閑話⑬:新しいセカイ (1/2)
「す、すごい……こんな、お姫様みたいなベッド……!!」
二階に上がったマイセルは、目を真ん丸にした。
簡素な屋根裏部屋で威容を放つ、天蓋付きの巨大なベッド。
月明かりを透かす紗は幾重にも重なる美しい
ベッドフレームそのものは過剰な装飾などなく、ごくごくシンプルな形ではあるが、それでも繊細な彫り込み装飾が、その高級さを物語っている。
「お、お姉さま! お姉さまって、いつもこんな大きなベッドで寝てるんですか!」
「そうね……ムラタさんと、いっしょにね?」
「……えっと、私も、ここで、寝ていいんですか?」
「ムラタさんとわたしも、いっしょですよ?」
「わあ……!!」
マイセルが目を輝かせて、ベッドに駆け寄る。
「すごい、真っ白なシーツ! ……わあ、ふかふか! こんなベッド、初めて!」
リトリィだって、こんなベッド、これまで使ったことがなかった。
ムラタいわく、よほど上等なバネを使っているのだろう、とのことだった。
バネ自体は、リトリィも一応、作れる。だが、ジルンディール親方の作るバネには、遠く及ばない。バネは実は極めて高度な冶金技術が必要なのである。混ぜる金属、冷やす温度など、探求すべき技術・得るべき経験の範囲はあまりにも広く、深いのだ。
親方の経験や極意すらも、すべて受け継いだとは言えないリトリィにとって、あまりにも難度の高いものなのである。
「教えることはすべて教えた。あとは、お前が自分の経験を積んで、その中で答えを探せ」
父の言葉を思い出す。はやく、鍛冶工房を借りられるようにギルドに登録して、腕が鈍らないうちに、鉄を叩けるようにならないと、という焦りが、首をもたげてくる。
けれど、今はムラタのサポートに専念したいという思いもある。
内心の焦りを隠しつつ、悶々とした日々を送っているというのが、リトリィの現状だ。
そんなリトリィの内心など知る
「ふっかふか~! いいなあ、お姉さま。こんなベッドで毎日寝られるなんて」
「あなたもムラタさんの元に嫁いで来たら、毎日いっしょですよ?」
「やったあ! 毎日お姉さまと一緒ね!」
……わたしといっしょ?
マイセルの言葉に軽い違和感を覚えたリトリィだったが、気にせずベッドの端に腰掛ける。今度はベッドの広さに感激してごろごろと転げ回るマイセルに向けて、リトリィは、一つの決意を改めて固めて、口を開いた。
「マイセルちゃん、
リトリィの言葉に、マイセルが首をかしげる。
「……えっと、お話し相手をするってことですか? それとも、……えっと、一緒のベッドで寝る、ということですか?」
「お母さまからは、なにも聞いていない?」
問われて、マイセルは視線を上に上げ、そして何か思い至ったかのように視線が泳ぎ、そしてうつむいてしまう。
「え、えっと、……その、も、求められたら、ムラタさんのお望みになることを、お望みのままに、すべて受け入れなさいって……」
その、少女らしい恥じらいを浮かべるマイセルに、リトリィの胸の奥が、ずきりと痛む。覚悟を決めたというのに、それでも。
――この子も今夜、あのひとの愛を、ちょうだいするんだ……。
自分が今まで、ひとり占めしてきた、ムラタの、愛を。
「あのね、マイセルちゃん」
胸の奥のどろどろした傷みに耐えながら、リトリィは、重い口を開く。
「女の子には、赤ちゃんを産む使命があります。できればそれが、好きな人だといいのだけれど」
「……? 私、ムラタさんのこと、好きですよ?」
くりくりとした瞳で、不思議そうに返すマイセル。
――そんな目で見ないでほしい、わたしは、あなたに、とられたくないの。あの人の愛を。一滴だって。
そんな、醜い独占欲が、胸の奥でヘドロのように渦を巻くのを自覚する。
――やめて。そんな目で見ないで。
思わず視線を落とす。
あの無垢な瞳の奥で、マイセルは、自分を姉と慕ってくれているのだ。優しい姉だと。自分の手本となる淑女だと。
ゆえにこそ、辛い。
――わたしは、あなたのお姉さまにふさわしい女じゃないの。あの人に抱かれる幸せをあなたに分けたくない、そんなやきもちを焼く、いじわるな……
「お姉さま……どうしたの? なにか、辛そうに見えます」
気が付くと、リトリィの視界を、マイセルが占領していた。
鼻の先がくっつきそうなほど、近い位置。
「ひぁっ!?」
「あ、ごめんなさい、びっくりさせちゃって」
のけぞるリトリィに、マイセルも驚きつつ、謝る。
「でも、お姉さま、なんだか辛そうな、悲しそうな目をしてたから――」
――どうして、自分は、こんないい子に、心配をかけてしまうようなことを。
リトリィは自己嫌悪に陥った。自分の方が年上なのだと、自分を姉と慕ってくれる少女を悲しませてどうするのだと、ムラタが愛してくれている自分はそれでいいのかと、必死に心を奮い立たせる。
