第311話:後に続く者へ

 ウエディングケーキは実に好評だった。たっぷりのナッツとドライフルーツが練り込まれ、バターをふんだんに使ったケーキ自体もさることながら、そのケーキの上にまぶされた白い粉末。


 多くのひとが驚き、そして、俺たちに対する目が明らかに変わった。

 変わらなかった奴は、口に含んでから驚愕し、そして、先に驚いたひとの、その驚きの意味を知った。


「……おい、ムラタ。この、……甘い味は……?」

「砂糖だ。甘いだろう、食ったことがあるのか?」

「ねぇよ! うわさでしか聞いたことがねえ! 知ってんのは、白くて甘くて、お貴族様しか食えねぇってことだけだ!」


 アイネの、畏怖にも似た表情を見たときは、心の中でガッツポーズをとったからな。


「……どうやって手に入れたんだ?」

「ナリクァンさんがプレゼントしてくれた」

「な……ナリクァン夫人!?」


 アイネは目を皿のように真ん丸にして、そしてフォークが止まる。どうやら一口の値段の重さに気づいたらしい。


「……ヒョロガリ……おめぇ、いったい何をやったんだ?」

「ナリクァンさんに気に入ってもらえただけだ」


 リトリィが、と、腹の中で付け加える。

 アイネは唸りながら、俺とケーキを何度も見比べると、頭を抱えた。


「……クソッ、ただのヒョロガリだと思ってたのに、なんてヤツだ……。あの夫人の人を見る目は確か……じゃあコイツが認められたってことか……? いや、そんなハズは……」


 逆にフラフィーは「こんなうめぇモン、食ったことがねえぞ」と瞬時に平らげ、平然とおかわりを要求した。リトリィに、一人当たりに配った分しかない、と諭されると、頭を抱えてうなっているアイネの皿に目をつけ、勝手に食いかけのケーキにフォークを刺して食ってしまった。


 アイネは気づかずうめき続けている。

 知らないって幸せだ。お互いに。




日本ひのもとムラタ、か。お前さん、随分と思い切った名を名乗ることにしたじゃないか」


 ケーキと一緒に配られたスパークリングワインで盛り上がっている人々を遠巻きにして、瀧井さんは、日本語で話しかけてきた。俺も翻訳首輪を外して、日本語で答える。


「リトリィもマイセルも、俺の名をムラタだと思っていますから。今さら、本名の村田誠作を名乗るのも、変だと思いまして」

「だからといって、日本にっぽんの看板を、わざわざこの世界で、しかも漢字で背負うとはな。わしには、到底思いつかんかったよ」


 瀧井さんはそう言って笑う。


「お前さん、そんなに愛国心も郷土愛もあるようには見えんかったが」

「そうですね……。あの時――初めてお会いしたときは、失礼しました」


 瀧井さんを、まだ、血も涙もない帝国軍人だと思い込んでいたときだった。本当に恥ずかしい誤解だった。瀧井さんには、俺も、リトリィも救われたというのに。


「ははは、気にせんでくれ。わしだって、本心では負けると思っていた戦争だ。この世界にやってきたことは、本当にわしがやりたかったことにつながったし、愛する嫁にも巡り合えた。子供にも恵まれた。あのまま支那で戦い続けていたら、わしは生きていなかっただろう。わしこそ、この世界に救われた一人だ」


 そう言って、瀧井さんは、俺を見つめた。

 何かを見通すような目で。


「それにしても、日本ヒノモト、か……」

「……やっぱり、おかしいですか?」

「別におかしくはない。この世界では、誰も名乗っていないうじだろう。誰にもその意味は分からぬだろうし、故に誰からも文句は来んだろうよ。ただ――」


 そう言って、瀧井さんは空を見上げる。

 三つの月が上がり始めている、夜空を。


「百五十年前、百年前、それぞれ日本人がこの世界にやってきた。五十年前はわしだ。そして今、お前さんがやってきた。

 ――次の五十年後、どんな日本人がやってくるのだろうな?」

「五十年後、ですか」

「まあ、日本人とは限らんがな」


 ――そういえば、ガルフ――ガロウの育ての親とやらは、奴に種族名「ライカントロプス」を与えた。日本人なら、漢字だったんじゃないだろうか。おそらく、外国人。もしかしたら、瀧井さんと同世代の人だったのかもしれない。


