第276話:式まであとX日!?

「リトリィさん、体調はどうかしら」

「あ、はい。ありがとうございます。だいじょうぶです。……お見苦しいところをお見せして、もうしわけありませんでした」


 リトリィが体を起こすと、シヴィーさんは寝ているようにと笑った。


「いいんですよ。それだけあなたが、愛する方の仔を真剣に望んでいるということですからね」


 俺の方をちらと見てから微笑むシヴィーさん。リトリィは、なにやら恥ずかしそうにうつむく。


「ムラタさんにもお伝えしたのですけれど、月のものが遅れたときは、おりる血も多めですから。体にさわりがあるといけませんから、いつもよりもゆっくりしているのですよ?」


 神妙にうなずくリトリィ。


「それから、分かってはいらっしゃるでしょうけれど、きちんと清潔に。もちろん、旦那様をお迎えするのは、十分に体調が戻ってからですからね?」


 ぐふォッ! それを、俺がいる前で言いますか? 


「なにをおっしゃるのかしら。仔は、女ひとりでできるものではないのですよ? 妻を娶る立場にあるなら知っていて当然、わきまえていただくのはむしろ殿方のほうでございます」


 ……しっかり釘を刺された。

 いや、分かってはいますよ? もちろんじゃないですか!


「今日明日はうちでゆっくりして、帰るのは明後日になさい。そのころには、おりるものも多少落ち着いてくるでしょうから」

「で、でも、これ以上お世話になるのは……」


 俺が奴隷商人残党の凶刃に倒れて以来、長居しすぎているとは思っているのだ。さすがにちょっと、気が引ける。


「何を今さら。リトリィさんもマイセルちゃんも、素直でいい娘さんですからね。私たちにとっては娘や孫を世話するような、楽しいひと時でしたよ。すてきな時間をくださって、感謝すらしているのですから」


 ころころと笑うシヴィーさんだが、本当に世話になりっぱなしで、申し訳ない。


「それにしても、初めてあなた方のおうちを訪ねたときには、こんなことになるとは思いもよりませんでしたわね」


 言われてみて、最初の出会いを思い出す。

 ……ぬおぉッ! そういえば、身を清めぬままに応対に出たものだから、直前までナニをシてたかニオイでモロバレで、シヴィーさんに出直されたんだっけ!


 リトリィも俺と同じことに思い至ったらしく、真っ赤になって布団で顔を覆ってしまう。


「ふふ、お若い証拠ですわ。はやく、お望みが叶うといいですわね」


 シヴィーさんは立ち上がると、楽しげに部屋を出て行った。


「そうそう、当て布は十分にございますから、遠慮なくおっしゃってね?」


 ノックもなしに顔を出したシヴィーさん、まるでこちらがキスするタイミングをはかったかのようでした。どこぞの古いアメリカドラマの刑事コロなんとかのように!




「本当に、今までお世話になりました!」


 マイセルが、大きくぴょこんと挨拶をする。

 俺もリトリィも、一緒に深々と頭を下げる。


 本当に、ゴーティアスさんとシヴィーさんには世話になってしまった。本来なら俺の顧客であって、お二人が俺を世話する必要などなかったのに、だ。


 これはもう、仕事で返すより他にない。実際の工事を担当するマレットさんたちや左官の方々に関わる支払いはともかく、俺の方は。


「大奥様、奥様、いろんなことを優しく教えていただけて、私、とっても楽しかったです!」

「あら、あなたはこれからも通ってもらわなければいけませんよ?」

「……え?」


 目を丸くするマイセル。ゴーティアスさんは、にこにことした表情を崩さぬまま、続けた。


「もうすぐ嫁ぐ女として、最低限の所作は覚えていただく――以前、そう申しましたでしょう?」

「で、でも! ムラタさんもお姉さまも帰るんだし……!」

「ええ、毎日、ちゃんと家に帰ってはいただきますけれどね? どのみち、ムラタさんはお仕事でこちらに来られるのですし、あなたも大工のお仕事を学ばねばならなぬのでしょう?」


 ゴーティアスさんもシヴィーさんも、笑顔なんだが、有無を言わせぬ妙な迫力である。


「――ついでに、まだまだ至らぬところをしっかりと叩き込んで差し上げます。一緒にいらっしゃい」

「ひん……っ!」




 ゴーティアスさんのところから帰ってきた俺達は、まずいろいろなものを片付けたり、汚れ物の洗濯をしたりすることにした。


 マイセルもそれに付き合ってくれて、リトリィと一緒に、外のたらいで踏み洗いをしている。

 


