第234話:奥の手
「オレはこのメスをぶん捕りに来ただけだ! 邪魔するんじゃねえ!」
「奇遇ですね。そのお嬢さんをぶん捕りに来たんですよ、こちらもね」
言い終わる間もなくヴェフタールが放った矢を、ガルフは
「こんなもんで、オレを
矢を投げ捨てたガルフが、右手を構え、腰を落とす。まさに、狼のごとく。
「いやあ、怒った犬は怖いですねえ。子猫ちゃん、追加料金をいただきたいのですが――」
ヴェフタールが軽口を叩いた瞬間だった。
雄叫びとともにガルフの姿が消えた――そう表現するしかなかった。その瞬間、ヴェフタールの眼前で激しい火花が散り、ガルフは壁際にいた。
「速いですねえ、足だけは」
俺の目が追いついていなかったのに、ヴェフタールは、しのいでいた。短剣と、腕の小さな盾だけで。
「それで? 追加料金はいかほどで?」
「次の
「それは追加料金としては法外ですね。僕の方が色々と、
「命の取り合いの最中に、スカしてるんじゃねえぞ!」
ガルフが再び構える。さっきよりも、さらに低く。
ヴェフタールも、衝撃に備えてか腰を落とし、盾と短剣を構える。
「……次は止められるか?」
「だから犬コロは嫌いなんですよ、じゃれついてきて服を汚しますから」
瞬間。
咆哮と共にガルフが床を蹴った――そう思ったときには、短剣と爪によって散った火花のその先、すでにガルフは天井を蹴り、再びヴェフタールを頭上から襲うところだった。
からくもその爪を盾で受け流し、短剣でその背中を突いたヴェフタールだが、ガルフはまるで空気を蹴るがごとく身をひねってかわす。
かわしたその先を読んだがごとく、アムティがガルフを唐竹割にしようとするが、信じられないほどしなやかに体を低くしたガルフが、その斬撃を紙一枚でやりすごす。
そのまま壁に向かって跳んだガルフは、壁を蹴り弾丸のようにヴェフタールに襲いかかった。ヴェフタールはその巨大な弾丸をかわしつつ、側面から盾で殴りつける。
床に叩きつけられもんどりうつガルフ。
「勝負ありましたね?」
「……お前は、バカか?」
ガルフは、立ち上がると面倒くさそうに口元を拭った。
「……メスが見ている前だ、せめて汚さねえように、血が飛び散らない程度でと思ったが、やめだ。もう、手加減なしだ」
ガルフは再び構えた。
さらに大きく脚を引き、さらに低く。
「奥の手ってのはな、すぐにはさらさねえから、奥の手っていうんだ」
ガルフの言葉に、ヴェフタールの目が鋭くなり、口元の笑みが消える。
咆哮があとから来た――
そうとしか言えないようなガルフの突進を、ヴェフタールが盾で受け止める!
ヴェフタールが突き出した短剣を予期していたように牙で受け止め、ガルフは大きく首をひねる。
短剣を奪われぬように巧みに握り直したヴェフタールが、今度は盾の面ではなく
素早く短剣を口から離したガルフは、体を反らして縁を避けつつ殴られ――その勢いで体をひねった。
またも空気を蹴るようにしなやかに突き出した足でアムティの腹を蹴り飛ばし、その勢いのままにヴェフタールの左肩にかかとを落とす。
一瞬だった。
一瞬の出来事だった。
ガルフが、右の拳を左の手に打ち付けてみせながら、言い放った。
「人間ごときが、オレに勝てるはずがないだろう」
「……困りましたねえ。彼女はたった今、僕の身に余る報酬を約束してくれたんですよ。腹への打撃は、それを無効にする恐れがあります。狙うならせめて、その哀れなほど平らな胸にしてほしかったですね」
肩を押さえながら、それでも軽口を叩くヴェフタールを、ガルフは思いきり蹴り飛ばす。
「くだらない能書きを垂れても、面白くもなんともないぞ。あの金色のメスが、あのヒョロヒョロ野郎を殺したらオレの仔を産まないとか言うから、イライラが溜まってるんだ。せめてお前らがオレのイライラを解消しろ」
言い終わらぬうちに突き出された爪を、白刃が受け止める。
「アタシもさァ、いい加減コイツに、負債を払ってほしいんだよねェ。何回、腹にできたのをチャラにしたと思ってるんだか、この男は、さァ……!」
「借金の話などオレが知るか。二人まとめてさっさと死ね」
突き出されたもう片方の手を、爪を、変わった形のナイフが受け止める。十手に似ているが違う、三つ又の短剣のようなものだ。