 たしか、人体実験のようなことを繰り返したせいで、恨みをつのらせたガロウが、殺したとか言っていたか。

 自業自得ではあるだろうが、どんな人物だったのだろうか。


「できれば、料理人が来てほしいですね」


 俺は軽口を叩く。


「料理人? なぜだ」

「だって、料理人なら、きっと日本食を作れるでしょう?」

「日本食――味噌とか、醤油とかか?」


 瀧井さんが、懐かしそうに続ける。


「そう、だな……。もう、どんな味かも、忘れてしまったが……母のこしらえてくれた味噌の味――」


 おふくろの味って奴か。瀧井さんのお母さんは、自家製の味噌を作ってたっていうのか。すごいなあ。


「ええ。まあ、そんなようなものです」

「おふくろの味というやつだな。……なんだ、リトリィさんの手料理よりも恋しいのかね?」


 瀧井さんが、すこしからかうような目に、俺も苦笑する。


「いえ、リトリィが作ってくれる食事は大好物ですよ。ただ、それを差し置いても、時々無性に喰いたくなるんです。ラーメンとか、カレーとか」

「カレー?」


 瀧井さんが、目を丸くした。

 瀧井さんがそういう目をするのは、初めて見る。なんだか、新鮮だ。


「……君もライスカレーを食したことがあるのかね?」

「え? 日本の国民食ですよ?」


 俺の言葉に、瀧井さんは感慨深げに嘆息した。


「ライスカレーが、国民食……。そうか、日本は本当に豊かになったのだな……」

「え? カレーですよ?」


 たかがカレーで、豊かになったと言われても。

 そう思った俺だったが、瀧井さんの言葉は想像をはるかに上回った。


「ライスカレーが国民食、つまり誰でも食えるのだろう? 豊かなればこそ、だ。

 ――今でも忘れん。昭和九年の、大凶作をな。わしはまだ十かそこらの子供だったが、東北の農村ではその日に腹に入れるものすらもなく、塗炭の苦しみにあえいだ農民が、娘を売る、という話がそこらじゅうであったそうだ。娘を売らねば、一家が飢えて死に絶えるかもしれない――そんな、地獄のような有様だったという。

 わしが農業で身を立てようと思った、きっかけの一つだ」


 ……昭和だろう?

 歴史の授業で、天明の大飢饉とか、天保の大飢饉とかは習ったけど、昭和になってまで、そんなことがあったのか?


 にわかには信じがたいが、しかし瀧井さんが今ここで嘘をつくとは思えない。きっと、事実なのだろう。


「まあ、わしももう歳だ。五、六年もすれば、お迎えも来るだろう。ライスカレーは夢のまた夢だ。お前さんは、今のうちにしっかり世界になじんで、次の五十年――お前さんの後に続く日本人の、手助けをしてやるといい」

「……来ますかね、日本人が」

「百年前は賢者と呼ばれた男だ。剣士と狼を連れた賢者の話、知っているだろう?」


 瀧井さんの言葉に、俺はある名前を思い出す。

 剣士と狼を連れた賢者。

 『我が父ライト』――かの狼は、そう言っていた。


「……え? あれ、日本人だったんですか!?」

頼人らいとといったそうだぞ?」


 そう言って、手のひらに指で字を書いてみせる。

 ――なるほど! そういう字か! それなら納得だ。


「それで、五十年前はわし、そして今回はお前さんだ。ならばもう、次の五十年後は決まっておるようなものではないか?」


 にわかには信じがたいが、そうやって並べられると、その法則を信じてしまいそうになる。


 俺は、この世界であがいた日本人の爪痕を残そうと思って、「日本ヒノモト」のうじを名乗ることにした。

 だが、もしかしたら、俺が名乗る「日本ヒノモト」は、次の「日本にほん人」にとっての、しるべとなるのかもしれない。


 そんなこと、考えたこともなかったが、なんなのだろう、この偶然は。


「偶然も、積み重なると必然に見えてくるな。お前さんが日本を離れてここに来たのは、それこそ、神様の思し召し、という奴なのかもしれんぞ?」


 瀧井さんに言われて、しかし俺は首を振る。


「神様なんて俺、見てませんから。何の力も授からなかったし、何ももらってない。ただの偶然ですよ」

「……まあ、わしらが死んだ後の人間が勝手に評価するものだからな。偶然だったのか、それとも運命だったのかは」


 そう言って瀧井さんはコップの中身をあおると、リトリィたちの方を指差した。


「なにやら、余興が始まっているぞ? 主役のお前さんがいなくていいのか?」


 見ると、リトリィたちがこちらを見ている。

 ……ああ、間違いなく、俺待ちだ。


「瀧井さん、俺、瀧井さんに会えて、本当によかったです」


 俺の言葉に、瀧井さんは右手を挙げてみせた。


「わしもだ。日本は負けたが、豊かになれた。アメリカの植民地にならずに国体を保てた……。大きな犠牲はあっただろうが、なんとか立ち直ったのだろう? お前さんからそれが聞けたことが何よりの喜びだ」