「ムラタさん、見てください。花のつぼみが、ほら」


 今回のリフォームに関する書類の整理をしていた俺に、リトリィが、窓越しに声をかけてきた。


 ほら、と言われても、家の庭にある木は裏口の方にあるから、仕事部屋の窓からは見えない。

 リトリィもそれに気づいたらしく、恥ずかしそうにうつむいた。しかしすぐに笑顔になると、見てほしいから来てくれないかと俺を誘う。


 その仕草がひどく無邪気に思えて、俺も思わず笑顔になると、裏口に向かった。


「……ほんとだ、だいぶ膨らんでいるな」

「このぶんなら、もうしばらくすれば咲きますよ!」


 マイセルが、ぴょんこぴょんこ跳ねながら、実に楽しそうにしている。


「え? だって、お家にシェクラの木があるなんて、素敵じゃないですか! 春の楽しみなんですよ!」

「そうなのか?」

「はい! ここのおんぼろ小屋を背景に咲くシェクラの、桃色の花が満開になってるのって、結構味わいがあって。通りがかるたびに見上げてたんですけど――」


 言いかけて、そして、何かに気づいたように、妙に恥じらってみせる。


「こ、今年は、わ、私たちの、お家になるんですよ、ね……?」


 そんなマイセルの言葉に、リトリィは感慨深げだ。


「はい、マイセルちゃん。今年からは、わたしたちのおうち、ですよ?」


 ……ん?

 私たちの、お家?


 そして、気づく。


「ええと……リトリィ、花のことは、くわしい、よな?」

「え? く、くわしいかときかれても、その、自信はありませんが……」


 いや、ゴーティアスさんに可愛がられるきっかけになったのは、リトリィの花に対する造詣の深さだ。


「いや、わかる範囲でいいんだ。このつぼみの大きさなら、あと、どれくらいで咲きそうなんだ?」


 リトリィは、少し面食らったような顔をしたが、隣のマイセルと何やらうなずきあったあと、少々、上目がちに答えた。


「ええと……早ければ、あと十日もすれば、咲き始めるかと」

「あと十日で!?」

「おそらく、それからさらに十日ほどで、おおよそ満開になるのではないかと」

「あと二十日で満開!?」

「早ければ、ですけれど……」


 まて、待て待て待て!

 あと二十日で満開だって!?


『満開のシェクラの下で、永遠の愛を誓う』、それがリトリィの夢で、俺が叶えてやりたい夢なんだぞ!?

 それが、あと残り二十日!?


 まずい!

 大変まずい!

 こちらはまだなんの準備もできていない!


 ここに至ってまだ何もできてないだなんて、ナリクァンさんに殺されかねない案件だそ!?


 あの糞野郎に刺されていなけりゃ、あと二十日近く余裕があったのに!

 ムラタ設計事務所としても、ひと仕事終えるか、そうでなくとも終わる目処の立ったところあたりで結婚式ができただろうに!

 なんてこった!


「あ、あの……どうか、されましたか?」


 頭を抱えてしゃがみこんでいた俺に、リトリィが不安げに声をかけてくる。


「あ、いや! な、なんでもないよ! いやあ、楽しみだなあ! どんな花なんだろう!」

「……ひょっとして、結婚式のこと、心配してるんですか?」


 ぐはぁっ!

 マイセル、キラキラした目で覗き込まないで?


「大丈夫ですよ! お父さん、大工だから」


 マイセルの言葉に、無数のハテナマークが俺の頭の中を飛び交う。

 何が、大丈夫なんだ?


「え? だって、大工ですよ? よく、式の取り仕切りを任されてますから」


 ますますもってハテナマークが乱舞する。


「あーっ! ムラタさん、街大工さんを甘く見ちゃいけませんよ? 大工さんは、その一家の命運を握るお家を建てるお仕事なんですから。結婚式に呼ばれることも多いですし、なんなら、式全体の取り仕切りだってやるんですよ!」


 ……大工さんが?

 結婚式の、司会進行?

 ……マレットさんが?


 ギルドへの、俺の推薦状を思い出す。

 あの、たった一行、『よろしく』と書かれていただけの、アレ。


 ……ものすごく大雑把な司会っぷりが目に浮かぶんですがそれは。


『あなた、女性の最大の晴れの舞台にふさわしい司会進行役として選んだのが、あのマレットですか……。

 そうですか、リトリィさんには、あの程度で十分だと、そう言いたいのですね……?』


 青筋を浮かべて微笑むナリクァンさんが、容易に目に浮かぶ。


 ……死ぬ!

 間違いなく俺、行方不明になる!

 翌日に!

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