「……あなた
ヴェフタールだった。声に力はないが、あの一瞬の突きを受け止めた事実に驚愕する。
「……フン。二人がかりで、とどめの一撃をやっと止めたくらいで、何を言っている。言ったろう? 人間ごときが、俺に勝てるわけがないと」
ガルフは体をひねると、アムティの胸甲に、するどく膝を叩き込む。
彼女が体を折り曲げたところをさらに今度は足裏で蹴り飛ばし、ヴェフタールが脇腹を狙って三つ又のナイフで突いてきたその腕をからめとると、そのまま体を持ち上げ一気に床にたたきつけようとする。
ヴェフタールはそれを予期していたように体をひねると、すんでのところでガルフの腕を逆にとらえた。
しかしガルフはそのまま無造作に、ヴェフタールごと腕を床に叩きつける。
咳き込みながら倒れ伏すヴェフタールの手から、ガルフは短剣を蹴り飛ばすと、その背中を踏みつけた。
「今度は胸を狙ってやったぜ? お前の言う通り、たしかに、多少、平らだったかもしれないな?」
「……気にしているらしいので、あまり、言わないであげてくれますか? あれでも一応、ベッドでは可愛いんですよ……」
「……お前が自分で言ったんだろうが」
「
「知るか」
ガルフに蹴り飛ばされ、ヴェフタールの体はぼろくずのように吹き飛び、アムティの側に転がった。
ナイフを構えながら、俺は絶望に打ちのめされていた。
アムティに続いて、ヴェフタールまでやられてしまった。
それは、もう、だれもガルフを止めることができないということだ。
先の殴打で、俺が奴に勝てる確率など、万に一つもないことを思い知らされたばかりだ。現に今だって、ガルフは俺に目もくれない。それだけ、実力差がありすぎるのだろう。
リトリィを守る手立ては、もう、無いのだと、思い知らされる。
しかしヴェフタールは、咳き込みかすれた声ながらも、笑顔で、俺に向かって語り掛けてきた。
「さて……ムラタくん。いつまで僕らにむかって、女の子との繁殖欲求を垂れ流し続けるんですか。君のせいなんですよ、僕らがこんな目に遭っているのは……」
言われて初めて、無意識にリトリィを抱きしめていたことに気づく。慌てて離れると、ヴェフタールは俺の方に手を伸ばして、続けた。
「そう、そう。自分の役割を思い出してくださいよ。
その革の帽子。それこそ、今の状況を覆す、『奥の手』なのですから。早く僕に投げて寄こしてください」
そう言って、手招きをしてみせる。
……は?
そんなこと、聞いてないぞ?
さっき地面に叩きつけたこの帽子に、そんな力が?
「そう、それです。僕に、ください。僕が、それを手にして戦うことができれば、こんな
この柔らかな革の帽子が、そんな大それた能力を持っているとはとても思えない。だが、ヴェフタールがああ言っているのだ。俺が持っているよりも、ずっと役に立ってくれるだろう。
言われるままに、俺は帽子をヴェフタールに投げつける。
――だが。
「それを、目の前でやらせるとおもうか?」
ガルフの爪が、革の帽子を、いともたやすく、貫いた。
そのまま大きく指を開かれた帽子は、見るも無残に四散する。
「フン――訳の分からん小細工を……し――」
ガルフは、ヴェフタールに向かって牙を剥いて見せ、
そしてそのまま、白目を剥いて倒れる。
そして、リトリィも失神する。
「……君の言うとおりですよ、犬コロ君。『奥の手』は確かに、簡単にはさらさないものですよね」
「ひべっ!? はっ、鼻が曲がるっ! 目に沁みる! ……目が! 目がァァアアアアアッ!?」
悶絶する俺に、ヴェフタールは面倒臭げに言った。
「早くリトリィさんを担いで脱出しましょう。ムラタ君、そのままだと本当に鼻が曲がりますよ?」
お前――お前か!? このとんでもない仕込みをしやがった奴は!!
「正確には、ナリクァンさんにお願いしました。君の情報で、この犬野郎がいるかもしれないと分かったのですから。いやあ、役に立ってよかった」
自分はしっかり鼻に当て布をしているヴェフタール。
ついでに、アムティの鼻も覆っている。
おま……お前ぇぇぇええええ!!
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