 その言葉に、俺は少し引っかかって、口をはさんだ。

 彼は日本という故郷を、ずっと気にかけてきたのだ。

 だから、これだけは、伝えておきたい。


「瀧井さんにこんなこと言うのもなんですけど、今じゃアメリカは、日本にとって最大の同盟国です。

 三・一一……二〇一一年の三月十一日です。東北地方をすさまじい地震が襲って、大津波とかの大災害にみまわれたんです。その時は原発が――ええと、命の危険のある汚染物質もまき散らされて」


 まだ少年だった俺だが、あのときの津波の映像は、はじけ飛ぶ原発の映像は、鮮明に思い出せる。


「そのとき、アメリカが『トモダチ作戦』を発動して、命の危険を顧みず助けに来てくれたんです。自衛隊――ええと、日本軍と手を取り合って。

 ――瀧井さんにとっては敵だったかもしれませんが、俺たちにとってアメリカは、心強い仲間なんです」


 その瞬間。

 瀧井さんは、目を見開いた。

 震える手で、俺の肩を掴む。


「アメリカが、同盟国、だと? 植民地の盟主などではなく……?」

「はい。貿易も盛んだし、軍隊同士で一緒に演習をすることもありますよ?」


 後者については、例の社会の教師が憎々しげに語っていたが、今となってはもう、どうでもいい。というか、奴隷商人の護衛達と命を懸けてやりあった俺にとっては、もう、馬鹿馬鹿しくすら思える。


「……そうか。米軍と、帝国軍が、対等に手を取り合って、協力し合う……そんな日が、来ていたとは……夢を見ているようだ……」


 瀧井さんは、はらはらと、涙をこぼす。


「そうか、そうか……。それが知れるとは、なんという、すばらしい日だ……。

 日本は、日本人は……何度となく訪れた大きな厄災を、力を合わせて乗り越えたのだな。そして、力強く生き続ける若者に……それを知る日本人に出会えた。

 ――わしらが誇りをかけて戦ったことは、決して、無駄ではなかった。それだけでもう、十分だ」


 あふれる涙をぬぐおうともせず、薄く笑う瀧井さんが、なんだかかすんで見えたような気がして、俺は慌てて付け加える。


「だから、俺の子供を抱っこしてあげてくださいよ? できれば、孫も」

「……おいおい、わしに何年生きろというのだ?」


 苦笑いを浮かべた瀧井さんの手を、俺はしっかりと握る。


「せめて二十年。俺とリトリィと、そしてマイセルの恩人ですから。ぜひ俺の後に続く、日本の血を引く子を、孫を、抱っこしてやってください」

「無茶を言うな、九十半ばを超えてしまうじゃないか」

「戦争を潜り抜けたんですから、死神くらい返り討ちにできるでしょう?」


 苦笑する瀧井さんだが、しかし、俺の手を、力強く、握り返した。


「……やれやれ。若者はいつも無茶を言う。後に続く、未来ある若者と違って、こっちは先を進むことすら難儀だというのに。――そっちこそ、できるだけ早めに子を産ませるんだぞ?」

「はは、その辺りの事情は、ペリシャさんをお嫁さんにした瀧井さんなら、どうなってるか、察しが付くでしょう?」

「おうともさ。さあ、新妻たちが待っているぞ。こんなところで油を売っていないで、さっさと行ってやりなさい」



――――――――――

 本作品は、2020年3月11日に、「ムラタのむねあげっ!」第311話として書かれました。

 3・11の日に、311話を、旧日本軍に偏見を持っていたムラタが、「旧日本軍軍人である瀧井氏」に対して、感謝の気持ちを述べることができる、その変容の場面として描けたことは、全くの偶然です。

 ですが、このような偶然に巡り合わせていただけた喜びを、改めてここに記録しておきます。読んでいただき、ありがとうございました。

――――――――――

 お読みいただきありがとうございます。

 感想や評価をいただくたび、本当にありがたく読ませていただいています。

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 よろしくお願いいたします。

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