第306話:首鐶交換
宣誓書に署名を終えると、次は
とはいっても、俺は、本来なら結婚首鐶として扱われるべきものを婚約のときにプレゼントしてしまったから、もの自体はすでに見ているし、今朝まで身に付けていた。
今、首に着けているのは、今朝の着付けの前に三人で着け合った、ピンクのリボン。ほどきやすさも考えての選択だ。
「では、新郎さん。
ダルブライン局長から促され、懐から小箱を取り出すと、宣誓台に置いて、ふたを開ける。
赤、オレンジ、黒の、三つの革のベルト。
こうして改めて見ていると、昔飼っていた犬の首輪に、見た目が似ている。日本にいたとき、ネクタイは社畜の首輪だ、なんて自虐的に笑っていたこともあったけど、本物の首鐶を、嬉々としてはめる日がくるとは思わなかった。
でもこの首鐶は、俺たちの絆の証だ。そのために同じデザインの革ベルト、同じデザインのバックルを選んだんだから。
鮮やかな赤い革の首鐶、オレンジ色の革の首輪を、それぞれ撫でる。今朝まで、リトリィとマイセルが身に付けていたものだ。あらためてこれを、今日、彼女たちの首に巻く。
――永久の愛を誓って。
まずは赤い革のチョーカー・ネックレスを手に取ると、リトリィに向き直る。
彼女のヴェールをそっと持ち上げ、後ろへ。
明るい日の光の中で、そのふわふわの毛並みが、金色に輝く。
彼女の、潤む透明な青紫の、神秘的に輝く瞳に、吸い込まれそうになる。
一瞬、惚けてしまった俺に、リトリィが静かに微笑んでみせて、それでやっと、今やるべきことを思い出す。
彼女の首に巻かれた、ピンクのリボン。それに手を伸ばし、そっとつまむ。
「あ、ふ……」
くすぐったかったのか、彼女がわずかに身をよじり目を伏せ、艶っぽいため息を洩らしたのを見て、俺は思わずドキリとする。
だが、手の止まった俺に、リトリィはもう一度微笑んでみせて、だから俺は、気を取り直してリボンを両手でつまむと、そっとほどく。
するりとほどけたリボンに代わり、今度は赤い革のベルトを、金のバックルが手前に来るように、彼女のうなじに手を回す。
「ムラタ、さん……」
聞こえるか聞こえないかのかすかな声。
ちょうど、彼女のうなじに手を回して抱擁するような姿勢になったときに、耳元でささやかれたそれ。
「――愛して、いますよ?」
一瞬手が止まった俺の耳に、彼女の舌が、わずかに触れる。
背筋にぞわりとしたものが走り、思わず肩が浮いて彼女にしがみつくような格好になってしまう。何やってくれてるんだリトリィ!
見ろよ! ダルブライン局長さんが呆れ――てる、ようなこともなく、微笑ましい、といった感じで見守っている……?
思わず参列者席を見ると、くすくすとやっている奥様方。マレットさんはにやりとし、親父殿は口をへの字に曲げている。
……勘弁してくれよ! まさかリトリィにこんないたずらを仕込まれるとは!
顔から火が出る思いで、慌ててネックレスを締めにかかるが、こういう時は手元が震えて、なかなかうまくいかない。ああもう、カッコ悪いったら!
「ふふ、だんなさま? ゆっくりでいいですから、あなたのリトリィを、かわいらしくしてくださいね?」
そっと、ささやかれる。
ああもう、うまくいかないあまりにイライラすらしてきたところにこの言葉!
俺の嫁になる人は可愛らしすぎるんだよコンチクショウ!
いったん深呼吸をし、気を落ち着けて再開すると、バックルにようやくベルトを通すことに成功する。慎重に、彼女が苦しくない程度の位置で留める。
思わずため息をついて腰を伸ばすと、リトリィが小首をかしげるようにして俺を見上げ、そして微笑んだ。おつかれさまでした、とでも言いたげに。
……君の可愛らしいいたずらのせいだよ!
