第321話:義兄にもお相手が

 炊き出しも終わり、片付けも済んだ俺たちは、ナリクァンさんたちを見送ったあと、家でお茶を飲んでいた。

 フラフィーと、ウサギ耳母娘も一緒である。


「で、なんであんたがここにいるんだ? 親方たちも、まだどこかの宿にいたりするのか?」

「いや、いねえよ? 披露宴明けの朝、すぐ山に戻ったぜ」


 あっさりと答えるフラフィー。


「どういうことだ、あんただけ買い物のために残ったとか?」

「いや、違う」

「じゃあ、何のために残ってるんだ?」

「ちょいとな」


 そう言って、フラフィーは隣に座るウサギ耳の女性を見た。

 彼女もその視線に応えるように、彼を見上げ、そして、わずかに微笑んでこちらに向き直る。


 披露宴の初夜明けのダンスで、フラフィーが、そこのウサギ耳の女性と踊っていたのを思い出す。


「まさか、あんた――」

「何がまさかなのかは知らねえが、間違っちゃいねえとは思うぜ?」


 フラフィーが、がははと笑って女性の肩を抱き、その頬に唇を寄せる。

 彼の膝の上の少女が、体のバランスを崩しかけたのをすかさず押さえながら。


「お兄さま、そのかたとお知り合いだったのですか?」


 とりあえず、ドライフルーツとナッツを軽く火であぶったものを持ってきたリトリィが、皿をテーブルに置きながら聞いた。


「知り合いだったというか、この前の披露宴で知り合った」

「……なん……だと……!?」


 ちょっと待て。

 聞き捨てならんぞそれは。

 わずか数日で、そんな、肩を抱いてキスをするような、そんな仲になったっていうのか。


「改めて言われると照れるぜ、なあ、メイレン!」


 ちくしょう、なんて奴だ! ひょっとしてこの日焼け筋肉スキンヘッド男、三洋や京瀬ら以上のモテスキルを持っていたというのか!? なんてうらやまけしからん!


「……じゃあ、ひょっとして、アイネも、街のどこかにいたりするのか?」

「いや? アイネは親方と一緒に帰ったぞ」


 思わず胸をなでおろす。


 ああよかった。

 あいつまで狙った女性を瞬時に口説き落とすような芸当ができたんだったら、俺は出会ってからそう経たないうちに俺を好いてくれたリトリィ相手に、何カ月かかってたんだという話になってしまうからな。


「……ええと、じゃあ、おふたりは、私たちの披露宴がご縁になったってことですか?」


 マイセルが目をキラキラさせながら聞くと、メイレンと呼ばれたウサギ耳の女性は、頬を染めてうなずいた。


「彼ったら、その日のうちに、『契り固め』をしてくださって……」


 がっはっはと笑うフラフィーと、頬を染めてうつむくメイレンさん。


 ……ちょっと待て。

 つまりそれって、ヤったってこと?

 出会ったその日のうちに!?


「え? お気づきにならなかったんですか?」


 面食らう俺に、今度はリトリィが驚く。


「いや分からないよ、どうして分かったんだ?」


 小声で言うと、リトリィは少しためらいがちに答えた。


「だって、その……わたしたちも、愛し合ったらそうなりますけど、その……が、それぞれしますから……」


 ……そうか。

 リトリィはそうだよな。

 においに敏感な獣人族ベスティリングだしな。


 それにメイレンさん自身は、今日の炊き出しを利用するような貧しい暮らしぶりだ。愛し合ったあとに水浴びをするような、経済的な余裕もあるまい。


 リトリィの言葉を聞いてマイセルも意味が分かったらしく、たちまち頬を真っ赤に染めた。


「お、お姉さま……! ひょっとして、私からも、その……ムラタさんの……のにおいが、今も分かったりするんですか……?」

「だいじょうぶですよ。あさ、ちゃんと二人で洗いっこ、したでしょう? あまり分かりませんから」


 リトリィはにっこりと答えたが、マイセルは「あまりってことは、やっぱりわかるんだ……!」と、耳まで赤くなる。


「まあ、そういうわけだ。オレはメイレンを山に連れて行く。メイレンも同意してくれてな」

「は? ……決定が、早すぎないか?」

「なんだムラタ、メイレンが気に食わねえのか?」


 ……そういうわけじゃない。この炊き出しと、それから奴隷商人からの救出のときの数回しか会っていないはずだが、少なくとも悪い人ではないように思う。


「……山に連れて行くって、街暮らしのメイレンさんが、山暮らしができるのか?」

「何言ってやがる。人はどんな場所にだって、いずれは慣れるもんだ」


 それはまあ、確かにそうなのかもしれないが。

 愛さえあれば、とはよく言うけれど、それ以前に、あの自給自足を強いられる環境で、大丈夫なのか? 特にモーナはまだ幼い、もし熱なんか出したりしたらどうするんだ?


