第269話:ガロウ伝説

「彼は、『ガロウ』といいます。非常に珍しい、原初のプリム・狼属人ヴォルフェリングだそうですよ?」


『ガロウ?』


 全員が、一斉に俺を向く。

 おいこらガルフ、お前まで目を剥いて俺を見るんじゃない。

 安直だけど、偽名を考えてやったんだ。むしろ感謝しろ崇め奉れ糞狼め。


「おいクソオス、俺は――」


 抗議しかけたガルフ改めを無視して、話を続ける。


「彼は――は、例の奴隷商人たちが根城にしていた砦を、独自に襲撃していたようです。奴隷商人の元締めを倒したのも、リトリィを先に発見したのも、彼です。砦では行き違いがあって小競り合いになりましたが、奴隷商人の残党狩りをしたということは、つまりなのでしょう」

「まあ、そうだったのですね! ガロウさん。奴隷商人をやっつけるだけでなくて、うちの職人のお嫁さんも助けていただいて、ありがとうございました」


 シヴィーさんの言葉に、ガルフガロウは所在なさげにきょろきょろとする。

 まだ何か言いたげだったが、とりあえず悪意は無いと察したか、面白くもなさそうに、口いっぱいにパンを詰め込み始めた。


 たちまち喉に詰めて、目を白黒させながらスープを流し込み、熱さに悶絶し、水を求めて椅子ごと床に倒れ、慌てて水差しを持ってきたリトリィから水差しを奪い取ってあおろうとして、けれど倒れたままだったから水差しの上部のふたが落ちて顔面を直撃、そのままあふれてきた水に溺れる。


 ……なにやってんだこいつは。ほんと、餓狼ガロウの名のまんまだな!




「……オレは、礼なんて言わないからな」

「俺も最初から期待していない。そんな殊勝なタマだなんて思ってないから」


 ガルフは――いや、は、ふくれっ面のまま、庭を歩く。


「オレはガルフだ。ガロウじゃない」

「確かにそうだな。でも、ガルフの名は、この街の冒険者ギルドでも悪名で届いている。いくら仕事で割り切るものだといっても、とてもそうはできない奴もいるはずだろう」


 俺の言葉に、は答えなかった。一応、自覚はあるのかもしれない。


「いくらお前らの裏切り合いだとはいっても、ガロウ、お前がリトリィの苦痛を取り除いてくれたことだけは認めたい。問答無用で彼女をさらうこともできたのに、ちゃんとその意志を尊重しようとしているところも、俺は認めたい。

 ……お前は腹が立つ糞野郎だが、俺たちの恩人でもあるからな」


 ……ホントは庇いたくもないんだが、隣をにこにこと歩くリトリィが、受けた恩は返さなければならないって聞かなかったんだよ、これが。


 たしかに、俺を襲ったあの連中をぶちのめしてくれたおかげで、間接的に救われたのは認める。だがそれだって、リトリィを狙う奴にとって邪魔だったから、というだけに過ぎない。


 おまけに今回の件で、リトリィは俺から離れる気はないと宣言したものの、娘ができたら糞狼に嫁がせるのもやぶさかではない、ときたもんだ。

 ただでさえ子供ができにくいはずなのに、もし子供が娘一人っきりだったら、どうするんだ。


 ――リトリィの言う通り、一応、恩人ではあるんだ。

 恩人ではある……んだけど、あああ! 腹が立つ!


