第285話:親父との別れ
「ああ。あいつはリトリィの行く末を、最期の最期まで気に病んでいた。だから、どうしてもあいつに見せてやりたかったのさ。娘が、幸せをつかむ、その瞬間をな」
親父殿は、短刀を鞘に戻す。奥さんは確か、胸の病で亡くなったんだっけか。長く患っていたらしいから、結核か、乳がんか。だが、他の四人は元気なのだから、伝染性はないはずだ。多分、乳がんだったんだろう。
「それにしても、鍛冶屋の親父さんに短刀ですか。何か、いわれがあるんですか?」
何気なく聞いた俺に、親父殿は目を剥き、そして短刀を収めた鞘で脳天をぶん殴ってきた。
「バカ野郎! 婚約と貞操の証に決まってんだろうが! おめぇ、そんなことも知らねえでリトリィから短刀を受け取ったのか!」
「こ、婚約と貞操……?」
親父殿いわく、女性から贈られる短刀というのは、自らの貞操――自らの一生を相手、つまり俺に捧げるという意味があるらしい。そして、夫となる男性に贈ることで、その男性の未来を切り拓き、添い遂げる覚悟を伝えるものなのだとか。
「刃物ってのは基本的に高価だからな。庶民にはなかなか、手に入らねえ。手入れも大変だ、きちんと磨いてぴったり合う鞘に納めておかねえと、すぐに錆びちまう。
だけどな、それでもなお、贈り物として人気がある。それだけ特別なんだよ、刃物って道具は」
そう言って親方は、もう一度、短刀をわずかに抜き、もう一度、鞘に納める。
「だから、ぴったりの鞘が大事なんだ。刃物も、……ひともな」
短刀の鞘は、刃の根元の部分が、よほどぴったりと納まるようにできているらしい。そのまま鞘を下に向けてみせるが、鞘は落ちたりしなかった。そういえばリトリィがくれたナイフも、ちゃんと鞘に納めれば、下に向けたりした程度では抜け落ちたりしないな。
――そうか。リトリィはずっとそうやって、俺にアピールし続けてたんだ。あなたにふさわしい鞘がここにいますよ、と。俺がなにも知らなかっただけで、リトリィはずっと、俺に添い遂げる意志を、示し続けていたんだ。
それに、俺が、気づいていなかっただけなんだ。
「男は外で、己が身を以って道を切り拓き家族を守る。女は男の身を納める鞘となり、家となる。それが役割分担ってヤツだ。
――もちろん、本人が納得してりゃあ、男と女、やることが逆でも構わねえがな。己の分をわきまえて粛々と生きていけたら、それでいい」
親父殿は短刀を、背面の書庫――ずらりと並んだ日記の中の、ぽっかりと空いたスペースにしつらえられた台に乗せる。まるで親父殿の頭上に君臨するように見える位置にあえて置くのは、それだけ親父殿にとって、奥さんの存在が大きかったということなのだろうか。
「ただなあ……。あいつを
再び腕を組み、しかめ面をしてみせる親父殿。
そんなことを言われても。なにせ、俺が彼女を選んだのではなく、彼女が俺を選んでくれたのだから。
「んなことは分かってる。まったく、親の気も知らねえで、あいつは……」
「藍月の夜の日に挙式か。フン、面白みもクソもねえ。至って平凡な選択だな」
「いいんですよ、それで。彼女がずっと夢見て、憧れていたことなんですから」
「憧れ、ねえ……。
「前にも言いましたが、彼女は、俺にはもったいないくらいの素晴らしい女性です。むしろ俺と出逢うまで大事に箱入りにしてもらえて、感謝しかありませんね」
「ぬかしやがる」
苦笑しながら、親父殿は壁に立てかけてあったものを手にすると、俺に渡してきた。
「おめぇ、タキイと無事、話ができたんだろう? 帰るついてでいいからよ、こいつを返してやってくれないか」
――九九式小銃!
瀧井さんが、この世界に唯一、持ち込んだもの!