――わたしは愛されているの。あのひとに。だいすきな、あのひとに。
「……ごめんなさいね。ちょっと、マイセルちゃんのこと、考えちゃっていて」
「私のこと、ですか?」
純粋な目。
胸がまた、痛む。
――この期に及んで、わたしは、うそをついた。
マイセルのことを考えた――それは、確かに、嘘ではない。
だが、それは、嫉妬によってだ。
彼女に愛する人をとられたくない、という、醜い心だ。
決して、マイセルのことを案じたものではない。
――それなのに、どうして。
「……よかった! お姉さまになにか、私、失礼なことをしてしまったのかなって」
――どうして彼女は、こんなにも、自分を慕ってくれるのだろう。わたしは、ムラタさんをひとり占めしたくてたまらないのに。その愛を、ひとしずくたりとも、渡したくなんてないのに。
「お、お姉さま……?」
リトリィの瞳から、雫が零れ落ちる。
わたしは、どうしてこんなにみにくいのだろう、こころも、からだも。
わたしは、この子みたいに――あの人と同じような、つるりとした肌ではない。
わたしは、この子みたいに無垢でもなかった。
わたしは、はじめからよごれていた。
わたしは――
「お姉さま、お姉さま? どうして泣いてるの? 私、やっぱりなにか――」
うろたえるマイセルを、抱きしめる。
母にすがりつく、子供のように。
「え、――え? おねえ、さま……?」
「ごめんね……ごめんなさいね? いいの、ちがうの。あなたのせいじゃないの。わたし……わたしがみんな……」
困惑するマイセルの胸に顔をうずめ、リトリィはしばらく、肩を震わせ続けた。
「おあいこですね、お姉さま」
マイセルの微笑みに、リトリィはまた、涙をこぼす。
ずっとずっと、胸にしまっていた
ムラタのこと――初めて会話をしてから、ずっと好きだったこと。
山から戻ってきたとき、ムラタの側にいたマイセルを見て、衝撃を受けたこと。
嫉妬に駆られ、ムラタを取られたくない、渡したくないと思ったこと。
口ではマイセルを励ましながら、それでもなお、愛する人を独り占めしていたかったこと。
マイセルは、一つ一つを聞き、そして最後に――笑ってみせたのだ。
「そんなの、全部、私も同じでしたよ? だってムラタさん、必死で告白した私に、『俺はリトリィが好きだ。彼女を愛している』、ですよ? 少しは私の気持ちも察してくれたらいいのに」
マイセルの言葉――そこに含まれた、ムラタの、自分への愛の言葉に、リトリィは戸惑う。
「もう少し、言い方ってあるじゃないですか! ムラタさんが言ったそれって、つまり私のこと、好きでも愛してもいないってことですよね? いくらなんでも、ひどい振り方ですよ。本当に泣きたかったんですよ、私」
ぷりぷりと怒ってみせるマイセルだが、それが本音ではない――それくらい、リトリィにも分かる。一つの、のろけだ。自分の愛しい人が、そんなありさまだったところから、自分を妻に迎える決心をしてくれた――その喜びの、裏返し。
――でも、不快に感じられない。
「お姉さまがいるかぎり、私はムラタさんに愛してもらえないんだって。お姉さまさえいなければ、私は、ムラタさんに好きになってもらえたはずなのにって。
――そんなこと、あり得なかったんですけどね。ムラタさん、お姉さまにめぐり合って、それでやっと、自分に自信が持てるようになったって言ってましたし」
マイセルは鼻息荒く断言する。
「かっこいいムラタさんは、お姉さまに自信をもらったから、かっこよくなれたんですよ! お姉さまがいたから、私、かっこいいムラタさんに出会たんです! かっこよくて優しくて、自分以外の人の幸せを願うことができる、すてきなムラタさんに」
彼女は、純粋に喜んでいるのだ。
彼の愛を分けてもらえた、そのことに。
彼の愛に、リトリィが関わっていたことに。
「あのあといろいろあったけど、お姉さまが優しく迎えてくださったのが、とっても嬉しかったんです。本音はいろいろあったんでしょうけど、……でも、それでも、私を、大好きな人の側にいていいって、認めてくれたことが」
マイセルは、改めて、リトリィの体を抱きしめる。
「だから、おあいこです。
―― 一緒に、愛しましょう? 私たちの、旦那様を」
「マイセル――
「やだ、お姉さま。マイセル
マイセルはくすくすと笑うと、あらためて、リトリィの体を強く、抱きしめた。
「お姉さまのおかげで、私を、私らしいままに見てくれる人に出会えたんです。だから――」
マイセルが、そっと、目を閉じる。
「一緒に、ムラタさんと、愛し合いましょう?」
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