 そんな俺の問いに、フラフィーは一瞬顔をしかめ、そしてハッ、と笑い飛ばした。


「だから、ムラタは考えすぎなんだって。変わってねえな、そういうトコは。

 ――人は変わるもんだ。ムラタ、おめぇだって変わっただろうが」




 フラフィーたちが帰ったあと、マイセルは大興奮だった。


「だって、すごいじゃないですか! 私たちの披露宴がきっかけで、その日のうちにお義兄にいさんに奥様ができたってことでしょ!? 一夜の恋が、永遠の愛になるなんて!」


 きゃーきゃー言いながらベッドをゴロゴロと転げて回る彼女が可愛らしい。

 一方で、リトリィは妙に複雑な顔をしていた。


「お兄さま、変に思い切りがいい人ですから……。本当に、メイレンさん、よかったんでしょうか。お兄さまだけで盛り上がっているとか、そんなこと、ないんでしょうか……?」


 ……俺が心配していたのが、まさにそれだ。一時の感情の盛り上がりで、大事なことをいくつかすっぽかしていないだろうか――他人の恋路に口出しするのはあまりよろしいこととは思えないが、しかしやはり気になる。


「そんなことを言ったら、お姉さまだって、ほんとはムラタさんが起きて、次の日には好きになってたんでしょう? おんなじじゃないですか?」

「わ、わたしは……ちゃんと、ムラタさんがどんなおひとか、ちゃんとおつきあいしていったから……」

「だって食事中、ムラタさんに『隣に座らないか』って言われたときから、もう嫁ぐ気でいたんでしょう? 同じですよ」

「そっ……それは――」


 ……ああ、それはリトリィの口から聞かされたことだ。

 うん、知ってるよ。でも、それをマイセルの口から改めてきかされると、破壊力がすごいな。俺、女心を一瞬でつかむ会心の一撃をぶちかましたみたいに聞こえるよ。


 あの瞬間のドキドキは今も忘れない。

 人生、それまでに数度しかなかった『女性を食事に誘う』――あのときの、断られるかもしれないという緊張。


 声をかけたはずのリトリィがしばらく沈黙していたあの緊張の中で、

 スープの芋を切り刻みながら、お断りの宣言が下るぞ、という予感、

 恐怖にも似た感覚に襲われながら待ち続けた、あのとき。


 いやあ、内情を知らないマイセルから結果だけを聞かされると、俺がまるで三洋や京瀬らのようなナンパに長けた人間のように聞こえるから、実に不思議。


「私もムラタさんに背中を押してもらえたから、ムラタさんのこと、好きになったんですよ? もっと堂々として欲しいです。ムラタさんは、私とお姉さまにとって、私たちが本当に欲しかったものをくれた、大事な人なんですから」


 本当に欲しかったものって言われても――マイセルの言葉には、俺も困惑するしかない。俺が特にしてやれたことなんて無くて、結局はマイセルが選んだんだ、大工への道を。


「ふふ、そういう謙虚なところが、わたしは好きですよ?」


 リトリィが、背中からしなだれかかってくる。


「わたしは忘れません。あなたがくれた、ひとつひとつのやさしさを。命をかけて駆けつけてくれた、あなたの勇気を。それをおごらぬお人柄を。

 ――ですから、あなたのために、わたしも命をかけて、ずっとずっと、お仕えいたします。ずっと、いつまでも」


 言ってることはすごくうれしいけど、伸びてくる手が俺のムスコくん直撃なのがもう、なんというか。


「あーっ、お姉さま、ずるいです! 今度は私ですよ?」

「ふふ、順番はちゃんと守りますとも。ムラタさん、そのかわり、マイセルちゃんのあと、もう一度だけ――」


 ……うん、俺の死因は間違いなく腎虚で腹上死確定だな。

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