「本当はこいつは、火を噴く槍なんだろう? ペリシャを嫁にするときに、もう必要ないからっつってここに置いて行ったものだが、俺もあいつも、もうトシだ。あいつのものは、あいつの手元にあったほうがいい」
そう言って、小箱も取り出してくる。見た目に反してズシリと重いそれは、親父殿いわく、「火の種」――つまり、銃弾だった。
「なんせ、あいつがここにやってきてからもう、五十年だ。使えるかどうかは分からねえが、どっちもあいつのものだからな。よろしく頼む」
そう言って、俺に、頭を下げる。
「ま、待ってくださいよ。それこそ、式に列席いただいたそのついでにでも、ご自身でお渡しすればいいじゃないですか。積もる話もあるでしょう?」
「うるせえよ。とにかく任せたからな」
そう言うと、親父殿は「話はこれでおしめぇだ。ほれ、とっとと帰りやがれ」と、手のひらをひらひらと振る。
「おめぇの家はここじゃねえ。あいつももう、おめぇのものだ。ここはもう、あいつの帰る場所じゃねえ。万が一、何かの拍子にあいつがここに一人で来ることがあっても、そのときには追い返す。あいつの居場所は、あくまでもおめぇの隣だからな」
「親方……」
「……オレはおめぇの師匠じゃねえ」
「親父殿……」
「誰がいつおめぇの親父に成り下がった、気持ちわりぃ!」
また拳骨かよ! 理不尽だ!
結局、説得には失敗してしまった。
「見るべきものは見た、見せるべき者に見せた。もう、いいんだよ。オレぁ、湿っぽいのは嫌いなんだ」
親父殿はそう言って、見送りにすら顔を出さなかった。家を出発する俺たちを見送ったのは、フラフィーとアイネ。
リトリィもマイセルも、自分から親父殿のもとに挨拶に行ったが、仏頂面の親父殿に追い返されただけだったらしい。
「いいさ。子供が出来たら、孫の顔を見せに来よう」
「そう……ですね」
悲しそうなリトリィに、マイセルも俺も、 孫ができたとなったら毎日でも顔を見に来るかもしれないぞ 、と慰める。
「そ、そんな姿、想像もつかないです」
苦笑するリトリィだが、しかしなんとなく、イメージは浮かんだらしい。ふふ、と笑うと、尻尾を揺らしながら続けた。
「でも、……そうですね、ムラタさんの血を引く、わたしたちの仔が、お父さまの孫になるんですね」
「そうですよ! 私も、
お兄ちゃんに、私の見る目が正しかったと認めさせてやるんです――マイセルが、鼻息荒く宣言する。
「気が早いな、マイセルは」
「だって悔しいじゃないですか、言われっぱなしなのは! 私と子供で、お兄ちゃんをギャフンと言わせてやるんです!」
どうやら、俺が以前、色々言われたことについて仕返しをしてやりたいようだ。
それにしても、自分と子供のダブルで仕返しをしてやろうだなんて。自分で生む女性だからこそ、そんな発想になるのだろうか。
「だって、私のこと、今まで散々『金槌女』とか『金床女』とかバカにしてきたんですよ! 絶対に私自身とムラタさんとの子供の二人で、見返してやるんです!」
今まで言われっぱなしだったはずのマイセルだが、随分と気の強くなったことだ。めそめそ泣いていたのが信じられない。
でも、その自信をつけてやれたのだとしたら、情けない俺のなけなしの勇気が、少しは人の役に立ったということだ。
リトリィもマイセルも、俺との子供に明るい未来を見出して、楽しげにしてくれている。それがまた、嬉しい。
――そして、余計なことに気づく。
俺は、俺の親父に、孫を見せてやることができないんだな。
こんなに素敵な、俺には過ぎた嫁を二人ももらうことができる姿を見せることも、その二人が産んでくれるだろう子供を――孫を見せることも、できないのだ。
石ころだらけの山道を歩きながら、その意味を噛み締める。
俺はもう、親父の道とは二度と交わらない道を、いま、歩いているのだ。
「……え? ムラタ、さん? どうしたんですか? どうして、泣いてるの?」
マイセルに言われて、慌てて顔をこすって誤魔化す。
「あ、いや……! 俺、これまで女の子に好かれた試しがなかったからさ。今の自分が幸せ過ぎて、つい泣けるんだよ!」
マイセルが首を傾げ、そして、俺の右腕に飛びつく。
「ムラタさんは、素敵な人ですよ! 今までのひとがムラタさんの魅力に気づいてなかったのは、私にとって幸運でした! だって、だから私、ムラタさんと結婚できるんだもん!」
そんなマイセルに対抗するように、リトリィも俺の左腕に、自分の腕を絡める。
「ふふ、ムラタさんのすてきなところを
ちょ、ちょっと待て! 石ころだらけの山の傾斜道、両側から挟まれるとものすごく歩きにくいんだよ!
なあ、ちょっと、聞いてる!?
胸を押し付けるなって! 幅寄せしてくるなって! おい! 二人とも!
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