「……なんだクソオス、なにか言いたそうだな」

「うるさい。まだ見ぬ娘を取られそうな父親の気持ちになってみろ!」

「仔の嫁ぎ先が決まったようなものだ、嬉しいだろう」

「嬉しいわけがあるか!」


 思わず声を荒げた俺の脇腹を、リトリィが肘でつつく。


「ムラタさん? 選ぶのは、娘自身ですよ?」

「ああ分かってるよ! 選ぶのは娘! 俺の役目はきちんと育て上げて送り出すこと!」

「はい、よくできました」


 満面の笑顔で返すリトリィに、俺はがっくりと肩を落とす。

 なんか、昔話でこんなのあったよな? ヘビとか河童とかに、生まれてくる子供と引き換えに何らかの利益を得た男が、生まれてくる子供を奪われそうになる話。

 ああもう、まさか俺がそんな立場になるなんて思ってもみなかったよ。


「……おい、クソオス」

「いい加減名前を覚えろ! 俺はムラタ! こっちはリトリィ!」

「クソオス、お前は弱い」

「聞けよひとの話!」

「舌を噛むなよ?」

「なにを――」


 その瞬間だった。数歩先を歩いていたはずのガロウが、なぜか目の前にいた。


 体を沈ませ、そして肩を入れ、俺の顎を、下から肩で、突き上げる。


 一瞬、何が起こったか分からなかった。

 目の奥で火花が散ったような気がしたその次の瞬間、頭を掴まれる。


 そしてもう一発。

 今度は手のひらの根元――掌底で、もう一度、顎を突き上げられた。


 リトリィの悲鳴をようやく聞いたのと、今度こそ視界が暗転し――


「面白いだろう。立てないだろう。頭を下から揺らすと、今のお前みたいになるんだ」


 無様にへたり込んだ俺は、なんとかして立とうとして、でも体に力が入らないことに気づいたのだ。


 膝に力が入らないのはもちろん、自分が今、どういう姿勢を、どのように保っているのかもよく分からない。

 ぼんやりし、ぐらぐらする視界の中で、意識はあるのに、体の動かし方を忘れてしまったかのような。


 顎の傷みも大きいが、この妙な、吐き気にも似た不快感を伴う感覚に、俺は混乱していた。


「覚えておけ。これを知っている奴は少ないみたいだ。掌底とか、肩とかを使って、とにかく顎を下から全力でぶん殴れ。たいていのヤツは動けなくなる。これでメスを守――」


 しかしガロウは、それ以上言えなかった。

 庭の花壇の仕切りに使ってあったレンガを引っこ抜いたリトリィが、ガロウの脳天をおもいっきりぶん殴ったからである。




「お客様を送るところを、レンガが割れるほどのちからで殴って怪我をさせるなど。一体何があったのですか」


 ゴーティアスさんの呆れ顔に、リトリィはぺこぺこと頭を下げっぱなしだ。ガロウの方は、リトリィに怪我をさせられたことがよほど恥だったとみえて、口を一切開かない。


 ガルフを送り出すところだったのに、リトリィにぶん殴られたガルフもしばらく動けなくなり、俺たちは結局、家に戻ってしばらくリビングで休憩することになった。


 フラフラなガルフは、しかしリトリィに抱きかかえられた俺と違ってかろうじて歩けたようで、自分で歩き、そして今はカウチソファーでぐったりとしている。


 どうもガルフは、俺に、いざという時の戦い方、みたいなものを教えたかったらしかった。

 多分あれは、脳震盪のうしんとうという奴だったんだろう。ボクシングのアッパーカットを食らったときなど、脳に大きな衝撃を受けることによって、一時的に機能不全に陥る、アレだ。大学のスポーツ科学で習った記憶がある。


 ただ、何の説明もなく突然やりやがったものだから、リトリィにしてみれば脈絡なく俺が殴り倒されたようにしか見えなかったわけで。それで俺を守るために、とっさにレンガを握ってガルフをぶん殴ったわけだ。


 ガルフにしてみれば、まさかリトリィがそんなことを瞬時にやらかすなんて、思ってもみなかったのだろう。実になんとも頼もしい嫁をもらうことになったわけだな、俺は!


「……あんなメスをつがいに選ぶお前が、いろんな意味でおかしいことは分かった」

「リトリィは、いろんな意味でそこらの女とは違うんだよ。うらやましいだろう?」

「たとえ無理に仔を産ませても、いつ寝首を掻かれるか分からんメスだぞ。いらん」


 殴られた頭の方はともかく、殴られた衝撃で首を痛めたらしく、さかんに首をひねっている。いや、レンガが割れたくらいの勢いでぶん殴られた脳天の方を心配しろよお前。どんだけ頑丈なんだ。


「だからさっさと娘を作ってオレによこせ。オレにだって血を繋ぐ相手がいるんだ」

「だからくれてやるわけないだろ。なんで糞狼に俺の娘をやらなきゃならないんだ」


 しつこいガロウに、俺はうんざりしてくる。


「とにかくだ。オレはあのメスはもういらん。オレの不意を狙ってオレの頭を容赦なくぶん殴るだと? あんなケダモノ以上のケダモノ、お前に押し付けておくだけで十分だ」

「誰がケダモノ以上のケダモノだ。リトリィは天使だぞ? あんなに素敵な女性が、この世に二人といるものか。それが分からないお前はやっぱりケダモノ以下のケダモノだ」

「ほざけクソ人間。お前のようなヤツはメスの尻の下で息を詰まらせて死んでいろ」

「言ったな糞狼。お前のような奴こそ女日照りの上一人寂しく孤独にかわいて逝け」


「それだけ元気なら、もう大丈夫ですね。お召し上がりになりますか?」


 リトリィが、飲み物と、軽くつまめる焼き菓子をティーカートで運んでくる。

 ポットと水差し、そして白い布を皿代わりにした、山盛りの麦焼きクッキー


 とりあえず、一枚頂こうと手を伸ばした、その瞬間だった。


「遅い! 遅すぎるぞ! クソオス!」


 ガルフが、白い布で包むように一瞬で麦焼きの山をかっさらう。

 ……全部を。


「あ……こらっ! 待ちなさい!」


 リトリィの止める声も聞かず、ガルフは開いていた窓から飛び出した。

 こちらを向き、背中から窓に飛び込むと、両手両足を大きく広げるようにして、不敵な笑みを浮かべながら小さくなっていく。


 結局、ガロウの奴は、そのまま俺たちの目の前からいなくなった。

 背中から着地した花壇をしっちゃかめっちゃかにして、あのおとなしくて優しいリトリィをして、「絶対に許すもんですか!」と激怒させたままどこかへ消えるという、最低な伝説を残して。

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