鮮やかなオレンジの革にプラチナのバックルの首鐶は、マイセルのものだ。あらためて彼女に向き直ると、俺にいたずらを仕掛けたリトリィと違って、ガチガチに緊張しているようだった。表情も硬くて、笑みの一つもない。
「マイセル、ほら、肩の力を抜いて」
微笑みかけると、これまたひきつった笑みを浮かべる。そんな彼女がかえって愛らしくて、そっと腕を回し、耳元で大丈夫だよ、とささやこうとして――
歯が当たった。
マイセルのやつ、突然振り向いて俺の頬にキスしようとしやがった!
あいにく、ちょうどささやこうとして彼女の耳元に口を寄せようとしていたものだから、唇同士が当たる――だけならよかったんだが、勢い余って歯と歯がぶつかったんだよ!
派手に頭に響くガチッという音と衝撃。
唇にもダメージだよ! マイセル、なにやってんの!
おもわず声を上げかけたら、マイセルは口元を押さえてしゃがみこんでいた。
でもってギャラリーからは爆笑の嵐。
ギャラリーはたった五人しかいないはずなのに、なにこの大笑いの渦。ダルブライン局長さんも、口元を押さえて必死に笑いをこらえているのが、肩の震えからわかるぞコラ!
ってリトリィ! 口を押さえて肩を震わせてるって、なんで君が!?
そんなことよりマイセルだ。俺の唇が痛むのはいい。でも――
「マイセル、大丈夫か。唇、切ったりしていないか?」
彼女は主役たる花嫁なのだ。唇を切ったり腫らしたりなんてしていたら、目も当てられない。
マイセルを立たせて手をどかせると、とりあえず、傷のようなものは見当たらなかった。本人も、当たった歯が痛むだけで、それ以外は何ともないという。
「よかった、マイセルに怪我がないならいいんだ」
胸をなでおろすと、マイセルがばつの悪そうな笑顔で謝ってきた。
「ごめんなさい……私が、いたずらなんか、しようとしたから……ごめんなさい」
だが、わずかだが切れた俺の唇を見て、しまった、といった顔をする。
しまった、は俺の方だ。今日は幸せになる日、彼女の顔を曇らせてしまったのは俺の失態だ。
「いいんだよ。今日はしあわせな式の日、なにがあっても思い出になる日なんだ」
「で、でも……!」
私のせいなのに、と目が泳ぐ彼女に、俺は大丈夫だと笑ってみせる。
「こんなに印象深い結婚――宣誓式、一生、絶対に忘れられないものになったに決まってる。だから、これでいいんだよ」
さあ、続けよう?
促すと、マイセルはすこし、ためらうような姿を見せたが、すぐに「……そうですよね、いたずらの失敗も、思い出ですよね!」と、笑顔になった。
うん、マイセルはやっぱり、朗らかな笑顔が似合っている。
似合ってるけど、いたずらの失敗って、マイセルお前もか。
改めて、彼女のうなじに手を回す。首鐶は、差し込む朝日の光をきらりと反射した。
バックルに通した革ベルトを慎重に引き、ちょうどの位置を探って、留める。
「……きつくないか?」
「ぴったりです」
はにかむ彼女に、ああよかったと胸をなでおろす。さっきはどうなるかと慌てたが、どうにかなった。
「……あ、でも……ちょっと、いいですか?」
マイセルが声を落としたため、そっと顔を近づけると、
ふわり
頬に、軽い、柔らかな感触。
「やりました。今度は成功です」
いたずらっぽく笑うマイセル。
再び沸くギャラリー。
実に微笑ましいものを見る目のダルブライン局長さん。
仕方ないですね、と、姉か母のような目で見つめるリトリィ。
マイセル、本当にあきらめるってことを知らないな、君は!
マイセルの一件が終わったら、今度は俺が首鐶を着けてもらう番だ。
リトリィとマイセルが、二人で、俺の首に巻いていく。このあたりはもう、以前に同じ首鐶でやったことだから、危なげなく、手早く着けてくれた。
リトリィが整え、マイセルがバックルを締めてくれて、三人が再び、同じデザインの首鐶をそろって身に付けたことになる。
色は違えど、デザインはどれも同じ。
革のベルト、金属のバックル。バックルの下に下がっている、鈴の形を模した装飾。
三人で、共に互いの喉元をみて、そして、笑い合った。
あらためて、よろしく。ふたりとも。
――――――――――
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