼女を不安がらせたのは俺だ。
彼女が俺を愛してくれている、それは間違いない。けれど以前のことがあるから、不安で、聞かずにはいられないのだろう。
ただ、あまりに強く子供を望んでも心理的な負担になりそうだし、だからといって焦らずゆっくり、なんて言ったら、やっぱりわたしの子供なんていらないのかと、彼女を傷つけそうだ。
……実際、後者のことを言って泣かせた前科が俺にはあるからな。
結局、なんと声をかけていいのか分からないまま、ゆっくりと、そのお腹を撫でさすり続けた。リトリィは何も言わず、ただ、俺の腕の中に納まっている。
「……あなた?」
「……うん?」
リトリィに呼ばれて、ためらいながら返事をすると、彼女は振り返って微笑んだ。
「ふふ、呼んでみただけ――」
そう言って舌をちろりと見せる。
苦笑すると、俺はその舌を、ぱくりとくわえてやる。
「……あなたのお嫁さんとして、あなたの建てたおうちで、こうしていられる――夢、みたいです」
「夢じゃないさ。これからも、ずっと一緒だ」
そう言って、彼女の腹をゆっくりと撫でまわす。
「いずれ来てくれる子たちと一緒に、ずっと」
「……そう、ですね。ずっと――」
ああ、ずっとだ。
ひとつ屋根の下、あたたかな家で、みんなで、幸せになるんだ。
思い出を、一つ一つ、刻み込んでいきながら。
「ムラタさん、何をしているんですか?」
庭にいた俺に、マイセルが声をかけてきた。手にはかごいっぱいの洗濯物を抱えている。そうか、これから洗濯か。
「いや、絵を描いているんだ。……家の絵を」
「新しいお家を建てるんですか?」
マイセルが、くりくりの目を大きく見開き輝かせながら寄ってくる。
残念ながら不正解だ。
「……これ、神様への宣誓のときの……?」
「ああ。記憶も鮮明なうちに、残しておきたくてさ」
この世界には写真なんてないようだ。
だから、絵で残すしかない。
「ムラタさんって、本当に絵が上手なんですね! 前に描いてくれた絵も素敵でしたけど、これも、なんだか鳥になって披露宴を見てるみたいな、そんな感じがします!」
俺たち三人が、祭壇の前で誓う様子を、俯瞰的に描いた絵。
俺は決して絵が上手いわけじゃないし、今もフリーハンドで描いていてアタリも適当だが、一応これでも建築士。顧客に説明するための、最低限のイメージを絵に描くことができる程度の自負はある。
人間の方はその分、無機質なマネキンみたいな感じだが、とにかく、どんな雰囲気だったかを、いずれ生まれる子供たちに見せてやりたいのだ。
――俺たちは、こんなに楽しく、幸せな結婚をしたんだよ、と。
「この家は、あくまでもナリクァンさんから借りているようなものだからさ。夫婦三人で暮らすにはちょうどいいかもしれないが、子供ができたらきっと手狭になる。いずれは、この家を出ていくだろう」
そのときに、俺たちの出発点――思い出の始まりは、この家だったんだよと、そう教えてやれるようにしておきたいのだ。
「……結婚したばかりなのに、もう引っ越しのことを考えてるんですか?」
マイセルが目を丸くする。
「私、ずっとこのおうちで過ごすんだって思ってました。だって、一階はお部屋が三つもあって、寝室は上全部でしょう? 十分だって思いませんか?」
「夫婦で愛し合う寝室と、子供の寝る部屋が一緒っていうのは、マイセル、耐えられるのか? 子供への性教育の一環で見られても構わない――マイセルがそう言うなら、俺は構わないんだが」
言われて、マイセルが途端に真っ赤になる。
本当に分かりやすいな、俺のお嫁さんは。
「……ええと、じゃあ、この家は、いずれ……?」
「そうだ。そしていずれは、俺たち家族が住みやすい、最高の家を建てるんだ」
だからこそ、俺たちの出発点となる家を、きちんと記録しておく。
俺たちのはじまりの家――思い出の、出発点となる家を。
「……あ! お姉さま! こっちこっち、ムラタさんがすっごく素敵な絵を描いてるの!」
マイセルが満面の笑顔で、これまた洗濯物を手に家から出てきたリトリィを呼ぶ。
その時、少し強い風が吹いて、俺の手元から紙が吹き飛ばされてしまった。慌てて拾いに行くと、それはリトリィの足元に落ちる。
「……これは、わたしたちが、宣誓をしているところ……ですか?」
一目見てすぐに見抜いたようだ。人間はみんな顔なしのマネキン状態なのに。
……そうだ。それを一番に描きたかったんだ。
シェクラの花の下で、永久の愛の誓いを捧げているところ。
リトリィが望んだ、たった一つの願い。
それをかなえた場面。
そう、俺たちの、本当のはじまりの姿。
この家で愛を刻んでいく、本当のはじまりの、思い出。
俺たちは、これから刻んでいくのだ。
まずはこの家での、三人の思い出を。
( 第三部 異世界建築士と思い出の家 了 )
――――――――――
お読みいただきありがとうございます。
感想や評価をいただくたび、本当にありがたく読ませていただいています。
もしよろしければ「♡応援する」へのチェックや★の評価、感想などをいただけると、作者の励みになります。
よろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます